■豊川駐屯地祭(2007年10月27日)
陸上自衛隊豊川駐屯地は、三河武士尚武の地として知られる愛知県豊川市に所在している。駐屯地は、市の中心部有名な豊川稲荷にも近く、旧海軍工廠の跡地を利用して1950年に創設された。
豊川駐屯地57周年記念行事は、当日、台風接近下ということもあり、あいにくの雨天。しかし聞いて見ると、晴天行事予定で駐屯地祭は実施されるとのことだったので、防水具と雨具を準備しつつ、名鉄豊川線を利用して特急停車駅の諏訪町駅へ、そして諏訪町駅から豊川駐屯地までシャトルバスを利用した。
豊川駐屯地祭は、駐屯地に隣接する訓練場(グラウンド)を利用しておこなわれる。印象としては、久居駐屯地祭とおなじような立地で、道路の向こうが式典会場、という立地。理由は、特科火砲や各種ミサイルなど多数が観閲行進に参加するため、車両が収まりきらないほどの数に昇る、というもの。
おさまる気配の無い雨の中、ずらりと並ぶ待機車両を撮影していると、時計は既に0947時。式典に参加する部隊が、入場するべく集合を始めたので、当方もスタンド席に向かう。幸いこの時間でもスタンド席の最上段が空いていたので、そこから待機車両と部隊が一枚に収まるような俯瞰写真を撮影。
スタンド席の状況。人口密度が低い。当日は、台風接近下の雨天ということで、出足が少ないということもあるのだろうが、それ以上に、同じ愛知県の航空自衛隊小牧基地では、同日、小牧基地航空祭2007が実施されており、少なくない人数が、小牧航空祭に流れている、という背景もあるのだろう。
部隊整列。号令が響き渡る。スタンド席から数枚撮影したのち、当方は、下に降りた。スタンド席からの情景は素晴しいのだが、残念ながら雨天ということもあり、目の前に傘、左右も傘。これでは、写真が撮りにくい、ということで、とりあえず下に降りよう。場所を他の人に譲って、カメラを手に次の撮影位置へ移動。
並ぶ連隊旗。豊川駐屯地には、第10特科連隊と第49普通科連隊という、二つの連隊が駐屯している。二つの連隊を簡単に紹介すると第10特科連隊は、中部方面隊唯一の特科連隊であり、第49普通科連隊は、03年度第10師団師団改編で誕生した新進気鋭の新しい部隊だ。
指揮官に対して敬礼!、一斉に旗が振り上げられる。第10特科連隊には5個特科大隊12個特科中隊、それに本部管理中隊と情報中隊が、第49普通科連隊にも本管中隊、4個普通科中隊、重迫撃砲中隊、対戦車中隊。第10高射特科大隊の3個中隊、第10後方支援連隊第2整備大隊から2個中隊、方面直轄の第6施設群に3個中隊と支援の1個中隊。従って、中隊旗はこのように凄い数となる。
指揮官巡閲。豊川駐屯地司令、兼ねて第10特科連隊長を務める、藤田穣1佐が、73式小型トラックの車上から整列した部隊の前を巡閲する。
巡閲を終えて、壇上に戻った駐屯地司令による指揮官訓示、続いて来賓祝辞、祝電披露などが行われた。
観閲行進準備!
豊川駐屯地祭は、この号令から一気に静から動へ移行した。第10師団は、他の師団とは異なり、更新して退場しない、式典会場から全速力で車両へ駆けつけるのが第10師団の行進準備である。この観閲行進準備の迫力も中々だ。
観閲行進の先頭は、指揮官が乗車した82式指揮通信車だ。特科大隊の指揮車用として、また、普通科連隊本部用として開発された装輪装甲車で、データ通信能力の有無や車内容積などの点で、現代的とは言いがたいものの、自動車化の過渡期にあった陸上自衛隊の近代化を大きく進めた車両であることは間違いない。
第49普通科連隊の車両が続いて行進する。昨年とは違う撮影位置、ということで、考えた結果、式典会場から駐屯地までを結ぶ道路の反対側から撮影した。此処から撮影すると、式典会場に入り、観閲台前を通った車両が次々と曲がってこちらに向かってくる様子を撮影することができる。
第49普通科連隊は、即応予備自衛官を主体とする、いわゆるコア化部隊であり、平時には基幹要員のみが勤務している。しかし、第10師団の他の普通科連隊と同じく、早い時期から軽装甲機動車や高機動車を受領しており、対戦車中隊など、大きな火力を発揮することができる編成だ。
軽装甲機動車。陸上自衛隊装甲車の代名詞的な存在と成りつつある、安価な装輪装甲車。性能は、装軌式装甲車と比べた場合、不整地突破能力や搭載火器の面で見劣りするものの、その分安価であることから、広範な装備化が実現した。一個小銃班を複数の車両にて運搬することで、木目細やかな任務遂行が可能となっている。
特科連隊情報中隊の対砲レーダー車JTPS-16.飛翔する敵火砲の砲弾を捉え、弾道計算し、射撃位置を把握するもので、評定幅50°、距離40kmの範囲内を同時に18目標まで把握することが出来る。性能としては、独仏共同開発のCOBRAなどを比較しても遜色なく、更に装備密度では、陸上自衛隊の方が上である。
FH-70榴弾砲の観閲行進。第10特科連隊には5個大隊12個特科中隊が配属されている。第1大隊から第4大隊までは、二個特科中隊編成を採っており、連隊戦闘団に組み込まれ、普通科連隊の直接火力支援用に用いられ、第5大隊は四個特科中隊編成、師団直轄として全般火力支援に用いられる。
特科連隊は、火砲の運用を通じて、対砲兵戦を実施、加えて普通科部隊への火力支援、攻撃準備射撃から突撃破砕射撃、後方の補給路や策源地を狙う攪乱射撃、固定建造物への攻撃などなど、様々な任務に対応する為に各種装備を有しており、師団隷下の“連隊”としては、一番の大所帯である。
FH-70榴弾砲は、イギリスのヴィッカース社、ドイツのラインメタル社、イタリアのOTOメララ社の三社が1970年代における欧州の標準野砲を目指して共同開発した装備で、陸上自衛隊は1983年から導入を開始している。砲身は、6.022㍍あり、標準的な39口径の155ミリ榴弾砲である。
FH-70榴弾砲の特色は、中砲牽引車に支援を受けなくとも1800ccの小型エンジンを搭載しており、短距離であれば路上を16km/hで走行することが可能である。加えて、これまで装填桿で押し込んでいた砲弾を、半自動装填としたことで、発射速度を幾分か高めているのも特徴だ。
緊急時のバースト射撃であれば、最大13秒間に3発、持続射撃でも毎分6発の射撃が可能である。射程は、通常榴弾で24km、ロケット補助推進弾で射程30km、特殊な強装薬を使用した場合の射程が31kmとなっている。近年、各国の野砲は射程で40km台へ移行している過渡期であるため、陸上自衛隊でも次期野砲に関する検討を始めているとされる。
FH-70榴弾砲が導入される以前は、第4大隊までが、直接火力支援に用いると言う事で、軽便な105㍉榴弾砲を運用し、全般火力支援に用いる第5大隊の火砲のみが155㍉榴弾砲を運用していたが、現在では省力化の進んだFh-70の導入を機に155㍉に統一されており、陸上自衛隊に変革をもたらした榴弾砲でもある。なお、FH-70は、一部で老朽化も指摘されている。
それにしても、雨の水溜りは凄い。降雨も止まず、泥飛沫を巻き上げて観閲行進に参加する車両は非常に勇壮な写真を見せてくれるものの、防水危惧が大活躍、晴天の方が式典も撮影もスムーズであろう。他方、昨年は快晴の下で砂塵に悩まされたことを思えば、砂塵が無いだけでもよしとするべきなのだろうか。
高射特科大隊の車両による観閲行進。写真は対空レーダーJTPS-P-14.このほか、高機動車に搭載された低空レーダ装置JTPS-P18が高射特科大隊本部管理中隊の情報小隊には配備されている。これらレーダーは、師団対空戦闘情報システムに接続し、広範囲の経空脅威情報を師団で共有させることができる。
第10高射特科大隊第1中隊に装備されている93式近距離地対空誘導弾。91式携帯地対空誘導弾を車載したものであるが、即応性が高く、師団対空戦闘情報システムとの連動、そして複合光学装置による照準により、特に低空から忍び寄るヘリコプターや攻撃機に対して大きな威力を発揮する装備である。
第6施設群の車両。第6施設群は、方面直轄の施設科部隊として、大久保駐屯地の第4施設団隷下にあり、本部管理中隊と、第370施設中隊、第371施設中隊が豊川駐屯地に駐屯しており、第369施設中隊が岐阜分屯地に、第372施設中隊が鯖江駐屯地にそれぞれ駐屯している。
観閲行進が終了すると、訓練展示準備に移った。訓練展示に参加する車両は、観閲行進終了後も駐屯地には戻らず、待機位置にて状況開始を待っている。写真の81式地対空短距離誘導弾もそういった装備の一つである。81式短SAMと略称され、師団策源地の防空を担う、強力な野戦防空システムだ。
状況開始!
会場左側の地域に仮設敵が陣地構築中との情報を受け、敵情を探るべく第49普通科連隊の情報小隊から斥候のために偵察オートバイが猛スピードで前進する。斥候は、基本的に敵の有無を探ることが任務であるため、速度と隠密制を最大の武器とし、小銃のみの軽装備である。
続いて、第49普通科連隊から軽装甲機動車が前進する。軽装甲機動車の任務は、後続する特科火砲のために地域を確保することだ。特に、中迫撃砲なども、至近距離からは野砲にとり重大な脅威となるため、普通科の協力を受けねばならない、こうした中で陣地を決定する特科中隊長の責任は大きい。
泥飛沫を巻き上げながら、FH-70榴弾砲が射撃位置へ、自走して前進する。野砲の展開位置には、既に特科隊員が待機しており、不意の襲撃に備え89式小銃を構えている。FH-70は陣地に到着すると、素早く射撃隊形に移行する。自走砲とくらべると、この時間がなんとももどかしいのだが、小型であることから秘匿性に優れているという利点はある。
続いて、普通科中隊の対戦車小隊が87式中距離対戦車誘導弾を車載し、前進してくる。すでに、フロントガラスの部分は倒されており、その上に照準器が搭載されている。この87式中MATは、レーザー照射によりミサイルを誘導、発射焔が狙われる為、照準器とミサイル発射器に距離を置いて運用することも可能だ。
敵航空機接近!、仮設敵陣地方向から航空機が接近したという状況で、高射特科大隊が出動する。着弾観測機であれ、戦闘ヘリコプターであれ、今日の陸上戦闘は、情報の戦い、位置情報を悟られれば直後に猛烈な反撃を受けることも考えられる。この点、高射特科大隊の任務は重要だ。
第1中隊の93式近距離地対空誘導弾、通称近SAMが全速力で射撃位置へ向かってくる。箱型のランチャーに四発づつ、ミサイルが収容されている。35㍉高射機関砲の後継として装備が進められた装備で、35㍉機関砲L-90も多種多様な弾薬が開発され、高性能なのだが、陸上自衛隊はミサイル化の道を選択した。
特科火砲の射撃に向けて、情報小隊が情報収集を続ける。しかし、この泥飛沫は凄い、車体に施された偽装と相まって、物凄い迫力の写真となっている。しかしながら、凄すぎて、転倒しないかと、見ているほうも冷や冷やしてしまった次第、しかし、訓練の賜物で、事故も無く任務遂行した。
まず、仮設敵陣地に対する対砲兵戦である、FH-70榴弾砲が射撃を開始する。ご覧の通り、訓練展示は、観閲行進を撮影した位置からでは、火砲の後姿しか見ることが出来ない為、三門並ぶ火砲を真横から撮影できる位置に移動し、撮影を実施、雨天で少し暗い事もあり、砲焔が良く映りこんでいる。
こちらの特科火砲による射撃に呼応して、仮設敵陣地より装甲車が攻撃に出てきたため、迎撃するべく、第10戦車大隊の74式戦車が出動する。74式戦車は、今津駐屯地より展開した車両で、制式化からかなりの時を経ているが105㍉戦車砲の威力は、新型砲弾の採用など、一線級である。
射撃!、物凄い轟音を響かせて105㍉砲の空包が発射された。直接照準射撃である。これにより敵装甲車は無力化された、という想定である。155㍉砲の轟音と比べると、105㍉砲は轟音というよりも衝撃である。また、砲焔も榴弾砲に比べると移りにくいので、それだけに撮影成功は嬉しいのだが、今回は失敗。
第49普通科連隊の隊員が逆襲に備えて待機している。手前は、81㍉迫撃砲、向こう側で伏せているのは87式中MATである。どちらも普通科中隊の対戦車小隊、迫撃砲小隊に配備されており、これは、各国の歩兵中隊と比べて陸上自衛隊は戦闘基幹部隊として高い独立性が付与されている為だ。
FH-70榴弾砲が再び射撃を開始する。実弾の場合、43.89kgの通常榴弾には6.62kgのTNT火薬が封入されており、炸裂すると銃弾に匹敵する威力の弾片を長径45㍍、短径30㍍にわたって降らせることが出来る。また、近年、様々な砲弾が開発されており、制圧力では、大きく威力が強化されている。
訓練展示は、最後に突撃を支援するFH-70の射撃で終了した。カメラを仮設敵のほうに向ければ前進する軽装甲機動車と戦車の雄姿を見ることが出来るのだが、当方、悲しいかなカメラを手にしている習性か、見栄えのする砲焔の写真ばかりを狙っていた次第。ちなみに、プロカメラマンの間では、フィルム式限定で、日本砲焔協会的なものがあるのだそうだ。
状況終了、よし、装備品展示だ!、と思い、周りを見渡すと、いつの間にか渡河訓練場、ではなく、周りがもう水で大変なことになっていた。水溜りではなくて、最早、池。一応、排水溝に向けて流れているので、川と表現するべきか。パレットから空の弾薬箱までなどを敷き詰めて通路を開設していてくれた。
装備品の撤収が行われるのだが、何分、この雨である。多少防水性のある雨具を着ていても、もうワカメスーツの状態。一緒に並んで撮影させていただいたtoyokawaさんも、明日、岐阜基地航空祭だという状況で、レンズに水が入ってしまったのか、曇っている状況(翌日までに水滴は除去できたそうです)。
こうした状況下で、少しでも雨の降り込まない場所から、撤収の様子を撮影。これも駐屯地祭の一こま、と言った状況か。軽装甲機動車に高機動車、指揮通信車といった良く見かける装備から75式装甲ドーザー、FH-70榴弾砲など珍しい装備までが次々と駐屯地のモータープールに向かって進んでいった。
装備品展示の会場で、Shin氏と合流。しかし、駐屯地内の会場もぬかるんでおり、とりあえず、装備品展示撮りました!というような写真を撮影した後、テントの下で模擬店にて購入したカレーうどんを食した次第。ずぶ濡れになってしまったものの砲焔も多数撮ることができ、意気揚々と撤収した次第。
HARUNA
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