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演奏会に行ってきた

2019年07月12日 | チェロ

 演奏会に行ってきた。昔はすこしは出かけたものだが、こどもが生まれてからは本当に行かなくなった。最近は少しは余裕ができたので知り合いの演奏会を中心に少しは出かけられるようになった。
 昨日の演奏会は今度定期でやる曲なのだ。楽しみにしていて、楽しく聴いてきた。
 いやー、すばらしくてねえ。演奏もすばらしいし、席が良くて先生が取ってくれた席で、本当にいい音だった。ヴァイオリンもすばらしくて感心した。こんなこと書いて良いのかなあ(シロートのたわごとです)コバケンの指揮はきらいだ。音楽はすばらしかったのだから、つまり指揮の立ち居振る舞いがきらいという意味だ。動きがうるさすぎる。はっきりいって僕には指揮(あるいはつまりリハーサルを通じて作りあげたもの)がすばらしくて音楽がすばらしかったのか、指揮はひどいのだが、それに怒ってあるいは関係なく奏者がすばらしい音楽を作り出したのか、まったくわからない。(岩城宏之だって、1回や2回聴いたんじゃわからないと書いていた。)聴いていて指揮がうるさかった。すごーく盛り上がるところで、指揮なんかしちゃあいねえ。ただ身体を広げて停まっている。そこは邪魔でなくて良かった。昔テレビで見たのだが、彼は指揮棒にこだわりがあって、なんだかいろいろ工作した棒だそうで、でかすぎる。あれは指揮のためじゃなくてお客に見せるためものものじゃねーのか。ヴァイオリンのアンコールの時に2ndVnの女の子(失礼!)の椅子に割り込んで座って聴いてやがっていて、エロじじいそのものだなあ。
 アンコールと言えば、別のなんだかの演奏会でも同じようにしていたそうだが、アンコールを別に用意するのではなくて、もう一度最後の1分30秒ほどをと言って4楽章の最後をやったのはすごく良かった。ヴァイオリンのアンコールもすばらしかったのだが、でもチャイコフスキーの雰囲気を少しこわしてしまったかもしれないと思う。同じ曲をくり返したのは雰囲気をそこねず、しかもプロだからねえ、とてもよかった。われわれアマチュアはやるべきではない。失敗したことを取り返そうと思っても失敗をくり返すだけだし、もしとてもうまくいったのなら、今度もうまくいくとは思えない。(^^;)
 そういうわけで、アンコールをどうするかということも含めてそれは指揮者が作ったものなのだろう。だからこの演奏会がすばらしかったのだから、結局コバケンがよかったと僕は感じているのかもしれない。好き勝手なことを書いているなあ。シロートのたわごとと笑って許してください。