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フランスの同時多発テロとパスカルさん?

2015-11-28 01:43:14 | 日記

コメントを書くこともなく、日数を重ねてしまいました。
実は、書いたのですが、新しいキーボードのキー操作ミスで、せっかく書いたものが瞬間的に消え去ってしまった 
ということがあったという次第でもありました。 PCの調子はまあまあといったところでなんとか生きながらえています。
といっても、ときどき入力ができなくなってしまったりして、息も絶え絶えでもあるといった状態です。 

数日前の朝日紙に掲載された連載コラムが気になったので、下記させていただきます。(著作権?)

「 人間は、天使でも、獣(けだもの)でもない。そして、不幸なことには、
天使のまねをしようとおもうと、獣になってしまう」 (パスカル)

「愛を、正義を訴える人は、それをあまりに純粋に求めることで、逆に、誰かがやるしかないとあえて「美しくない」仕事を引き受けて
きた人たちへの想像力をなくしてしまう。愛と正義を掲げて残虐な行為をくり返す人たちを、私たちは歴史の中で何度も見てきた。
17世紀フランスの思想家の『パンセ』(前田陽一・由木康訳)から」

朝日新聞 「折々のことば」ー232ー 鷲田清一 2015年11月25日

パスカルの原理のパスカルの言葉は、以前、このコラムでも取り上げられたことがあったと思います。
実はパスカルの『パンセ』は、自分にとって懐かしい本です。19歳のときに読んだ思い出があるのです。
そして、この本の内容が自分の背中を押してくれた一つにもなって、ある決断を したというわけでした。

そのときの本がまだ手元に残っています。それで気になったので、上記の個所を検索してみたのです。
第6編 思想の尊厳 358
 
「人間は、天使でもなければ動物でもない。そして不幸なことは、天使のまねを
したがるものが、動物のまねをすることだ」

(モンテーニュ『エセー』3巻13章)訳は、由木康 『パスカル随想録』1961年、白水社6版、450円

二つの訳を比べてみると、訳の違いは明らかです。
上記の訳は前田陽一さんの訳なのではないかと思うのです。

ぼくは鷲田先生のコメントを読んだときに、フランスでの”同時多発テロ”のことをおもいました。
鷲田さんの想いとはかけ離れているのかもしれません。でもそのような解釈もできるような気もするのです。
そしてぼくの想いからすると、前田さんの訳の「獣(けだもの)」のほうが適切な訳ということになります。

上記の鷲田さんのコメントを読んだときに、吉本隆明さんを思いだしました。
確か、愛とか正義とかといった正しいこと、正し過ぎることを声高に叫ぶということの問題性。
そういう人たちの問題性を、鋭いことばで、ときに言われていたように思うのです。 

また、いつでも自分をカッコに入れて、声高にではなく沈黙のなかででも、一見正しそうな
何かを主張してしまう!それはほかでもない、キミ!なのでは。というもんだい。

このPC、ときどき書けなくなってしまいます。しばらく待機すれば復旧するのですが。
困ったものです

途中ですけど、また書かせていただきます。もっと早くに書かないとだめですね。
もう寝ます!(体調問題)

ついでなので、これだけ書かせていただきます。
きょう配信された魚住昭さんのブログから 「わき道をゆく第85回」-沖縄は誰のためにある- が刺激的
でした。この本の高橋哲哉さんの真面目さは、上記の動物や獣とはまったく違うことは明らかだと思うのですが。 

それから、久しぶりに読んだパスカルで気になったことばの一つ。

295  「ぼくのもの、きみのもの。
     -[この犬はぼくのだ。]
      これらのかわいそうな子供らは言った、
      『そこはぼくが日なたぼっこををする場所だ。』ここに地上における簒奪の始めと写しとがある。」 

大国でも小国にでも、通用する論理!
通用しないのは、「『美しくない』仕事を引き受けてきた人たち」 なのでしょうか?


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