昨日(10月31日)の内閣改造で、麻生太郎氏(福岡8区)http://www.aso-taro.jp/index2.htmlが、外務大臣に就任しました。ポスト小泉の一人として将来の首相候補になったとマスコミから大きく取り上げれられています。福岡県内からは、将来の首相候補として、そして冷え切った日韓・日中関係の改善に手腕を発揮すると期待の声が上がっています。福岡県内のテレビニュースの街頭インタビューでは、麻生外相就任を祝う声が数多く聞かれました。もちろん、広田弘毅(1978年~1948年)以来の福岡県出身の首相誕生を期待する声もです。(広田弘毅は外交官として活躍し、外相も務めました。そしてA級戦犯として東京裁判にかけられ、処刑されました)福岡県民の一人として、私は外相就任おめでとうございますと言うべきでしょうが、そのかわり、次のことを言います。
麻生外相は、韓国・朝鮮人と被差別の人々の生き血をすすってのし上がった一族の出身です、と。
麻生外相は、政界に入る前は麻生セメント(現在は麻生ラファージュセメント)の社長でした。この会社の前身は、かつて福岡県・筑豊地方に数多くあった炭鉱を経営していた麻生鉱業です。この麻生鉱業(創立当初は麻生商店)は、福岡県のみならず日本有数の石炭産業会社として「日本の近代化・産業化に貢献した」と評されています。炭鉱経営で得た利益をもとに鉄道・電力・病院、そしてセメント会社を設立し、財閥を形成しました。麻生外相は、その麻生グループの3代目後継者です。麻生グループは今も福岡県有数の企業グループとして大きな力を持っています。
麻生一族は炭鉱経営で得た富と影響力で政界にも進出しました。
麻生外相の父、麻生多賀吉(1891年~1980年)は吉田茂首相の3女・和子と結婚し、衆議院選挙に立候補し当選しました。自民党の実力者として活躍しました。麻生外相はその政治的地盤を引き継ぎました。
麻生外相は吉田茂の孫です。高祖父は「明治維新の三傑」大久保利通、曾祖父は昭和天皇の重臣だった牧野伸顕、義父は鈴木善幸首相です。妹・信子は三笠宮寛仁親王妃です。まさに華麗なる一族です。
さて、もともとは農村の豪農地主にすぎなかった麻生家が、日本有数の名家(今流行りの言葉で言えばセレブ)になったのは、炭鉱経営で得た富でした。その富は、韓国・朝鮮人労働者と、被差別の人々を搾取することで得たものでした。
私の手元には、消滅した筑豊の炭鉱の全貌をモノクロ写真で記録した写真集
『写真万葉録筑豊』(全10巻 上野英信・趙根在監修 葦書房 1986年
http://www1.ocn.ne.jp/~ashi/)
があります。経営する側ではなく、そこで働く労働者と地域の人々の視点で炭鉱を捉えた記念碑的写真集です。その写真集の第9巻「アリラン峠」は、韓国・朝鮮人炭鉱労働者とその家族の姿が納められています。
この本の53,54ページにハングルで書かれたビラの写真があります。私はハングルが読めないので内容が分かりません。しかし、ガリ版刷りで印刷されたビラの文字から、ただならぬ緊張感が感じられます。「労働者諸君!」・「内地労働者」・「東京労働総同盟」・「世界労働者」と書かれた漢字から、労働争議に関する呼びかけであることが推測されます。「麻生」の文字もあります。
ビラの最後には漢字で一回り大きく書いてあります。
「打倒暴力搾取之巨魁麻生財閥 民族的差別待遇絶対反対」
これは、1932年8月14日から9月3日の約1ヶ月間に渡って、韓国・朝鮮人労働者が戦った麻生炭鉱争議のビラです。日本人労働者よりも2割安い賃金(この時期は輸入石炭との価格競争を理由に3割値下げ)、首切り、長時間労働、リンチ、侮辱、厳しい監視に対しての怒りが爆発したものでした。
麻生鉱業は日韓併合以前から、いち早く韓国・朝鮮人労働者を雇用していました。その待遇は上記の通りでした。当時、日本の炭鉱の韓国・朝鮮人労働者に対する労働条件はどこも劣悪でしたけれども、麻生鉱業が経営する炭鉱は、ひときわ悪いものでした。「圧制ヤマ」としてその名をとどろかせていました。
立ち上がった韓国・朝鮮人労働者に対して、麻生鉱業は警察とヤクザを使って潰しにかかりました。多くの血が流されました。その韓国・朝鮮人労働者とともに立ち上がって戦ったのが、被差別出身の日本人労働者でした。
豪農地主として、多くの被差別の小作人を支配下においていた麻生家は、被差別の人々を、経営する炭鉱に送り込みました。また、九州各地や中国・四国地方から生活の場を求めて流入してきた被差別出身の人々を、積極的に雇用しました。差別を恐れて声を上げないことにつけ込み、低賃金と劣悪な労働条件のもとで酷使したのです。人々は「ゲザイニン」と軽蔑され、職種・住居(炭住)・風呂に至るまで差別されました。しかし、米不足から起こった1918年の「米騒動」を機に、被差別の人々は立ち上がるようになり、1922年の全国を結成しました。翌1923年に、九州が結成され、差別撤廃闘争を展開しました。被差別の人々の多くが炭鉱労働者とその家族であった筑豊においては、差別撤廃闘争は労働運動を意味しました。そして、麻生争議では、同じように差別に苦しんでいた朝鮮人労働者と連帯して、戦いました。被差別の人々はカンパを集め、米を朝鮮人労働者に送りました。(『日本民衆の歴史 地域編9 赤いボタ山の火 筑豊三池の人びと』66ページ 新藤東洋男編 三省堂 1985年)。韓国・朝鮮人と日本人の民衆が連帯した数少ない例です。
この麻生鉱業争議は、スト参加者263人が解雇されたことで労働者側の敗北に終わりました。
その後、韓国・朝鮮人の労働運動は厳しい取り締まりで壊滅に追い込まれ、日本への絶対的服従を強制される協和会運動に飲み込まれました。
運動も、同じように軍国主義体制の強化で、沈黙と政府と政府への協力を余儀なくされました。
その後麻生鉱業は、賃金や労働条件の改善をあまりしないまま、韓国・朝鮮人と被差別部出身者を炭鉱に送り続けました。火災や落盤、出水、ガス爆発などの事故で、多くの人びとが犠牲になりました。それは日中戦争激化と太平洋戦争開始でさらにひどくなりました。物資不足と人員不足で安全対策がおろそかになったこと、安全を無視した採炭が原因でした。そして、いわば移住で渡ってきた人びととは別に、強制的に連れられてきた韓国・朝鮮人や中国人も、麻生が経営する炭鉱に送り込まれました。その人びとが、どのような運命をたどったのかは多くの書物に述べられています。また、本土へ疎開した沖縄県出身者も炭鉱に入りました。
太平洋戦争敗北後、労働運動が自由になったことで、炭鉱労働者は激しい労働運動を行い、めざましい成果を上げました。韓国・朝鮮人労働者も祖国分断の苦難にあいながらも、活発な運動を展開しました。被差別解放運動も活発に行われました。
しかし、1950年代半ばから始まった石炭から石油への「エネルギー革命」によって、石炭産業は崩壊しました。生活の基盤であった炭鉱は次々に閉山したました。廃墟が広がり、多くの人びとが筑豊から去りました。その多くが高度経済成長に沸く太平洋ベルト地帯に移りましたけれども、中には農業移民としてブラジルやアルゼンチンなどの南米に移住した人もいました。また、北朝鮮に「帰国」した韓国・朝鮮人労働者とその家族もかなりいました。
筑豊に残った人びとは、その多くが失業に苦しみ、生活保護と失業対策事業、日雇いの仕事でかろうじて生活しました。
一方、麻生家は2代目総帥麻生多賀吉が、吉田茂首相の娘婿になったことで政界に進出し、「華麗なる一族」への道を進みました。グループの主力事業を石炭からセメントに転換したことで、生き残ることができました。
麻生太郎氏外相就任おめでとう、次は首相か、という声があふれています。
しかし私は、政界で華麗な活躍をしている麻生氏の足下には、踏みつけにされた韓国・朝鮮人と被差別の人びとの屍があることを指摘します。そして彼は踏みつけにされた人びとの叫びが、全く聞こえていないことが、「創氏改名」や「一民族」発言で明らかです。
ですから私は祝いません。
坂井貴司
福岡県柳川市
E-mail:suikyounomizu@cnc.megax.ne.jp
=====================================
1クリックで助かる命がある
http://clickbokin.ekokoro.jp/
http://www.dff.jp/index_t.php
http://www.bokinpark.com
http://www.thehungersite.com/cgi-bin/WebObjects/CTDSites
http://park7.wakwak.com/~f-x/THEOLOGIA/bokin.html
*****************************
関連
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/111218139e67ce603897d4230636b5ba
麻生外相は、韓国・朝鮮人と被差別の人々の生き血をすすってのし上がった一族の出身です、と。
麻生外相は、政界に入る前は麻生セメント(現在は麻生ラファージュセメント)の社長でした。この会社の前身は、かつて福岡県・筑豊地方に数多くあった炭鉱を経営していた麻生鉱業です。この麻生鉱業(創立当初は麻生商店)は、福岡県のみならず日本有数の石炭産業会社として「日本の近代化・産業化に貢献した」と評されています。炭鉱経営で得た利益をもとに鉄道・電力・病院、そしてセメント会社を設立し、財閥を形成しました。麻生外相は、その麻生グループの3代目後継者です。麻生グループは今も福岡県有数の企業グループとして大きな力を持っています。
麻生一族は炭鉱経営で得た富と影響力で政界にも進出しました。
麻生外相の父、麻生多賀吉(1891年~1980年)は吉田茂首相の3女・和子と結婚し、衆議院選挙に立候補し当選しました。自民党の実力者として活躍しました。麻生外相はその政治的地盤を引き継ぎました。
麻生外相は吉田茂の孫です。高祖父は「明治維新の三傑」大久保利通、曾祖父は昭和天皇の重臣だった牧野伸顕、義父は鈴木善幸首相です。妹・信子は三笠宮寛仁親王妃です。まさに華麗なる一族です。
さて、もともとは農村の豪農地主にすぎなかった麻生家が、日本有数の名家(今流行りの言葉で言えばセレブ)になったのは、炭鉱経営で得た富でした。その富は、韓国・朝鮮人労働者と、被差別の人々を搾取することで得たものでした。
私の手元には、消滅した筑豊の炭鉱の全貌をモノクロ写真で記録した写真集
『写真万葉録筑豊』(全10巻 上野英信・趙根在監修 葦書房 1986年
http://www1.ocn.ne.jp/~ashi/)
があります。経営する側ではなく、そこで働く労働者と地域の人々の視点で炭鉱を捉えた記念碑的写真集です。その写真集の第9巻「アリラン峠」は、韓国・朝鮮人炭鉱労働者とその家族の姿が納められています。
この本の53,54ページにハングルで書かれたビラの写真があります。私はハングルが読めないので内容が分かりません。しかし、ガリ版刷りで印刷されたビラの文字から、ただならぬ緊張感が感じられます。「労働者諸君!」・「内地労働者」・「東京労働総同盟」・「世界労働者」と書かれた漢字から、労働争議に関する呼びかけであることが推測されます。「麻生」の文字もあります。
ビラの最後には漢字で一回り大きく書いてあります。
「打倒暴力搾取之巨魁麻生財閥 民族的差別待遇絶対反対」
これは、1932年8月14日から9月3日の約1ヶ月間に渡って、韓国・朝鮮人労働者が戦った麻生炭鉱争議のビラです。日本人労働者よりも2割安い賃金(この時期は輸入石炭との価格競争を理由に3割値下げ)、首切り、長時間労働、リンチ、侮辱、厳しい監視に対しての怒りが爆発したものでした。
麻生鉱業は日韓併合以前から、いち早く韓国・朝鮮人労働者を雇用していました。その待遇は上記の通りでした。当時、日本の炭鉱の韓国・朝鮮人労働者に対する労働条件はどこも劣悪でしたけれども、麻生鉱業が経営する炭鉱は、ひときわ悪いものでした。「圧制ヤマ」としてその名をとどろかせていました。
立ち上がった韓国・朝鮮人労働者に対して、麻生鉱業は警察とヤクザを使って潰しにかかりました。多くの血が流されました。その韓国・朝鮮人労働者とともに立ち上がって戦ったのが、被差別出身の日本人労働者でした。
豪農地主として、多くの被差別の小作人を支配下においていた麻生家は、被差別の人々を、経営する炭鉱に送り込みました。また、九州各地や中国・四国地方から生活の場を求めて流入してきた被差別出身の人々を、積極的に雇用しました。差別を恐れて声を上げないことにつけ込み、低賃金と劣悪な労働条件のもとで酷使したのです。人々は「ゲザイニン」と軽蔑され、職種・住居(炭住)・風呂に至るまで差別されました。しかし、米不足から起こった1918年の「米騒動」を機に、被差別の人々は立ち上がるようになり、1922年の全国を結成しました。翌1923年に、九州が結成され、差別撤廃闘争を展開しました。被差別の人々の多くが炭鉱労働者とその家族であった筑豊においては、差別撤廃闘争は労働運動を意味しました。そして、麻生争議では、同じように差別に苦しんでいた朝鮮人労働者と連帯して、戦いました。被差別の人々はカンパを集め、米を朝鮮人労働者に送りました。(『日本民衆の歴史 地域編9 赤いボタ山の火 筑豊三池の人びと』66ページ 新藤東洋男編 三省堂 1985年)。韓国・朝鮮人と日本人の民衆が連帯した数少ない例です。
この麻生鉱業争議は、スト参加者263人が解雇されたことで労働者側の敗北に終わりました。
その後、韓国・朝鮮人の労働運動は厳しい取り締まりで壊滅に追い込まれ、日本への絶対的服従を強制される協和会運動に飲み込まれました。
運動も、同じように軍国主義体制の強化で、沈黙と政府と政府への協力を余儀なくされました。
その後麻生鉱業は、賃金や労働条件の改善をあまりしないまま、韓国・朝鮮人と被差別部出身者を炭鉱に送り続けました。火災や落盤、出水、ガス爆発などの事故で、多くの人びとが犠牲になりました。それは日中戦争激化と太平洋戦争開始でさらにひどくなりました。物資不足と人員不足で安全対策がおろそかになったこと、安全を無視した採炭が原因でした。そして、いわば移住で渡ってきた人びととは別に、強制的に連れられてきた韓国・朝鮮人や中国人も、麻生が経営する炭鉱に送り込まれました。その人びとが、どのような運命をたどったのかは多くの書物に述べられています。また、本土へ疎開した沖縄県出身者も炭鉱に入りました。
太平洋戦争敗北後、労働運動が自由になったことで、炭鉱労働者は激しい労働運動を行い、めざましい成果を上げました。韓国・朝鮮人労働者も祖国分断の苦難にあいながらも、活発な運動を展開しました。被差別解放運動も活発に行われました。
しかし、1950年代半ばから始まった石炭から石油への「エネルギー革命」によって、石炭産業は崩壊しました。生活の基盤であった炭鉱は次々に閉山したました。廃墟が広がり、多くの人びとが筑豊から去りました。その多くが高度経済成長に沸く太平洋ベルト地帯に移りましたけれども、中には農業移民としてブラジルやアルゼンチンなどの南米に移住した人もいました。また、北朝鮮に「帰国」した韓国・朝鮮人労働者とその家族もかなりいました。
筑豊に残った人びとは、その多くが失業に苦しみ、生活保護と失業対策事業、日雇いの仕事でかろうじて生活しました。
一方、麻生家は2代目総帥麻生多賀吉が、吉田茂首相の娘婿になったことで政界に進出し、「華麗なる一族」への道を進みました。グループの主力事業を石炭からセメントに転換したことで、生き残ることができました。
麻生太郎氏外相就任おめでとう、次は首相か、という声があふれています。
しかし私は、政界で華麗な活躍をしている麻生氏の足下には、踏みつけにされた韓国・朝鮮人と被差別の人びとの屍があることを指摘します。そして彼は踏みつけにされた人びとの叫びが、全く聞こえていないことが、「創氏改名」や「一民族」発言で明らかです。
ですから私は祝いません。
坂井貴司
福岡県柳川市
E-mail:suikyounomizu@cnc.megax.ne.jp
=====================================
1クリックで助かる命がある
http://clickbokin.ekokoro.jp/
http://www.dff.jp/index_t.php
http://www.bokinpark.com
http://www.thehungersite.com/cgi-bin/WebObjects/CTDSites
http://park7.wakwak.com/~f-x/THEOLOGIA/bokin.html
*****************************
関連
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/111218139e67ce603897d4230636b5ba
沖縄に対する発言も、まさにそのまま正直に出たものでしょう。それでも吉田茂の孫であり、日本支配層の色々の血を受け継いだ者ならば、少々の失言くらいでは日本マスコミも叩く事もありますまい。
朝鮮人どもが職を求めて、日本本土へやってきた。そいつらを
雇ってあげただけだろ。併合前に国として体を成していなかったが為に
日本への併合を求め、併合後は新天地を求めて朝鮮人どもがやってきた。
仕事があっただけでも、ありがたく思え。不法に内地へやってきた奴らが
デカイ顔できる訳がない。分をわきまえるのが当然だろう。
ところで、連日のように報道されていた賎人の不法入国や事件の事について、当時の新聞記事を多少なりとも読んだ事あるの?無毛無知の誹謗中傷は、火病にしか見えませんよ
同じく日本名を使っていた朴大統領から金大中大統領まで、創氏改名について強制されたとの旨の発言は一度もありませんし、それについて日本に謝罪を要求したこともありません。
当時は朝鮮人の衆議院議員もいたし、軍で出世し中将にまでなった方もいるよ。
もちろん日本名ではないよ。
それだけで、強制的に日本名に改名させられたというのが、嘘だとわかるね。
一部親日派だけだという人もいるけど、その主張は都合が良すぎないかい?
最後に言葉遊びになるけど、
強制でない連行て何ですか?
連行という行為自体、本人の意思を無視しているよね。
強制連行という言葉を聞くと笑える。
よっぽど鬱屈した人生を送ってるんでしょうか。
世の中いろんな人がいるなあと改めて思います。
左巻きの巣窟にたどりつくわけか。
この国にはあなた方の居場所はありませんよ。
さっさと半島へ移住してください。
麻生太郎氏は、どうなんだろうか? 阿部 や 福打 に比べると、いくらかはマシに思えるのだが...
http://jbbs.livedoor.jp/news/2092/#top
バカにされています。チビで悪い奴らと意味だと
思います。私も12歳で在日出身の母親と一緒に
日本に来ましたのであまり意識がなかったのですが・・・
因みにアメリカでは日本人はジャップと言われて
バカにされています。
私が思うには、何人もいいところとわるいところが
ある様に思います。悪い洗脳はダメですよね!?
ここのコメント見て、なんか絶望的な気分になるよ。
冷笑・嘲笑・攻撃・・。
なんの生産性もない態度ですよね。
そっか、何も生産してない人たちだから、当たり前か(苦笑)
揚げ足とりがお上手なお坊ちゃんたちだが、お前ら、最低だ。
人間の屑ですな。
俺の小学校の先生(韓国人帰化日本人)が障害者に対して悪態をついた時点で違和感をずっと持ち続けているだけどね。
田舎のボットン便所をリフォーム技術で外側だけピカピカにするようなモンで、臭いは紛々だけど。
(と汚い例えで恐縮ですが、別段「美しいお国元」の屎尿利権と掛けたと受け取って頂いて構いません。)
ま、米下院決議が出た従軍慰安婦の二の舞になる方が、自虐的に事が大きくなるけど、それを望むってんなら、それでいいんじゃない?
そもそも学習機能が無いんだから。
仕方ないよ!
地道に真面目に働き、人として道徳的に優れた行いをし、偏見があたらないことを証明し、穏やかな声で論理的に偏見があたらないことを語っていくしかない。
尊敬される行動をとり続けることだ。
それでも、心無いことを言う人もいるかもしれない。しかし、偏見があたらないと考える人は確実に増えていくだろう。
利権に群がり、暴力的振る舞いを重ねれば重ねるほど、沈黙の下で偏見はますます膨らみ、永遠になくならない。
祖先の身分や祖先の出自を理由に差別されるのがいやならば、同じく、麻生氏をその血統や出身のみで判断すべきではない。
それでは、かつてされたこととまったく同じことを行っているにすぎない。
今生きる人のすべてがより良い関係になるためには、それぞれが被害者意識に気持ちを持っていくよりも、前向きに今できる最良の努力をまず自分の心に対してするべきではないだろうか。
先ず、上からね!権力者の義務が一般人より大きい!のは当然だ。だって、権力を揮えるんだから。
ぶっちゃけ、灰色金利の贈収賄や麻薬使用、或いは票の売買や他人の家を焼くなど、暴対法を無視した癒着を、「前向き」とは言わんだろに。
でも、下っ端が権力批判をするのは「前向き」の第一歩だぞ?でないと恥とさえ思う神経が彼らには無い!
戦前から、欧米に取入ってはアジアに暴力を代行、イザ欧米に見捨てられても「焼太り」が家業だから。
あまつさえ靖国復活で再度の「焼太り」を狙う始末。
漢方診療科もあり、立派な専門医がそろっているので、それだけは褒めてやりたい。
しかも賃金の安いとこから勝手に移民してきて、給料同じにしろとは片腹痛い。そういう契約がいやならそもそもほかの働き口を探せばいいし、不法移民辞退するなよw
しかも当時の安全基準と今の安全基準、労働環境も含めてぜんぜん違うしw違法性もないw。
相変わらず朝鮮人と左翼のいちゃもん因縁付けには頭が下がるよwwww
きっと、逆効果があって、右翼の自爆攻撃は自虐だなあ、とか言われるよ。
で、ホンダ議員やラントス議員とか、訴えるって右翼裁判の迷走は如何なってんの?
世界の非常識は、色々と失敗が多いね。
そのほうが、あんたら朝鮮人も祖国で堂々と胸はって暮らせるだろ。
誰も日本にいてくれなんて頼んでないよ?
確かに、統一協会と関係の深い売国奴は、日本に要らないんだろうと思うよ!例えば、「>ゆみ」とかってのとか。
因みに、小泉のユーセーユーセーは親父が総督府勤めで役人に取り入って入り婿、やっぱヤクの件から稲川会だったなあ。
(ゲリゲリの筋は、拉致実行犯も噂される工藤会がお気に入りだが、最近の救う会は住吉会だな。)
何でも、最初の選挙のビラは、ハングルでも刷ったんらしいよ?一応バイリンガルが売りだったんだろか?当時は半島系も明らかに臣民でな。
麻生氏の親や祖父がどうのこうので、直接には何もしてない麻生氏を忌み嫌うというのは
あなた方が嫌ってる、差別そのものですよ。
ついでに、安倍の下痢下痢と福田康夫を陥れたのも、麻生太郎だから色々と恨まれているが。
ま、麻生太郎も失言の多い男だから、もっとホジクって欲しいってリクエストなら、お答えするが?
差別発言と来れば先ず第一に、野中広務の一件だが。
ネトウヨは馬鹿ばっかりだよ。
ネットで仕入れた偏った知識しかない馬鹿と、きちんと資料をもとに事実のみを記述している筆者の差は天と地ほども違うな。
なんでネットユーザーってこんなゴミみたいな連中ばかりになっちゃったのかな?
株式会社 ガーラ http://sales.gala.jp/cybercops/index.html
イー・ガーディアン 株式会社 http://e-guardian.co.jp/e-guardian/index.html
株式会社 ガイアックス http://solution.gaiax.co.jp/solution/supportdesk/
日本エンタープライズ http://www.nihon-e.co.jp/solution/support.html
株式会社 ライトアップ http://www.bc-manage.jp/
株式会社自由企画社
システム収納センター
日本情報調査
その手のデマ、ゴシップ、捏造、真実か嘘か判らない情報は巷で幾らでも手に入る。麻生氏全てを信用するのも危険だが本に書かれている物事、過去の資料が全て正しいとも限らない。
何よりも「麻生一族」が行ったことを「麻生太郎」が行ったように書くのは間違いであると思われる。
それとも何かい、ヒトラーや東条英機の遺族が彼らの行いを全面肯定して第三帝国や大日本帝国の復活を画策すればソレでイイのか?
んな訳ねーじゃん!
「彼らは彼ら、私は私です」と態度表明して、阿片資金をふんだんに撒いた出世やクーデターとは無縁の生活態度を取らない限り、肩身が狭いのは当然の摂理!
同様に、麻生太郎は麻生炭鉱の遺産を後ろめたく思い、在日外国人の社会保障その他、社会奉仕などにも熱心であるべきであったのに、果たして現実は…。
まあ少なくとも、医者は変人が多い、ウチも病院経営してるんで判るがね…!と言った舌の根も乾かない内に陳謝する羽目になる、あの態度は自己責任以外の何モノでもないだろう。
返したくなくなるのも事実である
まあ、「勝手にしろ」だけど。
相手が如何とかこの場合は関係無くて、自分の公正さを如何確保するか?の問題なんだが。
余計にミミッチい、嫌な奴って意味の麻生太郎を強調してるよ?
自分の書いてる事の意味判ってる?
馬鹿な発言だが公正な政治家なんているのかね?
見てみたいもんだな
あと石橋を三度叩いても渡らずまだ確かめるぐらいのミミッチさがないと政治家はやって行けんと思うよ
やっぱり次の総理は小池百合子なの?
ソレとも、米国の為なら自衛隊も農政も売り渡す、石破茂?
言っとくけど、石原家の長男は止めといた方がイイ!
安倍さんよりもっとヘロヘロで、三日天下の記録を宇野さんと最短記録を争うぞ。
ま、ドレがなっても暫定的で、しかもその後の再登板の目も摘まれるだろうけど、自民党に殉じるってんなら結構な事じゃん。
ちなみに私は日本人ですが麻生太郎氏はあまり好きではありません!
今の民社党政権も好きになれません…日本人として困った国になったもんだと思っています。
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/b436bf5f6c4e7f79792bfd40f3acc3b4
朝鮮学校無償化 教育機会をゆがめるな/中日新聞・社説 2011-02-03 13:51:31
Unknown (AntiSayo)
2011-02-04 09:03:51
一条校でもない
ましてや反日教育を施している学校に
日本国民の血税と投入する事の方が
異常であり 常識外である
(少なくとも諸外国にそんな奇特な国は無い)
無償化を推し進めたければ
日本人にテロを仕掛けて
強引に屈服させるか
中日新聞以下無償化賛成派が身銭を切って
やるべきである
低脳糞ウヨを糾弾しよう
日本を貶める言動を日本人自身が
行っているかのように偽装する。
非常に性質が悪い。
こんな民族は朝鮮人くらいであろう。
連呼する国 日本って・・・
麻生太郎VS松本龍の直接対決も観たいね