仁和寺と御室桜・・
仁和4年(888)宇多天皇が創建、法皇に成って以来此処に御座所を置き「御室御所」と呼ばれ以来門跡寺院の筆頭として栄え、今も風格ある御殿が建ち仁和寺の伽藍は、応仁の乱の戦火を受け、応仁2年(1468年)にその大部分を焼失しました。現在の伽藍の殆どは、江戸初期の寛永年間に第21代覚深法親王が、徳川家光の寄進を得て再建されたものです。、御所から移した金堂(国宝)・御影堂、五塔、観音堂(総て重要文化財)等、伽藍が建ち並びます
二王門(重文)
仁和寺の正門にあたる「二王門」は徳川家光の寄進により寛永の再興時に建造されたといわれている。
左右に金剛力士を安置する事から二王門と呼ばれるそうです。京都の三大門(知恩院、南禅寺山門)の一つに数えられており、重要文化財に指定されています
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/65/3a/ba428222e0079f49ca7eae7818c071da.jpg)
勅使門(重文)
四脚の唐門である建築本体と、扉や欄間などの装飾が見事な調和を見せる宮殿風門
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/6c/fa31ecf7f4ce0d311e2dcd01564d6b64.jpg)
金堂(国宝)
国宝「金堂」 仁和寺が、寛永年間に再興された時、京都御所の紫宸殿を移築し本殿としました。 本尊は、阿弥陀如来です
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/78/9d509d12c8160f932356f5ebb9dfd536.jpg)
五重塔 (重文)
各層の屋根の大きさがほぼ同じという江戸期の特徴を示しています・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/7c/769227ea62a48b615735ca2b8b420b3a.jpg)
鐘楼(重文)
仁和寺の鐘楼は、袴型をしている為に袴腰型と呼ばれ江戸時代を代表するものです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/f0/396cac89b44269f68e50741d1fc89972.jpg)
名勝、御室桜・・ (京都の桜の掉尾を飾る「遅咲き桜」です。)
樹高が低く根元より単弁の香りの高い白い花を咲かせます・十数種類の里桜が境内に200余り株植えられ、樹高は2~3メートル、起源は平安時代にまでさかのぼるそうですが、現在の樹は江戸時代初期に植えられたものだそうです。
(先日の新聞によりますと御室桜が低木なのは、粘土質の地層で、根が育ちにくかった可能性が高いと調査発表されました。)
このお花が終わる頃には、京都の街も新緑の候へと徐々にさま変わりして行きます・・
サムネイルにマウスを当てて下さい。タグはnon_nonさまにお借りしました。
※、昨年2006年にも御室仁和寺を投稿して居りますので、お宜しければご覧戴けると幸せです。10月20日、24日、26日、31日、11月4日の5回シリーズと成って居ります。
仁和4年(888)宇多天皇が創建、法皇に成って以来此処に御座所を置き「御室御所」と呼ばれ以来門跡寺院の筆頭として栄え、今も風格ある御殿が建ち仁和寺の伽藍は、応仁の乱の戦火を受け、応仁2年(1468年)にその大部分を焼失しました。現在の伽藍の殆どは、江戸初期の寛永年間に第21代覚深法親王が、徳川家光の寄進を得て再建されたものです。、御所から移した金堂(国宝)・御影堂、五塔、観音堂(総て重要文化財)等、伽藍が建ち並びます
二王門(重文)
仁和寺の正門にあたる「二王門」は徳川家光の寄進により寛永の再興時に建造されたといわれている。
左右に金剛力士を安置する事から二王門と呼ばれるそうです。京都の三大門(知恩院、南禅寺山門)の一つに数えられており、重要文化財に指定されています
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勅使門(重文)
四脚の唐門である建築本体と、扉や欄間などの装飾が見事な調和を見せる宮殿風門
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金堂(国宝)
国宝「金堂」 仁和寺が、寛永年間に再興された時、京都御所の紫宸殿を移築し本殿としました。 本尊は、阿弥陀如来です
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7f/78/9d509d12c8160f932356f5ebb9dfd536.jpg)
五重塔 (重文)
各層の屋根の大きさがほぼ同じという江戸期の特徴を示しています・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/41/7c/769227ea62a48b615735ca2b8b420b3a.jpg)
鐘楼(重文)
仁和寺の鐘楼は、袴型をしている為に袴腰型と呼ばれ江戸時代を代表するものです。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/f0/396cac89b44269f68e50741d1fc89972.jpg)
名勝、御室桜・・ (京都の桜の掉尾を飾る「遅咲き桜」です。)
樹高が低く根元より単弁の香りの高い白い花を咲かせます・十数種類の里桜が境内に200余り株植えられ、樹高は2~3メートル、起源は平安時代にまでさかのぼるそうですが、現在の樹は江戸時代初期に植えられたものだそうです。
(先日の新聞によりますと御室桜が低木なのは、粘土質の地層で、根が育ちにくかった可能性が高いと調査発表されました。)
このお花が終わる頃には、京都の街も新緑の候へと徐々にさま変わりして行きます・・
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※、昨年2006年にも御室仁和寺を投稿して居りますので、お宜しければご覧戴けると幸せです。10月20日、24日、26日、31日、11月4日の5回シリーズと成って居ります。
これは見ほれました。
御室桜京都ならではの桜です。
赤い敷物にお茶所が京都らしさが出ていい風景にまとめられて・・
有難うございました。
おはようございます・・お越し戴き有難うございます
此方仁和寺の御室桜は、京都の桜の掉尾を飾る桜として有名です。樹高が低く直ぐ下から沢山のお花を付けますので・・良く昔から、鼻の低い子に「はなは、低くても御室の桜」なんて慰めとも言い回しとも取れない様な言葉を耳にした事が有ります・・笑い~
本当に此方の桜他所様と違い、枝にギッシリお花が着きますので少々暑苦しい感じがいたしました。
何時も遠くラスベガスからご覧戴き有難うございます感謝致して居ります・・之からも宜しくお願い致します
この素晴らしい京都このめでみたいなーと
こころひかれました
本当に綺麗ながぞうありがとうございました
お越し戴き有難うございます・・
この日も曇り空、午後から雨と言う予報、朝一でとりあえず出掛けましたが・・・
矢張り青空の下で桜をと思うのですが無理でした。
他所様の桜とは又違い、低い樹高から直ぐにギッシリとお花が付きチョッとスマートさに掛ける気も致しますが・・之が御室桜の特徴の様です・・
満開の桜越しに見る五重塔・・色々なPR紙でもお馴染みで大勢のカメラマンの的と成っていました。
ご覧戴き有難うございます
PCの不調早く改善されると良いですのにね~~
お越し戴き有難うございます・・
京都にも桜の名所が沢山有りますが・・
此方の仁和寺御室桜は、京都の桜の終わりを飾る遅咲き桜で有名です。
このお花が終わる頃、新緑へとバトンタッチが始ります・・
満開の桜の後ろに見える五重塔・・色々なPR紙にも使われる絶好のカメラポジションの様で大人気です。
ご覧戴き有難うございます。
見事ですね、晩生の桜でしょうかこちらでは雨が多く
山々は新緑に変わりつつあります。
御室桜の色が又素晴らしい色を成していますね。
ほのかに薄いピンク、独特なる色合いです。しかも其の背丈が他の桜に無い高さで見る目を見張るものがあります。ただただ、素晴らしいの1語です。
新緑の中の凛とした五重塔を暫く眺めました。
名ガイドさん付きで疲れ知らずの京都見学、
あり難く思ってます。
沢山の桜も楽しめました。これからは新緑の季節へと
移りますね。
二王門、勅使門、金堂、五重塔、鐘楼等々一つの境内の中に歴史上の建造物が素晴らしいですね~
五重塔を正面に左右の木立は見事なものですね~そして境内には春爛漫の桜桜ですね~
そうですね~機会をとらえて仁和寺を訪ねたいですね~
特に建造物をじっくり観たいですね。ありがとう。