2018年2月11日(日)
境内の石段をさらに登る。
茅ぶきの門があらわれました。
どうみても膳所城の遺構ではありませんね。
そして、
15時37分
【幻住庵】
茅ぶきのひなびた庵。
室内は綺麗。
瀬田川、石山寺方向を見てます。
て、この庵綺麗すぎますよね。
実は現在の建物は、1991年9月に芭蕉没後300年記念事業「ふるさと吟遊芭蕉の里」の一環で復元したもの。
茅ぶきの屋根として復元されてるが
本来は瓦葺きだったそうです。
新しすぎてひなびた庵の感じがしません。
部屋の奥はボランティアガイドさんの部屋になってました。
ここで、庭を掃いてたガイドさんに捕まりました。
歴史や神様のことに関して異常に詳しくてただ者じゃないと、わかった。
長々と講釈を受けましたよ。
今や超有名になった近江神宮創建にまつわる話。
近江神宮は由緒あるようにみられるが、実は昭和時代の創建。
新しい神社なのです。
ちなみに、神宮は神様が住まわれる所。
神社は、神様のよりしろ。
だから、神社は全国に山のようにあるけど、神宮は限られたごく少数しかない。
新しく建てられた近江神宮、
大津市の別の神社の神主さんが努力されて創られたのですよ。
ガイドさんの話はさらに飛躍して止まらない。
源義経とキリスト教の関係などなど、延々と話が続き、
膳所藩、近津尾神社と切支丹との関係、
裏話など、ホンマかいな?
と思えてくるような深~いお話も。
とてもとても、ここでは公表できませんわ。
本日最後の訪問地で別に急ぐこともないので、約一時間弱付き合わせてもらいました。
近津尾神社を下に見る。
ようやく解放してもらったが、
バスが行った後でした。
結局、帰りも歩いて戻ることに。
『国分大塚(こくぶおおつか)古墳』
6世紀の前方後円墳で、大津市内では、最後に造られた古墳だとか?
石室がちょこっと見えます。
内部を見ることができるそうです。
住宅地の中にあり、探すのに苦労しましたよ。
再び、晴嵐小学校横の坂。
国分寺跡の石碑を見たかったのですが、あきらめました。
『北大路御霊神社』
大友皇子が祭られてます。
この後、石山駅から帰りました。
その34へ続く
馬《●▲●》助ヒヒーン♪
境内の石段をさらに登る。
茅ぶきの門があらわれました。
どうみても膳所城の遺構ではありませんね。
そして、
15時37分
【幻住庵】
茅ぶきのひなびた庵。
室内は綺麗。
瀬田川、石山寺方向を見てます。
て、この庵綺麗すぎますよね。
実は現在の建物は、1991年9月に芭蕉没後300年記念事業「ふるさと吟遊芭蕉の里」の一環で復元したもの。
茅ぶきの屋根として復元されてるが
本来は瓦葺きだったそうです。
新しすぎてひなびた庵の感じがしません。
部屋の奥はボランティアガイドさんの部屋になってました。
ここで、庭を掃いてたガイドさんに捕まりました。
歴史や神様のことに関して異常に詳しくてただ者じゃないと、わかった。
長々と講釈を受けましたよ。
今や超有名になった近江神宮創建にまつわる話。
近江神宮は由緒あるようにみられるが、実は昭和時代の創建。
新しい神社なのです。
ちなみに、神宮は神様が住まわれる所。
神社は、神様のよりしろ。
だから、神社は全国に山のようにあるけど、神宮は限られたごく少数しかない。
新しく建てられた近江神宮、
大津市の別の神社の神主さんが努力されて創られたのですよ。
ガイドさんの話はさらに飛躍して止まらない。
源義経とキリスト教の関係などなど、延々と話が続き、
膳所藩、近津尾神社と切支丹との関係、
裏話など、ホンマかいな?
と思えてくるような深~いお話も。
とてもとても、ここでは公表できませんわ。
本日最後の訪問地で別に急ぐこともないので、約一時間弱付き合わせてもらいました。
近津尾神社を下に見る。
ようやく解放してもらったが、
バスが行った後でした。
結局、帰りも歩いて戻ることに。
『国分大塚(こくぶおおつか)古墳』
6世紀の前方後円墳で、大津市内では、最後に造られた古墳だとか?
石室がちょこっと見えます。
内部を見ることができるそうです。
住宅地の中にあり、探すのに苦労しましたよ。
再び、晴嵐小学校横の坂。
国分寺跡の石碑を見たかったのですが、あきらめました。
『北大路御霊神社』
大友皇子が祭られてます。
この後、石山駅から帰りました。
その34へ続く
馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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