北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【京都発幕間旅情】彦根城,紅葉の玄宮園-井伊直継と将軍徳川家康と談判した天下普請城郭包む椛の大名庭園

2022-12-07 20:22:28 | 旅行記
■紅葉の玄宮園を探訪
 寒さ一際染み入る師走ではありますが紅葉はまだまだ鮮やかな近江の彦根城を巡りました。

 彦根城、日本には様々な城郭があるのですけれども、結局ここは好きなのだろうなあと考える程に探訪しています。天守閣が好きと云う訳ではなく、城郭とともに湖畔に広がる城下町と街の気風が好きなのかもしれません。そしてちょっと遠いのが旅気分を感じます。

 紅葉の玄宮園、天守閣と紅葉という構図を考えていたのですが、大坂城は桜の名所ということもあり一種早々と葉を落としている印象がありますし、福知山城は角度的に大名庭園が無い、姫路城は混雑しているだろうし岡山城の有名なかの後楽園は行きたいが少し遠い。

 天守閣と紅葉を構図に収めるならば二条城と水口城は天守閣についてはご承知の通りですし、天守閣が美しい丸岡城は師走の季節には少し寒そう、丸亀城は暖かそうだけれども距離がありますし、ここはひとつ彦根城の玄宮園に焦点を当ててみよう、こう考えたわけで。

 逆光は紅葉を豊かにする、これは逆光ですと本来は青空は白黒に陰影のみを強調し鮮やかな色も白けるという写真としては悪手と成り得るものなのですが、例えば水面の乱反射や夕陽などは逆光でなければ映えないもので、そして紅葉も逆光が映えさせる情景だと思う。

 井伊直継が造営した連郭式平山城、徳川四天王こと猛将として徳川家康を支えた井伊直政が関ヶ原の戦いにて重傷を負い、そのまま関ヶ原に近い彦根を中心とした近江一国を所領とし防衛するべく造営された城郭で、井伊直政の子井伊直継が居城として造営した城郭だ。

 井伊直政は戦傷癒えず早世してしまいますか、その遺臣である家老木俣守勝が将軍徳川家康と談判した上で造営された城郭、複合式望楼型三重三階地下一階の天守閣は慶長9年こと西暦1604年築の時代のまま、威容を誇っています。登っても美しいが、見上げても。

 天下普請という、この城郭の造営には幕府が直接関与しました、その築城には公儀御奉行3名が取り仕切り、そして尾張藩と越前藩を筆頭に7か国12大名が、近江國の大津城や佐和山城などを破却し、天守閣等城郭資材を流用するかたちにて造営した城郭となっています。

 玄宮園、ここはその大名庭園です。ただ流石に幕府の天下普請で造営された絢爛豪華な藩主の遊興施設、という訳ではなく天下普請から半世紀と少しを経ましたころ、江戸時代初期は延宝6年、西暦1678年に彦根藩4代藩主井伊直興が造営した庭園となっています。

 彦根城の歴史を見ますと、西国大名への抑えの要衝という街道沿いの城塞として造営されたのですが、落ち着いてその歴史を懐古しますと江戸時代は本当に安定期であり、もっとも政治体制は今風に言えば世襲制軍事独裁政権ではあったのですが、政情は安定していた。

 木俣守勝を輩出した木俣家は江戸時代一貫して彦根藩の要職として1万石という、いわば大名格の家禄を俸給として得ていましたが結局自らの陣屋を持つ事は無く、職務の大半を西之丸三重櫓に執務の場を定めて城に詰めていたという、実質藩庁となっていたのですね。

 大名庭園というものは、一部ではこれは個人の所管としてですが築城や城郭の幕府許可なき修繕さえもを禁じられた大名たちの一種築城といいますか、建設力と築城工兵能力の捌け口のような構図での造営という印象があるのですが、天下普請たる彦根城は別の印象が。

 参勤交代の際に剥き出しの防衛拠点の前を通る事はなにか敵意のようなものを剥き出す匕首のような印象を与えるものですが、安定期の江戸時代に西国大名へ安定期の気風を示す事による、若干間接的過ぎるきらいはありますが、緊張緩和を示した印象を受けるのです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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【京都幕間旅情】東福寺,紅葉賑わう指呼の先に雪舟寺-芬陀院は画聖雪舟作庭庭園を重森三玲が伝える

2022-12-07 20:00:15 | 写真
■静けさ求め雪舟寺へ
 紅葉も場所によっては青椛が少しは残る場所も見つけるのはまた楽しいのですが。

 東福寺の伽藍面、こう呼ばれますのは東福寺を京都最大の寺院に、とする機運から延々と寺域とともに伽藍を造り続け、いかにも偉そうだ、という町衆の声によるものという。云う程でもない、四条のビル群を視た後に東福寺を拝観された際に思われるかもしれない。

 明治の廃仏毀釈、しかし注意しなければいかないのかな、と思うのは今見ている東福寺は江戸時代の幕府影響とともにその拡大から伽藍の維持へと転じ、そしてその後の幾つかの大火、あの仏殿さえ焼失し御本尊は手を残すのみという火災などを経た今の姿なのですね。

 法住寺はじめ当地には元々藤原家所縁の寺院など、要するに荒野へ寺院を拓いたような恰もいまの新興宗教の敷地と建物だけ凄い寺院とは異なり、ここは平安遷都後に連綿と開発された地域、いまでいえば東京の丸ノ内あたりに当る地域に広がっていたという構図です。

 伽藍面と呼ばれるのは、保守的ではないにしてもどんどん伽藍を立て続け、なにしろ日本全体が余裕の無い時代も含め景気の良いところから、なにかこう伽藍面だなあ、という所感を反映したものなのかもしれません。しかし、伽藍面というのもすべてではありません。

 雪舟寺、かの雪舟が作庭したという庭園がある塔頭寺院が、しかしここは京都市東山区本町、つまり東福寺の白壁が連なるその先に広がっているのです。あの仏殿からは京阪電鉄の方へ坂道を下ったところにありまして、本堂拝観の際には先ず通過するとことにある。

 芬陀院というのが正式な名前でして東福寺の塔頭その一つ、数多くありました東福寺の塔頭は失われたものが多いのですけれども、こう東山の山麓に寄り添うように一つの寺町、東福寺の街並みを東山区本町として形成しています、雪舟寺というのは通称というもの。

 静かな寺院ではないですか、こうおもうのは東福寺の伽藍面というのは仏殿と三門くらいのもの、という実感なのでしょうか。そして紅葉の季節と云うのにそれ程混雑していない、と云いますか他に一組ほどでしょうか、いや徒歩数分先の喧騒とは別世界とさえおもう。

 一条経通がその実父一条内経の菩提を弔う為に元亨年間、これは西暦ですと1321年から1324年の時代ですので東福寺開山の円爾さんの時代から少し今日に近づくのですが、その法孫にあたる定山祖禅を開山に招きまして開きました寺院、七百年の歴史を湛えています。

 鶴亀の庭、これは雪舟が作庭したと伝わる枯山水庭園があります、ただ幾度か火災に見舞われていますので、書院が宝暦5年こと西暦1755年の建物という他は、なかなか古い建物は無く、雪舟の作庭というはなしも伝わる伝承のみであり、確証はないのだとも云われる。

 重森三玲、日本庭園史における巨人というべき昭和の作庭家ですが、じつはこの鶴亀の庭は江戸時代の度重なる火災と共に明治の廃仏毀釈により荒れ果て、想像もつかないかもしれませんが、庭園跡が荒廃したままの寺院をわたしは幾つも知っている、それを再興した。

 恭礼門院、桃園天皇の女御という方なのですが、元禄年間の火災により荒廃した寺院は江戸時代の関白である一条兼輝により再建されています。この際に本堂、庭園を眺めるその場所は恭礼門院の旧殿を移築し再建され、これは今に至るも当時の気風をのこしています。

 図南亭という茶室の丸窓は昭和中期に造営されたもので寺を再興した一条家の系譜にある茶人であり公卿の一条恵観を偲んで開かれたという。紅葉の季節もそろそろ、という頃合いではありますが僅かな朱色の木々が凛と存在感を醸す、感慨深い一時を過ごしましたね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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トマホークミサイル500発導入を政府検討-反撃能力整備へ国産スタンドオフミサイル開発までの間隙に対応

2022-12-07 07:01:44 | 国際・政治
■臨時情報-防衛力整備
 日本の防衛力整備はここまで必要な程に周辺情勢は緊張している。

 共同通信が11月30日に報じたところによれば政府はトマホークミサイル500発を導入する方向で検討を進めているとの事。トマホークミサイルは国産ミサイル開発までのつなぎとして海上自衛隊の護衛艦及び潜水艦へ搭載する方針との事です。十年前であれば難しく二十年前垂れ場信じられない程の緊張に応える為の防衛力整備といえるでしょう。

 トマホークミサイル500発、ミサイル以外に必要な能力構築も多くありますので、予算措置として簡単ではない事ではあるのですが、政府が責任を持ち既存の防衛予算の枠組みではなく、防衛費増額と事項要求という政策決定の上で財務省に予算措置を命じる手法を用いるならば、防衛力建て直しの為の予算確保と並行し調達を実現する事は可能でしょう。

 500発という数字の妥当性についてですが、イラク戦争や湾岸戦争の開戦直後の総数に匹敵します、つまり一回で撃ち尽くしてしまう程度の数量ではあるのですが、二つの側面から見る必要があります。一つは反撃能力の行使は日米安全保障条約の集団的自衛権行使、その延長線上で行われる為、日本の他に米軍の支援も見込め、第一撃で1000発程度を撃てる。

 12式地対艦誘導弾改良型、防衛省は国産長距離巡航ミサイルを開発する方針であり、これにより1500発の88式地対艦誘導弾及び12式地対艦誘導弾を置き換えます、その為の繋ぎとしての所要ですので、国産ミサイルが管制した後にもトマホークは維持する事となり、当面は全体として2000発程度保持、ここに航空自衛隊戦闘機の打撃力もくわわります。

 反撃能力という敵基地攻撃能力や策源地攻撃能力は、もともと航空自衛隊の戦闘機を用いる方針でしたので、第一撃を日本のミサイル2000発に加えてアメリカの支援として数百発、第一撃に続いてステルス性を有するF-35戦闘機とF-2戦闘機の航空攻撃を加える、F-15戦闘機もスタンドオフ兵器を用いて攻撃に加われば、ある程度の抑止力にはなるでしょう。

 他方で、策源地攻撃能力はもともと戦闘機部隊の任務として考えられていた筈です、これはトマホークの導入を否定するわけではありませんが、併せて即時の目標に対して即応して対応できる能力は航空機です、ウクライナ侵攻に際してロシア軍が殆ど戦闘機を投入しない現状では錯誤しますが、制空戦闘一辺倒から航空自衛隊能力の再構築も必要でしょう。

 オペレーションリサーチが必要だ、但し書きですが、500発のトマホークミサイルに国産スタンドオフミサイルと航空自衛隊の打撃能力、可能性ですがハープーンミサイルなどの艦対艦ミサイル後継にJSMミサイルのような装備が選定されるか国産される可能性もある、が、どの程度のミサイルが有れば、脅威を無力化できるか、軍事的な算定が必要です。

 自衛隊自身で、先ず制圧すべき目標、北朝鮮の場合や中国の場合とロシアの場合などを想定して、どの程度のミサイルが必要なのか、という計算が在った上でミサイルを整備しなければなりません。また護衛艦や潜水艦に搭載するといいますが、むらさめ型護衛艦のMk48VLS区画を転用する等方法はあるのですが、500発の搭載艦も検討せねばなりません。

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