窪田恭史のリサイクルライフ

古着を扱う横浜の襤褸(ぼろ)屋さんのブログ。日記、繊維リサイクルの歴史、ウエスものがたり、リサイクル軍手、趣味の話など。

彦根城(金亀城)②

2014年05月26日 | 史跡めぐり


  表門山道。訪れた皆さんは、結構この階段でバテておられたようです。このところ習慣的に運動するようにしていたのは幸いでした。



  城は防御を目的に築かれるものですから、石段も形が不ぞろいだったり、段の高さや幅がまちまちです。したがって、結構疲れるんですね。



  鐘の丸。築城当初、鐘楼がここにあったため、鐘の丸と呼ばれています。ここにはかつて大広間や御守殿がありました。



  天秤櫓。大手門山道と表門山道の合流地点を見下ろすように築かれた堅固な櫓。中央に門を配し、両端を二階建ての櫓が守りを固めています。その姿が天秤のように見えることから、天秤櫓と呼ばれますが、日本の城郭でこのような形式の櫓を持つのは彦根城のみです。井伊家の歴史書である『井伊年譜』には、この櫓が長浜城大手門を移築したものであると記されており、解体修理の折にも移築されたものであることが確認されていますが、長浜城大手門であったかどうかは不明です。



  天秤櫓は1854年(嘉永7年)に大規模な修理が行われており、その結果、写真右側が築城当時の石垣である「牛蒡積み」であるのに対し、写真左は切石を積み上げた「落とし積み」となっています。牛蒡積みは一見粗雑ですが、堅固な石垣です。



  天秤櫓にかかる廊下橋。非常時にはこの橋を落とし、敵の侵入を防ぎます。

 

  その他にも天秤櫓には防御のための工夫が凝らされています。例えば、門には敵が扉に梃を差し込むのを防ぐ「蹴放」(写真左)と門扉を持ち上げようとしても押さえつける「まくさ」(写真右)が仕組まれています。



  天秤櫓より佐和山(正面)を望む。眼下の建物群は表御殿を模した彦根城博物館です。

 

  時報鐘。鐘の丸では鐘の音が城下に届かなかったため、さらに上の太鼓門櫓手前に移されました。現在は時報鐘の管理棟が聴鐘庵というお茶屋さんになっています。



  太鼓門櫓・続櫓。本丸の表を固める櫓門で、これも移築と伝えられます。



  表側は堅固ですが、裏側に回ると高覧つきの廊下によってむき出しになっている珍しい造りです。

<つづく>

彦根城

滋賀県彦根市金亀町1-1



繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした

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