外国人の子どもたちの学習権を損なう、仕組まれた誤解/島本篤エルネスト

2006-06-05 23:06:20 | 教育
外国から来た子どもたちは、いずれの教育機関でも学ぶことなく不就学に陥る割合が高いと言われる。これまで全国的な調査がないまま、さまざまな数字が飛び交ってきた。例えば、2002年の外国人集住都市会議(東京)で報告された資料からは、群馬県大泉町では34.7%、岐阜県可児市では36.0%という非常に高い数字が読みとられ、全国平均は40%に近いと考えられた。


外国人の子どもたちの学習権を損なう、仕組まれた誤解
島本篤エルネスト


1 外国人の子どもたちの不就学率

 外国から来た子どもたちは、いずれの教育機関でも学ぶことなく不就学に陥
る割合が高いと言われる。これまで全国的な調査がないまま、さまざまな数字
が飛び交ってきた。例えば、2002年の外国人集住都市会議(東京)で報告され
た資料からは、群馬県大泉町では34.7%、岐阜県可児市では36.0%という非常
に高い数字が読みとられ、全国平均は40%に近いと考えられた。
 外務省が2003年・04年に開いた「在日ブラジル人に係る諸問題に関するシン
ポジウム」(東京)でも、在日ブラジル人学校協会代表が「在日ブラジル人の
子どもたちのうち、40%が日本学校に、20%がブラジル人学校に通っているが、
残りの40%は学校の外にいる。」と発言し、危機感を募らせた。

 しかし、集住都市会議の資料に関しては、当初からその信憑性が疑われた。
登録済みの就学年齢外国人数から、日本学校及び外国人学校在籍者数を引いた
人数を不就学者として算出するのだが、どの数字も不正確なのだ。特に登録済
み外国人数は、登録が残っているが実際には転居しすでにいない子どもや、逆
に在住しているのだが登録されず数に入らない子どもが多いと考えられた。
 では、どうすれば正確な不就学率を把握できるのか? 答えは、完全な戸別
訪問調査しかない。これには大変な時間と労力が求められるので、実施に踏み
切る自治体はほとんど無い。ぼくは横浜市(人口約350万)教育委員会に水を
向けてみたが、あっさりと断られた。比較的小規模な自治体でないと、この調
査は難しい。だからと言って、大きな自治体が何もしなくてよい訳ではないが


 前出の大泉町教育委員会は、集住都市会議への報告とは別に、戸別訪問調査
を実施した。その結果、2002年の調査では、調査対象者622人中、日本学校在
籍者279人、ブラジル人学校・私塾・託児所在籍者139人、転出・帰国者160人
で、実際の不就学者は26人。転出・帰国者を母数から引いた後の不就学率は
5.2%だった。(転出・帰国者を入れると28.1%に跳ね上がる)。翌03年調査
では、対象者446人中24人(5.4%)が不就学と分かった。2004年度に可児市が
おこなった調査では、同市の不就学率は6.8%だった。
 幸いにして思いの外、予想よりかなり低い数字が出たのだが、研究者などに
は、全国の実際の不就学率はもうひと桁上がるだろうと考える者が多い。と言
うのも、外国人学校の在籍はかなり不安定で、学校や保護者の申告を掛け値無
しには信じがたいのだ。授業料、教材費、試験料、送迎バス代など、子どもを
外国人学校に通わすためには、一ヶ月で4万円かそれ以上必要である。デカセ
ギである保護者がこの費用を継続して支出するのは難しい。また、日本学校の
在籍にしても、就学の実態が無い事例が少なくない。
 ごく最近、栃木県小山市教育委員会の不就学率が報告された。2006年2月1日
現在、登録済み外国人のうち小中学校学齢相当の子どもは308人だが、公立学
校に在籍する子どもは179人で、就学率は58.1%に過ぎない、というものだ。
転出・帰国を数に入れたとしても、実際の就学率は65%前後であろうと、同市
教委は推定する。35%ほどが不就学と言うのだ。

 それでは、実際の不就学率は果たしてどのくらいまで上がってしまうのか?
文部科学省は各自治体に対して「不就学外国人児童生徒支援事業」を各自治体
に公募し、集住都市を中心とする申請のあった12地域に、外国人の子どもの不
就学率調査を委嘱した。2005年度末には中間報告が出される予定だった。
 文部科学省の公募に手を挙げ損ねた自治体も、主体的に努力し、不就学率を
調査することが不可欠だ。後述するように、外国籍の子どもたちへの学習権保
障は、人道的配慮や憐れみに基づくのではなく、政府及び自治体に課せられた
義務として達成されるべきものだからである。


2 不就学の原因は?

 外国から来た子どもたちの不就学率は、現時点における結論としては、実態
がよく分からない、もしかするとやはり30%前後の子どもたちが、いずれの教
育機関に通うことなく、学習の機会を奪われているのかも知れない、としか言
いようがない。そこで次に、子どもたちが不就学に陥る原因を考えてみよう。
 まず、「外国人の子どもたちは本来、外国人学校(民族学校)で学ぶべきだ
が、経済的に余裕のない家庭の子どもが仕方なく日本学校に通うことがある」
とする考えの存在を指摘しておく。NHK名古屋作成『中学生日記』の「転入
生パウロ」(2000年4月放送)で繰り返し述べられており、ぼく自身、勤務校
校長との交渉中、「外国人の子どもは日本の学校に来なければよい」と聞かさ
れた経験がある。公民権運動時代の合衆国南部を彷彿とさせるような、教育に
おける人種分離主義の発露と断言できるだろう。
 この思考は、「日本学校に通う外国人の子どもが、日本語指導など十分な教
育を受けることができなかったとしても、それは学校の責任ではない」との弁
明に直接つながる。国際教室の担当教員が大変苦労して子どもたちに日本語を
教えようとするのを、他の教員たちが冷ややかに傍観するなどといった現象は、
ここに起因する。

 また、外国人の親たちの意識のありように、不就学の原因を求める声も挙が
っている。子どもの教育に熱心でない親がいる、少しでも多くの収入を得よう
として子どもに働くよう強要する、という実態は、確かに無いではない。
 だが、こうした親たちの話を聞いてみると、彼らが日本の教育制度をよく理
解していないことが分かる。彼らの出身国と違い、日本は勉強したくなったと
きに学校に戻れるような、柔軟な制度を持たない。いったん制度の外に出てし
まった子どもが、ふたたび児童生徒としての立場に復帰するのは困難だ。日本
の、学齢による縦割りに凝り固まった教育制度に、外国人が適応できないのは
ある意味当然だ。

 整理すると、不就学の原因は以下のようとなる。
(1)日本の教育制度がかかえる硬直性
(2)日本学校における、日本語指導、教科指導の不備
(3)日本学校における、教員、日本人生徒らの無理解、排除意識
(4)外国人保護者の経済的困難(学費など)
(5)外国人保護者の教育に関する理解の低さ
 これらだけでなく、子どもの来日時の年齢、母語力、出口保障(学校で学ん
だからと言って、それがより高い収入、社会的地位に結びつくのか)等のさま
ざまな要素が絡み、子どもたちが学校で学べない、学ばない状況がつくられる


 外国から来た子どもたちは全員、不就学に向かって誘導され続けているよう
なものだ。がんばって学んでいる子どもは本当に偉いと思う。でも、彼らはそ
うやっていつまで、がんばらさせられるのだろう? ぼくは、子どもたちを不
就学に追いやる日本の教育制度をどうにかしたいと願う。


3 義務教育と「就学義務」

 先日、ある全国紙に「外国人にも義務教育を」という趣旨の署名記事が掲載
され、関係者の間で多少議論になった。そのときも感じたことだが、外国籍児
童生徒の教育に関しては、その法的扱いにおいて、おそらくは意図的な誤解が
はびこっている。

 日本国憲法第26条は、「すべて国民は、法律の定めるところにより、その能
力に応じて、ひとしく教育を受ける権利を有する。」とする。これに限らず憲
法の国民条項は、外国籍住民から様々な権利を奪い去る口実として利用されて
きた。教育基本法も第4条で、「国民は、その保護する子女に、9年の普通教育
を受けさせる義務を負う。」と定めている。日本政府は当然のごとく、外国人
を普通教育から閉め出したのだ。
 これらが制定された終戦直後、在日外国人といえば朝鮮人が圧倒的多数で
あった。日本の敗戦によってやっと自分たちの言葉と民族性を取り戻し、民
族学校建設に邁進していた時期であり、日本の普通教育を否定されても、当
時は大きな反対は無かったようだ。
 だが、公立学校には間違いなく多くの在日の子どもたちが通っていたし、帰
国者数の伸びも鈍った。1965年の日韓法的地位協定にともなう文部省通達は、
「永住者が希望する場合には、市町村の教育委員会はその入学を認める。」
「1条校に入学した外国人児童生徒は、日本人と同様に取り扱う。」と掲げ、
日本人への同化を前提に、あくまでも恩恵としての教育を認めた。この65年通
達は原則的にはいまも生きていて、どこかの役場で職員が金科玉条のごとく振
りかざすことが希にあるそうだ。

 政府や自治体のサイトを検索すると、「外国人の子弟には就学義務が課せら
れていない」(文科省)、「外国籍のお子さんの場合は、法令上就学義務があ
りません」(北九州市)といった表記に多く遭遇する。ぼくらは前述の法的扱
いを思い出し、つい『そういうものかな』と信じてしまうが、よく考えるとこ
れはとても奇妙な言い回しだ。逆を見よう。すなわち、「日本人の子弟には就
学義務が課せられる」「日本籍のお子さんには、法令上就学義務があります」
…ちょっと待て、就学義務とは何だ?
 憲法にも教育基本法にも、就学義務という語はない。あるのは、保護者が子
どもを就学させる義務だ。子どもが学ぶのは権利としてであって、義務ではな
い。この奇妙な言葉がなぜ生まれたのかは不明だ。政府は国民に対し、家庭教
育を学習の場と認めず、何としてでも学校教育を課そうとするので、義務教育
=就学義務となってしまったのではなかろうか。学校教育に適応できないと見
なされる障害児が就学を免除されることからしても、多分そうだ。

 さて、整理しよう。法律の文言から判断すると、外国人は義務教育ではない、
外国人には就学義務はないというのはすなわち、「外国人の子どもの保護者に
は、子どもを日本の学校で学習させる義務はない」ということだと分かる。こ
れは保護者の義務に関する規定である。
 ここで問題とすべきは、外国人の子どもが学習する権利を有しているか否か
だ。法律は、外国人の学習権を肯定しないと同時に、否定もしない。ただその
解釈において、外国人は学習権を権利としては持たず、恩恵としてのみ与えら
れるかのごとくみなされてきただけだ。
 ぼくらは政府・行政のトリックに騙されて、就学義務などという、どの法律
にも書かれていない戯れ言に惑わされている。これからは、外国人の子どもた
ちをめぐる法的枠組みを誤ることなく認識・把握し、子どもたちが不当に権利
を侵されることの無いよう、声をあげていこう。


4 国際条約と学習権

 では、外国人の子どもの学習権に関する規定はどこにあるのか。日本国憲法
および教育基本法は国民条項に害され、外国人の学習権についていっさい言及
していない。だが、日本も参加している様々な国際条約は、外国人にも学習権
があることを明確に定めている。

 国際人権A規約(社会権規約、1979年批准)は、「初等教育は、義務的なも
のとし、すべての者に対して無償のものとすること。」(第13条)とし、また
子どもの権利条約(1994年批准)第28条にもほぼ同文の規定がある。さらに、
人種差別撤廃条約(1995年批准)第5条(e)の(v)は、すべての者が「教育及び
訓練についての権利」を保障される、とする。
 国際条約を批准する国は、それにともない国内法を整備することを求められ
る。日本が女性差別撤廃条約を批准した1985年、ざる法と呼ばれた男女雇用機
会均等法を改正したのは好例である。しかし、外国人の権利に関する条約では、
それに合わせて国内法を改正した経緯がない。これは日本政府の怠慢であり、
ルール違反だ。
 しかし、国内法が整備されていないからといって、国際条約が無効になるも
のではない。国際条約は国内法に優先する。それ自体が法として有効なのだ。
1998年、静岡県浜松市でブラジル人放送記者の女性が外国人であることを理由
に宝石店から追い出された事件に際して、静岡地裁浜松支部は翌99年、原告の
訴え通り人種差別撤廃条約に基づき、被告の宝石商に慰謝料などの支払いを命
じた。被告が控訴しなかったので、この判決は確定した。
 つまり、外国人の子どもたちが日本で学ぶ権利を有する事実は、日本が法治
国家である限り、誰にも疑い得ないことがらなのだ。

 この事実と、政府が外国人の保護者に教育を受けさせる義務を課していない
ことを考え合わせると、何とも奇妙な結論に到達する。保護者に義務がないの
は道義的にはおかしなことだが仕方がない。だがそうすると、子どもたちが学
ぶ環境を整備する義務を負うの唯一の存在は、日本の行政機関だということに
なるではないか。日本政府および各自治体は、外国人の教育に対して一方的か
つ完全な責任を負うというのが、ぼくの解釈だ。

 日本政府が必要な国内法の整備を怠る理由もまた、これではっきりする。現
在、教育基本法を国粋主義の方向に歪めようとする輩が蠢いているが、国際条
約に適合した改正を実現すると、かれらの思惑とは全く別の方向に行かざるを
得ない。すなわち、外国人への義務教育の導入をはじめとする、真の国際教育
にである。

 文科省に外国人の義務教育化について問うと、「日本学校以外の教育は『就
学義務違反』なので、義務教育化は民族学校・外国人学校を否定することにな
る」との答えが返ってくる。子どもたちに学習の場を提供する義務はかれら文
科省にあり、この返答は論点をすり替えた欺瞞だ。実際、ジュネーヴの国連人
権委員会は2001年、日本政府に対し、結果として不平等が生じているのだから、
日本政府は外国人への義務教育を導入すべきだと勧告した。
 ごく最近、子どもを外国人学校に通わせた保護者から、上記日本政府の詭弁
と同じ理由を挙げ、義務教育化への懸念を示されたことがある。これは具体的
に想像すると、朝鮮学校、韓国学校、中華学院、ブラジル人学校、インターナ
ショナルスクールなどがいっせいに閉鎖を命じられるということになろう。い
くら政府が外交感覚を持たぬとはいえ、そんなことをできはしまい。そこまで
愚かではあるまい。だが文科省の脅し文句はまさにそれなのだ。実際にはむし
ろ、外国人学校をそのまま義務教育機関として認定するなど、政府にしても便
利な活用法があるはずだ。


 以上、外国人の学習権保障に関わる行政の責任がどこにあるか、ぼくなりに
考察してみた。異論をお持ちの方、あるいはさらに発展した議論を展開できる
という方がいらしたら、是非ご意見をいただきたい。外国人の教育問題に耳目
を集めることがまずは肝要なのだから。


東京枝川裁判 意見書 佐野通夫氏
http://www5d.biglobe.ne.jp/~mingakko/cf_edagawasano.htm

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京都市在住のある在日コリアン、ユンミンヨン氏の長男が、京都市立近衛中学
校長から退学を言い渡された。ユンさんは2月24日京都市を相手に国家賠償を
求め提訴した。

 訴状によると小学校時の不登校により基礎学力が不足していた長男は保健室登
校をするなど努力したものの、結局中学の授業にもなかなかついていけなくなっ
た。保護者であるユンさんは、不登校である事態を打開するため学校関係団体と
協議を繰り返したが、効果的な対応が話されることは無かった。

 その過程で「在日外国人には就学義務はないので除籍できる」と言う当校の中
学校長の発言が飛び出した。

 結局、中学校側は本人の意思を確認することも無く、教育の機会をまったく保
証しなかった。

 この裁判の初公判が下記のとおり開催される。

日時:2006年6月16日(金)午後1時15分~
場所:大阪地方裁判所第1006号法廷(45座席)
   地下鉄御堂筋線・京阪本線「淀屋橋」駅下車、北へ徒歩7分
※公判終了後、ミニ報告集会があります。



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3 コメント

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外国人の子どものための行動に敬意を表します (小幡)
2006-06-07 21:56:38
以前、松サンとの意見交換で、いくつかの国際的合意について書いたことがありますので、それを参照していただければ、と思います。

子どもの学習権宣言については、ユネスコの「学習権宣言」があります。1985年に採択されています。



私が参考になった資料をあげてみます。



>「子どもの権利とは何か」堀尾輝久著・岩波ブックレット

>「平和教育についての宣言・勧告・条約集」森田俊男著・平和文化刊

>「平和・国際教育論」森田俊男著・平和文化刊

>「森田俊男平和教育講座4 民族権利の保障と平和教育」平和文化刊



参考になれば、幸いです。

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ないです (2年○○)
2008-07-05 22:35:46
私は近衛中の生徒ですが
そんなはなしは一度も聞いたことなど
ありませんよ
返信する
↑無関心の (恐ろしさを)
2008-07-06 16:13:37
んな風に喧伝すると、却って逆効果でしょう。
まるで、バウネットに噛み付いて処分された日経の記者みたいに。
右は、往々にして自虐的な行動を取ります…。
現状、日本の外国籍住民受け入れに関しては、まだまだ問題点が多く、島本さんの努力に頭が下がります。
昨今の物価高も気になりますね?統計から漏れがちなら、尚更に。
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