(「青春の影(1)」より続く)
ところが、その先のエンディングの歌詞を読むと、自分の解釈が合っているのかどうか、よく分からなくなってくるのです。
♪♪♪
君の家へつづくあの道を 今足もとにたしかめて
今日から君はただの女 今日から僕はただの男
ポイントは「今日から君はただの女 今日から僕はただの男」という部分です。
「これからも、君の家へ続く道を、一歩一歩足もとを確かめながら歩いていくんだ」と最後にもう一度、力強く宣言して終わるのかと思いきや、「君はただの女」「僕はただの男」という予想外の言葉で終わっています。
何となく「今日から二人はそれぞれ別々の道を進んでいく」と言っているようにも聞こえませんか?
最後の最後で、「あれっ? 結局この二人はどうなったの? 別れたの?」と「?(クエスチョン・マーク)」が並んでしまいます。
しかし先日ついに、この疑問に対する答えを、作詞者本人の言葉で聞く機会が訪れました。(^^)v
5月22日の中日新聞夕刊に掲載された財津和夫さんの『この道』第25話「平凡が最高」の中で、彼自身が次のように語っています。
「この曲では、単純に、主人公である男の成長を歌にしてみようと思ったんです。」
「2人の関係が表面的な『恋』から、魂レベルでつながるような『愛』に変わっていく。いい意味で社会に流されて大人になった2人が、成長を経て結ばれるわけです。」
「結婚って、平凡に納まることじゃないですか。ありふれた『ただの女、ただの男』になることが確かな幸せにつながると、言いたかったのです。」
「平凡であることが最高のことだと、若い頃から考えてきたのです。」
なるほど、「ただの女、ただの男」という言葉にはそういう意味が込められていたんですね。
ホッとひと安心。(*^^*)
というのは、「別れの歌? それはあり得ない」という確信がどこかにあったからです。
それは実際にこの曲を何度も歌ってみると分かるのですが、歌っていて一番力が入るのは、「君の家へつづくあの道を~」という部分です。
1番で「君を幸せにするそれこそが これからの僕の生きるしるし」と宣言する。
2番では、やや冷静に客観的な立場から女性の成長過程を分析する。
歌い方を簡単な強弱記号で表すとすれば、1番は「フォルテ(強く)」、2番は「ピアノ(弱く)」でしょう。
そしてエンディングの「君の家へつづくあの道を~」という歌詞は、やはり1番の延長線上にあると考えられるので、自然に1番をさらにパワーアップさせて「フォルティッシモ(とても強く)」で歌ってしまいます。
そうやって歌っているうちに、「この歌は別れの歌じゃない。『ただの女 ただの男』という言葉には、何かかなり強いプラスのメッセージが込められているに違いない」と考えるようになったのです。
一組の男女が「ただの女、ただの男」になる。
それは、お互いにとって最高のパートナーに巡り合えたということ。
青春の影。
久しぶりに歌ってみたくなりました。(^O^)♪
ところが、その先のエンディングの歌詞を読むと、自分の解釈が合っているのかどうか、よく分からなくなってくるのです。
♪♪♪
君の家へつづくあの道を 今足もとにたしかめて
今日から君はただの女 今日から僕はただの男
ポイントは「今日から君はただの女 今日から僕はただの男」という部分です。
「これからも、君の家へ続く道を、一歩一歩足もとを確かめながら歩いていくんだ」と最後にもう一度、力強く宣言して終わるのかと思いきや、「君はただの女」「僕はただの男」という予想外の言葉で終わっています。
何となく「今日から二人はそれぞれ別々の道を進んでいく」と言っているようにも聞こえませんか?
最後の最後で、「あれっ? 結局この二人はどうなったの? 別れたの?」と「?(クエスチョン・マーク)」が並んでしまいます。
しかし先日ついに、この疑問に対する答えを、作詞者本人の言葉で聞く機会が訪れました。(^^)v
5月22日の中日新聞夕刊に掲載された財津和夫さんの『この道』第25話「平凡が最高」の中で、彼自身が次のように語っています。
「この曲では、単純に、主人公である男の成長を歌にしてみようと思ったんです。」
「2人の関係が表面的な『恋』から、魂レベルでつながるような『愛』に変わっていく。いい意味で社会に流されて大人になった2人が、成長を経て結ばれるわけです。」
「結婚って、平凡に納まることじゃないですか。ありふれた『ただの女、ただの男』になることが確かな幸せにつながると、言いたかったのです。」
「平凡であることが最高のことだと、若い頃から考えてきたのです。」
なるほど、「ただの女、ただの男」という言葉にはそういう意味が込められていたんですね。
ホッとひと安心。(*^^*)
というのは、「別れの歌? それはあり得ない」という確信がどこかにあったからです。
それは実際にこの曲を何度も歌ってみると分かるのですが、歌っていて一番力が入るのは、「君の家へつづくあの道を~」という部分です。
1番で「君を幸せにするそれこそが これからの僕の生きるしるし」と宣言する。
2番では、やや冷静に客観的な立場から女性の成長過程を分析する。
歌い方を簡単な強弱記号で表すとすれば、1番は「フォルテ(強く)」、2番は「ピアノ(弱く)」でしょう。
そしてエンディングの「君の家へつづくあの道を~」という歌詞は、やはり1番の延長線上にあると考えられるので、自然に1番をさらにパワーアップさせて「フォルティッシモ(とても強く)」で歌ってしまいます。
そうやって歌っているうちに、「この歌は別れの歌じゃない。『ただの女 ただの男』という言葉には、何かかなり強いプラスのメッセージが込められているに違いない」と考えるようになったのです。
一組の男女が「ただの女、ただの男」になる。
それは、お互いにとって最高のパートナーに巡り合えたということ。
青春の影。
久しぶりに歌ってみたくなりました。(^O^)♪
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