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【旧東海道歩き30】御殿浜、本多神社へ

2019-01-24 21:53:00 | 東海道歩き『近江路』
2018年2月11日(日)

膳所若宮八幡を出て街道を東へ。


再び京阪電車の線路を突き抜ける。

京阪電車が京都三条大橋からずっと縫うように旧東海道のそばを走ってますね。

宮町踏切の横に

六地蔵。


街道はまた突き当たる。


斜めにジグザグ折れ

直進して突き当たりは

右折れ。

複雑な折れになってるのは城下町の外れに来たという証拠。

民家の玄関前に
『膳所城勢多口総門跡』石碑

膳所城下町の南口として粟津番所がここにあり、往来の人を監視してました。

橋が見えて来ました。

街道はこのまま真っ直ぐ行き、石山駅まであと少しですが、

ここでちょこっと寄り道します

………………………………………………………

湖岸へ向かう

石の鳥居(ピンボケ)

中に入ると
『丹保之宮』

幕末に膳所城事件がありました。
和姫と婚姻した第14代将軍徳川家茂は、
天皇に攘夷の約束を述べるために上洛。
三代家光以来、230年ぶりの京都入りでした。
が、上洛の途中、膳所城に滞在すると聞いた膳所藩士が、暗殺を計画。

情報を得た膳所藩は疑わしい藩士11名を処刑した。

その後、藩主本多康穣が、11人の慰霊のために建てたのが丹保之宮。

これ、たんほ、じゃなくて、
『にほのみや』と読む。
琵琶湖の別名は鳰の湖。
鳰(にお)の当て字として丹保にしたようですな。

というか、目的地は本多神社なのです。
もう一度湖岸道路に戻って少し進むと、
神社の入口がありました。

丹保宮は本多神社の境内社と書いてある。


奥へ進むと、
『本多神社古墳』

石棺が散乱してますよ。
県の資料によると、
「御殿浜古墳」
本多家の御殿浜御殿がここにあり、庭園の築山として古墳を転用した。

石棺が散乱してるように見えるけど、庭園の一部にしたようですな。

『広鶴大神』

盛り上がってるので、古墳の墳丘なのでは?

そして、ようやく

本多神社本殿。

明治時代に元膳所藩士が瓦ヶ浜御殿跡に神社を建てた。

本多忠俊、本多忠次、
本多康俊、本多俊次、が祭られてる。


膳所藩資料館があるが、閉鎖されてるようです。

『黒田麹廬(くろだきくろ)顕彰記念碑』

前回紹介した杉浦 重剛を育てた人。
日本で最初にロビンソンクルーソーを翻訳したそうです。

………………………………………………………


約25分ほど寄り道しました。


その31へ


馬《●▲●》助ヒヒーン♪
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