はらじゅく86のブログ

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面接0なぜ… (>_<)

2012-12-24 23:03:19 | 日記

                            

”クリぼっち”のクリスマスをしています
テレビのニュースを見ていたら、キャスターが”クリぼっち”という言葉を使っていました。調べてみたら”一人で過すクリスマス”という意味なのだそうです

テニスの帰り道、いつものように近所のイオンで買物をしたのです。でも何だか今年はイオンに限らずスーパーなどの店内で、クリスマスメロディーが流れている場面が少ないように感じています。何か理由があるのでしょうか。それとも少ないのは、自宅の近所の4店舗に限ったことなのでしょうか。このところ3週間くらい当市内から外に出ていないので、よく分らないのです。こんなことも初めてなのです。

そして、イオンから隣りのスーパーに寄って帰宅して、さて掃除だなと思ったのです。この数週間家の中の片づけを全くしていないのです。とにかく居間から台所に至る一面が散らかっていてひどい状態…惨状…なのです。この状態は時々テレビで話題になっている、ご存知のあの「掃除できない病」状態に近づきつつあるといっても間違いではないのです…

でも、Xmasイヴに掃除だなんて余りにも可哀そうすぎないかと反省して、そうだともかくXmasだ、なので呑むしかないではないかと一大決断をしたのでした。

それから、その時ふっと思い出したので、昔二十歳のころに行っていた教会のXmasイヴの燭火礼拝を覗いてみたのでした。少し前にネットサーフィンをしている中でその教会のHPに行きあたり、そこでユーストリームでライブと録画をやっていることを知ったのです。まあ幾つかの教会のサイトで公開されているのは知っていたのですが、聞きたいと思うような説教はなかなか無いのです。

でもこうした説教についての考え方は、真面目な信者さんからみたら嫌われることは確かな訳です。つまり、礼拝(日曜日などの集会)で説教だけを大事なものと考えるのは間違いであって、教会とは何か、礼拝とは、信仰の内実とは何かといった問題の中で説教を位置づけることが眼目であるという訳です。
教会の説教は礼拝の中核的なことではあっても、礼拝で一番大事なことはイエス・キリストへの感謝・賛美であり、また信徒相互の関係性・交わりが必須な事柄であるのではないか、ということの訳です。何だかどうでもいいことを、いつもながらしつこく書込んでしまってすみませんです。

しかしPC画面で、懐かしくもある会堂内の一部と教会の雰囲気を感じながら、当然ビールでの乾杯をさせて頂いたのでした。リアルタイムで礼拝を視聴しながらビールを飲ませて頂くというのは、何だかとても不思議なことでした。昔、病院や特養の新年会で呑んだビールを想いだしました。自分が関係してよく知っている重篤な入院患者さんや入所者がいる場所であるにもかかわらず、そこでお酒を飲むのは、何だか不謹慎で申し訳ないといった違和感があった訳でした。

スミマセン誠に勝手ですが、ここで、僕がXmasというかキリスト教をイメージするときに連想する絵を、大きな画像ですけど貼らせていただきます。しかしこの絵は宗教画というわけなので、マイナスイメージを強くもたれる方もいると思います。ただこの絵は宗教画ではあるのですが、多分欧米では、文化的、歴史的、神学的、美術史的な意味合いでは重要な作品だということも言われていると思うのです、が。そしてこの絵には、僕にとって昔懐かしい想い出もありますのです。そして更に2012年の今宵、Xmas eveのブログに貼らせていただくという新たな想い出に、という次第でもあります  

Xmasに免じてご寛容ください。そしてお気に障ったらパスしてください。画像の下のURLは絵の解説です。

 

 

                  1512年作



(スティーアス)グリューネヴァルトのイーゼンハイム祭壇画です。http://9oo.jp/cvJTW

表題の「面接0なぜ」なのですが、今朝の朝日紙の社会面に載った記事の大きな見出しなのです。読まれた方もいると思います。
朝日紙のデジタル版に少し載っています。伊東あずさ記者、http://9oo.jp/dpstX

今春の秋田大学医学部の入学試験の採点で、面接試験で0点をつけられたという話なのです。しかし、入学試験で面接の採点が0(ゼロ)というのはあり得るのですかね。その採点基準はどのようになっているのか、これは是非とも文科省に聞いてみたいですね。大学の自治に関係したことなのかもしれませんけど、しかしこうした理不尽さは許されないように思うのです。明日あたりは他の新聞でもきっと取り上げると思いますが。秋田の本日の地方紙でもなかったです。伊東記者のスクープなのだと思います。

18歳の女子受験生は、筆記試験は高得点だったそうです。しかし前後期ともに面接で0点で不合格なのだそうです。

「 受験生は『結果は仕方ない』としつつ、中学時代から患った病気や高校に進学しなかったことの影響ではと気にしつつ『採点基準が知りたい』と訴える。大学は『総合的に判断した』と説明している 」

中学2年時から、成長期に多い「起立性調節障害」の為、進学校に入学したが諦めて、でも1年時に「高校卒業程度認定試験」に合格。その後体調も普通になり、主治医の影響もあって、医師を志したのだそうです。センター試験と2次ではともに9割以上の得点。最後の面接試験で200点満点で117点以上なら発表されている合格点以内だったそうです。そして、後期試験はセンターと小論文と面接。この面接も0点。2度の面接試験が0点だったわけです

「 受験生によると、前期の面接では最初に「食べ物では何が好き」と聞かれ、驚いたが。「うなぎ」と答えた。次いで、高校認定を取るまでの経緯を聞かれ、病気のことも話したが、途中で話を打ち切られた。その後は「秋田で生まれ育ったの?」などの質問があり、約15分で終った。後期も高卒認定について聞かれた 」

「 受験生の家族は「0点は欠席と同じ。落ち込んだ。大学に理由を尋ね、評価基準の公開を求めたが、大学は『入試の適正遂行に支障を及ぼす』として、面接の得点分布も明らかにしていない。秋田大入試課は朝日新聞の取材に「個別の事案は答えられない 」とし、「 面接は、得点差の幅が大きくなる」と話した 」

「 受験生は来春、他県の国立大を受けるつもりだ。『心の傷もありますが、次の入試に集中する。ただ、高卒認定や病気が理由の0点なら、これからも同じ思いをする人が出るかもしれない。基準を明らかにしてほしい』と話した 」(伊東あずさ記者

今思うことですが、伊東記者はこの問題をキチント取材したはずです。このことは文面から記事の公平さとして伝わってきます。しかしそれにしても、その面接官や医学部長さんはどういう方々なのでしょうか。いや、この事態は単に医学部だけの問題ではなく、国立大学法人秋田大学http://9oo.jp/qCSV7の問題だと思うのです。そしてまた、医学部をはじめ全学部の学生さんと、そして自治会は、このことを知ったとしたら、この事態を問題だとして取り上げるのでしょうか。

ここで思いだすのは、あの熊谷晋一郎医師のことです。関係するブログから、「熊谷晋一郎(くまがや しんいちろう)プロフィール 新生児仮死で産まれ酸欠状態になり、生死のふちを彷徨う。生還したものの脳性麻痺となり高校生までリハビリ漬けの生活を送る。中学1年時より電動車椅子ユーザーとなり世界が激変する。歩行至上主義のリハビリに違和感を覚える」

<「1977年生まれ。新生児仮死の後遺症で、脳性マヒに。以後車いす生活となる。 小中高と普通学校で統合教育を経験。 大学在学中は地域での一人暮らしを経験。また全国障害学生支援センターのスタッフとして、他の障害をもった学生たちとともに、高等教育支援活動をする。 東京大学医学部卒業後、千葉西病院小児科、埼玉医科大学小児心臓科での勤務、東京大学大学院医学系研究科博士課程での研究生活を経て、現在、他の障害をもつ仲間との当事者研究をもくろんでる。 著書に『発達障害者当事者研究――ゆっくりていねいにつながりたい』綾屋紗月との共著)、『リハビリの夜』。 >

熊谷医師へのインタビュー記事で学生時代のことを話されている。http://9oo.jp/dyzFT  関係するブログhttp://9oo.jp/jzF69 http://9oo.jp/dgpzV  ツイッター http://9oo.jp/isUX2 

国立大学法人秋田大学は、入学試験の判定で、過去に罹患した病気を不都合なこととしてマイナス点を献ずるのだとしたら、上記の熊谷医師を入学可とした国立大学法人東京大学医学部(入学は現役、理科1類)の入試判定は間違っていたことになる訳ですよね。 多分そうなるに違いないと思う訳です。

そしてまた高卒認定についても、病気の履歴と同じく不都合なこととしてマイナス点を捧げまつられるとしたら、これは正に人権と正義に関わる問題であり、国立大学法人がやってはいけない最たる事柄であって、大学存立の根幹に関わることだと思うのです。これ以上の難しい筋道は分りませんけど、僕はそう思う次第です

また例えば、大学入学後における身体的な不都合さを入試判定の基準として考慮(採点)するというならば、東大には世界で初めて常勤の大学教員となった盲ろう者の福島智教授がいる訳です。そしてまた福島教授は、盲ろう者として日本で初めて大学へ入学した方でもある訳です。こうした事例を考えても受験生の身体的なハードルは、全く減点の対象にはならない筈です。(福島さんが入学した大学は首都大学・旧東京都立大学)ーウイキペデイアーhttp://9oo.jp/fjtwyー。

その受験生とご家族は、秋田大学の行った上記のような理不尽と思える行為に対して、法的手段に訴えることもできるように思うのですが、どうなんでしょうか。人権と正義という理念にも違背した職務上の不法行為であると思うのです。国立大学法人の入学試験判定には「公平と平等の遵守」という絶対的命題が課せられているはずです。大学がそうした基準に違背した為に不利益を被った当事者は、大学に対して、正義と権利の回復(採点の再検討)と損害賠償も請求できるように思うのです。その受験者が願えば、法廷の場でも十分に争える事案なのではないかと思うのですが。これはまたまた僕の当てずっぽう論の訳ですけど、でも多分弁護士さんにも相談されたのでしょうね。

このXmasの間でも頑張っているでしょう受験生には、本当にお気の毒さまです!としか言いようがないですね。風邪などひかれませんように
それにしても、国立大の医学部に入学する学力というのは大変なのですね。学力劣等生であった昔の我が身を考えると、頭と胸がボーッとしてしまう訳です