馬ひでの助

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【旧東海道歩き28 】膳所高校~篠津神社

2019-01-18 22:00:00 | 東海道歩き『近江路』
2018年2月11日(日)

膳所城跡公園を出て、
再び膳所神社へ。

膳所城から移築された北門前の道を西へ向かう

途中で右折すると、

『膳所高校』

県内で一、二を争う進学校。
京大への進学率では県内一かも?

膳所高校野球部はこの年、甲子園出場を果たしました。

データ野球が売りでした


それはともかくとして、

入口の駐車場に幾何学模様?が描かれてる。

実はこの◯の列は、発掘調査で見つかった柱跡。
『粟津頓宮跡』だと推定されてます。

といっても、「あわづとんぐう」て何?
ですよね。
天平12(740)年、聖武天皇は平城京から恭仁宮に遷都する前に東国行幸された。

奈良から伊賀国→伊勢国→美濃国を経て近江国に入り南下、
瀬田川を越えて粟津で宿泊されました。
頓宮とは、天皇の仮の宮。
行幸の時の休憩宿泊施設のことです。
「禾津頓宮」←これ読めませんよね。
=粟津頓宮。
「禾」、イネ、アワ。

東西7間(20.8m)、南北4間(11.9m)の大型掘立柱の建物だったようです。

仮宮なので、行幸後すぐに建物は撤去され、柱跡の痕跡が残りました。

本来はここに校舎を建てる予定だったが、校舎の位置をずらし、
駐車場の地下に遺跡が保存されました。

頓宮跡の遺跡としては貴重なので県の史跡に指定されてます。

※なお、見学する場合は、膳所高校の了解を取りましょう。
我が輩のように無断で勝手に入らないようにしてね。
不法侵入で罪に問われますよ。


最寄り駅は京阪電車膳所本町駅です。

長い寄り道だったが、

13時13分、
東海道歩き再開します。

街道の右手に
『大養寺』

この門は、膳所の六門の1つで、武家屋敷の長屋門だったらしい。




住所表示は、大津市本丸町4と
中庄一丁目15。

この玄関?も由緒ありそうです。


30m先で左に曲がれ、という案内表示。

音羽軒の交差点を左折します。
ちなみに右折すると京阪電車中之庄駅。



左折してすぐ右手に
『篠津神社』

石柱の文字が掲示板に隠れてるので、裏に回り込んで撮影した。

伊勢屋町自治会掲示板、位置をずらすべきなのでは?

というか、伊勢屋町という住所は現在ありません。

なので、調べると
現在の中庄町の小字地名でした。

慶安4年本多氏が伊勢国亀山城より再封の時,随伴した商人が居住したのが地名由来。
伊勢商人の町だったようですな。



街道は奥村歯科の所で右折しますが、角に石標あり。
『晴好雨奇亭址』

解説文によると、
膳所の名金工師、奥村菅次寿景(1788~1840)がここに屋敷を構えて金銀銅鉄器、櫓時計、鉄砲などを製作した。
琵琶湖の景勝を臨むことができるので、ここに立ち寄った頼山陽が晴好雨奇亭と名付けたそうです。

当然ながら、奥村歯科医院の当主は子孫なんでしょうね。



その29へ続く

馬《●▲●》助ヒヒーン♪
コメント
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