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まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

良いことも みんな忘れて散るもみじ

2016年11月15日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で概ね曇り、雨が降っている時間帯があった。気温は16.0度から19.9度、湿度は96%から78%。風は1mから4mの北北西の風が少しばかり。明日の16日は高気圧に覆われるため概ね晴れる見込みらしい。

 

 小雨のぱらつく中、毎週火曜日はここに出勤する。前山地区活性化センターである。この中に、「おへんろ交流サロン」がある。その中の研修室をお借りしての俵札調査が、まだ、続いている。

 

 今度の日曜日、11月20日には、ここや、道の駅「ながお」で「もみじまつり」が行われるらしい。産直、即売所大売出し、黒豚夢豚特売、天ぷら、餅つき実演販売、各種バザー、宝探し、クイズゲーム、獅子舞、よさこい踊りなど様々なイベントが開催されるらしい。

 

 だから、研修室にもこんなものがつり下げられている。少し前のお店ののぼりみたい。ここで何をするのかは知らない。で、室内には、宝探し用の景品やらお茶やらがてんこ盛りになっている。そんな中での作業になった。

 

 最近、本を読むのが面倒になってきた。文字が小さく見えるようになった。これが老眼というものだろうか。で、テレビで宣伝している「ハズキ・ルーペ」というものをアマゾンで買った。確かに手元がよく見える。本を読んでも楽に読める。でも、ディスプレーや少し先を見ようとするとぼやけてしまってルーペを外さないとあかん。これがまた面倒だ。

 

 で、「グラス・ストラップ」というか、「メガネの紐」を百均ショップで買ってきた。こんなもの、すぐに飽きてしまうに違いないから108円でももったいないくらいだが仕方がない。

 

 で、またまた、宿題をもらってしまった。その①として、来年度の事業として、「島四国探訪」ということで、瀬戸内海の島々にある「お大師まいり」を歩くことにして、どこの島がいいかを検討すること。②は、現在、作業している寒川家の納め札以外の内容物の中から、展示できるものを選び出して、来春からの展示方法を検討すること・・・。③は、現在やっている「娘遍路」を本にする作業・・・。

 

 さらに、④として、明日の長尾中学校の出前授業に参加してお話をすること。⑤として、この20日に行われる「ルンルン♪なりきり「歩き」秋遍路」に参加される人の名札を用意すること。宿題ばっかり・・・(笑)。

 

 まぁ、作業はなんでもないことなんだが、いかんせん、プリンターが10年以上ともなると、紙詰まりだのインク切れだのと前には進まない。急ぐときには、こうしたものだ。

 

 まぁ、こういうもので良かろう・・・。おばちゃんたちの手書きよりかはカッコいいと思う。

 

 ホルダーに入れてみたら、それらしく見えるじゃないか。

 

 天気がよくない中、歩きへんろの人たちが大窪寺を目指して歩いていた。

 

 今日の掲示板はこれ。「今日もまた 人の死したること聞くも 驚きもせで 生きておる我」というもの。いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。だんだんと喪中欠礼のはがきが届くようになってきた。そんなハガキが届いても、「あ・・・」と思う程度でさほど驚きもしなくなってくる。「今日もまた、人の死したること聞くも、驚きもせで 生きておる我」。最近、芸能人や歌手やら俳優さんあたりが相次いで無くなっているが・・・さほど驚きもしないし、涙なんぞも出てこない。ましてや、この私が死ぬなんてことは考えてもみない現実・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


時雨れては 思いでばかりが よみがえる

2016年11月14日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、雨の降っている所があった。夜遅くには雷を伴う所があるらしい。気温は13.6度から17.3度、湿度は96%から86%。風は1mから3mの東の風が少しばかり。明日の15日は、気圧の谷や湿った空気の影響で明け方にかけて雨が降り、雷を伴う所がある見込みらしい。その後は寒気の影響で概ね曇りとなる予報。

 

 朝の散歩時の県道工事、上三段の植生工事がほぼ終わりみたい。来春になれば、ここに緑の草や樹木が生えてくる。それで切除面の保護をする。

 

 今日は小雨が降ったり止んだりを繰り返していた。雨の月曜日となれば行くところがない。図書課や資料館・博物館はお休みだし、床屋さんもお休みだし・・・。

 

 そこで、宿題となっている「娘遍路」の資料の整理をやってみた。香川県で調査されている「俵札」の中から、瀬戸内海にある島しょ部からのお遍路さんを調べてみた。岡山県笠岡市にある「真鍋島」や「六島」、多度津町の「佐柳島」や三豊市の粟島、丸亀市の塩飽廣島などが目立つ。

 

 しかしながら、観音寺市の伊吹島からの娘遍路の遍路札は一枚も確認できなかった。この写真の中の男性は、向かって左が「先達さん」で、右後方は荷物持ち・宿取り・護衛役の男性である。こうして、男性が二名から三名が護衛しながら監視をしていたらしい。

 

 お昼からは、またしても山寺に行って来た。一昨日の土曜日、12日には、「おへんろつかさ養成講座」の五回目として、「旧へんろ道講座」があった。私もサポーター役で同伴するつもりが、急遽、讃岐一国逆打ちへんろ」ということで、本山寺から大興寺方面に行くように言われてしまった。そのときの大イチョウがきれいだった・・・と聞いたので、「どれどれ」とやってきたもの。

 

 でも、今日は曇っていて、少しばかり鮮やかさに欠けた。昨年の今頃は、境内は黄色い絨毯を敷き詰めたようになっていたものだが、今年はまだ、チラホラ・・ハラハラ・・・。

 

 ここに降り落ちてくるイチョウの葉の数も少ない。

 

 誰かが、イチョウの葉っぱをお供えしている。若い娘さんが真似をしようとしたが、とても高くて手が届かない。

 

 二天門脇の本坊庭園のほうは赤い紅葉で真っ赤っか。もう少し太陽の光があればきれいだったのに。

 

 こちらの紅葉は、もう、おしまいに近い感じ。葉っぱの色が黒っぽくなってきた。

 

 季節は次第に秋から冬へと移り変わろうとしている。

 

 帰ってくると、ご近所さんちの屋根にサルがいっぱい・・・。子どもを連れた母サルもいる。山のエサがなくなってくると、こうして里に下りてきて悪さをする。

 

 サル捕獲用のケージも設置はされているのだが、最近は全く捕まっていない。やはり学習能力が向上してきたに違いない。

 

 今晩は、2016年最高のスーパームーンらしいが、この厚い雲がかかっていては無理みたい。

 

 今日の掲示板はこれ。「朝の来ない夜はなく 乾かない涙もありません」という、やなせたかしさんのことばから。似たようなことばはいくらもある。「上がらぬ雨はなく、止まらぬ風もない」、山よりでっかい獅子は出ん・・し、春の来ない冬もない・・・。でも・・・不幸の絶えない世界は続くし、悲しみの絶えない社会は止まらない・・・。今が不幸のどん底だと思っても、やがてには、そんな悲しみや苦しさなんて忘れてしまえる日がやってくる。こんなに悲しくて仕方がないのにと打ちひしがれていても、そんな日々があったことさえ忘れてしまえる日がやってくる。生きてさえいれば、やがてにはどうにかなってしまうものなんだ。「この世で起きたことは、この世で片付いてしまう」。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


色づかぬ そのままの葉で 今日を終え

2016年11月13日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、気圧の谷の影響で夕方からは雲が広がってきた。気温は11.2度から19.5度、湿度は92%から72%。風は1mから3mの北東の風が少しばかり。今日も「小春日和」の一日になった。明日の14日は、気圧の谷や湿った空気の影響で雨が降る見込みらしい。

 

 昨夜は孫のはやて君がお泊まりに来ていて、今日も部活があるからと、5時半起きの6時出発で屋島の家まで送っていって・・・

 

 高松市鬼無町にある高校まで送って行った。ここまで来たのだからと、五色台の紅葉でも見て帰ることにした。今日の予定がキャンセルになって来週に伸びたので、今日は全く予定がなかったこともある。

 

 で、やってきたのが根香寺さんであるが、ここには次のような伝説がある。昔、青峯山には人間を食べる恐ろしい怪獣、牛鬼が棲んでいた。村人は、弓の名人、山田蔵人高清に頼んで退治してもらうことにした。しかし、高清が山へ入るけれど、なかなか牛鬼が現れない。そこで高清は根香寺の本尊に願をかけたのである。

 

 すると21日目の満願の暁に、牛鬼が現れ、高清の放った矢が口の中に命中。逃げる牛鬼を追うと2kmほど西の定ヶ渕で死んでいるのを発見した。高清は牛鬼の角を切り取り、寺に奉納した。その角は今でも寺に保存されている。また牛鬼の絵は魔よけのお守りとして親しまれている。

 

 ここの紅葉は今月の下旬ごろが見頃。今はまだまだほんの一部分だけ。五色台の主峰、青峯山に佇ずむ、かつての巨刹。五つの山に金剛界曼荼羅の五智如来を感じた弘法大師は、密教修行の地として青峯に「花蔵院」を建立された。後に大師の甥にあたる智証大師が訪れた際、山の鎮守である一之瀬明神に出会い、「この地にある毘沙門谷、蓮華谷、後夜谷に道場を作り、蓮華谷の木で観音像を作りなさい」というお告げを受けた。

 

 智証大師は蓮華谷の木で千手観音像を彫造し、「千手院」を建てて安置した。この霊木の切り株から芳香を放ち続けたことから「花蔵院」、「千手院」を総称して根香寺と名づけられたといわれている。後に、高松藩主らにより再興され、この時に天台宗へ改宗されている。

 

 ものはついでだからと、もう一つのお寺、「白峯寺」にも寄ってみた。青峯、黄峯、赤峯、白峯、黒峯の五色山のうち、白峯にある静かな古刹である。弘法大師と大師の妹の子と言われる智証大師が創建されたとされている。弘仁6年、白峯山の山頂に、如意宝珠を埋め井戸を掘り、衆生済度を祈願に堂宇を建立した。後に智証大師は、山頂できらめく光を見つけて登頂。山の神である白峯大権現の神託を受け、霊木で千手観音像を彫造し、これを本尊にしたと伝えられている。

 

 ここの紅葉もまだまだ。カメラマンたちも下見の段階らしく手持ちぶさたでたたずんでいた。

 

  「啼けばきく きけば都の恋しきに この里過ぎよ山ほととぎす」これは保元の乱で破れ讃岐へ流された崇徳上皇の歌だという。上皇は都へ帰りたいという思いが叶わぬまま寂しくこの地で亡くなられたが、その三年後、上皇と親しかった西行法師が詣でた話は上田秋成作「雨月物語」の伝説で有名。その後も都では異変が相次いだため、後小松帝は上皇の霊を祀る法華堂に「頓証寺殿」の勅額を奉納。また、悲話を伝える玉章木(たまずさのき)も佇んでいる。

 

 こちらが、崇徳上皇白峯稜である。長寛二年(1164)8月26日、46歳で崩御された崇徳上皇は,遺体を八十場の泉に浸された後、9月16日に白峰山で荼毘に付され、その場に埋葬された。お墓である御陵は,積み石の方墳であったといわれている。都から遠く離れた地の御陵であったため,江戸時代には荒廃していたといわれているが、初代高松藩主松平頼重、五代頼恭、十一代頼聡らにより修復が重ねられ、参拝口を現在の南面に改めるなど、今日みられるように整備されてきた。

 

 周囲の紅葉はまだまだというところだった。

 

 五色台を下る時、年のせいか、車が吸い込まれそうで恐ろしくて20Kmほどで下りてきたが、最近の車のブレーキは大丈夫なんだろうか。少し前までは、このような待避所があったが、近年は全く見なくなった。ブレーキが効かなくなった時、ここに乗り上げて車を停める・・・というものだったが、すっかりと姿を消してしまった。オートマチック車にはエンジンブレーキなんてないと思うのだけれど。

 

 今日の掲示板はこれ。「葉を落とし 凛と冬待つ 桜かな」というもの。私には落とす物もなく捨てる物もなく、煩悩や欲望を抱えたまんまで漫然と冬を待っている。秋が過ぎるなら過ぎるでいい。冬が来るなら来るでいい。桜のように生きられないのは覚悟の上だ。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


旅に出て 生きる苦労に 満ちる秋

2016年11月12日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 香川県地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は今期最低の8.1度から17.9度、湿度は90%から62%。風は1mから2mの東の風が少しばかり。明日の13日は高気圧に覆われて概ね晴れるけれど、気圧の谷の影響で夕方から雲が広がる見込みらしい。

 

 ご案内の通り、今日は三豊市から観音寺市、さらには山本町という香川県西部の旅である。9時49分だかの列車で一行がやってくるというので、JR本山駅に着いたのが午前9時前。わが家を7時過ぎに出て、綾川町・丸亀市・善通寺市・高瀬町などを経由して、ふと、気がつけば目の前に、この駅があった。

 

 本山駅(もとやまえき)は、香川県三豊市豊中町岡本にある四国旅客鉄道(JR四国)予讃線の駅で、観音寺駅と比地大駅の間にある駅である。駅番号はY18。現在は無人駅となっている。

 

 10時前になって、今日の参加者12名が到着した。で、一行は、ここから歩いて、70番札所の本山寺に向かう。

 

 10時開店の「駅のうどん屋」に入ってみた。駅の事務所を改装してうどん屋をやっているが、時間的な問題なのか誰もお客がいない。これも経験だと思って入ってみた訳。かけうどん小200円にちくわの天ぷらが90円。何の評価もしない。

 

 私がうどんを食べている間に、一行は本山寺寸前まで歩いて居た。ここから本山寺は目と鼻の先。

 

 本山寺(もとやまじ)は香川県三豊市にある高野山真言宗の寺院で、詳しくは、七宝山(しっぽうざん)持宝院本山寺という。開山は空海(弘法大師)と伝えられる。鎌倉時代再建の本堂は国宝に指定されている。本尊は馬頭観世音菩薩。四国八十八ヶ所霊場第七十番札所である。

 

  五重塔は1896年(明治29)年着工、1910年(明治43年)完成、2015年9月17日解体修理着工して、現在、平成の大修理が行われている。

 

 これがかつての五重塔である。これも塩飽大工の手になるものと聞いた記憶がある。

 

 本山寺が10:15分ごろから10:30分。その後、69番・68番札所を目指して歩く。このころは気温が上昇してきて汗が流れて、セーターなんぞを脱ぐことになる。

 

 ここは、珍しい「一山二霊場」ということで、観音寺(かんおんじ)と神恵院(じんねいん)が並んでいる。明治の神仏分離の影響であるという。今から1300年ほど前に、日証上人が琴弾八幡宮の別当として創立。国の重要文化財観音寺金堂がある。大同年間弘法大師が7代住職の時、本尊 聖観世音菩薩をはじめ諸像を安置し、七堂伽藍を建立して観音寺と改める。

 

 四国霊場88ケ所の内、琴弾八幡宮が68番札所、観音寺が69番札所であったが、明治初年の神仏分離で、西金堂に移して神恵院の本堂とし、68番札所としたため、四国霊場で唯一の珍しい1山2霊場となった。

 

 ここの鐘楼が珍しい。重厚な彫刻が施されているが、お寺の紹介などでもあまり詳しくは述べられていない。

 

 「寺cafa&遍路グッズ 梧桐庵」はお寺の境内にあって、最近にできたもののよう。参拝客でなくても気軽に行く事ができるらしい。メインはうどん屋ということだが、寺カフェらしくぜんざいやソフトクリーム等の和スイーツも豊富で、京都の湯葉を使った珍しいメニューもあった。湯葉カレーはお肉のカレーよりあっさりしておいしいらしい。

 

 で、ものはためしと、かけうどんを食べてみたが若い人好みかも・・・。ここも評価はしない。

 

 今日はこれだけ歩いたらしい。私は車で走っただけだったけど。

 

 今日の納めは67番大興寺。ここには、天台大師堂と弘法大師堂と二つの大師堂があるので有名。ここには15時半に到着して16時にここで解散になった。今回はリタイアも事故もなく完了。わが家には17時半に到着した。

 

 今日の掲示板はこれ。「掃けば散り 払えばまたもちり積もる 人の心も庭の落ち葉も」というもの。僧侶にとって、庭の落ち葉を掃くことは、自分の心を掃き清めることに通じるという。釈尊の弟子に、シュリハンドクという者がいた。ものを覚えるのが苦手で、一説には自分の名前さえ覚えられなかったという。そんな彼に、釈尊は「きれいにしましょう(塵を払わん、垢を除かん)と教えたという。シュリハンドクはひたすら庭掃除に励んだことである。あるとき、彼は、庭掃除が自分の心の掃除に通じることを悟るのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


秋の寺 カメラばかりが 威張り出す

2016年11月11日 | ふるさと散歩

 さぬき市地方は高気圧に覆われているため、晴れていた。気温は10.0度から17.8度、湿度は96%から64%、風は1mから4mの西北西の風が一時は強かった。明日の12日は、引き続き高気圧に覆われて晴れるが、夜は気圧の谷の影響で曇る見込みらしい。

 

 今日は天気がいいので、久々に布団を干した。洗濯物も干した。二階部分に掃除機も掛けた。その後、またしても「山寺」に行ってみた。

 

 本坊庭園の方に回ってみると、三脚を立て、大きなカメラを据えているカメラマンが十数人。まだ、多い数ではないが本格派の人がいる。

 

 最近の冷え込みで紅葉が一段と進んだ様子。

 

 私は面倒くさいのが大嫌いだから、車には三脚も大中小と三本も積んではあるが、一度も立てたことがない。とにかく、流し打ちの速射連続撮影。ガチガチガチ・・・・と、シャッターを押し続ける。ぶれたら削除したらいい。気に入ったものだけ使えばいい。フィルムじゃないのだから、二千枚も三千枚も撮せるのだ。遠慮なんかいるものか。

 

 今日は暖かくなるという予報だったが、山寺さんはさすがに空気が冷たい。速射連写でポイントを押さえて撮って、すばやく山を下りる算段。

 

 風が吹くとハラハラと葉っぱは落ちるが、そんなにたくさんの落ち葉がある訳ではない。

 

 お掃除が終わった後なのか、落ち葉を探すのに苦労するくらい。

 

 本堂で太鼓の音がすると思えば、院代さんがお遍路さんとの勤行らしい。「無上甚深微妙法 百千万劫難遭遇  我今見聞得受持  願解如来真実義・・・」

 

 平日でも時候がいいからか、お遍路さんも多い。「歩き」のお遍路さんもよく見かける。

 

 バス停前のサザンカもいい。

 

 帰りに寄ってみた、「旧五名小学校」。まだ、解体工事は始まっていない。

 

 校庭脇のイチョウはようやく、紅葉が始まったばかり。

 

 明日は、「おへんろつかさの会」のイベントである「讃岐一国逆打ちへんろ」で、JR詫間駅から70番本山寺・69番観音寺・68番神恵院から67番大興寺まで歩くらしい。私は、その取材と後方支援・輸送係としてサポート役。マイカーでポイントポイントで待ち受けるのである。今日は、その準備。

 

 今日の掲示板はこれ。「今今と 今という間に今ぞなく 今という間に 今ぞ過ぎ行く」というもの。昨日の谷上先生のコメント、「一休さんが蓮如さんに「あれこれ あれこれ あれこれ あれこれ あれこれ あれこれ あれこれ あれこれ あれこれ あれこれ あれこれ あれこれ あれこれ あれこれ あれこれ あれこれ あれこれ あれこれ あれこれ あれこれ・・・・とかく人とは忙しきものなり」 みたいな歌だが、道歌というものらしい・・・。「今」と言った瞬間、考えた瞬間には、「今」という時間は「過去」のものとなってしまう。昨日、一昨日、一ヶ月前、一年前……どれだけ振り返ってみても、永遠に「今」という時間を経験しなかった「時」はない。「歴史」は、永遠につづく「今」の連続であり、それが「次の時代」を作りあげてきたとも言える。が、しかし、「歴史」は、一面その時その時、必死に生きた人たちの「歴史」であり、そこには膨大な失敗の積み重ねと、一握りの成功がある。そして、さまざまな人間の生きざまがある。そのことに思いを馳せると、「今」を生きている人、そして「これから」を生きる人の教訓は、すべて「歴史」から汲み取ることができるといっても過言ではないと思う。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


猿啼いて 病院帰りの 菊の花

2016年11月10日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は気圧の谷の影響で概ね曇りとなっており、夜遅くには雨が降るらしい。気温は7.9度から12.9度、湿度は80%から72%、風は1mから6mの東の風が一時強かった。明日の11日は、気圧の谷や湿った空気の影響で曇り、未明まで雨が降る見込みらしい。昼前からは高気圧に覆われるため晴れるという見込み。

 

 朝の散歩で、みろく自然公園を歩いてきた。この菊花展も15日までらしいが、今朝は誰も菊を見る人はいなかった。

 

 菊作りの人が少なくなったものか、遠く徳島県からの出展もあったし、さぬき市以外からの作品が目立った。それでも全体の数も少なくなったように思う。

 

 公園から帰ると、少しばかり名刺の印刷をする。夏から秋にかけて、講演会だなんだと、名刺を出すことが多くて、手持ちが少なくなってしまった。

 

 で、うどん形名刺入れに格納しておいた。

 

 で、午後からはいつもの病院での予約診察。いつもは午前中の診察なのだが、予約が一杯だとかで午後になった。

 

 いつものように、レントゲン検査と採血による「検体検査」があって、ドクターの診察になる。

 

 診察の前に、体重を自分で量るように言われていて、全自動の身長・体重計が置いてあるので、そこに上がると自動で計測して、その結果を印字する。最近、調子が悪いと思って居たら、なんと体重が69.2Kgにもなっている。特にご馳走を食べたとか飲み過ぎたということもない。

 

 やはり、左側のように肺が白くなっている。「胸水」が溜まっているらしい。それでおなかの膨満感で食事ができない。正座ができない。靴下がはけないことになっているらしい。

 

 肺に水がたまるのは腎臓系の障害ではないのかと言われるのだが、心臓が弱ってくると肺に水が溜まってきて、体重が増えるそうだ。一昨年だかのお盆の後、全身にむくみが出て緊急入院したことがあった。そのときも68Kgにもなっていた。

 

 ま、今日、処方してくれる薬を飲めば、利尿剤が働いて回復するのだろう。ドクターはなんとも言わず、「糖尿の予備軍だから、糖尿の薬を追加するよ」とのこと。今年は暑かったから、ガリガリ君やらかき氷やらをよく食べたからかな。

 

 町内の調剤薬局まで歩いて行った。糖尿病は運動不足もあるというからだ。でも、今日歩いて明日に効果が出るというものでもない。

 

 毎度のことながら、これで五週間分35日分。これをいっぺんに飲む訳ではないから、おなかが起きるほどの量にはならない。

 

 この薬代の高さ・・・。病院代とで四万円弱。年金生活者にはこたえる金額である。

 

 今日の掲示板はこれ。「飲んで食って寝て起きて あれしてこれして ただそれだけでいいのですか」というもの。いつもの赤松先生のお寺の掲示板から。私の著作の「前書き」にはこのような言葉が書いてある。

 (前略)そう考えると、私たちは経済行為や政治行為などにうつつを抜かしているばかりでなく、すぐれた文化を発掘し、あるいは創造し、育み、文化的な毎日を営むことが求められているのではないだろうか。ただ一度、この人間世界に生まれてきたのならば、食べて寝て起きて働いて食べて寝て・・・・の毎日の連続では空しく寂しくはないだろうか。文化を愛するには文化を知らなければならない。さいわいに私たちの周りにはすばらしい文化や文化財が多く残されてきた。先人たちの熱い想いが創造し、育み、継承してきた偉大なる財産である(後略)

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


イチョウ散る 八十年の 昔から

2016年11月09日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は冬型の気圧配置となっているため概ね曇りとなっていた。気温は10.3度から14.0度どまり。湿度は82%から65%。風は3mから5mの北の風が冷たく吹き流れていた。明日の10日は、気圧の谷の影響で曇り、夜遅くには雨が降る見込みらしい。

 

 どうにもおなかの膨満感が気になって仕方がない。そこで、空気が冷たい中、集落一周の1時間コースを歩いてみた。県道の防災工事は少しずつ進んでいるらしい。

 

 掘削工事の上段が終わったようで植栽工事に移っている。植物の種子を吹き付ける作業である。手前の金網は防獣ネットに電気柵が取り付けてある。イノシシは入らないが、サル軍団は軽く飛び越えて入るようである。

 

 市内のお寺でご用を済ませてから山寺に向かった。

 

 しばらくサルの軍団を見かけないと思ったら、やっぱり食べ物がなくなってくると、人里に下りてくる。

 

 山寺の大イチョウもすっかりと紅葉してきている。なにせ、最近の朝夕は寒い・・・。

 

 今日は大型の望遠レンズをつけたカメラマンが多くなった。

 

 風が強くなってきたのでイチョウの葉っぱも散り始めている。さすがに自然はまじめでけなげである。

 

 悲しいかな、今日は曇っていて鮮やかな赤色がくすんで見える。

 

 空気が冷たいので早々に大窪寺を後にしたものだった。

 

 午後からはさぬき市大川支所での会合があって、それに参加してきた。

 

 最近、役所からの手紙が多くなった。相手は市役所のそれぞれの担当課からだが、受けるのは私一人。防災訓練だ、福祉だ、社協だと文書は送られてくるが、どれが優先で、どれが不要でとこんがらがってくる。少しずつ認知症が進行しとるのかも知れない。

 

 今日の掲示板はこれ。「高い山ほど裾野が広い」というもの。逆に言えば、裾野を広げなければ高い山にはなれないということ。雑学でも趣味でも語学でも歴史でも、引き出しを多くしてこそ、よりよいお話ができる。多くの人に伝えると言うことは、高い所から低い処に水が流れるように、圧力の高い方から低い方に空気が流れるように、言葉の引き出しを多くしなければ、高度なお話にはならない。そんなことを思った一日だった。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


さざんかに 切れぬはさみを わらわれる

2016年11月08日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は湿った空気や前線の影響で雨が一日中降ったり止んだりを繰り返していた。気温は12.5度から17.8度、湿度は94%から74%。風は2mから9mの西風が一時は強かった。明日の9日は、冬型の気圧配置となるため概ね曇る見込みらしい。

 

 毎週火曜日の午前中はここに出勤する。さぬき市前山にある「前山地区活性化センター」、いわゆる「おへんろ交流サロン」である。ここで、私たちは毎週、「俵札調査」をやっている。今日も歩き遍路の方が数十名、休まれていた。

 

 11月は行事が多いためか、今日の参加者は5名。

 

 私は島の文化祭が終わったので、借りていた遍路札13枚を返納処理。

 

 この市井浦の「上(かみ)リヱ」さんはすぐに分かると思ったが、市井浦には「中谷」とか「上」さんは多くて分からないと言われてしまった。

 

 二千枚余りの遍路札の中に、順番を間違わずに挟み込んで返却するのだから神経を使う仕事だった。

 

 しわく広島は江戸時代から明治あたりは五浦から七浦になっていた。甲路という集落は青木浦から移り住んで「小浦」と呼んでいた地区が「甲路」になったし、江の浦から移住したのが「釜の越」という集落になった。どの集落にも500から700軒の家があったというが、今は40軒とか20軒ほどになってしまった。だから子孫を探しても分からなくなってしまった。

 

 その後は、中島先生と二人で「祈祷札」の整理をやっていた。お寺から授与された祈祷札を開くと、中に本当のお札が入っている。それを丁寧に取り出す作業をやっていた。画像として残すためには外に出さないと写真には写らない。

 

 一方で、私は島の「娘遍路」が持っていたであろう道具を「へんろ資料室」で写真撮影。

 

 今、調べている娘遍路に関する論文に資料として使う画像用である。こんなコンパクトなものに荷物を詰めて、お四国を歩いて回ったのである。

 

 外では雨が降ったり止んだりを繰り返している。

 

 午後からは香川県立図書館に行ってきた。借りていた本の返却日が近づいたためだった。

 

 で、娘遍路の資料になりそうな本を五冊借りて来た。江戸時代から昭和の初めごろは、「成人儀礼」ということで、若者遍路や娘遍路というものが行われたらしい。ところが太平洋戦争で中断し、戦後は意識改革が行われて、そうした若者による遍路はやまってしまった。

 

 だから、娘遍路の痕跡などすっかりと消えてしまった。それを調べ直して、後世に残す必要があるのだと、うちの会長は言うのである。

 

 今日の掲示板はこれ。「生きているということは 死ぬいのちをかかえているということ」というもので、赤松円心先生の書かれた言葉である。これも「東井義雄」先生のことばである。いつ訪れるかわからない「死ぬいのち」をかかえて生きているということは、「生」そのものが当たり前でない、ただごとではないということを知ること で、初めてうなずくことが出来る言葉である。そしてそれは、「死ぬいのち」があるからこそうなずくことが出来るのではないだろうか。3月11日の東日本大震災では、一瞬にして多くの方々のいのちが失われた。そして、今でも厳しい現実に身を置かれている方々が沢山いらっしゃる。しか し、さまざまな情報が流れ、さまざまな問題が浮上してきている中で、情報だけに振り回されている私がいるように思う。今回の掲示板の言葉は、では、私は今何をすべきなのか、何を考えるべきなのかを問われているような気がするのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


菊日和 重いカメラの 人ばかり

2016年11月07日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は今期最低の10.4度から17.2度、湿度は88%から66%。風は1mから3mの東の風が少しばかり。明日の8日は、湿った空気や前線の影響で曇り、夕方からは雨が降る見込みらしい。

 

 さて、慌ただしくも、またしても瀬戸内海をクルージングしている。と、言うのも、昨日は15時過ぎに文化祭の片付けを終えて、16時40分だかの高速艇で帰ったのだが、18時過ぎにわが家に帰ってみると・・・。

 

 三男のたっくんがやって来ていてて、その夜はまたしても宴会になって、一升瓶が空っぽになった。さて、夕食の後の薬を飲まねば・・・と思ったが、肝心の薬がない。島の家のどこかに薬を置き忘れて帰って来てしまったのだ。それも全量とも。

 

 薬を飲まなければ腹水が溜まっておなかがパンパンになる。そうなると、腹水が肺や心臓を圧迫して呼吸困難になり心不全に陥ってしまう・・。朝の7時にわが家を出て、月曜日の出勤ラッシュに巻き込まれて9時過ぎに丸亀港に到着した頃は、「ゼーゼーハーハー・・・」という状態。歩きかねるような状態・・。

 

 10時10分にしわく広島の江ノ浦港に到着。そこから車で数分。やっぱり、本棚の一角に薬は残ったまんまだった。早速に朝食後の薬と昨夜の分を飲み干して、すぐさま、江ノ浦港に引き返す。

 

 さぁ、それからが大変・・。トイレ、トイレ・・。10時30分に高速艇がやってきたので、乗船前にトイレ、乗ってからもトイレ、11時過ぎに丸亀港に着いてもトイレ・・・。

 

 高速艇、ニュービサンが動き出した頃にはおなかの膨満感もなくなり、呼吸も楽になってきた。乗り合わせてきた自治会長の横瀬さんに、その話をすると、「クスリがないと思ったら不安になって、呼吸困難になるんとちがうん?そいで、薬を飲んだら安心して呼吸が楽になるんと違うん?」と言われた。そういうことになるんやろうか・・・。

 

 11時半ごろ、丸亀市飯山町にある「純手打うどん・よしや」に寄ってみた。12時を過ぎたら駐車場は満杯になるし、行列になるお店。早めに食べておこうと思った。おなかははすっかりと平常状態。

 

 お店に入ると、「しっぽく始めました」とあったので、「しっぽくうどんの小」をお願いした。360円だった。久しぶりのしっぽくうどんだった。おなかもすいていないのに、一気に食べてしまって、お冷やの水を五杯も立て続けに飲んでしまった。

 

 利尿剤を飲んで出した水分は腹水とか胸水と呼ばれるもの。自分で飲んだ水は胃腸を経由する水分。似たような水分だが少しばかり違う水分。これだってやがてにはトイレで流れてしまうのだけれど。

 

 帰りに、高松市西植田町にある「公淵(きんぶち)森林公園」で開かれている菊花展をのぞいてきた。大きな景色を作っているコーナーの「栗林公園」の菊も満開になってきた。

 

 こちらは「秋の富士」という作品。

 

 前回はこんな作品だった。今年は少しアレンジが違うみたい。

 

 管物も厚物も、みんな見頃状態。うまく咲かせるものだとの賞賛の声があちらこちらで。

 

 今日の掲示板はこれ。「身近な人の死に逢うたびに 人のいのちのはかなさと 今ここに生きていることの尊さを味わいました」という相田みつをさんの言葉から。

つまづいたおかげで ころんだり したおかげで

物事を深く考えるようになりました

あやまちや失敗をくり返したおかげで
少しずつだが
人のやることを 暖かい眼で
見られるようになりました

何回も追いつめられたおかげで
人間としての 自分の弱さと だらしなさを
いやというほど知りました

だまされたり 裏切られたり したおかげで
馬鹿正直で 親切な人間の暖かさも知りました
そして…
身近な人の死に逢うたびに
人のいのちのはかなさと
いまここに
生きていることの尊さを
骨身にしみて味わいました

人のいのちの尊さを
骨身にしみて 味わったおかげで
人のいのちを ほんとうに大切にする
ほんものの人間に裸で逢う逢うことができました

一人の ほんものの人間に
めぐり逢えたおかげで
それが縁となり
次々に 沢山のよい人たちに
めぐり逢うことができました

だから わたしのまわりにいる人たちは
みんな よい人ばかりなんです

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


やれやれと お荷物降ろす 竜舌蘭

2016年11月06日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 丸亀地方は寒気の影響で昼過ぎまでは曇っていたが、夕方からは高気圧に覆われて晴れるらしい。気温は12.4度から18.1度、湿度は92%から66%、風は1mから7mの北東の風が吹き荒れていた。明日の7日は、引き続き高気圧に覆われて、晴れる見込みらしい。

 

 昨夜は孫のはやて君一行五名がお泊りだったが、私と自治会長さんはノータッチでいろんな話で盛り上がっていたので、少しばかり飲みすぎたのか、今日は体調がすぐれない。

 

 文化祭は一応、9時からということだが、島の人は早くから集まっていた。私は片付けだの洗濯物があって、9時過ぎに出かけて行った。

 

 で、ステージのほうは10時からで、恒例の来賓挨拶などがあって、歌やクイズなどで盛り上がりを見せていた。

 

 これが、今回のパンフレット。

 

 今年はこんなサービスがあった。青木石で作った石臼でコーヒー豆を摩り下ろしてコーヒーを楽しむというもの。各地で「青木石」のPR用だということだった。青木石は主に墓石などに使われる石で、産地は香川県丸亀市広島町青木浦や甲路、釜の越地区で採掘される石。豊臣秀吉が大阪城を築城した際にも使われたと言われる、歴史の古い石である。

 

 グラウンドでは、こんな展示も行われていた。

 

 烏骨鶏(うこっけい)なども展示されていた。

 

 今日のお昼は、このバザーで・・・

 

 おうどんになった。セットのお寿司は奥方か迷犬ごんのえさになるかも。

 

 舞台ではカラオケなんぞで盛り上がっていたが・・・

 

 中には、こんな怪しい方も。舞台用のメークらしい。

 

 島のおばさまたちの作品などが人気だった。

 

 ま、お姉さま方には楽しい一日になった様子。私のほうは数人から、「この人、知っとるでぇ」といわれたが、芳しい成果はなかった。

 

 今日の掲示板はこれ。「自分自身すら自分の思うようにはならない。まして他人を自分の思うようにしようなんて無理な注文である。」というもの。今日のおなか具合とか体調はまったく自分の思うようになっていない。なかなかに頑固な自分すら自由にはならないのだから、まして他人様が私の思うままに動くはずがないではないか・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


秋晴れの 凛と胸張る 波節岩

2016年11月05日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 丸亀地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は9.3度から20.0度、湿度は93%から62%、風は1mから5mの西に風が一時は強かった。明日の6日は、引き続き高気圧に覆われて、概ね晴れる見込みらしい。

 

 秋晴れのいい天気になった。朝の6時に起きて30分ばかりの散歩して身体を起こす。昨夜も少しばかり飲みすぎたみたい。7時から朝食を食べて8時前には小学校跡へ向かった。

 

 ここが文化祭「ふれ愛まつり」の会場になる体育館。向かって右側が旧広島中学校跡、ここは廃校になっている。左側が「広島小中学校」で、現在は休校中。この体育館は両方で使っていたもの。

 

 ここは体育館だから「舞台」はない。そこで舞台作りから始める。

 

 一方、こちらでは展示スペース作り。組み立て式になっていて、みんな手際よく組み立てていく。

 

 その一方で、運動場ではテント張りの作業が行われている。模擬店用のテントである。私は展示スペース作りの後、このテント張りのお手伝いになった。

 

 舞台作りと観客席作りも順調に進んでいる。

 

 展示スペースができると、それぞれの展示が始まっている。

 

 私の展示スペースはこんな具合になった。

 

 これで、一人でも子孫や知り合いが名乗り出てくれたらうれしいのだけれど。

 

 運動場では模擬店の準備もできている。模擬店というても、うどん(200円)とおでん(350円)だけ。あと、バザー券500円を買った人はお寿司がうどんとセットでいただけるらしい。

 

 一応の準備ができた後、自治会長さんが、「この中を見せてあげる」というので見せていただくことになった。これは「波節(はぶし)岩灯標」の灯油倉庫だといわれてきたが、中には油を置いた形跡はないし、油の漏れた後もにおいもまったくないという。

 

 これが波節岩灯標である。電灯になったのは昭和になってのことらしい。それまでは、この広島から伝馬船で灯油を補給していたらしい。なお、ここは「島」ではなく「岩礁」である。また、「羽節」「波節」が混在して使用されているが、国土地理院の地図には「羽節」と記載されている。

 

 で、中は物置になっていて、古い村の会計帳簿や昔の消防ポンプやヘルメットや防火衣装、獅子頭、古い火鉢なんぞが渾然一体となって投げ込まれていた。でも、どれもこれも、さほど重要なものとは思えなかった。

 

 今日の掲示板はこれ。「ふみはずし 迷いとまどい きた道も ふりかえみれば仏になる道」というもの。私たちの五悪も五逆もみんなみな、私たちたちが生きていく上で必要な善玉の悪。私たちの迷いもとまどいも、それは私が生きて行く上で大切なことだった。そのことこそが、私が私なりに・・・佛になるための要素であったと思われるのだ。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


秋空を 見上げて自動販売機

2016年11月04日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 丸亀地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は今期最低の9度から18.1度、湿度は86%から56%、風は1mから3mの西南西の風が少しばかり。明日の5日は、引き続き高気圧に覆われて、晴れる見込みらしい。

 

 この週末には塩飽広島で文化祭「ふれ愛まつり」が行われるので、その準備のために丸亀に向かった。朝ドラが終わって8時半に我が家を出て、丸亀には10時過ぎに着いた。丸亀港近くのスーパーに立ち寄って食材を仕入れた。

 

 丸亀港には10時半に着いて、車を少し離れた駐車場に止めて少し歩いたら汗がにじんだ。今日のような日を「小春日和」というのだとラジオで話していた。旧暦の10月に入っての暖かい日のことを言うらしい。

 

 瀬戸内海の島々で「瀬戸芸」が行われているが、「なぜ、塩飽広島では瀬戸芸をやらないのか。おかしいではないか」という声をよく聞くが、高松市は別として、普通は「一市町村で一箇所」という決まりがあるので、丸亀市は「塩飽本島(ほんじま)」がやるので広島では行うことができないということ。だから、多度津町では高見島がやっているので佐柳島では行えないし、三豊市では粟島が手をあげたら志々島ではできないということらしい。

 

 11時ちょうどに高速艇「ニュー・ビサン」に乗り込んで同10分に出航して海上15分でしわく広島・江の浦港に着く。そこから軽トラで我が家まで数分。

 

 これが我が家の「暁光庵」。軽くお昼を食べて・・・

 

 島の唯一のガソリンスタンド。ここにパンクをしたタイヤを預けてあるので取りにきたのだが、午後2時まで不在・・とのこと。

 

 これまた、島唯一のお店である「天野ショッピングセンター」に表敬訪問。ご夫妻に島に帰ったことを報告したついでに缶ビールを買って帰る。あると思って今回はビールを用意してこなかったら、先日の秋祭りの際に飲んでしまっていたらしい・・。ビールがないのはなんとも心さびしいものなのだ。

 

 フェイスブックで「両墓(りょうぼ)制」の話が出ていたので、それぞれの集落のお墓を見て回ったが、近年は地方(じかた)=本土で施設に入り、病気などで亡くなって本土で火葬にされ、初七日の法要も済ませて、本土の親戚に引き取られるから、こうした「埋め墓」は作られなくなった。最も新しいと思われるこのお墓も平成22年のもの。6年前のものである。

 

 この集落でも、新しい立派な「参り墓」は作られているが、新しい「埋め墓」はない。手前に見える自然石は、はるか昔の埋め墓である。

 

 どの集落も似たようなもので、新しい「埋め墓」はない。このしわく広島でも「両墓制」は消えてしまっている。

 

 我が家の前の敷地もきれいに草を刈ってくれていた。ここから海が見えたらいいのだが、防風林がその先にあるので海は見えない。

 

 14時半過ぎにガソリンスタンドに行くと、新しいタイヤを用意してくれていた。これで6,000円である。少しばかりお値段するけど、島という環境では仕方がない。ガスでもビールでもお酒でもガソリンでも「フェリー代」という輸送費がかかるのだから仕方がない。

 

 今日の掲示板はこれ。「世の中の大事なことって たいてい面倒くさい」という宮崎駿さんの言葉から。プロフェッショナル 仕事の流儀 宮崎駿スペシャル「風立ちぬ1000日の記録  において、宮崎駿さんが作業しながら話していた言葉に多くの方々が共 感、感動したようだ。その言葉とは「大事なことって たいてい面倒くさい」NHKはその言葉をクローズアップし、多くの方々に共感を与えたらしい。逆に 言えば、「世の中のどうでもいいことって、たいていが簡単すぎる」。そりゃぁ、そうだ。納得だ。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。

 


ようやくに もみじ色づく 山の寺

2016年11月03日 | お役目ごくろうさまであらっしゃいます。

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は今期最低の12.1度から17.4度、湿度は76%から56%、風が強くて6mから10mの西の風が吹き荒れていた。明日の4日は、引き続き高気圧に覆われて、晴れる見込みらしい。

 

 今日はご案内の通り、さぬき市へんろ88ウォークの日である。スタッフは10時に大窪寺駐車場に集合とのことであったので、私は8時半にわが家を出て9時過ぎに大窪寺に着いた。

 

 事前に今日の大窪寺の紅葉具合を確かめておきたいと考えたからだった。最近は朝夕の気温が下がってきたので日増しに紅葉の具合が進んできている。

 

 阿弥陀堂前の大イチョウもぐんと黄色くなってきた。お遍路さんがやってくるたびに、「わぁ~スゴイ・・」を連発しているが、ここの紅葉はこれからが本番。

 

 こういうものも用意されていたが、強い西風を受けて倒れてばかりいるので片付けられてしまった。テントが吹き飛ばされそうな強い西風が吹き付けてくるのだ。

 

 私は利尿剤を飲んでいるせいもあって、とにかく30分に一度はトイレに歩く。ところが、ここから八十八庵(やそばあん:お土産物さん)横の公衆トイレまでは案外と距離がある。8往復もすれば足が痛くなってくる。

 

 10時から待機をしていたが、初心者コースの人でも90分はかかるので11時半ごろまでは誰も来ない。また、ゴールインしても自分で大窪寺にお参りに行ってしまう。今回はなぜか、「案内所」とかの看板を用意しなかったせいもあるかも知れない。それに会を重ねると、勝手知ったるなんとかで気ままにお土産を買いに行ったり、うどん屋さんに駆け込んでしまう。

 

 トイレに行ったついでに境内を見ると、ゼッケンをつけた人が多い。ガイドなんか必要とせずに自分たちで大窪寺の秋を楽しんでいる。今日は休日ともあって、お遍路さんも多いし、一般の方のお参りも多い。

 

 スタッフのお昼はこれ。おうどんとおむすびのセットである。体が冷えていたので温かいおうどんはすっとおなかに収まってしまった。

 

 中間コースの「へんろ道コース」は前山ダムから大窪寺までの約11Kmの3時間を予定。それらの人の中から三人、二人・・とガイドを希望する人が出てきた。対応するガイドは6人、会長と女性3人は受付対応。

 

 手分けをして大窪寺を案内する。同じ養成講座で勉強しても、6人6様。視点が違うから話す内容もさまざま。

 

 若い子はガイドなんぞお構いなし。勝手に楽しく遊んでいる。難しい歴史のお話をしてもうわの空。こういうガイドは楽でいい。

 

 このガイドさんは資料片手に細かく説明しているが、そういうお話は男性のおじさんが多い。

 

 もみじの紅葉はまだまだ・・という所。

 

 今日の掲示板はこれ。「頭が下がる 頭を下げる 同じようで大違いである」というもの。私達は、自分にとって何らかの利益をもたらしてくれるものには頭を下げるけれど、それ以外のものに対しては頭を下げることなどあまりしないもの。しかも、心の中でそれが損か得かを素早く計算して「得」の答が出た時だけ頭を下げることが多いようだ。また、自分は愚か者であるとか、罪深い者ですと言って、暗い顔をしてうなだれる人がある。それは、実は頭を下げたくない心で頭を下げさせられているだけのことで、負けたくない心でしぶしぶ現実に負けていることを認めている劣等感の表れに過ぎない。そのような心の葛藤がよけいにその人を暗くしてしまうのだ。同じ頭を下げるのでも、嫌々ながら下げるのと、自然と下がるのでは相手に対する印象もかなり違うように思われた。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


秋の日の お茶のぬるさに 止まる舌

2016年11月02日 | 自然ありのままに

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていた。気温は12.6度から17.6度、湿度は79%から64%、風は2mから6mの東の風が一時は強かった。明日の3日は、寒気の影響で概ね曇る見込みらしい。

 

 午前中は、防災訓練の案内状を自治会の会員さん宅へ歩いて配ったり、奥方の用事でお医者さんに寄ったり、薬局で薬を処方してもらったり・・・

 

 スーパーで食材を買ったりしてお昼が来てしまった。介護施設もいろいろ考えての上か、マイクロバス数台を連ねて、利用者さんを買い物に連れてきている。それだから、レジは渋滞して動かない。

 

 さて、明日はさぬき市のへんろ88ウォークが行われる日。さぬき市の特色である四国霊場八十八ケ所の86番志度寺、87番長尾寺、88番大窪寺までを遍路道や史跡・文化財を巡りながらウォーキングを楽しむもの。

 

 ①3カ寺完歩コース(約26Km、約6時間)は、さぬき市役所⇒86番志度寺⇒87番長尾寺⇒前山おへんろ交流サロン⇒細川家住宅(国指定重要文化財)⇒88番大窪寺というコース。②へんろ道コース(約11Km、約3時間)は、前山おへんろ交流サロン⇒細川家住宅(国指定重要文化財)⇒88番大窪寺というコース。③結願コース(約5Km、約1時間30分)は、多和診療所⇒88番大窪寺というコース。

 

 私たちは大窪寺の駐車場のゴール地点で待機していて、希望者に大窪寺のガイドをする担当である。

 

 ということで、今日はその下見にやってきた。まぁ、下見をしなくても30日に養成講座でガイドをしたばかりだから大丈夫なんだけれど、まぁ、お山は一日一日変化するもの。

 

 三日前には緑のままだった境内の大銀杏はこんなに黄色くなってきたし、葉っぱもハラハラと落ちだしてきている。

 

 私たちは先達さんやないので、宗教的なことはお話しない。まぁ、質問されれば基本的なことはお話できないといけないけれど、そういうことはお坊さんに聞いてくださいとしか言えない。「霊場というのは、霊魂がいるのですか」とかと聞かれても、そんなことは知らない・・・。

 

 「あれは何ですか」と訊かれたら、「錫杖(しゃくじょう)」の頭部で、歩くたびにチャリン・チャリンと音を出して、クマやサルに知らせて追い払ったり、アリや虫たちを踏みつぶさないようにするものです」くらいなことかな。あまり詳しいことは知らない。

 

 「あの後ろのお堂は納骨堂ですか」と訊かれたことがある。「さぁ、お寺の方に訊いてください」というしかない。普段は入ることはできない場所で、養成講座の資料にも記載はない。「奥殿」ということになっているので、納骨堂ではないと思うのだが。

 

 三年前だかには、「あなたの知らない大窪寺探検」とかとやったのだが、先輩のガイドは訊かずに、私なりのガイドをやったもので、そんな知らない大窪寺の謎があるのかと探してみたけど見つからない。

 

 帰り道、東かがわ市五名(ごみょう)にある五名小学校中学校跡。ここも廃校になって久しく、老朽化が進んでいるため、近く解体される予定だとか。校庭の片隅に机や椅子が無造作に積み上げられているのが哀れさを誘う。

 

 このイチョウも黄色さが鮮やかになってきた。この木は保存されると思いたい。

 

 今日の掲示板はこれ。「できるかできないかは、やってみなければわからない」というもの。この言葉は「無責任だ」という声が多い。特にスポーツの場合である。アイススケートでも卓球でもサッカーの試合だって、「やってみなくちゃわからんだろうが・・」という声を聞く。確かに試合やゲームは「やってみなければわからない」。それを、「責任転嫁だ」とか「無責任だ」と受け取るかどうかは場合にもよると思うが、やっぱり、やってみなければわからない。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


霜月と なってエアコンを 頼りだし

2016年11月01日 | 今週も俵札調査

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていたが、お昼前からは寒気の影響で曇ってきた。気温は14.0度から19.9度、湿度は84%から62%。風は2mから4mの北西の風が吹いて肌寒く感じた一日になった。明日の2日は、引き続き寒気の影響で概ね曇るらしい。

 

 恒例の火曜日はさぬき市前山にある「おへんろ交流サロン」に出勤。ちゃんとここには出勤簿が用意されていて、セルフサービスで出勤印を押すようになっている。

 

 昨年のことは覚えていないが、今年は「歩き遍路」さんが多いように思う。若い人も多いが中高年の男性も多いと思う。

 

 それに外国人が多くなったように思う。フランス人にオーストラリア人、ドイツ人・・・。ご夫婦連れの外国人も増えたと思う。

 

 だから、外国人用の般若心経も販売されている。

 

 今日から11月ということで、今日は男性3人、女性2人の出社になった。もう、あらかた作業は片付いてしまった。

 

 ということで、私は渡邊会長が担当している「寒川家」のデータをお借りして、瀬戸内海の島からのお遍路さんを調べてみた。これだけの22人だった。案外と少ないと思ったが、島からのおへんろさんということに注目していなかったから注意して読まなかった可能性があるとのこと。

 

 結局の薬局で、私が担当した田淵家のデータが目立っている。案外と少ないなぁという印象。

 

 肝心の観音寺市伊吹島の娘遍路の納め札は発見できなかった。はてさて、どういう論法でまとめようかと思案するばかり。

 

 ふと見ると、こんなものが。「納め札」と分類されている中にあったものだが、これも「納め札」なんだろうか。中央に「南無阿弥陀仏」という文字と、右側に「天下和順 国土安全」、左側に「日月清明 五穀成就」の文字・・・。はてさて。

 

 これは「納め札」らしいが、マンガ付きのものは初めて見た・・・。これらこそ、展示しておかならぬもの。どうして、こんな紙くずの中に埋もれていたのだろうか。

 

 これが、今月上旬の画像ファイル。今日は、28y11m01のフォルダーにある画像と、今日、撮影した画像ファイルとで、今日のブログを更新している。

 

 今日、会長さんは保険屋さんと交渉していたが、団体でボランティア保険を掛けるらしい。この「おへんろつかさの会」の会員は180名弱らしい。私らがここに出勤して帰るまでの間とか、養成講座のサポートをしている間の事故なんぞを考えてのことらしい。はてさて、どうなったもんだろうか。

 

 今日の掲示板はあっさりとこれ。「反省することは反省する。でも一度寝たら忘れる」という、ヤクルトの生んだスーパーキャッチャーであり名監督であった古田敦也さんの言葉から。反省は大事だけど、それをいつまでも引きずっていると「暗くなる」。一度反省したなら、それを次回に活かせばいい。明日は明日の風が吹くものだ。もっとも、私は加齢のためか寝なくてもすっかりと忘れてしまうのだが・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えたらいいね。


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