「大猷院」とは徳川家光の法号で、ここは家光の廟所です。家光は祖父家康を深く尊敬し、1651年(慶安4年)の亡くなる間際、「死後も東照大権現にお仕えする」という遺言を残したそうです。その遺志を受け、4代将軍家綱により、1652年(承応2年)に大猷院が完成しました。そうしたことから、大猷院の建物は東照宮の方を向いており、家光の家康に対する深い思慕をあらわしています。
また、大猷院は東照宮を凌いではならないという遠慮から多少控えめに作られたそうですが、それでも御水舎でさえ上の写真のような絢爛ぶり。徳川最盛期の繁栄を窺わせます。
まず仁王門。密迹金剛、那羅延金剛、二体の仁王像によって守られています。確かに、この門だけ見れば簡素かなという気がするのですが、
つづく二天門は決して陽明門に劣らぬ豪華さです。しかもこの二天門は日光山内では最大の門とされ、大きさにおいては陽明門を凌ぎます。
二天門は表側に持国天(写真左)と広目天(写真右)を安置し、
裏には風神と雷神を安置しています。
二天門から夜叉門へと続く石段。ここを天上界と地上界の境界と見立てています。確かにここから下の燈籠群を見ていると、天上から地上界を見下ろしているような感じがします。
夜叉門。東西南北をあらわすカラフルな四体の夜叉を安置していることから夜叉門と呼ばれます。廻廊の彫刻は確かに東照宮よりは簡素といえます。
唐門とその奥の拝殿。拝殿内部は撮影禁止でしたが、狩野探幽と永真による唐獅子の壁絵や天井には狩野一門による合作と伝えられる140もの龍が描かれ、こちらも東照宮の拝殿に劣らぬ素晴らしさです。また、家光の甲冑も展示されています。
失敗したのは、ここで引き返してしまい、奥院への入口にある皇嘉門というユニークな門を見損ねたことです。下調べをしない僕の欠点が出てしまいました...。さらに言えば、ここから西参道を通って降りたため、輪王寺の薬師如来像も見損ねてしまいました。「少しのことにも先達はあらまほしきことなり」といったところでしょうか。
繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
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こちらこそ、その節はありがとうございました。おかげ様で楽しい日光の思い出となりました。
日光が意外と近いことも分かりましたので、ぜひまた行きたいと思っております。
ブログをご覧いただきありがとうございました。今後ともどうぞよろしくお願い致します。
窪田恭史