■■メールマガジン「PUBLICITY」No.1568 2007/02/28水■■
▼数日前、歩きながらくしゃみをしたら、くしゃみの仕方が悪
かったのか、その衝撃がモロに心臓に来て、しばらく心臓が痛
い。どーん、という感じで、いやー驚いた。なんだありゃ。
▼二・二六事件は、どうも気に食わない、命令に従うしかない
兵隊に何やらせてんだよ、やるなら自分らだけでやれよ、五・
一五事件の青年将校たちのように。
と、いつものように右上の日付を打ち直した時に思ってたら、
産経新聞の2月27日付に、1952年7月、旧軍幹部らが吉
田茂首相の暗殺計画を練っていた、という記事が載っていた。
奇遇な暗殺つながり。
暗殺計画の存在はCIA文書で明らかになったそうだが、当時
GHQ内部で覇権争いがあったから(いわゆるG2=参謀部第
2部とGS=民政局との対立)、文書そのものの内容がどこま
で信憑性があるかアヤシイ。
もし計画があったのだとしたら、五・一五や二・二六の時と、
アメリカ占領下の動きとで、「動機」にどのような違いがある
のか、そこに興味がある。
▼五・一五事件の檄文には、
天皇の御名に於て君側の奸を屠れ
という有名な言葉がある。
天皇制が存在する以上、必ず君側の奸が生まれるだろう。また
、天皇陛下の御名に於てという一言が、無数の君側の奸を生ん
だだろう。様々な次元・分野で皇道派や統制派が生まれただろ
う。
翌6月には、衆議院が満州国承認決議を満場一致で可決。
同月、警視庁に特別高等警察部設置を公布。
12月には、全国132新聞社が満州国独立支持の共同宣言を
発表している。
80歳近い犬養毅を殺した1932年5月15日が、議会政治
を殺し、軍閥政治とその崩壊を生む淵源になったとすれば、海
軍将校達自身が、はからずも君側の奸を演じたと言えるのかも
知れない。
▼今、君側の奸がいるとして、彼等を撃つためにはどんな力が
必要なのだろうか。無料のメールマガジンを発信している身と
しては、それは専ら言葉の力に拠る、と書きたいところだ。
しかし、最も影響力を持っているのはテレビであり、その次に
大新聞であり、えとせとら。なんといっても映像も含めた言論
の力(言論も含めた映像の力か)に優るものはない。
再びしかし、普段のマスメディアに接していても、どうも奸臣
の顔は浮かんでこない。そもそも現在は、天皇制が存在するに
もかかわらず、君側の奸を表す言葉・表現が無くなってしまっ
た。不思議なことだ。或る政治問題が悪化した場合、その都度
、君側の奸にあたる表現を探すところから始まる。彼らの素顔
に辿り着くまでの道は迂遠だ。
不偏不党と言い公正中立と言いながら、問題の輪廓はぼやけ、
核心は時間と情報の海に流される。感情と理性を注ぎ込む焦点
を定めにくい。君側の奸を撃ちにくい時代だ。
いや、もしや民主主義の世の中だから、常に国民の隣にいる、
マスメディア自体が君側の奸と化しているのかも知れない。
いやいや、皇室を敬愛する他でもない国民自身が、時に応じて
君側の奸と化しているのかも知れない。
▼君側の奸を撃つ大義名分を、檄文は綴る。
政権党利に盲ひたる政党と
之に結托して民衆の膏血を搾る財閥と
更に之を擁護して圧政日に長ずる官憲と
軟弱外交と
堕落せる教育と
腐敗せる軍部と
悪化せる思想と
塗炭に苦しむ農民、労働者階級と
而して群拠する口舌の徒と
怒りの表現・行動において、五・一五事件から75年経ったわ
が国は進歩しただろうか。怒りの暴発を批判する言論表現にお
いては、どうだろうか。両方とも、退歩していないだろうか。
▼「偉大なる建設の前には徹底的な破壊を要す」。軍人による
政府高官殺害という暴力が起きた時、少なくとも五・一五事件
の際は、福岡日日新聞(現・西日本新聞)の編集局長に、菊竹
六皷がいた。
http://www.u-shizuoka-ken.ac.jp/~maesaka/021226_contents/040322_kikutakrroxtukonotatakai.pdf
彼は事件直後から6日連続で軍部批判の論説を書く。しかも第
一報は、なるべく早く読者のもとへ意見を届けるため、夕刊に
載せている。
16日付夕刊「首相兇手に斃る」
17日付朝刊「あえて国民の覚悟を促す」
18日付朝刊「宇垣総督の談」
19日付朝刊「騒擾事件と与論」
20日付朝刊「当面の重大問題」
21日付朝刊「憲政の価値」
6日間も続けて軍人の凶行を批判した新聞は、福岡日日の他に
一紙も無かったそうだ。菊竹は、当時の東西の朝日新聞等、早
々に腰砕けになった同業者たちを容赦なく叩いている。
福岡日日は連日、軍部や国粋主義者たちによる直接の脅迫、抗
議の電話・手紙に追われた。軍の飛行機が社屋の頭上で急降下
し、威嚇を繰り返すこともあったそうだ。しかし福岡日日は編
集権の独立を守り、経営も営業も社を挙げて軍部批判の主張を
通しきった。
▼特に17日付の菊竹の論説は、軍部を激昂させた。
----------------------------
何人といえども、今日の議会、今日の政治、今日の選挙、今日
の政治家に満足するものはない。そこに多くの腐敗があり、欠
陥があり、不備不足があることは事実である。
にもかかわらず、ゆえにわれわれは、ただちに独裁政治に還え
らねばならぬという理由はない。ファッショ運動に訴えねばな
らぬという理由はない。独裁政治が、今日以上の幸福を国民に
与うべしと想像しうべき寸毫の根拠もない。ファッショ運動が
、日本を救うべし、と信じうべきなんらの根拠もない。
(中略)
これらの過誤欠陥を補正しつつ、立憲代議政体の大道を静かに
進むまでである。
しかも今日においてはこの大道を静かに進むことすら、けっし
て容易ではないようである。
(中略)
国民に対する挑戦に向っては、断々乎としてこれを排撃するの
堅き決心を懐かんことを要求せねばならぬ。
----------------------------
ぼくはこの論説を知ったとき、五・一五事件を明快に「国民に
対する挑戦」と位置づけ、全力で応戦しているところに、目を
開かれる思いがした。君側の奸を屠れと訴え暴れている者自身
が、君側の奸と化す、この逆説の瞬間を、菊竹は捕まえている。
菊竹は満州政策に賛成していたようだ。殺された犬養とも親交
があった。様々な利害の渦中で書かれた文章は、利害の中で揉
まれたからこそ、他に類を見ない重みを持ったのだろうか。
菊竹六皷の場合、「それは国民に対する挑戦か否か」という基
準、「常識」といってもいい平明な基準があったから、軍部に
も世論にも抵抗できたのだろう。この基準は、21世紀のわが
国では既に古くなったのだろうか。古いのならば、新しい基準
はどのようなものだろうか。そもそも基準はあるのか。
軍の暴走を、「国民に対する挑戦」と認識し、それを新聞とし
て取り上げるべき問題と評価し、現実の原稿にする。株主も、
経営陣も、広告も、営業も、その編集意志を守る方向に動き、
一歩も退かない。
このような実例があったことに驚く。そして、福岡日日の奮闘
を驚きだと感じるほど鈍くなった、ぼく自身の現実に驚く。
freespeech21@yahoo.co.jp
http://www.emaga.com/info/7777.html
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▼数日前、歩きながらくしゃみをしたら、くしゃみの仕方が悪
かったのか、その衝撃がモロに心臓に来て、しばらく心臓が痛
い。どーん、という感じで、いやー驚いた。なんだありゃ。
▼二・二六事件は、どうも気に食わない、命令に従うしかない
兵隊に何やらせてんだよ、やるなら自分らだけでやれよ、五・
一五事件の青年将校たちのように。
と、いつものように右上の日付を打ち直した時に思ってたら、
産経新聞の2月27日付に、1952年7月、旧軍幹部らが吉
田茂首相の暗殺計画を練っていた、という記事が載っていた。
奇遇な暗殺つながり。
暗殺計画の存在はCIA文書で明らかになったそうだが、当時
GHQ内部で覇権争いがあったから(いわゆるG2=参謀部第
2部とGS=民政局との対立)、文書そのものの内容がどこま
で信憑性があるかアヤシイ。
もし計画があったのだとしたら、五・一五や二・二六の時と、
アメリカ占領下の動きとで、「動機」にどのような違いがある
のか、そこに興味がある。
▼五・一五事件の檄文には、
天皇の御名に於て君側の奸を屠れ
という有名な言葉がある。
天皇制が存在する以上、必ず君側の奸が生まれるだろう。また
、天皇陛下の御名に於てという一言が、無数の君側の奸を生ん
だだろう。様々な次元・分野で皇道派や統制派が生まれただろ
う。
翌6月には、衆議院が満州国承認決議を満場一致で可決。
同月、警視庁に特別高等警察部設置を公布。
12月には、全国132新聞社が満州国独立支持の共同宣言を
発表している。
80歳近い犬養毅を殺した1932年5月15日が、議会政治
を殺し、軍閥政治とその崩壊を生む淵源になったとすれば、海
軍将校達自身が、はからずも君側の奸を演じたと言えるのかも
知れない。
▼今、君側の奸がいるとして、彼等を撃つためにはどんな力が
必要なのだろうか。無料のメールマガジンを発信している身と
しては、それは専ら言葉の力に拠る、と書きたいところだ。
しかし、最も影響力を持っているのはテレビであり、その次に
大新聞であり、えとせとら。なんといっても映像も含めた言論
の力(言論も含めた映像の力か)に優るものはない。
再びしかし、普段のマスメディアに接していても、どうも奸臣
の顔は浮かんでこない。そもそも現在は、天皇制が存在するに
もかかわらず、君側の奸を表す言葉・表現が無くなってしまっ
た。不思議なことだ。或る政治問題が悪化した場合、その都度
、君側の奸にあたる表現を探すところから始まる。彼らの素顔
に辿り着くまでの道は迂遠だ。
不偏不党と言い公正中立と言いながら、問題の輪廓はぼやけ、
核心は時間と情報の海に流される。感情と理性を注ぎ込む焦点
を定めにくい。君側の奸を撃ちにくい時代だ。
いや、もしや民主主義の世の中だから、常に国民の隣にいる、
マスメディア自体が君側の奸と化しているのかも知れない。
いやいや、皇室を敬愛する他でもない国民自身が、時に応じて
君側の奸と化しているのかも知れない。
▼君側の奸を撃つ大義名分を、檄文は綴る。
政権党利に盲ひたる政党と
之に結托して民衆の膏血を搾る財閥と
更に之を擁護して圧政日に長ずる官憲と
軟弱外交と
堕落せる教育と
腐敗せる軍部と
悪化せる思想と
塗炭に苦しむ農民、労働者階級と
而して群拠する口舌の徒と
怒りの表現・行動において、五・一五事件から75年経ったわ
が国は進歩しただろうか。怒りの暴発を批判する言論表現にお
いては、どうだろうか。両方とも、退歩していないだろうか。
▼「偉大なる建設の前には徹底的な破壊を要す」。軍人による
政府高官殺害という暴力が起きた時、少なくとも五・一五事件
の際は、福岡日日新聞(現・西日本新聞)の編集局長に、菊竹
六皷がいた。
http://www.u-shizuoka-ken.ac.jp/~maesaka/021226_contents/040322_kikutakrroxtukonotatakai.pdf
彼は事件直後から6日連続で軍部批判の論説を書く。しかも第
一報は、なるべく早く読者のもとへ意見を届けるため、夕刊に
載せている。
16日付夕刊「首相兇手に斃る」
17日付朝刊「あえて国民の覚悟を促す」
18日付朝刊「宇垣総督の談」
19日付朝刊「騒擾事件と与論」
20日付朝刊「当面の重大問題」
21日付朝刊「憲政の価値」
6日間も続けて軍人の凶行を批判した新聞は、福岡日日の他に
一紙も無かったそうだ。菊竹は、当時の東西の朝日新聞等、早
々に腰砕けになった同業者たちを容赦なく叩いている。
福岡日日は連日、軍部や国粋主義者たちによる直接の脅迫、抗
議の電話・手紙に追われた。軍の飛行機が社屋の頭上で急降下
し、威嚇を繰り返すこともあったそうだ。しかし福岡日日は編
集権の独立を守り、経営も営業も社を挙げて軍部批判の主張を
通しきった。
▼特に17日付の菊竹の論説は、軍部を激昂させた。
----------------------------
何人といえども、今日の議会、今日の政治、今日の選挙、今日
の政治家に満足するものはない。そこに多くの腐敗があり、欠
陥があり、不備不足があることは事実である。
にもかかわらず、ゆえにわれわれは、ただちに独裁政治に還え
らねばならぬという理由はない。ファッショ運動に訴えねばな
らぬという理由はない。独裁政治が、今日以上の幸福を国民に
与うべしと想像しうべき寸毫の根拠もない。ファッショ運動が
、日本を救うべし、と信じうべきなんらの根拠もない。
(中略)
これらの過誤欠陥を補正しつつ、立憲代議政体の大道を静かに
進むまでである。
しかも今日においてはこの大道を静かに進むことすら、けっし
て容易ではないようである。
(中略)
国民に対する挑戦に向っては、断々乎としてこれを排撃するの
堅き決心を懐かんことを要求せねばならぬ。
----------------------------
ぼくはこの論説を知ったとき、五・一五事件を明快に「国民に
対する挑戦」と位置づけ、全力で応戦しているところに、目を
開かれる思いがした。君側の奸を屠れと訴え暴れている者自身
が、君側の奸と化す、この逆説の瞬間を、菊竹は捕まえている。
菊竹は満州政策に賛成していたようだ。殺された犬養とも親交
があった。様々な利害の渦中で書かれた文章は、利害の中で揉
まれたからこそ、他に類を見ない重みを持ったのだろうか。
菊竹六皷の場合、「それは国民に対する挑戦か否か」という基
準、「常識」といってもいい平明な基準があったから、軍部に
も世論にも抵抗できたのだろう。この基準は、21世紀のわが
国では既に古くなったのだろうか。古いのならば、新しい基準
はどのようなものだろうか。そもそも基準はあるのか。
軍の暴走を、「国民に対する挑戦」と認識し、それを新聞とし
て取り上げるべき問題と評価し、現実の原稿にする。株主も、
経営陣も、広告も、営業も、その編集意志を守る方向に動き、
一歩も退かない。
このような実例があったことに驚く。そして、福岡日日の奮闘
を驚きだと感じるほど鈍くなった、ぼく自身の現実に驚く。
freespeech21@yahoo.co.jp
http://www.emaga.com/info/7777.html
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ベルトコンベアーだの、産む機械だの、過労死は自己管理の問題だの、ババアは生物学上不要だの、色々。
(あんまり有って、一寸中々全部は直ぐに思い出せないが…。)