窪田恭史のリサイクルライフ

古着を扱う横浜の襤褸(ぼろ)屋さんのブログ。日記、繊維リサイクルの歴史、ウエスものがたり、リサイクル軍手、趣味の話など。

松本城

2009年10月21日 | 史跡めぐり


 今更なのですが、日本三大名城で唯一訪れたことのなかった松本城へついに行って来ました!

 残る姫路城熊本城については既にこのブログでもご紹介していますが、松本城だけは16年前にバスで目の前を通り過ぎたことがあるだけで訪れたことがなかったのです。

 三大名城でどれが一番美しいと思うかについては好みがあろうと思いますが、僕は石垣の美しさでは熊本城、天守閣の美しさでは松本城に軍配を挙げます。姫路城は現存する建物が多いこと、縄張りの複雑さなど総合力で優れていると思います。



 松本城は姫路城や犬山城などと共に、天守閣が現存する日本でも数少ない城の一つです。石川数正の息子、石川康長によって1593年頃現存する松本城が築城されました。時は、豊臣秀吉が小田原北条氏を滅ぼし天下統一を成し遂げた直後、天下を統一したとはいえまだまだ戦国の只中にある頃です。

 小田原攻めの後、秀吉は徳川家康を関東に封じました。その直後に元は家康の腹心であった数正を松本城主とし、これほど大規模な城を築かせたということは、秀吉がいかに家康の力を警戒していたかということを示しています。



 まして松本を含む信州は、武田氏滅亡後は家康の支配下にあった土地ですから豊臣政権にとって松本城は戦略上極めて重要な役割を担っていたと言えるでしょう。またそれは徳川政権になってからも同様で、徳川の天下になって以降の松本城主は松平氏、堀田氏、水野氏など、いずれも親藩ないし譜代の家臣が歴任しています。



 したがって、松本城は姫路城と同様、軍事目的で作られた城ですから、天守閣内部は写真のように殺風景で、石落としや鉄砲狭間、スライドして外からの攻撃を遮断する「武者窓」など、戦を想定した構造になっています。姫路城もそうでしたが、城は敵の侵入を防ぐのが目的ですから、バリアフリーなどとは程遠い建物です。特に松本城天守閣の階段は急で、最大50度近くにもなるものがありますので、女性や高齢の方は注意が必要です。

 

 天守閣内部は戦国時代の具足や出土した瓦などが展示されています。



 上の写真は天守閣の屋根に飾られている鯱です。木造建築である城にとって、最も恐れられていたのは雷と火災でした。鯱は中国の伝説上の動物である「魚虎」がもともとで、雨を降らせ火災を防ぐ力があると信じられていたことから、城の屋根に鯱が用いられるようになったと言われています。

 鯱は口を開けている方と閉じている方、つまり「阿吽(あうん)」で一対になっています。これは神社の狛犬と同じで、「阿」が雌、「吽」が雄であると考えられています。上の写真では左が「阿」で右が「吽」です。 



 また、松本城の内部は銃砲のコレクションが豊富でした。上の写真の火縄銃に、

 

 17世紀初頭、ちょうど大阪夏の陣の頃の大筒。右側の写真は、火縄銃の玉を鋳造する道具です。

 

 変り種としては、小刀を模して中が小型の鉄砲になっている「脇差鉄砲」(写真左)、十手と小銃が一体となった「十手鉄銃」なんていう物もありました。今で言うならスパイ映画に出てくる小道具のようなものですね。その実用性の程は疑問ですが、昔の人もこういうことを考えていたのは面白いと思います。



 天守閣五階の「御座所」。篭城戦の際、城主が最後に立てこもる場所とされており、他の階より柱なども磨かれた造りになっています。

 

 ようやく最上階の望楼にたどり着きました。松本城は外見上、層塔型天守のように見えますが、実際は望楼型天守です。



 最後は大天守を降り、辰巳附櫓を通って松本城の特徴の一つである、月見櫓へ。他の写真と比べれいただければお分かりのように、月見櫓は窓が大きく、日の光が良く入るので、非常に明るくなっています。これは、月見櫓が太平の世になってから増築された、軍事的機能を持たない櫓であるためです。



 月見櫓は三代将軍徳川家光を松本城に迎えるために建てられたそうで、櫓からの景色も非常に美しく、恐らくこれから紅葉がより美しく映えるであろうと思います。因みに、家光の行幸は結局中止となり、家光が月見櫓を使うことはありませんでした。

 以上、松本城ですが、この非常に美しい連立式の城は見る角度によって様々な表情を見せるので、冒頭の写真を選ぶときどれにしようか本当に迷いました。採用しなかった写真についてはYou Tubeに納めましたので、どうぞご覧ください。

松本城



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ECショップサイト「ECOSOPHY」オープンのお知らせ

2009年10月20日 | リサイクル(しごと)の話


 当ブログでもアクセスの非常に多かった「クリアフィールド・ウォーター」や、しばしば「ネットで買えるところはないのか」とのご要望をいただいておりました「特殊紡績手袋 よみがえり」などが、この度オンラインでお求めいただけるようになりました。

 ECショップサイト「ECOSOPHY」では、ウエス・手袋・マットなど古布を活かしたアイデア商品のほか、ナカノ株式会社が製造業の現場で培ってきた半世紀に及ぶノウハウの中から、広く一般の方にも便利と思われる「おすすめ商品」などを手軽にお求めいただけます。

 ECショップサイト「ECOSOPHY」は当社の創業75周年記念プロジェクトの一環として、本日10月20日に合わせて準備を進めてまいりました。10月20日は、「1020」で「ひとまわり、ふたまわり」と読み、私たちが1980年から提唱し続けている「リサイクルの日」でもあります。

開店時間は本日午前10時です。

 ECショップサイト「ECOSOPHY」は当ブログの「ブックマーク」からもアクセス可能です。今後とも繊維リサイクルの普及、発展にお力を賜りますよう、宜しくお願い申し上げます。

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地中海の女王、カルタゴの滅亡

2009年10月19日 | レビュー(本・映画等)
  友人に教えてもらい、東京大丸ミュージアムで10月25日まで開催されている「古代カルタゴとローマ展」を観に行ってきました。かつてその巧みな航海術と交易で地中海に君臨したフェニキア人の通商国家「カルタゴ」。戦史上に燦然と輝く名将ハンニバルを生み、「地中海の女王」と称えられたカルタゴが歴史の彼方に消えていった経緯には多くの教訓があると以前から感じていました。

  今日は『興亡の世界史03 通商国家カルタゴ』(栗田伸子、佐藤育子:講談社)より、カルタゴ滅亡までの経緯を追ってみたいと思います。

  第二次ポエニ戦争(前219年~前201年)の緒戦、戦史上名高いカンナエの戦い(前216年)でローマ軍を完膚なきまでに殲滅し、南イタリアを完全に制圧したかに見えたハンニバルでしたが、そこから何故か戦局は長い膠着状態に陥ります。「戦争は他の手段をもってする政策の延長に過ぎない」と喝破したのは19世紀、プロイセンの軍学者クラウゼビッツでしたが、そもそもローマとの軍事的勝利によって達成する政治目的が何であるのか、ハンニバルにとってもカルタゴ政府にとっても不明確であったようです。つまり「政策の延長としての戦争」になっていなかった事が、現在でも会戦の金字塔として、軍事学の教書に必ず取上げられるほどの大勝利であったカンナエの戦いを活かしきることができず、そればかりかカルタゴの滅亡を招いた最大の要因であったように思います。

  ハンニバルはイタリア本土を攻撃することによって、ローマの支配体制そのものを崩壊させることができると期待したようですが、実際にはそうはならず、カルタゴは自国が有利な局面での戦争の早期終結の機会を逸してしまいました。

  「政治目的の欠如」はその後もカルタゴのちぐはぐな対応となって、至るところに表れます。まず、南部イタリアにおけるハンニバルの決定的大勝利、またハンニバルの再三にわたる要請にもかかわらず、カルタゴ政府は南イタリアに援軍を送りませんでした。ローマという大敵を目前にしながら、本国内部の政争にあけくれた結果でした。ハンニバル自身が「ハンニバルを打ち負かしたのはローマ人ではなくカルタゴ元老院の悪意と中傷だ」と言ったように、自国の内部にいる者が進んで国を滅亡に追いやった例は、歴史上枚挙に暇がないのです。

  一方、西方のイベリア半島戦線においても、前211年にローマのスピキオ兄弟を破り壊滅状態に追い込んだにもかかわらず、今度はカルタゴ軍内部の内紛によって決定的な勝機を逸してしまいます。その後、カルタゴはイタリア、スペイン、アフリカ全ての方面において敗走の一途を辿ることになります。

  前202年、北アフリカのザマにおいてハンニバルは大スキピオに敗れ(ザマの戦い)、第二次ポエニ戦争は終わりを告げます。ローマの講和条件を受諾した結果、カルタゴは10隻を除く全軍船の引渡し、戦象の引渡し、アフリカの外のいかなる民族に対しても戦争をしないこと、アフリカ内部でもローマの承認なしには戦争をしないこと、賠償金として50年賦で銀10,000タラントを支払うこと、などの過酷な条件が課せられました。

  ところが第二次ポエニ戦争の後、わずか50年の間にカルタゴは再び奇跡的な復興を遂げます。商品作物の生産や商工業が再び発展し、特に仇敵ローマとの盛んな貿易によって巨富を築きました。戦後課せられた50年賦10,000タラントもの賠償金を敗戦後わずか10年で一括払いしようと申し出たという逸話はカルタゴの戦後復興と繁栄振りを窺わせます。

  第三次ポエニ戦争(前149年~前146年)が何故起こったのか、大カトーの有名な言葉を借りれば、何故「カルタゴは滅ぼされなければならなかった」のかについては諸説がありますが、カルタゴの繁栄がローマに危機感を与えたことと、第二次ポエニ戦争を契機としてローマが明確に地中海世界の覇権国家としての道を歩み始めたことが関係していることは確かなようです。

  とはいえ、昔も今も大義名分がなければ戦争はなかなか起こせません。ローマにつけいる隙を与えさせたのは、カルタゴの隣国ヌミディアとの交戦でした。第二次ポエニ戦争の後、カルタゴの隣国ヌミディアはカルタゴのアフリカ領を自国に併呑する野心を抱き、カルタゴの属領に侵攻しました。カルタゴはローマに調停を求めますが、ローマは態度を明らかにせず、結果としてこの属領はヌミディアに併呑されることとなってしまいました。この時、カルタゴ政界には「ヌミディアに領土問題で譲歩してもローマとの開戦を回避しよう」という親ヌミディア派が存在していました。しかし、ヌミディアが次にカルタゴのアフリカ領中枢部の領有を主張し始めると、カルタゴ内の対ヌミディア強硬派は親ヌミディア派を追放してしまいます。追放された親ヌミディア派はヌミディアに開戦を勧め、ヌミディア軍はカルタゴの都市を包囲しました。またしてもカルタゴは内部の造反者によって国難を迎えることになったのでした。

  ローマとの講和条件を堅持してきたカルタゴでしたが、国の中枢部が侵されるにあたってついに前150年、ヌミディアとの戦争状態に入りました。そしてこれが、ローマに開戦の口実を与えることになったのです。ローマの開戦準備を知ったカルタゴは狼狽し、戦争を回避するためローマとの交渉に入りますが、ローマは応じません。その後も交渉の過程で人質としてカルタゴ貴族の子弟300人を差し出す、あらゆる武器を引き渡すなど、無理難題を耐えローマの寛容に期待しましたが、ローマは武器引渡しが済むやカルタゴへの侵攻を開始したのです。ここでも政治目的の欠如したカルタゴと、明確な政治目的をもって臨むローマとの差は歴然でした。目的のない国家は歴史の必然として消え行く運命にあるのかもしれません。カルタゴはその後3年に及ぶ包囲戦を持ちこたえましたが、ついに前146年力尽き滅亡しました。市街は二度と復興できないよう、7日間に渡り完膚なきまでに破壊しつくされたといいます。

  カルタゴはその後、滅亡より102年後にローマの初代皇帝アウグストゥスによって再建され、やがて首都ローマ、アレクサンドリアと並ぶ帝国内で最も繁栄した都市の一つとなりました。「古代カルタゴとローマ展」ではその時の繁栄振りを物語るモザイクなどが展示されています。しかしそれらはあくまで「ローマのカルタゴ」であって、恐らくその当時のカルタゴ市民は、自分たちがポエニのカルタゴ人の子孫であるという自覚すらなかったことでしょう。やはり「地中海の女王」カルタゴは前146年で地上から消滅し、わずかに博物館や遺跡でその痕跡をとどめるのみとなったのです。

通商国家カルタゴ (興亡の世界史)
佐藤 育子,栗田 伸子
講談社

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エナジードリンク

2009年10月18日 | ダイエット日記


  トレーニングを続けるにあたっての悩みの一つに、「筋肉疲労が翌日の仕事に支障をきたす恐れがある」ということがあります。やはり体が疲れていると気力も上がらず仕事でよいパフォーマンスが出せませんし、運転中も眠くなるといったことがあります。特にトレーニングを開始した最初の2週間ぐらいは体が慣れていないために疲労が激しく、トレーニングを続けられるか否かはまずこの最初の2週間の山を乗り越えなくてはなりません。

 そこで僕がお勧めしたいのがエナジードリンク「ロックスター」です。コンビニで売っています。似たようなドリンクに「レッドブル」がありますが、個人的には「ロックスター」の方が効くような気がします。あくまで個人的感想ですが、トレーニングの翌日、何となく体がだるいときこれを飲むと随分楽になります。

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あべこうじさん、博多華丸大吉さん

2009年10月17日 | その他


 たまたま豚しゃぶ屋さんで呑んでいたら...。



 お笑い芸人のあべこうじさんと遭遇しました。



 博多華丸大吉さんも。

 ちょうど福岡の人達と集まっていたので、福岡繋がりということで博多華丸大吉さんには乾杯の音頭までとっていただきました。夜の東京で起きた、ちょっとしたハプニングです。

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デビー・ギブンソン...

2009年10月16日 | その他
 80年代を代表するスーパーアイドルだったデビー・ギブソン

Debbie Gibson - Lost in your eyes (live)

 ↑
 89年、ピッツバーグでのライブ映像を発見。

 ところで、下の「メガ・シャークVSジャイアント・オクトパス」という「キラートマト」を思わせるジャケットの映画。出演者に何と「デボラ・ギブソン」の名前が...。まさかとは思うのですが、彼女ですよね?

 自ら13歳の時に作詞・作曲した「ONLY IN MY DREAMS」で1986年に鮮烈なデビューを飾って以来、アルバムとしては2001年の「M.Y.O.B」を最後に、専らミュージカル方面で活躍していることは知っていましたが...。

 かつてのファンとしては少しショック 

メガ・シャークVSジャイアント・オクトパス [DVD]

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メガ・シャークVSジャイアント・オクトパス 予告編


 やっぱり本人でした。

 「驚愕」って、驚愕したのは僕の方です。

 DVD買おうかな...

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信玄餅の「桔梗屋」、工場見学

2009年10月15日 | その他


 山梨マルスワイナリーを出て、タクシーで「桔梗屋」さんへ向かいました。



 桔梗屋さんと言っても「一休さん」に出てくる「欲張りな桔梗やさん」のことではなく、今や山梨のお土産を代表する銘菓「信玄餅」の桔梗屋さんです。



ご存知のこととは思いますが、黄な粉をまぶした牛皮に黒蜜をかけて食べる、僕も子供の頃から大好きなお菓子です。

 この工場では、無料で「信玄餅」や「風林火山」などのお菓子を製造する工程を見学できる他、アウトレットショップも併設されていて、賞味期限が短い、多少変形しているなどの理由で市場に出ないアウトレット品を安く購入することができます。中でも人気の「お菓子詰め放題」(210円)はたちまち売切れてしまうそうです。

 和菓子屋さんと言えば、以前このブログでも「たねや」さんの本店に行った時のことをご紹介したことがありましたが、「桔梗屋」さんもいろいろと面白い工夫をされているようです。残念ながら工場見学は撮影禁止でしたので、ここではご紹介できませんが、工場の敷地内には業界初と言われる伝統の「工藝菓子」の美術館もあります。



 例えば、上の写真。この鮮やかな紅葉全てが和菓子の材料でできています。歳時に合った和菓子の芸術の数々をYou Tubeに収めましたのでご覧ください。

工藝菓子美術館





 工場見学を終えたところでちょうど15:00位になったので、工場併設の茶屋で山梨名物「ほうとう」(写真左)を食べることにしました。僕は祖母が山梨の出身であることもあり、ほうとうは子供の頃から馴染みがあるのですが、仕事で当社の山梨営業所に行ったときも必ず隣の食堂でほうとうを食べることにしています。因みに、写真右は「ほうとうの釜揚げ版」とも言うべきもので「おざら」と言います。朝から体がだるかったので、体を温め体内の毒素を抜くにはちょうどよかったかもしれません。

桔梗屋

山梨県笛吹市一宮町坪井1928



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山梨マルスワイナリー、試飲コーナー

2009年10月14日 | ワイン・日本酒・ビール
 マルスワイナリーの試飲コーナーは、自分で直接ワインを注いで試飲できる仕組みになっています。ワインだけでなく、お酒の飲めない方やお子さんのためにブドウジュースも用意されていますので、ご家族でも楽しめると思います。



 初めは「甲州スイートセレクション」。地元山梨のブドウ品種である「甲州」を使った、非常に甘口のワインです。アルコール度数は10%未満とワインとしても低く、注いだ時の粘性から、その糖度の高さが推察できます。強烈な果実の香りと蜜のような甘さと滑らかさがあります。



 「シャトーマルス 甲州三年熟成 蔵出し」。黄金色に輝く、同じく甲州を使ったワイン。非常に魅力的なワインではあったのですが、この日は残念ながらメンテナンスのため試飲できませんでした。逃したワインは余計輝いて見えます。



 「甲州辛口」。最初に非常に甘いワインを試飲してしまったので、口直しにもホッとする辛口。「甲州」の辛口ワインは国際的にも高い評価を得ています。この「甲州辛口」は「甲州」を100%使用、度数が14%未満あり、キレが良く和食に合いそうな仕上がりになっています。



 「御坂 マスカットベリーA 2008」。地元笛吹市御坂町の名を冠したワイン。御坂町は甲府盆地東部、御坂山塊を背後にしたゆるやかな金川扇状地に位置し、砂礫質と粘土質のバランスが良いブドウ作りに適した土壌です。なお、「マスカットベリーA」という黒ブドウも1927年に川上善兵衛がアメリカ産のベリー種とヨーロッパ産のマスカット・ハンブルグ種の交配に成功して生まれた品種です。

 「御坂 マスカットベリーA 2008」は御坂地区産のマスカットベリーAを主体に、穂坂地区産の「アリカント」をブレンドすることで、果実味豊かな口当たりと凝縮感を醸した、2008年収穫ブドウより初仕込み(プリムール)のワインです。それでも、それほど強い凝縮感はなく、マスカットベリーらしさは感じられるのではないかと思います。



 「ヴィニョ・デ・マルス セラー・セレクション」。口に含んだ瞬間にシェリーではないかと思ってしまいました。それもそのはず、発酵中のワインにブランデーと長期熟成ワインを加え、甕で熟成させたワインなのだそうです。シェリーのような上品な香りに、とろけるような甘さがあり、食前酒に良いのではないかと思いました。



 最後は「デラウェア にごり」。食用である「デラウェア」を100%使用し、非常に甘くてフルーティな、そしてどこか青リンゴのような爽やかさを併せ持つワインです。アルコール度数も8%未満と、まるでジュースのようなワイン。しかし、しつこい甘さはではないので、飽きが来ない仕上がりになっているのではないかと思います。クリスマスパーティ用に良いかもしれません。

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山梨マルスワイナリー

2009年10月13日 | ワイン・日本酒・ビール


  鹿児島の焼酎メーカー、本坊酒造さんが手がけるマルスワインのワイナリーです。以前、マルスウィスキーについては、「薩摩」と「駒ケ岳」という非常に優れたウィスキーをこのブログでも「Shot House High-Bridge」の記事でご紹介したことがありました。

  こちらでは工場見学のほか、無料でワインの試飲もできます。



  まず、工場正門を入るとすぐ左手に葡萄の木があります。上の写真は白ワインで恐らく最も有名なブドウ品種であるシャルドネです。



  こちらも恐らく赤ワインでは最も知られたブドウ品種、カベルネ・ソーヴィニョン。僕も好きな品種です。



  そしてこちらはネヘレスコールという、聖書にも登場する、世界最大かつ最古と言われる白ブドウです。写真で見てもお分かりのように、ブドウの一房が非常に大きく、中には一房10kgという記録があるそうです。糖度は20度あるそうですが、観賞用であり食用ではないようです。



  工場の中も無料で見学できます。上の写真は、フレンチオークの熟成樽です。



  ワインの熟成方法は樽熟成ばかりとは限らず、瓶熟成やタンク熟成などがありますが、上の写真は甕熟成のワインです。マルスワイン創業年以来、毎年のワインが貯蔵されており、有料ですが試飲できます。1961年以降にお生まれの方であれば、自分の誕生年のワインを試飲することもできます。



 当然ですが、年代が古くなるほど甕の大きさは小さくなります。新しいものでは人の背丈近くもある甕が、一番古い1961年の甕になると普通によく見る酒甕よりやや大きいくらいの大きさになります。



  ワインの貯蔵室です。その他、瓶の洗浄ラインやボトリングのラインなどの機械設備も見ることができますが、写真で見ても何が何だか分かりませんので、割愛することにしました。

  さて、次回は試飲へと続きます。

本坊酒造㈱山梨マルスワイナリー

山梨県笛吹市石和町山崎126



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山梨の石和温泉へ

2009年10月12日 | その他


  8日の夕方頃熱を出し、翌日医者で薬をもらい熱は下がったものの、何となく体がだるく、軽い頭痛もする中、キシリア・ザビのような出で立ちで山梨の石和温泉に行ってきました。

 こんなご時勢なので念のため医者で診察してもらいましたが、風邪による発熱であり、新型インフルエンザではありませんでした。

 尤も、今回の旅の主目的は石和温泉ではなく信州の松本城へ行くことだったのですが、この日は早朝に子供の学校へ行かなければならず、一気に松本まで行くのも大変そうだったので、少し手前の石和で一泊し、ついでにちょうど季節なのでワイナリーの一つでも見学していこうと計画したのでした。

 石和に到着した晩、湯温の余り高くない温泉にゆっくり浸かり、19:30頃から翌朝まで死んだように眠りました。それが良かったのか、翌日には体調もすっかり回復していました。用心して家に篭っているよりかえって良かったのかも知れません。



 ちょうどお昼前ぐらいに石和温泉に到着。宿に車を置き、すぐ近くのワイナリーへ向かいました。宿からワイナリーまで歩いて10分とかからないところなのですが、途中で貴石の卸問屋があり、見学自由だというのでちょっと寄ってみました。



 山梨はかつて甲州金の産地、その金で武田信玄が勢力を拡大したことで知られていますが、金だけでなく水晶など貴石の産地でもあります。

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