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窪田恭史のリサイクルライフ

古着を扱う横浜の襤褸(ぼろ)屋さんのブログ。日記、繊維リサイクルの歴史、ウエスものがたり、リサイクル軍手、趣味の話など。

パムラクラキン・フォレスト・トレイル①

2012年05月07日 | 海外での出来事


  当社の工場がある、フィリピン・スービック工業団地の敷地内にはフィリピンの原住民であるアニタ族の旧集落があります。上の写真は、アニタ族の子供達と。



  1991年のピナツボ火山大噴火により集落は失われ、現在アニタ族は新たな集落に移っていますが、今でもここパムラクラキン・フォレストでは、観光スポットとして森の民、アニタ族の風俗を知ることができます。



  ですから、元はこんな格好をしていたわけですが、今では普通にTシャツやジーンズを着用しています。しかし、森の恵みで生活の全てを営んできたアニタ族には、森に関する驚くべき知恵があり、今回はその一部をご紹介したいと思います。

  台湾の原住民である高砂族の知恵が旧日本軍の南方進出の為に役立ったという話は知っていましたが、同様にアニタ族のジャングルで生き残るための知恵も、アメリカ軍に活用されたそうです。



  まず、こちらは東南アジアでよく見られるジャックフルーツの木です。この木は果実が食べられるというだけでなく、葉の汁が沼のヒルを避けるのに有効だそうです。



  アニャタンの木。樹皮が腹痛に効くそうです。食べてみましたが、非常に苦い皮です。まさしく「良薬口に苦し」といったところ。



  ティビックの木。「水の木」とも呼ばれ、乾季で水が不足した場合、木の根に傷をつけ、その周りに穴を掘っておきます。すると夜の間に水がたまるということです。



  デリタの木。樹液はマラリアの薬になります。ただし、妊娠中は避けなければならないとのこと。



  パムラクラキンの木。この森の名を冠した木。葉が関節痛に効き、予防接種の代わりにもなるそうです。さらに花からは蜜が採れるという、万能の木といえます。

<つづく>

  繻るに衣袽あり、ぼろ屋の窪田でした
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プシュカル湖

2012年01月15日 | 海外での出来事




  ジョドプル(地点E)から東に向かい、インドにおけるイスラム教の聖地アジメールを抜けてプシュカルへと向かいました(地点F)。



  途中の山道から臨むアジメールの町並み。



  アジメールがイスラム教の聖地だとすれば、プシュカルはヒンドゥー教の聖地。ヒンドゥー教の世界創造神であるブラフマー神が手にしていた蓮の花びらが地上に落ち、そこに水が湧き出して誕生したとされるプシュカル湖の周りには、52のガトー(沐浴場)、400もの寺院があると言われています。



  写真では静かできれいなところに見えるのですが、お世辞にもきれいとはいえません。カルマを取るとか何とか言って怪しげなグルが祈祷してくれるのですが、その後、寄附だとか気持ちだとか色々理屈を付けては金を要求してきます。下手に家族の人数を言うと家族のカルマを取るので家族分の寄附(一人当たり2,000ルピー)を、と際限がありません。さらに、グルへのチップ(?)は別料金。断るものはハッキリ断った方が良いと思います。お金がどうというより、このおねだり攻勢に辟易しました。インドですから多少のことは意に介さないのですが、わざわざ山を越えて行くような場所ではないと思いました。

  この後、8時間かけてデリーへ戻り、今回のインド1,439kmの旅は終わりました。

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フォート・スィーンク・サガール

2011年12月30日 | 海外での出来事


  デオガールに到着して宿泊したのは、昨日ご紹介したデオガール・マハルではなく、そこから5kmほど離れた、湖の中の島にあるフォート・スィーンク・サガールでした。今回は知られざる、この素晴らしいホテルをご紹介したいと思います。



  途中でマンプラという羊飼い、牛飼いの住む小さな村こそ通りましたが、見渡す限りごつごつした岩だらけの荒野。今でこそ地続きですが、雨期にはここは陸地と切り離され、島になるそうです。



  そして眼前には湖沼が広がります。鳥の鳴き声しかしない、非常に静かなところです。

フォート・スィーンク・サガール


  このフォート・スィーンク・サガールは、デオガール家が18世紀に建てた離宮を2005年、元型の趣を残しつつ宿泊施設に改装したもので、部屋は4つしかありません。

 

  その部屋ですが、元々マハラジャの離宮だけあって、ラジャスターン様式の立派なもの。



  バスルームが地下にある部屋もありました。



  さらに部屋には湖沼を見渡す小さなプライベート・バルコニーがあります。カワセミなどの野鳥が見られ、鳥の鳴き声しかしない静けさ。朝起きて、ここでしばらく瞑想をしましたが、いつまでもそうしていたいほど癒される雰囲気でした。ここがあの喧騒と雑踏に包まれたインドであることが信じられません。



  中庭。中心部分が浅い池になっており、夏期はここに水を張るそうです。冬は代わりに焚き火をし、夕食はこの中庭でします。星空の下、焚き火のパチパチという音しかしない素晴らしい静寂でした。

  因みに、1泊2食付で8,500ルピー(12,000円弱)位だったと思います。



  お世話をしてくれた方と記念写真。彼の家は5代に渡って、このデオガール家に仕えているそうです。



  ここのオーナーで、デオガール・マハルに住むマハラジャの兄、ランドヒル・シングジ大佐(退役軍人)と共に。

  期せずして、われわれはこのフォート・スィーンク・サガールに宿泊した最初の日本人になりました。

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デオガール・マハル

2011年12月29日 | 海外での出来事




  ジャイプル(地点C)からさらに南西に下り、ちょうどアジメル(地点F)とウダイプルの中間くらいに位置するデオガール。湖を中心として荒野の真っ只中にできた街です(地図をクリックすると拡大します)。



  ここで見かける外国人観光客は欧米人ばかり。周辺にこれといった観光地がないためか、日本人の姿はありませんでした。今もマハラジャの末裔が住むデオガール・マハルへと続く町並みは、狭く入り組んでおり近世の面影を残しています。美しくはありませんが、雰囲気があります。

  インドにはマハラジャの宮殿や離宮をホテルに改装したパレス・ホテルが各地にあります。ここデオガール・マハルもその一つです。およそ300年ほど前、メワールの16貴族(注)の一つであったデオガールのラワット(=ラジャ)によって造られました。最盛期には、210の村からなる、ラジャスターン地方で4番目に大きな勢力を誇ったそうです。

注)ウダイプルのマハラーナ(マハラジャの中のマハラジャの意)に仕えた「ウンラオス」と呼ばれる最高位の貴族



  その宮殿の一部を50部屋からなるホテルに改装しました。宮殿の入口では、この地を治めたかつての支配者の絵が出迎えます。



  門の上は「カチェリ」という、かつて裁判が行われたところだそうです。



  2階の中庭。白大理石の玉座が見えます。かつてここは中庭ではなく、1階から3階まで吹き抜けでした。



  ここに宿泊はしませんでしたが、部屋を案内してもらうことはできました。かつての宮殿の豪華さをそのまま活用したロイヤル・スイート5室、デラックス・スイート23室、デラックス・ルーム22室となっています。



  マハラナ・スイートの一部。まさに宮殿そのものです。

  因みに、現在は部屋の一部として隠れてしまっていますが、デオガール・マハルには、ジャイプルのハワ・マハル(風の宮殿)のように小窓のたくさんある宮殿の跡があります。実はハワ・マハルを造ったサワーイー・プラタープ・シンは、幼少時代をここデオガール・マハルで過ごしたことがあるそうで、一説にはハワ・マハルはデオガール・マハルから着想を得て造られたと言われています。

デオガール・マハル


  その他の部屋も上の動画にまとめましたので、ご覧ください。

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アルシサール・ハヴェリ

2011年12月26日 | 海外での出来事




  11月30日の夜にジャイプル(地点C、地図をクリックすると拡大します)に到着。インドの知人の同級生がオーナーの息子というホテルに宿泊しました。入口は狭く、町のど真ん中の普通の家という感じで、最初はこれがホテルかと驚きましたが、中に入ってさらに驚きました。



  ここアルシサール・ハヴェリは、貴族の館をホテルに改装した、いわゆるヘリテージ・ホテルだったのです。

  今から500年以上前、アメールのマハラジャ、ウダイカランの孫であり、偉大な戦士でもあったマハラオ・シェクハジがシェクハワット家を創始しました。そのシェクハワット家の分家がラージプートのカチュワーハー家であり、ジャイプルを統治していた有力氏族でした。このアルシサール・ハヴェリは、1892年に建てられたカチュワーハー家の館(ハベリ)を1994年、ホテルに改装したものです。ということは、御曹司の彼はカチュワーハー家の末裔?



  伝統的なラージプートの建築様式を反映した、大変雰囲気の良いホテルです。実際、写真だけ見ると、後にご紹介する有名なジャイプールのシティ・パレスと見分けがつかないほどです。それにもかかわらず、シングル・ルームが1泊3,800ルピー(約5,320円)と大変お得。これは穴場ではないでしょうか。

アルシサール・ハヴェリ


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インドの結婚式③

2011年12月11日 | 海外での出来事


  リング・セレモニーの翌日、いよいよ正式の結婚式。彼らはジャイナ教徒ですが、ジャイナ教の坊さんによる儀式が終わって初めて、正式な夫婦として認められることになります。



  ラジャスターン地方では、ターバンを巻くのが正式。そこでわれわれも「なんちゃってターバン」で参列しました。あとで分かったことですが、周辺が砂漠で昼夜の寒暖差が激しいこの地方では、ターバンは頭を守るのに役立ちます。



  さて、今回もマーチングバンドを先頭に新郎側の親族があとから入場してきます。

 

  新郎側の行列は、花火やら踊りやらでなかなか前に進みません。



  かなりの時間が経ち、ようやくマハラジャの格好をした新郎が白馬に跨って現れました。



  最後はジャイナ教のお坊さん(?)がお経のようなものを読み上げ、様々な儀式を経て正式に結婚が成立しました。



  新婦側の親戚が一堂に会しての集合写真。おめでとうございます!

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インドの結婚式②

2011年12月10日 | 海外での出来事


  メヘンディ・セレモニーのあった夜、リング・セレモニーが行われました。つまり、エンゲージリングの交換です。



  スタイルとしては、新婦側の親族がセレモニーを主催し、新郎およびその親族は後から登場します。



  それまでの間、プロのダンサーによる踊りや



  軽業師の芸のような催し物が続きました。



  やがて、勇ましい音楽と共に新郎および新郎の親族が登場。



  指輪の交換自体は結構あっさりと終了しました。



  そこからが長かったのですが、主に新婦側の招待客(ほとんどは親戚ですが)が老若男女を問わず、次々とステージに登壇してはダンスを披露。これが延々と続きました。インドの人はこういう時のために、何か一つくらい踊れるようにあらかじめなっているのでしょうか?



  最後は再びプロのダンサーが登場。ラジャスターン地方の伝統的な踊り、「ラジャスターンダンス」が披露されました。衣装をみるとインドというより中央アジアを思わせますが、ここラジャスターンはジプシーのルーツなのだそうです。

<つづく>

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インドの結婚式①

2011年12月09日 | 海外での出来事


  インドで、知人の娘の結婚式に出席してきました。外国の結婚式参列は、3年前のフィリピン以来2度目になります。



  まず、新婦の地元であるデリーにて、プレ・ウェディング・パーティーが行われました。場所は、ロシャナラ・クラブというイギリス統治時代に作られたクラブです。正式な結婚式がジョドプルという、デリーから遠く離れたところで行われるため、デリーにいる知人に新郎・新婦を披露するという趣旨のようです。

  僕が新婦と初めて会ったとき彼女はまだ16歳でしたが、すっかり大人になって、時の経つのは早いなと思います。



  4日後、ラジャスターン州ジョドプルへ移動。上の写真は、ジョドプル郊外で見かけた象です。



  ジョドプルに入った翌日、日中にメヘンディ・セレモニーというのが行われました。メヘンディとは、ヘナと呼ばれる植物のペーストで描くボディ・ペイントのことで、ヘナ・タトゥーとも呼ばれます。



  インドの女性達は、おめでたい時には必ずこのメヘンディを施すらしく、特に結婚式には欠かせません。僕も記念にやってもらいました。



  何やら蛇のような不思議な模様です。ヘナが乾いたら水で洗い流します。



  すると、この通りメヘンディのできあがり。やってから教えてもらったのですが、1週間くらい落ちないとのこと。それを初めに言って欲しかったです。



  その後は、みな何をするでもなく、歌ったりおしゃべりしたりで解散となりました。

<つづく>

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訓民正音-ハングルの制定

2011年04月23日 | 海外での出来事


  韓国で昼食に立ち寄った食堂でのことです。個室の壁を見ると、壁一面に漢文の壁紙が貼ってありました。読んでみると、それは「訓民正音」という、李氏朝鮮第四代国王である世宗(1397-1450)が1443年に制定したハングルの解説書(1446年)でした。



  序文の始まりだけ少し抜き出してみます。

國之語音 異乎中國 與文字不相流通 故愚民 有所欲言 而終不得伸其情者多矣 予為此憫然 新制二十八字 欲使人人易習 便於日用耳

  簡単に言うと、「朝鮮の言葉の語音は中国と異なり、文も字もお互いに通じないので、愚民(漢字の読めない民)は言いたいことがあってもその思いを述べることができない者が多い。予(世宗)はこれを憐れと思い新たに28字を定めたが、人々が簡単に習い日用に便利なようにさせたいだけである」と、世宗がハングルを制定した理由が述べられています。

  ハングルはローマ字のような表音文字なので、その後発音の説明なされます。さらにそれぞれの発音を組み合わせた用事の例がドレミの歌のように続きます。例えば、

終聲ㄱ 如닥為楮 독為甕

  「終声ㄱは、닥を楮(こうぞ)と為し、독を甕となす」というような具合です。

  その後も続きがあるかもしれませんが、壁紙はこれぐらいまででした。

  ハングルが制定されるまで、朝鮮では日本の奈良時代と同じように漢文を用いるか、あるいは万葉仮名のように漢字の音を借りてきて用いるかをしていました。しかし、ハングルの制定は決して容易ではなかったようで、独自の文字を持つことに対し、かなりの反発があったようです。

  その理由が「中国では地方の方言に合わせて文字を作ったりはしない。(方言によって)独自の文字を持つのは蒙古、西夏、女真、日本、西蕃(チベット)など野蛮人のすることである」という事大主義的なものでなかなか興味深いのですが、反対するとあらばどんな理屈でもつけるというのはいつの時代、どこの国にも見られることのようです。

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カンボジアの踊り

2010年09月29日 | 海外での出来事
 

  先日、フィリピン舞踊のショーが観られるレストラン、Zamboangaをご紹介しましたが、カンボジア、シェムリ・アップのレストラン「KOULEN2」でも同様にカンボジア舞踊のショーを見ることができます。以前少しだけ触れたことがありましたが、今回はショーの中身をやや詳しくご紹介したいと思います。



  天上界の踊り。カンボジア舞踊では、ヒンドゥー教の神話に基づく演目が多くあります。バリ舞踊などに比べ、音楽もゆったりとしているのが特徴的です。



  先ほどのは宮廷舞踊ですが、こちらは民衆舞踊。フィリピンでもあった、ココナッツをリズミカルに叩く踊りです。



  こちらもフィリピンにもありました、バンブーダンス。フィリピンで見たのに比べると、ややリズムが単調な印象がありました。



  漁撈民の踊り。日本各地でも見られるような、民衆舞踊です。



  最後に再び、宮廷舞踊。アプサラ(天女)たちの踊り。冒頭の写真のように、指を大きく反らせ、腰を低く落とし、足をゆっくりと上下させるのがカンボジア舞踊の特徴ですが、この指の形それぞれにも意味があるのだそうです。

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