名作の誉れが高い「ベニスに死す」を見た。名作を見るのは教養だ。
評判を聞いて(見て)いて、ともかくマーラーの5番は美しく、おセンチで、涙が出そうだが、まあ、なんというか、それだけだなあ。
見始めて、主人公の ダーク・ボガード が出てきて、思ったより下品というかなんというか、誰かに似ている、そうだオーボエ奏者のDMに似ているなあと思ったのだ。(失礼!)DMはなんだかひどい女たらしらしいが(失礼!)そんなことはどうでも良いが、作曲家で教授の貴族ではない、だが高みに立って一般聴衆の人気を得なければならない芸術家が、まあいろいろいやになっちゃったんだよね、いわば美の象徴である美少年:ビョルン・アンドレセンのトリコになるわけだが「美の象徴」なんだからたとえ完璧な美だといわれる北欧の白人の子供であろうとやっぱりすこし男を感じてしまって、東洋人である自分にはもっと幼くないと完全な無性、中性だと思えない。僕がゲイでもロリコンでもないからか(-_-;)。むかしむかし、宮沢りえとかゴクミとかに女になっていないすごく美しさを感じたのは、それは僕が実はゲイではなくロリコンだからか?(-_-;)
こういう中性的美しさは、文字か、絵でしか表現できないのかもしれない。でも映画の公開当時評判を得、高い評価を受けただろう事は想像に難くない。一度見ておく価値はあると思う。
なんと、梅雨が明けたそうだ。関東では例年梅雨明けは7/20前後なのだ。ひどい。たしかにこの後も10日くらいは雨が降りそうもなく「梅雨明けしたとみられる」と言うしかないのか。
新型コロナは増え続けている。(画像は東京新聞のもの)
実のところ、職場でもぽつりぽつり感染した者や、家族が感染して自宅にいる者が現れている。(この間ずっと。)今月初めに減ったのは、実際は減っていなかったのだと思う。国を挙げてというか、政府与党が感染を食い止めようという気がない。検査をきちんとして隔離でなくてもいい、きちんと感染を防ぐ手立てをすれば良いのに、その気がない。無能だ。何度言っても変わらない。あきれかえる。
新型コロナは増え続けている。(画像は東京新聞のもの)
実のところ、職場でもぽつりぽつり感染した者や、家族が感染して自宅にいる者が現れている。(この間ずっと。)今月初めに減ったのは、実際は減っていなかったのだと思う。国を挙げてというか、政府与党が感染を食い止めようという気がない。検査をきちんとして隔離でなくてもいい、きちんと感染を防ぐ手立てをすれば良いのに、その気がない。無能だ。何度言っても変わらない。あきれかえる。
やたらに涙が出るようになって、医者に行ったらドライアイだと言われ、目薬を処方されたが、あんまりたいしたことなくて、やめていた。目の老化だよ。症状も薬の効果もたいしたことないので、やめていたのだが、最近本の読み過ぎなのか、また涙がひどいし、ピントが合わないのだ。老化だよ。また点眼している。どうかな?
昨日は次女の作業所のチャリティーコンサートだった。老人には不評だったらしいが、コアなファンはいるもんだ。次女は楽しんだようだからまあ良いか。
所属する市民オケは運命と祝典序曲とシルヴィア。ろくに個人練習してなくいかん。今日はこれから沖縄バンドのリハーサルなのだ。
暑くてかなわん。
昨日は次女の作業所のチャリティーコンサートだった。老人には不評だったらしいが、コアなファンはいるもんだ。次女は楽しんだようだからまあ良いか。
所属する市民オケは運命と祝典序曲とシルヴィア。ろくに個人練習してなくいかん。今日はこれから沖縄バンドのリハーサルなのだ。
暑くてかなわん。
同僚(だれかに「ふたりで漫画同好会なんですよー」なんて言ってくれてホクホクしている)が貸してくれた。「枇杷の樹の下で」という立派な函入りのまで。いかにも「つげ義春に影響され」た、ガロっぽいもので「商業主義に毒されていない作風」とwikiに書いてあるが、「つげ義春からガロにかけての影響いちじるしい」というべきじゃないか。なかなかおもしろかったけど、いいなあという感じでもなかった、すみません。
実家に2020年に賞味期限の切れた缶詰があったので食った。缶詰は賞味期限が切れたあたりからが1番うまいということだ。
イタリアンパセリが雑草の間でがんばって茂っている。バサッと切って採り、ざくざくあらみじん切りにして1時間漬けたが1時間くらいでは生のままパリパリしている。もっと刻めば良かった。
昨日も大きな事があった。大崎事件再審認めずだ。
僕自身はこの事件についてほとんどなにも知らない。だがはっきりしていることは裁判所、裁判官が事件の真相を追究しようという気が全くない、ということだ。「再審」制度に則り、手続きとして認めるかべきかどうかしか考えていない。ただ官僚が事務処理をしているだけなのだ。
そもそも捜査や裁判が適切にされていない。警察は誰でも良いから犯人を仕立て上げて有罪にすれば「事件を解決」したことになり、裁判所は警察がウソつくはずがないと思い込んでいる。(いやそうじゃなくて、裁判官は無罪なんてしたら警察に恨まれて、結局出世できないと知っているから、真相の究明には関心がない。)間違った捜査裁判を正すしくみがない。「再審」制度は新しい証拠がないとできない。捜査裁判が間違っていることは「考えられない」のだ。想定していない。
裁判制度そのもの、裁判官の人事制度を根本的に変えなければならない。だが心ある裁判関係者が「絶望的状況」だというのだ。あきれかえる。絶望しかない。僕にできることは、日本の裁判はクソだ、まったく信用できないと言うことを騒ぎ立てることだけだ。
図書館で偶然手に取ったのだが、著者はなんと!あの木谷實の子なのだ。びっくりした。木谷實といえば往年の囲碁ファンなら知らぬ者はない。それが全然別の分野での第一人者になっている。それどころではない。なんと映画『それでもボクはやってない』の人権派の裁判官は木谷がモデルらしい。
裁判官の仕事の前に、囲碁棋士木谷實の子としての思い出の部分からもうおもしろくてしょうがない。
裁判官のところもおもしろい。おもわずいろいろ歴史上の事件についてネットサーフィンをしてしまった。それにしても日本(に限らないかもしれないが)の裁判制度も、裁判官も腐っている。あきれかえる。著者のようなまともな裁判官は0.1%もいないのだろう。(日本の刑事事件の有罪率は99.9%らしい。いまだに!)最高裁判所なんて官僚の極み、国民審査は全員×をつけてもまだ足りないと思う。
裁判官の仕事の前に、囲碁棋士木谷實の子としての思い出の部分からもうおもしろくてしょうがない。
裁判官のところもおもしろい。おもわずいろいろ歴史上の事件についてネットサーフィンをしてしまった。それにしても日本(に限らないかもしれないが)の裁判制度も、裁判官も腐っている。あきれかえる。著者のようなまともな裁判官は0.1%もいないのだろう。(日本の刑事事件の有罪率は99.9%らしい。いまだに!)最高裁判所なんて官僚の極み、国民審査は全員×をつけてもまだ足りないと思う。
梅の追熟
2022年06月21日 | 農
採った梅がすばらしく追熟していて、部屋に入るとすばらしく香る。僕自身は実は梅はあまり好みでなくて、梅干しも梅酒もそんなに好きではない。妻が漬けたり(梅干しを作るわけではない。)冷凍したり、煮たりいろいろしている。ありがたいことだ。ネットで見ると梅を漬けて干さず、つまりウメボシではなく梅漬けが簡単でおいしいという情報が出てきたりする。自分でやればいいのだけれど、つい、のんびりすることに忙しくて(-_-;)なんにもしてない。怠け者はいかん。
これも漫画ともだち(?)の元同僚が貸してくれた。途中まで。
「15世紀のヨーロッパを舞台に、禁じられた地動説を命がけで研究する人間たちの生き様と信念を描いた」漫画。なんて言うか拷問がグロでねえ。イノサンという、これも同じHさんに借りた漫画と印象がとても似ている。
「15世紀のヨーロッパを舞台に、禁じられた地動説を命がけで研究する人間たちの生き様と信念を描いた」漫画。なんて言うか拷問がグロでねえ。イノサンという、これも同じHさんに借りた漫画と印象がとても似ている。
酒は弱いのでジンなんて飲まなかったが「もやしもん」で気になっていたボンベイサファイアを買って、香りに魅せられた。ジントニックは夏の飲み物だなあ。「愛知クラフトジン キヨス」もジンだからジンの香りだが良い香りだ。
ひさしぶりにレインマンを見た。自閉症の子を持つ親としては、見ずにはいられないし、だから複雑な思いも持つのだが、だが、本当にすばらしい映画だし、特にダスティン・ホフマンの演技がすごい。こういうのによくあるあざとさがほぼまったくない。よくあるのは「心を開いた」と観客に思わせる表現をしてしまうのだが、それがほぼまったくない。それがすごい。最後の方で弁護士や医者などとの会話で「チャーリーとくらす」と何度もくり返すが、いくらくり返しても、本人が理解していっているのか、ただ意味もわからずくり返しているのか、わからない所がすごい。歩き方、振り返り方、視線の動き、まばたき(のなさ)、すべてがすごい。
この映画は自閉症のことを描いたもので、弟の成長譚なんかじゃないと思う。成長なんかしてない。自閉症の兄のことをほんのすこし理解したかな。恋人が戻ってくる理由がわからない。何にも描いてない。でもそれで良いのだ。人間ってそういうもんじゃない?トムクルーズの演技がどうとか言うが、これで良いのだと思う。演技はうまくないかもしれないが、それはこういうたいしたことない、というかごく普通の人間をうまく演じているのだ。
自閉症は「スペクトラム」といわれるほど、幅広くさまざまだ。ここに描かれているのはたったひとつの典型に過ぎない。wikiに「サヴァン症候群」とある。
描いてないといえば、死んでしまったこの親のことも何にも描いてない。どういう思いだったのか? 昔、自閉症は高学歴で「冷たい」性格の親から生まれるなどと言われていた時代もあるそうだ。そんなことはないのだが、それでもそういうことを暗示しているのだろうか、などと思ってしまうのだ。
ともかくこの映画は自閉症のこと以外はほとんどなにも描いていない。それで良いのだ。
今年はちゃんと気づいて時間もあり、梅が収穫できた。もうすでにだいぶ落ちていた。4kg。どうしようか?
転倒した腕はまたレントゲン撮ったが問題なし。まだ重いものは持てない。大きくねじると痛いが医者はちゃんと動かせと言っていた、まあたしかに。
夜サッカー日本、チュニジアに0:3 まえほどわくわくしなくなったが、楽しく見ている。日本はまだまだだが、でもどうしようとしているのか意図が見えるようになってきていて、前とは全然違うと思う。
コロナウイルスは収束するのだろうか?世間はもうすっかり終わったような感じにとらえられているような気がするが、じつは職場で濃厚接触者が出た。というか、家族が感染判明したのだろう。家族が治ってさらに何日だか出られないらしく対応であたふたしている。終わっていない。