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【旧東海道歩き31】晴嵐松並木~兼平の墓

2019-01-25 22:00:00 | 東海道歩き『近江路』
2018年2月11日(日)

14時14分、
旧東海道晴嵐交差点


『粟津晴嵐、松並木』

京都三条大橋を出発して初めての松並木です。
道が舗装されてなくて地道ならもっと街道の雰囲気を味わえるのですが…。
本来は膳所城下町の南口総門から石山商店街まで、ずっと松並木があったそうですが、今は数本の松が残るのみ。
湖岸道路が造られるまでは、松並木のすぐ横が、浜でした。

山や浜から吹く風が松の葉を揺らす音・ざわめく音が、晴れた日の嵐のように聞こえたので「晴嵐(せいらん)」と呼ばれるようになった。

湖岸側に『粟津中学校』

中学校横のフェンスに

『滋賀県農業試験研究発祥の地』石碑

明治28年、現在の粟津中学校の場所に滋賀県農事試験場が開設された。
日本で初めて人工交配によって新しく米の品種(近江錦)がつくられ実用化に成功した。

ちなみに現在、滋賀県が開発した米のブランドは、「みずかがみ」です。
コシヒカリよりも美味しいですよ!


街道の横は大きな会社や工場が並ぶ

街道はこのバス停の先から工場の中を真っ直ぐ突き抜けるが、無理なので、
道路をそのまま行く。

川が見えてきました。

盛越川沿いを右折する。

街道はこの工場の横へ斜めに伸びてたはず。


そして、


14時28分

『JR石山駅』到着。
街道は石山駅の構内を突き抜けて南口へ向かいます。

線路内を歩くのは無理なので、
石山駅に立ち寄らない場合は、駅の東側の道を石山商店街に向かって南下することになります。

我が輩は
石山駅の手前で、またまた寄り道。

駅前の道を西へ向かい
再び盛越川。

川沿いに少し行くと

『今井兼平の墓』



平家物語で有名な人。
粟津合戦で敗れた木曽義仲は討死した。
義仲の右腕ともいうべき今井兼平は、義仲の死を見て
「東国の殿ばら、日本一の剛の者の自害する手本よ」と言って、
口の中に太刀を入れ馬上から飛び降り、貫かれるという壮絶な自害をした。

凄い死に様ですね。

兼平は山の中に葬られたが、膳所藩主が探しだし、後に東海道の近くのこの地に墓碑を建立した。

長野県岡谷の今井氏。
今井兼平の出身地なのかな?


鎮魂碑


粟津合戦史跡顕彰碑

そして、
兼平の墓

合掌!



再び石山駅

本日の街道歩きはこれにて打ち止め。



この後、またまたまた寄り道します
駅北口に
『松尾芭蕉像』

観光案内所で地図をもらって
芭蕉ゆかりの幻住庵へ行くことにしました。

案内所の人がバスを勧めてくれたが、
『歩いて行く』と答えたら、
あきれ顔でした


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コメント
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