さて、トロッコ列車は幸い一番後ろ5号車の「リッチ号」というオープンデッキの車両に乗ることができました。嵯峨野トロッコ列車は、旧山陰本線を利用してトロッコ嵯峨駅からトロッコ亀岡駅までの7.3キロメートルを約25分で結び、途中保津峡の大変美しい景観が楽しめます。車掌さんの小気味の良いガイドは子供にも楽しめると思います。
トロッコ亀岡駅からさらにバスで10分ほどで保津川川下りのスタート地点に到着しました。もともとこの川下りは下流にある京都や大阪に物資を輸送する水運で、長岡京のころから既にあったと言われています。
現在の川下りの元になるのは江戸時代初期、京都の豪商角倉了以によって木材・米・麦・薪炭などが高瀬舟によって運ばれる水路が整備されたことに始まります。明治になり鉄道が整備され、また戦後トラック輸送が盛んになるにつれ、輸送インフラとしての保津川はその役割を終えましたが、保津峡の美しい景観を利用して現在では観光遊船として舟下りが行なわれています。
現在でも狭い渓谷で巨岩に囲まれた保津川を江戸時代初期に開削したことについては、かなりの巨費と犠牲を払ってなされたであろうことは想像に難くありません。昔の豪商はただ利益を上げればというのではなく、インフラの整備まで自ら行なっていたのだと考えると効率だけでない経済のあり方というのも一考に値するのではないかと思います。
この川下り、船に乗るまで1時間10分待ちでした。船頭さんの冗談もお客さんのツッコミも慣れたもので、関西の人達は本当に場を楽しませる、また自分も楽しむのが上手だと思います。
繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
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トロッコ亀岡駅からさらにバスで10分ほどで保津川川下りのスタート地点に到着しました。もともとこの川下りは下流にある京都や大阪に物資を輸送する水運で、長岡京のころから既にあったと言われています。
現在の川下りの元になるのは江戸時代初期、京都の豪商角倉了以によって木材・米・麦・薪炭などが高瀬舟によって運ばれる水路が整備されたことに始まります。明治になり鉄道が整備され、また戦後トラック輸送が盛んになるにつれ、輸送インフラとしての保津川はその役割を終えましたが、保津峡の美しい景観を利用して現在では観光遊船として舟下りが行なわれています。
現在でも狭い渓谷で巨岩に囲まれた保津川を江戸時代初期に開削したことについては、かなりの巨費と犠牲を払ってなされたであろうことは想像に難くありません。昔の豪商はただ利益を上げればというのではなく、インフラの整備まで自ら行なっていたのだと考えると効率だけでない経済のあり方というのも一考に値するのではないかと思います。
この川下り、船に乗るまで1時間10分待ちでした。船頭さんの冗談もお客さんのツッコミも慣れたもので、関西の人達は本当に場を楽しませる、また自分も楽しむのが上手だと思います。
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