北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

ロシアカムチャツカ半島ベズィアニィ火山が大規模噴火-噴煙一時1万5000mに到達,日本への直接影響は無し

2022-05-29 07:02:08 | 防災・災害派遣
■臨時情報-ロシア火山噴火
 写真は噴煙を上げる御嶽山と自衛隊機ですが火山噴火は地震と異なりエネルギーに上限が無く時として深刻な影響を広範囲に及ぼします。

 ロシアカムチャツカ半島のベズィアニィ火山が日本時間28日1710時頃、大規模な噴火を引き起し、噴煙は一時1万5000mに達したとのこと。ベズィアニィ火山は1955年から断続的に噴火を引き起しており、2010年頃から山体膨張が確認されていたとのことで、5月24日と25日にも比較的大きな噴火が発生していたということですが、今回はより大規模だ。

 ベズィアニィ火山は標高2882mで、ロシア非常事態省によれば噴煙は南東方向に広がっているという、噴煙柱崩落型火砕流の懸念はありますが、ベズィアニィ火山周辺には民間居住地域は無いとのことで、観光客もいないことから、人的被害の危険は及んでいないと、ロシア非常事態省は発表しています。ただ、現地映像を見る限り山体崩壊等はありません。

 火山噴火について、幾つかの留意事項を挙げますと、火砕流や火山灰被害とともに、大気中の火山性エアロゾルによる旅客機飛行への影響、また微細粒子の成層圏滞留により太陽光照射低下の影響です。ただ、ベズィアニィ火山噴火は噴火から五時間後には噴煙は5000m程度まで低下しているということで、この規模の噴火で終息するならば影響は限定的です。

 ただ、懸念するのは、山体膨張しているともとれるロシア科学アカデミーによる2010年頃からの観測で、山体膨張とも火口溶岩ドームとも受け取れる変化であり、これで噴火は終息に転じるのか、ということです。溶岩ドームの爆発ならば崩落型火砕流を引き起すものですが、噴煙1万5000mの観測と少々矛盾が生じます、山体膨張となるならば話は難しい。

 山体崩壊に至っていないならば噴火は継続する可能性があります。無論、火山噴火の旅にこの種の懸念は常に一定程度ありますので、観測を継続する必要はあります。仮にさらに大きな噴火となった場合は、北半球の気象に影響が生じ、例えば農業生産などに一定程度の影響を及ぼす懸念もあります、ただ、その可能性は現段階では低いのもたしかです。

 大規模噴火ということで我が国気象庁は、トンガのフンガトンガフアパイ火山噴火の際のような遠隔津波の日本到達を警戒していましたが、今回の噴火では顕著な気圧変化は認められないということで、危険は無いと発表しました。なお、カムチャツカ半島は千島列島火山帯を形成しており、こうした地球深部の変動が地震などに間接的に影響しないのかも関心事でしょう。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

155mm榴弾砲-活躍するM-777榴弾砲,52口径長砲身砲時代にロシア軍圧倒する39口径牽引砲の奮戦

2022-05-28 20:20:24 | 先端軍事テクノロジー
■戦訓に学ぶ-日本の防衛
 自衛隊は39口径のFH-70榴弾砲後継に52口径の19式装輪自走榴弾砲を配備してゆく方針ですが、この潮流への一石が投じられたもよう。

 ロシア軍砲兵部隊は何故M-777榴弾砲に苦戦するのか。ウクライナ戦争では侵攻したロシア軍は圧倒的な砲兵火力を発揮する筈が、ウクライナ軍砲兵隊に苦戦を強いられています。稼働状態の火砲でロシア軍の方が有力であるはずなのですが、ウクライナ軍が徐々に建て直し、特にアメリカ製M-777榴弾砲やフランス製カエサル装輪自走砲が供与されると。

 カエサル装輪自走榴弾砲は、非常に優れた装備です、これにロシア軍が圧倒されるならば理解できる、こういうのも52口径砲という長砲身砲は物理的に牽引する事は不可能と判断したGIAT社が、それならばトラックで曳くのではなく荷台に載せてしまえ、という発想で、兎に角52口径の長砲身なので射程が50km近くに上るのですね。しかし、M-777は。

 M-777榴弾砲はイギリスのロイヤルオーディナンス社が1990年代に開発した、105mm砲の重さで155mm砲をという超軽量砲でチタンとアルミを多用し重量は4.2tしか無く、自衛隊も採用したFH-70榴弾砲の9.6tと比較すると驚きの性能です。ただ、M-777は39口径砲で射程延伸弾を用いて射程が30km、通常榴弾の射程は24kmと平均的なのですよね。

 M-777,この最大の長所は軽量である点なのですが、軽量という水準はこの重量ですとUH-60多用途ヘリコプターにより空輸できる点にあります。この為、アメリカ陸軍と海兵隊が注目しM-198榴弾砲の後継として採用したほどです。逆に開発したイギリスはじめ欧州では155mm砲は自走砲へ転換してゆき、この種の火砲の任務は120mm迫撃砲が担う。

 ロシア軍火砲はソ連時代の2A65榴弾砲が射程25kmで射程延伸弾では29km、これは47口径152mm榴弾砲です。そしてロシア軍自走砲の2S19ムスタ自走榴弾砲はこの2A65を48口径に長砲身化したものですので、射程延伸弾では射程が36kmと延伸しています。ただ、これにはもう一つ近代化の遅れというものも差し引く必要があるのかもしれません。

 2S3アカツィヤ自走砲、数の上での主力はソ連時代の1971年に制式化された2S3アカツィヤ自走砲で、これは34口径152mm砲を装備しています、陸上自衛隊の75式自走榴弾砲時代のもので、射程は17kmと射程延伸弾を用いた場合で24kmです。当時としては極めて高性能だったのですが、これに対抗したものがFH-70榴弾砲やM-109の改良型でした。

 しかし、射程は極めて重要な要素ですが射程というものは対砲兵戦装備によりかなり補えるのも事実です、例えば1991年の湾岸戦争では米軍砲兵部隊は火砲射程で完全にイラク軍の後塵を拝していましたが、対砲兵戦装備、相手の座標を標定する技術が圧倒的に進んでいた為、イラク軍はその最大射程を活かす事が出来ず、各個撃破された過去があります。

 対砲兵戦は相手の火砲を数十km先の誤差数十mの誤差で標定しなければなりません、これには地中マイクロフォンと対砲レーダ装置を用いて砲弾を探知した上で逆算し砲弾の弾道から火砲の位置を標定する方法と、通信部隊が電波発信源を標定する方法、ヘリコプターや無人機で直接発見する方法があり、この情報を即時情報処理することが勝敗に繋がる。

 75式自走榴弾砲が自衛隊で開発された時代は此処が徹底されており、1効力射3発30秒と陣地進入から射撃と陣地変換まで3分といい、撃ったら移動し敵の反撃を避けるという運用が徹底されています。2010年代の派米訓練では第7特科連隊の99式自走榴弾砲が陣地変換を200回以上繰り返し米軍に唖然とされるも最後まで生き残った事例があるほどです。

 特科情報装置3型などはその為に開発されたような装備で砲撃受け1分で標定し1分後に効力射を加え1分後に陣地変換するのですが、ウクライナ軍は今回の戦争にGS-Artaという、無人機とGPS座標を電子マップ上に表示し隷下砲兵部隊とを結び、目標発見から射撃まで1分間という運用を展開しています。この水準にロシア軍は対抗出来ていません。

 BTG大隊戦術群、ロシア軍の運用面でもう一つ不確定要素であるのは、歩兵大隊1個に3個砲兵中隊を点けて作戦単位とするロシア軍の運用が、果たして砲兵の火力を充分に生かせる体制なのか、という疑問符にもつなげる事が出来るかもしれません。BTGの編成図を俯瞰すると歩兵中隊2個からなる大隊に3個砲兵中隊と戦車中隊が支援している編成だ。

 恐るべき砲兵の密度だ、とは考えたのですが、3個砲兵中隊が遠距離目標を砲撃している中で歩兵中隊が2個では歩兵の密度が薄くなり簡単にウクライナ軍の戦術機動に翻弄され側面を突かれている構図がありますが、もう一つ、BTGは伝統的な自動車化狙撃連隊を大隊単位に削減した後に構想された編成であり、大隊幕僚の人数が少なすぎる難点があった。

 砲兵の苦戦はこの点に加えて、前進観測班や対砲兵装備などがBTGの編成と任務煮勝ちしていないのではないかと云う事です、対砲レーダ装置は情報中隊が必要で諸兵科連合の大隊ごとに配備できるようなものではありません、そして歩兵中隊が2個では随伴できる前進観測班も規模は限られ、結果、火砲の性能を最大限活かせない側と活かす側の戦いに。

 39口径榴弾砲というは過去の装備と錯覚していましたが、ウクライナでのM-777の運用を見ますと、対砲兵戦データリンクと標定が適格ならば、ここまで充分能力を発揮できるという点に改めて驚かさせれたかたちです。自衛隊は39口径榴弾砲を全廃し52口径砲である19式装輪自走榴弾砲に置換える構想ですが、39口径砲も中々、と考えてしまうのですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【京都幕間旅情】榛名さんの総監部グルメ日誌-京都,御所西のポークな日替わりホテルランチと眺める春の庭園

2022-05-28 14:11:30 | グルメ
■榛名さんの総監部グルメ日誌
 榛名さんの総監部グルメ日誌というにも総監部は府内とはいえ距離的には中部方面総監部の方が近いのは内緒です。

 京都、歴史と伝統の街と称される京都も舞鶴地方総監部、古くは舞鶴鎮守府が置かれ明治建軍の時代から連綿と続く軍都を北辺に戴くもう一つの面持ちを有しています。ただ、歴史と伝統云々の大きな基点は、京都御所、千年間我が国首府となっていた所以がある。

 京都平安ホテルは、その京都御所は蛤御門にほど近く烏丸通を挟んで営々と上京者を迎えているホテルです。さてさて、京都には名所旧跡有れど数多観光客の拝観とともにコロナ禍下でも尚、観光過多の趣きに回帰しつつあるところですが、このホテルは人心地つく。

 Arbois,ホテルレストランは一階ロビー前の少し奥に在りまして、宿泊者以外も気軽に食事を愉しめます。そしてこのホテルは穴場というほどではないかもしれませんが、御所西に在って庭園がこの季節青々として良い、ランチタイムには美しい庭園とともに一時を。

 御所西という一角なのですが、考えてみますとこの周囲には所謂観光寺院の類は無く、ランチタイムにはそれ程混雑しません、こんな色彩鮮やかなサラダのプチトマトもこんな時代混雑している人息れの只中では落ち着いて味わえず、混雑しないのはよい調味料という。

 鹿児島豚のポークステーキ。愉しさというのは偶然も調味料と思う、この日の日替わりランチを注文しましたが、鹿児島豚さんでした。もちろん定番メニューもあるのですが、日替わりは本当に毎日一新されますので、さてなにだろうと思いながら想像するのも愉しい。

 庭園を眺めながら頂く。座席の配置もいろいろ工夫されていまして、もちろんコロナ対策で客同士向かい合わないという視座もあるのでしょうけれども、視線の向かう先が庭園というのも趣き深いものです。太陽の具合もランチタイムを少し外すと順光で緑にて映える。

 珈琲を食後に附けました。そして冷菓もついてきます。であいもん、という和菓子職人さんのアニメが話題という昨今に、少し気軽な友人知人との散策や家族での利用なんかも良いかもしれませんが、京都平安ホテルはもう一つ、この庭園は見るだけではありません。

 京都平安ホテルの庭園は外に出て散策する事も出来るのですね、こうテーブルとイスが並んでいる所を見ますと、いやいっそこの太陽の下でオープンテラス席が有ればなあ、とも思うのですが。立地は京都御所を散策していますと直ぐ、ランチは立地もたいせつと思う。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

経ヶ岬エアーフェスタ2022-八丁浜シーサイドパーク明日実施,入間第2輸送航空隊C-2が航空祭初参加

2022-05-28 07:00:51 | 北大路機関 広報
■明日-京都府の航空祭
 京都でも航空自衛隊の航空祭が行えると説明しますと真剣に基地はあっただろうかと思われるかもしれません。

 八丁浜シーサイドパークにて行われます経ヶ岬エアーフェスタ2022、駐車場が網野中学校など複数個所に設定されまして漁港まで臨時シャトルバスが運行されます、エアーフェスタと云う事は要するに航空祭なのですが、京都で航空祭と云う。経ヶ岬分屯基地が主催するエアーフェスタなのですが立地は京丹後市で近くには浦島太郎出生地があるとのこと。

 経ヶ岬エアーフェスタ2022、飛行展示を調べてみますと案外と盛りだくさんで驚くのですよね。先ず最初に小松基地第6航空団のF-15戦闘機が1015時から1035時まで、航過飛行か機動飛行かは当日のお楽しみですが実施されます、続いての飛行展示は1100時から1120時まで舞鶴航空基地第23航空隊のSH-60K哨戒ヘリコプターが飛行展示を20分行う。

 飛行展示は第三段が小松救難隊のUH-60J救難ヘリコプターとU-125救難機が、U-125救難機は間もなく一ヶ月となる知床沖観光船遭難事故の行方不明者捜索に輪番で災害派遣が継続していますので、多忙といえる中での参加ですが飛行展示は1130時から1150時までで、この所要時間ですと救難飛行展示が割としっかりと実施されます。しかも立地が良い。

 経ヶ岬エアーフェスタ2022の会場は八丁浜シーサイドパークの沿岸100mの沖合と発表されていますので、要するに想定要救助者は会場から海上を眺める形、波しぶきはじめ臨場感は飛行場で行う航空祭とは段違いです。なお、航空自衛隊によればこの実施に際して海上付近には進入禁止海域が設置されるという。航空救難員が海に飛び込む展示を示すもの。

 入間基地のC-2輸送機が航空祭へ初参加、第四の飛行展示は中々に注目です、第二輸送航空隊のC-2輸送機が1300時から1310時まで飛行展示を行います、入間の第二輸送航空隊はC-1輸送機の飛行隊として知られていますがC-2輸送機への機種転換が始まっていまして、始まった頃にCOVID-19が来ましたので経ヶ岬はまさに航空祭初参加となるのですね。

 岐阜基地からも戦闘機が参加するとのこと、飛行開発実験団のF-15戦闘機とF-2戦闘機が1340時から1400時まで飛行展示を行う。こうやってみてみますと、F-15戦闘機とF-2戦闘機に、UH-60J救難ヘリコプターとU-125救難機、ここにC-2輸送機とSH-60K哨戒ヘリコプターが参加するといいますので、プログラム的には堂々たる航空祭といえましょう。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

海軍記念日-百十七年目の日本海海戦,山陰九州沿岸民間慰霊祭とウクライナに"Z"掲げるロシアへの正気の問い

2022-05-27 20:05:27 | 北大路機関特別企画
■日本海海戦戦没者慰霊
 日本海は大陸と列島を隔てる海です。さて、Zといえば日本ではZ旗か日産のスポーツカーや路線バスの旅を思い浮かべるところなのですが、ウクライナでは侵略ロシア軍の象徴となっている。

 1905年の今日、日本海軍は日露戦争が激戦を極めるなかに欧州から長躯展開したロシア太平洋第二艦隊ことバルチック艦隊を対馬海峡において迎撃、戦艦の数では日本側の4隻に対しロシア海軍は8隻と日本は劣勢でましたが、新鋭戦艦と高い練度により圧倒的勝利を果たしました。先の黄海海戦と旅順要塞攻略と併せ、大陸との連絡線を維持に成功する。

 日本海海戦、日露戦争の天王山となったこの戦いは先の3月10日に決着となった奉天大会戦により日露双方陸軍が対峙している中、日本本土と大陸を結ぶ補給路が遮断されるならば派遣部隊は戦闘不能となる切羽詰まる状況での海戦でしたが、東郷平八郎海軍大将を指揮官とする連合艦隊はロジェストヴェンスキー中将率いるバルチック艦隊を圧したのです。

 海軍記念日。日本海海戦のこの日5月27日は海軍記念日と指定される事となり、奉天大会戦に勝利した3月10日も陸軍記念日に指定されることとなります。もちろん、太平洋戦争敗戦と共に海軍の第二復員省改組等の歴史とともに海軍記念日の位置づけは大きく変わりましたが、しかしこの5月27日は、日本海沿岸の多くの場所で慰霊祭が営まれている。

 Z旗を掲げ日本海海戦において東郷平八郎司令長官は自ら旗艦三笠の艦橋露天甲板の羅針盤隣に陣取り、艦隊の先頭に三笠を配置し、指揮官先頭の範を執りました。Z旗は本来“本船漁網曳航中”という意味を有しますが、開戦においてはXYZのZであり最後の奮戦を命じる奮励の意味合いをもち、このZ旗はその後の日本海軍においても象徴的となりました。

 慰霊祭、双方の戦没者を、という慰霊祭はある種勝者の配慮といいますか、恩讐を超える美徳や、騎士道的なものの名残と云われるかもしれませんが、実はこの海戦の慰霊祭は、海上自衛隊において行われる式典とは別に、日本海沿岸の寺院などでおこなわれているのは海戦についてというものではなく、漂着した戦死者を弔うという慰霊祭が、というもの。

 殉職者、本来は戦死者と表現するべきなのでしょうが、島根県江津市では漂流した特務艦が沖合で沈没し漁民が救助した際の慰霊碑がありますし、石見では仮装巡洋艦等が漂着しています、長崎県対馬市の琴浦でも撃沈された装甲巡洋艦の乗員が漂着し住民に救助された、もちろん壮絶な海戦でしたので戦死者も多く重傷者が離艦出来ず沈んだ例も数多い。

 海はそして非情でもありまして、鳥取県ではいまの岩美市や境港市に大山町海岸に、戦死者が漂着しています、日本海海戦では多数のロシア兵が戦死しましたが、その一割ほどが日本沿岸に御遺体が漂着していまして、住民の希望から現地に埋葬されています、無論日本側が海軍や外務省と調整があってのことですが海難者として手厚く葬られた歴史がある。

 山口県長門市では慰霊祭とともに漂着した御遺体の捜索がそのまま海浜清掃の行事に発展したところもあるようで、海軍が、その軍艦旗を継承する海上自衛隊が行う慰霊祭とはまたちがった文化のようにも思えるのですね。もちろん漂着の日は違いますし、コロナ禍下にあって慰霊祭のかたちは例年通りとはゆかないことはあるのですが、伝統で定着します。

 Zの表示、さて冒頭に記しました通りZはロシアではウクライナ侵攻を正当化する象徴として扱われています、もともとはまともな敵味方識別装置を持たないロシア軍は彼我を区別する為にZを侵攻初日に戦車へ大書したのが始まりで、ΔやWなど識別記号は変化していましたが、ここまで長期化を予測していなかったロシア軍はZのまま侵攻を続けている。

 日本の視点から見ればZ旗はロシア艦隊が壊滅した日本海海戦という印象もありまして、信号旗かアルファベットかの違いはありますが、ロシア人は歴史も知らないと嘲笑する方も少なからず居ます、ただ、ロシア軍の蛮行は、日本も大陸では日中戦争以降、民兵掃討や敵性外国人摘発に、誇る事が出来ないような掃討作戦を行った事と重なるようにおもう。

 日本海沿岸での慰霊祭、民間で行われる受難者への慰霊祭は節度というものと倫理というものを伝える様に思えまして、受難者を丁重に扱う事を我が国では眉をひそめる様な方はいないでしょうし、誇るといいますと語弊が生まれそうで語彙力の多寡を痛感するのですが、戦争という狂気の中で勝機よりも正気に重きを置いた、こちら側に立つ努力といえる。

 ウクライナ侵攻のロシア軍、行っている事は市街地への無差別砲撃や住民虐殺と民間資産の破壊のみならず掠奪、とても正気とは思えない施策が組織的に行われ、これを命じた隣国の大統領は世界をも核兵器で脅すという、狂気の水平線を超えているように思う。しかし、日本海側の民間の慰霊祭を営む方の様な方は、ロシアではどうなのだろう、そう寂しく思ってしまうのですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

日米共同飛行-日本海上空で戦闘機編隊を二日連続実施,北朝鮮ICBM発射実験と中国ロシア爆撃機飛行へ対応か

2022-05-27 07:01:03 | 国際・政治
■臨時情報-日本海情勢
 日米の対応が迅速に行われる事を誇示する事は抑止力に繋がるのですが、二日間連続で行われますと本気度の高さに驚かされます。

 アメリカ空軍と航空自衛隊が我が国周辺情勢の緊張に併せ25日と26日に連続して共同飛行を実施しました。共同飛行には大きな意味は無く同盟関係の誇示と抑止力という側面が大きなもので、具体的な軍事行動の前段階を意味するわけではありませんが、非常に素早い対応で行われた点が、突発的な事態における日米の調整能力の高さを示すものといえる。

 5月25日午後、航空自衛隊千歳基地より発進した航空自衛隊第2航空団のF-15戦闘機4機と青森県三沢基地より発進したアメリカ空軍のF-16戦闘機複数が日本海上空で共同飛行を行いました。25日1530時過ぎに三沢基地からF-16戦闘機が8機連続して発進しているとのことで、三沢にはアメリカ空軍第36戦闘航空団と自衛隊第3航空団が展開しています。

 日米戦闘機の日本海上空での共同飛行、勿論編隊飛行を行っただけですが、この25日は早朝に北朝鮮が連続して弾道ミサイル実験を実施していたため、急遽同盟関係を強調するという意味があったのでしょうか。日米共同調整の延長線上として実施したのか、政府レベルでのもう少し高い次元での事前調整が在ったのかについては明らかではありません。

 5月26日にも航空自衛隊とアメリカ軍が戦闘機8機による共同飛行を実施した、ロイター通信が報道しました。過去のアーカイブの写真ではあるようですが、ロイター通信は報道にアメリカ海軍のF/A-18E戦闘攻撃機と航空自衛隊F-15戦闘機の編隊飛行の様子を紹介しています。26日の編隊飛行について、今度は海軍と航空自衛隊が協力したということか。

 日本海種変情勢を俯瞰しますと、北朝鮮大陸間弾道ミサイル実験の実施とともに、24日には中国H-6爆撃機とロシアTu-95爆撃機により共同飛行が実施されており、日米の場合は戦闘機ですが、共同飛行を行う事にはそういった平時とは異なる事案に対しても看過する事無く各々に共同飛行を行うことに意味がある、この様に誇示する為なのかもしれません。

 F/A-18E戦闘攻撃機、ロイター通信であればレッドフラッグアラスカの自衛隊F-15戦闘機とアメリカF-16戦闘機の編隊飛行写真などはアーカイブされているでしょうから、F/A-18E戦闘攻撃機の写真を提示したという事は少なくとも関係者から海軍の戦闘機が参加したという情報は得ていたのでしょう連続しての共同飛行にはメッセージ性があります。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

令和四年度五月期 陸海空自衛隊主要行事実施詳報(2022.05.28-2022.05.29)

2022-05-26 20:17:26 | 北大路機関 広報
■自衛隊関連行事
 畑岡がアツくなるこの日がやってきました、行事予定としまして令和4年度富士総合火力演習と海上自衛隊行事の幾つか紹介します。

 令和4年度富士総合火力演習が今週末土曜日に行われます、本番は28日土曜日、ただ、今年度の富士総合火力演習もCOVID-19新型コロナウィルス感染症感染対策の観点から一般公開は行わず、教育演習のWebライブ配信のみがおこなわれるとのこと。これはYOUTUBE陸上自衛隊広報チャンネルにおいて中継されますので、世界中で視聴可能です。

 公開実弾演習としては世界最大規模という富士総合火力演習は、非公開というのも不思議なものですが、陸上自衛隊富士学校の富士教導団が主催し実施する教育展示演習で、もともとは富士学校学生に現代戦闘の様相と自衛隊各種装備の性能などを展示する富士総合展示演習がそのはじまりでしたが、平成初期に一般公開が行われるようになり、今日に至る。

 島嶼部防衛を焦点として行う、島嶼部に展開した即応機動部隊が主役といいますので、さて前段演習と公団演習は随分と様変わりするのでしょうか。近年の富士総合火力演習は演習場に護衛艦や輸送艦に戦闘機を運びこめませんので、演習場の高台あたりにオーロラビジョンの大画面を設置して観艦式や日米合同演習の場面を映像として流していました。

 二次元統合防衛力、画面上でばかり華々しい護衛艦の映像を流していましたので防衛省が進める多次元統合防衛力整備にかけて、これでは二次元だよ、と嘆息していたものですが、Web配信ですと、まあ、演習場でアナウンスの、それでは画面をご覧ください、ほどの残念感はないのが幸いかも。せめて護衛艦映像もライブ配信で沼津沖を中継してほしい。

 富士総合火力演習といえば8月末、例年真夏の風物詩となっていましたが、年々増大する来場者を前に東富士演習場は標高が高いとは言っても猛暑であり、シャトルバス待ちは往復で3時間や4時間、つまり往復で各々2時間待ちがということなのですが、なかなかに真夏の実施は厳しく、そして富士の天候は変り易く時折とんでもないゲリラ豪雨が来まして。

 戦車射撃はアツいのですが演習場も暑く、救急車搬送も日常と云う程です。この為にここ数年は5月下旬に改めて実施しているかたち。ただ、その上で更にここ数年は、つまり2020年と2021年に続いて2022年もCOVID-19感染対策により一般公開は見送りとなっています、今年は師団祭が第1師団祭は招待者のみ、第3師団祭は完全開放で行ったのですが。

 東富士演習場は屋外ですが、少なくとも見学者は三万、この大人数が確実に密閉空間であるシャトルバスを主たる移動手段として御殿場駅などから延々30分以上東富士演習場へ移動するのですし、もう一つはシート席の人口密度はなかなかに凄いもので60cm間隔で一人一人詰め込みますので、感染対策といいますと、屋外であっても厳しいのかもしれません。

 熱中症対策も開門0900時の第3師団祭よりは厳しく0700時の開門から1300時まで屋外とはいえ暑い場所でマスクを着けたまま、自衛官の方は仕事ですし大丈夫でしょうが、一般見学者の方には、晩春ではなく初夏の直射日光とともに六時間日よけ無でマスク装着の感染対策と数時間のバス待ち行列、総合的に評価した上での一般公開見送りなのでしょう。

 海軍記念日が明日5月27日であり、慰霊祭も行われる。海上自衛隊では海軍記念日に合わせてという事ではないのかもしれませんが、艦艇一般公開が行われます。自衛隊行事、こうしたかたちで公開されるものが順次増えているのですが、北大路機関の情報収集能力にも限界があり、見落としがあるでしょうからお気づきの方はお知らせいただければ幸い。

 なおしま一般公開。さて、富士総合火力演習は非公開ですが岡山県倉敷市では玉島ハーバーフェスティバルが行われ掃海艇なおしま一般公開が当日抽選400名に行われます、なおしま、は掃海艇すがしま型の一隻でして土曜日に200名と日曜日に200名で1000時から1530時まで抽選は開始30分前で見学時間は30分間、抽選は複数回実施されるもよう。

 玉島ハーバーフェスティバルではこのほか、巡視船りゅおう消防放水展示が行われ、また防衛防災装備展示としてして警察や海上保安庁に消防と共に自衛隊装備品展示を実施し、96式装輪装甲車や81式短距離地対空誘導弾システムにFH-70榴弾砲も展示、場所は水島港玉島地区玉島外貿1号埠頭に特設会場を設置するとのことで、お近くの方は是非どうぞ。

 水中処分母船5号YDT-5松浦市一般公開、佐世保地方隊は長崎県松浦市の調川港岸壁において28日の1300時から1500時まで一般公開を行います。水中処分母船とは機雷掃海にあたる水中処分員の支援母船です、ちょっと今日明日に向かうには遠い場所ではあるも、お近くの方は是非、近い場所から自衛隊行事は巡るのが感染対策との両立といえますね。

 追記2231時:京都府の大久保駐屯地も29日日曜日に一般公開を行うとのことで、お教えいただきました。記念式典から観閲行進に訓練展示まで一通りを実施するとのことです。大久保駐屯地は京都府宇治市、中部方面隊隷下の第4施設団と第3師団隷下の第3施設大隊等が駐屯しています。ダンプ中隊の行進が何故か迫力があってわたしは好きです。

 第4施設団創設61周年・大久保駐屯地創設65周年記念行事、第4施設団は創設当時に建設工兵という位置づけでしたが75式装甲ドーザや92式地雷原処理車などを一括装備し、戦闘工兵部隊としての運用もなされています。また宇治市は自衛隊創設当時、第三管区隊総監部として第3師団や中部方面総監部の前身となる部隊が置かれた事もあり駐屯地は広い。

 追記2241時:京都府京丹後市では京丹後市八丁浜シーサイドパークにおいて京丹後エアーフェスタが実施されるとのこと。これは経ヶ岬分屯基地が実施するものですが、分屯基地にはアメリカ陸軍防空砲兵部隊のTHAADミサイルTRY-2レーダー部隊が前方展開している為に基地を一般公開する事が難しいとされ、飛行展示や地上装備品展示が行われるようです。

■駐屯地祭・基地祭・航空祭

・5月28日:令和4年度富士総合火力演習…https://www.mod.go.jp/gsdf/
・5月29日:経ヶ岬エアーフェスタ…https://www.mod.go.jp/asdf/kyouga/
・5月29日:第4施設団創設61周年・大久保駐屯地創設65周年記念行事…https://www.mod.go.jp/gsdf/mae/3d/
・5月28日-29日:玉島ハーバーフェスティバルなおしま一般公開…https://www.mod.go.jp/pco/okayama/
・5月28日:水中処分母船5号YDT-5松浦市一般公開…https://www.mod.go.jp/msdf/sasebo/

■注意:本情報は私的に情報収集したものであり、北大路機関が実施を保証するものではなく、同時に全行事を網羅したものではない、更に実施や雨天中止情報などについては付記した各基地・駐屯地広報の方に自己責任において確認願いたい。情報には正確を期するが、以上に掲載された情報は天候、及び災害等各種情勢変化により変更される可能性がある。北大路機関
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北朝鮮ICBM大陸間弾道弾火星17型等弾道ミサイル3発発射実施と中国ロシア爆撃機H-6/Tu-95の編隊飛行

2022-05-26 07:02:04 | 防衛・安全保障
■臨時情報-日本海緊張
 北朝鮮が弾道ミサイル3発を連続発射、同じく核実験準備の進展が伝えられる中での久々のICBM実験が行われたもよう。

 北朝鮮は5月25日早朝、ICBMを含む複数の弾道ミサイルを日本海に向け発射しました、我が国への被害は出ていません。弾道ミサイルは日本時間0559時と0642時に発射され、この他に発射直後に分解し失敗したと考えられる0637時の発射が、韓国国防省により確認されています。韓国は北朝鮮に隣接し、レーダーによる確認が容易となっているようです。

 0559時に発射されたものは飛翔距離が300kmで最高到達高度は550kmであり、韓国国防省は大陸間弾道弾ICBMの火星17型であると分析、0637時に発射されたものは短距離弾道弾と考えられるようですが発射直後に分解しており失敗したと考えられています。続いて0642時に発射されたものは短距離弾道弾で高度60kmを760km飛翔したとのこと。

 ミサイル発射は朝鮮半島西部の順安飛行場付近とみられ、朝鮮半島上空を飛翔したのちに日本海の我が国EEZ排他的経済水域外側に着弾したとのこと。日本列島に到達する可能性は無かった為に破壊措置命令などは発令されていません。0637時と0642時に発射されたものは同型と思われ、発射失敗を受けての連続発射か同時弾着を期した失敗かは不明です。

 中国爆撃機とロシア爆撃機が日本周辺上空を飛行する特異な事例が在ったと防衛省が発表しました。これは24日、東京にて日本とアメリカにインドとオーストラリア首脳が一堂に会してQUAD首脳会談が行われている最中であり、ここに焦点を当てたものと考えられています。中国爆撃機はH-6爆撃機が4機とロシア爆撃機はTu-95戦略爆撃機が2機です。

 爆撃機の飛行経路は、沖縄本島先島諸島の中間部分から北上し南西諸島沖に沿って変針、九州本島と壱岐対馬間を飛行し日本海へ進入し島根県隠岐の島沖から島根県竹島方面を一周する経路を執り、同じ経路で沖縄方面へ飛び去りました。またロシア沿海州からIl-20情報収集機1機が能登半島沖まで南下、爆撃機は中ロ機で編隊飛行を行っていたとのこと。

 H-6爆撃機とTu-95戦略爆撃機は共に1950年代の設計ですが、H-6爆撃機については改良型の開発が継続されており射程2000kmクラスの巡航ミサイルを搭載するミサイル爆撃機としても運用されます、航空自衛隊は対領空侵犯措置任務に基づく緊急発進を実施し対応しました。翌日にはこの海域で北朝鮮がミサイル実験を実施、日本海は緊張下にあります。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【京都発幕間旅情】浜松城(静岡浜松)情景を振り返りつつ思うデジタル化の先にEOS-R7発表とミラーレスの波

2022-05-25 20:22:30 | 旅行記
■カメラでも思い出の浜松
 2005年の富士総合火力演習まではカメラにフィルムをひとつひとつ装填していたものでその頃東海道線は未だ113系電車が現役でした。

 浜松城の写真を眺めつつ、この城郭は東海道の要衝浜松に位置していまして、浜松基地航空祭や富士学校祭に駒門駐屯地祭、清水みなと祭護衛艦一般公開等の際に道中、浜松で少し散策する事もありました、この数年はCOVID-19によりほぼない自衛隊行事の際です。

 千僧駐屯地祭や久居駐屯地祭、久々に自衛隊関連行事を撮影へ行脚する様になりますと、要するに2020年1月の空挺団降下訓練始め以来の自衛隊行事となるのですが、じわりじわりとミラーレス一眼が傍流から主流の位置へと転換している様子を現場で実感しました。

 E-767早期警戒管制機などが大空を舞う浜松基地航空祭、EOS-Rという最初のミラーレス一眼のフルサイズ機が発表された直後に、航空祭でEOS-Rを使用した方と実際に使った感想を、そう浜松基地はここ浜松城から北へ3kmほどの距離なのですが聞いてみた事が。

 EOS-R,バッテリーが全然ダメだった、とは使った印象として聞かされまして、バッテリーパックを10個用意したが全然不充分でバックアップに持ってきた一眼レフが大活躍、と肩を竦めていまして、これが強烈な印象となったのですね、ミラーレスは使えない、という。

 EOS-90Dなどはフラッシュさえ焚かなければ一万枚撮影できるといいますが、問題はそんなことではなく、航空祭ではカメラは望遠鏡の代わりに何処に航空機が飛行しているのかを探し続けるのですね、これが一眼レフならば電源がOFFでもMFで探す事が可能です。

 航空祭は丸一日続くのですが、ミラーレス機ですとファインダーを表示させるにも電源が必要、一枚も撮らないが電源は常に入った状態、というものが続くものでして、喩えバッテリー完全充電で二百枚撮影可能といわれましても、それ以外で電池を消耗するわけで。

 カメラが無ければこうした城郭の写真も撮影出来ないのですけれども、そんななかであの浜松基地航空祭の厳しい評価からも五年以上が経ました、そんな中でつい先日、CANONがAPS-Cのミラーレス一眼新シリーズを発表しました、EOS-Mと別の新系統が誕生する。

 EOS-R7,いまも個人的に主力機種であるEOS-7DとEOS-7Dmark2にEOS-KissX7と同じ系譜の“7”を冠した新型機種なのですが、これがAPS-C区分のミラーレス一眼カメラになるという、CANONでは公式発表されたばかりで2022年6月下旬発売予定と発表だ。

 EOS-7Dシリーズと同じE-6バッテリーを採用していますので、更に明らかにEOS-7Dユーザーを意識しマウントアダプターによりEFレンズを使用可能という、もちろんEOS-Mシリーズもマウントアダプターはありましたが、ちょっとAF照合性能が難ありといえた。

 ミラーレス機の泣き所であるバッテリー持続性は省電力時で500から770枚という。CFカード方式ではなくSDカード専用というのは主力ではなく支援機種と考えてしまうのですが、街中お散歩カメラとして使うならばEOS-M3の後継機種あたりにちょっと考えたい。

 一眼レフに拘っている当方、考えれば二十年前はフィルム式カメラに拘っていました、便利ならば移行するのは吝かではないのですが、しかし凄い波の様に変革が訪れるのですね、他方、世の中はカメラブームが終わり写真はスマートフォンが主流となりつつあるもよう。

 カメラ、使いやすいものが一番だともうのですが、今の機種はカメラが撮影出来ない領域で撮影技術が生かせる冗長性が低くなっている、撮影出来ない被写体は無いと考えさせられる器材が、どうも新機種ならば良いやと性能より妥協が在りそうで、寂しいものですね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【京都発幕間旅情】浜松城(静岡浜松)徳川家康の愛した城郭は関ヶ原に繋がる出世城の由縁

2022-05-25 20:00:49 | 旅行記
■徳川家康十七年間の居城
 浜松城、ここは新幹線と東海道本線拠点駅浜松駅から航空自衛隊浜松基地へ向かう道中に見上げる勇壮な城郭です。

 浜松城。濱松城とも慕われる城址は浜松市中区に所在する美しい城郭であり、望楼型三重四階鉄筋コンクリート造模擬天守閣を冠する故に過去の天守閣は破却されいまは現存しませんが、梯郭式平山城構造の城郭であり、徳川家康の出世城として知られる城郭です。

 曳馬城や出世城としての名を有するお城、造営は今川貞相とされ、詳しい歴史には諸説があるようですが概ね永正年間の西暦1504年頃から1520年頃に掛けて造営されたものと考えられています、曳馬城という名はこの初期の浜松城の名と云いまして位置も少し東に。

 今川義元が桶狭間の戦いにて織田信長に敗れ戦死した後、今川家の系譜は落日の時を迎え揺らいだ団結により今川家家人城主飯尾連竜に謀反の疑いありとして今川氏真に包囲されましたが、この際に防衛を維持できました。しかしこの揺らぎが今川家の生命を絶つ事に。

 徳川家康、浜松城という名は元亀元年の1570年に徳川家康が曳馬城に入城した際に改めたもので、浜松城へと改称したものです。もともと曳馬とは現在の浜松基地東方を示し、この一帯は古くから濱津郷即ち浜津郷と呼ばれ平安後期には濱松荘という荘園も造営された。

 天龍川支流に程近いこの地は防衛上の要衝であり、築城の要はあったのです。徳川家康はこの視点から浜松城を拡張しており、土塁の拡張を主として縄張りを広げています。ただ、石垣が荒々しい現在の城郭と違い、家康は石垣や瓦屋根構造物は設けなかったともいう。

 三方ヶ原の戦い。元亀時代の1573年には徳川家康は甲斐の覇者武田信玄の侵攻を受けます、一時籠城により家康は信玄との全面衝突を避けようとしますが、このままでは徳川の権威を維持できないとして攻勢に転じ、しかしこれを予見し待ち構えていた武田氏に大敗する。

 関ヶ原の戦いで家康は防御堅固な大垣城と西軍主力陣取る南宮山前を素通りし、焦った石田三成に決戦を強要し、戦機を手中に収める事が出来ましたが、考えればその着想の下が家康自身が素通りに耐えかねて戦機を見誤った三方ヶ原、浜松での経験があるのでしょう。

 天正年間1582年に浜松城の拡張は完了しますが、同年に盟友織田信長が本能寺で討たれ、時代は大逆人明智光秀を討った豊臣秀吉の時代となります。そしてその頃のその頃の1586年に徳川本営は駿府に本拠を遷し、在城期間17年間の内目一杯を拡張に費やしたことに。

 太閤秀吉の治世下では徳川家康は駿府はじめ徳川家所縁の東海道から当時最果ての江戸に移封する事となり、秀吉家臣堀尾吉晴の居城となります。しかし、実に17年の城主を務めた浜松城へ思い入れが在ったのか、関ヶ原の戦いの後は早速奪還、徳川頼宣を入城させた。

 出世城と親しまれたのは、歴代城主は尼崎の桜井松平家松平忠頼に高力忠房と大給松平家松平乗寿に太田資宗と青山宗俊、本庄松平家松平資俊と大河内松平家松平信祝に井上正経と水野忠邦と井上正春と、入城した大名が次々と出世階段を駆け上った為といわれます。

 幕府重役に取立てられる出世城の城主たち、しかし浜松城の城主はその分、次々と変わる事を意味しまして、江戸時代は265年間、この間に藩主は22回代わり、平均して12年間を経ずして代わる事となっています。楽器にバイク、浜松の新しいもの好き根底はここか。

 天守閣は1959年に再建されました。実は浜松空襲により延べ560機のB-29が四回に分け空襲し、終戦二週間前には戦艦サウスダコタ、マサチューセッツ 、インディアナ 、キング-ジョージ5世による艦砲射撃も受け城郭は勿論全市が灰燼に帰しますが、戦後市街地とともに復興しました。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする