「仕事」の後は「墓場」に直行はごめんだ!/ ル・モンド・ディプロマティーク日本語版11月

2010-11-28 00:05:04 | 世界
 「仕事」の後は「墓場」に直行はごめんだ! 
ダニエル・リナール(Daniele Linhart)
フランス国立学術研究センター研究部長、
パリ第十大学パリ社会学政治学研究センター
「ジェンダー・労働・流動性」グループ
訳:三浦礼恒

 フランス全土で大規模な抗議運動が起き、世論の支持も広がった。年金の受給開始年齢を60歳から62歳へ引き上げる法案が、不当だと受け止められ、強い反発を受けていることは明らかだ。だが、今回の抗議運動が雄弁に語っていることがもう一つある。それは、労働の「近代化」が始まって以来、多くの人々がどのような体験を味わってきたか、ということだ。

 労働の苛酷さが増したうえに、状況の悪化は避けられそうにない。長くは持ちこたえられないかもしれない、長くは持たないかもしれないと、サラリーマンの多くは不安を抱いている。彼らの隊列は、こんなスローガンを叫んでいる。「仕事で死ぬって? くたばるってわけだぜ!」、「仕事の後には生活を!」。多くのフランス人にとって日々の労働がどのようなものになっているかが、これらの表現に窺われる。肉体的苦痛を軽くするはずの新しい情報処理技術が導入され、サラリーマンの3分の2以上が第三次産業で働き、法定労働時間は週35時間にとどまるというのに、仕事はいやなもの、死に至ったり、生活を奪ったりするものと見なされているのだ。

 年金受給開始が2年先送りになることだけで、これほど悲惨な労働観が広がったわけではない。今回のデモ行進で叫ばれているスローガンは、「稼ぐことで人生を失うのはごめんだ!」という往時のスローガンを思い出させる。1968年5月、3週間のゼネストの最中のことだ。隊列の中心となる労働者たちは、生活を変えたいと願っていた。2010年秋の労働者たちは、さらに絶望感を深めているように見える。1968年のもう一つの有名な標語「メトロ、仕事、おねんね」は、「メトロ、仕事、墓場」と言い換えられている。こうした状況の悪化は、一体どのように説明できるのだろうか。

 フランス人たちは、自分が持たないのではないかと不安を抱いている。おちおち眠ることもできない、きついスケジュール。筋肉や骨の障害を引き起こすような、反復的な業務。トラブルに遭ったり、顧客からプレッシャーをかけられることもあるのに、労働はますます強化される。そして「苛酷さ」と呼ばれる問題がある。この問題は(ようやく)政治的議論で取り上げられるようになったが、個別の職種の話に押し込められようとしている。

 自分が持たないのではないかと思う理由は、まだまだある。それらはあまり表面化していない。恒常的にプレッシャーのかかる仕事、「さらに成果を上げろ」の論理で動いている仕事に、自分はついていけないという不安。異動が激しく、部下の業務を把握していないことも多い上司が強いる無茶な目標は、もはや達成不可能だという不安。同様の理由により、ぶつかった障害や傾けた努力を考慮してくれないような、査定に対する不安。仕事をこなせないことを余儀なくされるのではないか。へまをしでかす状況に追い込まれるのではないか。役不足になって、立場が危うくなり、職を失い、自分なんてダメだと思うようになるのではないか。彼らの不安は尽きない。

 そう、近代的マネージメントは、自らの権威を確立し、従業員を自主的な搾取状態に置こうとして、あの手この手で揺さぶりをかけているのだ。そのために作り出されるのが、針のむしろのような環境だ。労働者たちが会社を落ち着ける場と感じてはならない。仕事を自分で調整できるような状態にあってはならないし、同僚や上司、顧客との間に共謀関係を結ぶことで、うまいことやるようなことがあってはならない。組織が恒常的に再編され、頻繁な異動が強制され、配転が繰り返されることで、従業員は自分の仕事を見失い、知識は右から左に抜けていく。こうした状況がメディアで大きく取り上げられたのがフランステレコムの例だった。

 仕事が複雑化し、環境が不確実化しているなかで、経験の蓄積はもはや助けにはならない。上司の信頼を得るためには、目標は達成するだけでは足りず、超えるべきものとなっている。そのため、多くの大企業でほぼ必須とされる査定は、裁量的な側面が大きい。目標を超えるべきとして、どれほどの超過が必要で、どんな手段を用いればよいというのか。多くのサラリーマンは、調査への回答で、以下のような気持ちを明かしている。張り詰めた綱の上に常に置かれている。ありったけの力をひっきりなしに振り絞らないと、持ちこたえられそうにないが、ひとりでなんとかしないといけなくて、自分以外の誰も当てにすることはできない。上司は助けになるどころか、むしろ縛りを増やす役目を果たしている。現在主流の個人分断の論理によって、同僚たちは競争相手になってしまった。こんなふうにサラリーマンたちは、困難に直面しても頼るものがないと感じているのだ。

年長者と並んだ若者たち
 近代的労働の特徴の一つは、一方ではテーラーシステムの論理にのっとり、他方では従業員の主体的な取り組みを呼びかけるという、異種混合的な組織形態だ。コールセンターを考えてみればよい。受け答えの仕方はあらかじめ決められており、所要時間も定められている。その縛りの中でオペレーターたちは、もし追加手当をもらいたいなら、適確な指摘や感じのよいコメントを交えることで、会話になんとか彩りを添えないといけない。声の抑揚を工夫したり、当意即妙の才を発揮したりしないといけない。

 マネージメントは超短期的な数量目標を課し続けながら、仕事の質と量(問い合わせに応じた電話や、処理した案件、行った配送の件数)の間の緊張関係という問題は、ますます流動的な状況下で、従業員自身が解決することを要求する。その結果、平社員が実務の組み立ての大部分を丸投げされ、自分の仕事の質に責任を持てと命じられる。生産性向上の要求に支配された世界の中で「自主性」を求められながら、目標達成に必要な手段や期限について交渉の余地は与えられないから、平社員たちはたとえ身分的に安定していても、不安定な立場に置かれていると感じる。 管理職も同様の緊張関係や矛盾の中に投げ込まれている。目標はますます高く設定され、時間は細かく管理される。時間を適切に使ったかを場合によっては半日単位で、上司に報告するよう義務づけられているのだ。

 以上のような民間部門発の管理基準が強引に導入されたことで、公的部門でも民間部門と少なくとも同じ程度に、職務や職業意識、仕事の仕方が揺さぶられている(1)。当の職員たちにしてみれば、こうした変化は各人の実務経験に依拠したものではなく、乱暴に強制されたものだ。彼らは困惑しながら、周囲の環境と利用対象者との変化に順応しようと模索する。周りを取り巻く世界が変わりつつある時代に、国家公務員や地方公務員、国立病院の関係者たちは、強要と束縛に絡め取られ、自分の任務を正しく実行することを妨げられているという感情を持っている。

 このような世界で居場所を守るためには、まともな仕事の感覚や倫理に反する譲歩を迫るような変化に悶々とする生活を避けるためには、丈夫な神経が必要となる。近代的マネージメントは、この点で捕食者の性質を帯びている。優秀であること、全身全霊で取り組むこと、そして条件を付けないことを要求し、最もしぶとい者、最も強い者に狙いを定める。自分や家族の生活を犠牲にして、柔軟に対処できる態勢にあることを要求する。大企業の年齢構成が、上すぼみで下すぼみになっているのも、そういうわけだ。近代的マネージメントは素早く使い捨てる。一定の年齢、つまり50歳にもならずに「シニア」と呼ばれ始める年齢を超えると、抵抗するのは難しい。まだ肩書きもない時点で就職するのも難しい。

 デモの隊列の中には、年長者と並んで若者がいた。彼らは先を見通しているのだ。フランスはヨーロッパの中でも若年失業率の高い国だ。近代的企業に入るのが難しいという彼らの問題が、自らの地位を守るのが難しいという「年配者」の問題と、何かしら関係していることを彼らは知っている。両者はともに、マネージメントの途方もない要求のツケを回されているのだ。不安定な身分で雇用されている人々にとっては、状況はさらにひどいと考えられる。

 EU27カ国を調査対象として、2008年に発表されたリュシー・ダヴォワーヌとドミニク・メダの比較研究によれば(2)、フランス人は仕事への期待と仕事の重視でトップに立つ。しかし、仕事から来る失望とフラストレーションでも1位なのだ。

 そこには歴史的な背景がある。原点はフランス革命だ。それは個人を隷属状態から解放し、自由に労働力を売れるようにした。労働は人間解放という意義を持つようになった。だから今日なお、労使闘争が極めて激しい。労働は社会の要をなしているのだ。

 マネージメントの途方もない要求が作り出すのは、不安に駆られ、無力感に苛まれ、他人に対しても、理解に苦しむゲームのルールに対しても、不信感を抱く市民たちだ。生計を立てていけるのだろうかという疑問が、彼らの頭を離れることはない。世論調査に対してフランス人の半分以上が、いつかホームレスになるのではないかと不安だと回答している。

 サラリーマンたちは、ふだんは困難を自分の弱さや不適応のせいにして抑圧している。こんなふうに孤立した彼らは、年金改革に反対する闘争を機として、みなが運命を共有しているのだという意識を回復したように見える。多くのデモ参加者が、市民団体「屈服せず」の考案した「私は階級闘争する」というステッカーを身に付けていた。それが象徴するのは、近代的労働の世界によって強制されてきた個人主義と、休眠中の団体運動の伝統との間に、手を結ぶ余地があるということだ。

(1) See << Comment l'entreprise usurpe les valeurs du service public >>, Le Monde diplomatique, September 2009.
(2) Cf. Lucie Davoine and Dominique Meda, << Place et sens du travail en Europe : une singularite francaise >>. Centre d'etudes de l'emploi, document de travail, No.96-1, February 2008.
(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2010年11月号)

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日本語版(2010年11月号)
■ 「仕事」の後は「墓場」に直行はごめんだ! ダニエル・リナール(フランス国立学術研究センター、パリ第十大学)
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