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まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

雨のあと 光るしずくの ススキの穂

2014年12月16日 | 今日もしっかりとお勉強・・。

 さぬき市地方は低気圧や前線の影響で雨が降っていた。その後も寒気の影響で雲が広がり、雪や雨の降る所がある見込みらしい。気温は5度から10度、湿度は74%から58%、風は2mから5mの西北西の風が吹き荒れていた。明日の17日は、冬型の気圧配置が強まるため雲が広がり、雪や雨の降る所があるらしい。

 

 眼が見えるようになってくるとじっとしていられなくなる。「今日は雨だからおうちにいましょうよ」と、奥方はこどもをあやすように言うのだけれど、青年が初めて運転免許を取ったみたいに、いそいそと出かける用意をしてしまう。

 

 「年賀状を出して来る・・・」と、年賀状の束を掴んで家を出た。

  

 これで、年末の大きな仕事の一つが終わった。

 

 で、次に向かったのが「高松市玉藻町」にある香川県立ミュージアム。ここまで特段の違和感も不安もなくて走って来られた。さすがに高松市内は車が多いが、特段の恐怖感も感じなかった。市内も小雨が降り続いていたが、さしたる問題もなくて地下駐車場に滑り込んだ。

 

 香川県立ミュージアムでは常設展が行われているだけなのだが、「見て・知って・行ってみよう ふるさとの島」という展示が行われている。この展示は12月25日まで行われている。この絵は、「豊島俯瞰図」というもの。

 

 これは直島の「刺し子ドンザ」という漁師の着物である。このさまざまな模様の刺し子で飾られた立派なもの。こういうものは網元しか着られなかったという。

 

 これは「阿波木偶(あわでこ)」の恵比寿だが、イリコで有名な伊吹島の網元宅の神棚にまつられて「漁の神様」の「ヨベッサン」と「リョースケサン(漁助さん)」と呼ばれていたという。

 

 塩飽の島々からは、咸臨丸に乗り組んでいた「向井仁助」の写真やセルビア号の砲弾」、「セルビア号からの感謝状」などが展示されていた。この向井仁助の写真は、讃岐人としては第一号と言われている。

 

 この砲弾は「セルビア号砲弾」とされている。正しくは「英国艦隊から発射された砲弾」というべきもので、慶応二年」に、シルビア号は瀬戸内海には来ていなかったのだけれど。

 

 この書類も「英国軍艦セルビア艦長ジョン氏ヨリ廣島村民宛感謝状」1898年となっているが、1898年にはシルビア号は退役解体されていて存在しないのだが、そういう訂正も修正も行われずに、伝えられたままに展示公開されている。

 

 今日はどこで食べようか、何を食べようかと考えながら走ったのだけれど、結局の薬局で、さぬき市志度まで戻ってきて、「こがね製麺所志度店」になった。「あそこは車線が反対だな」、「あそこは駐車場がいっぱいやな」・・・などと考えながら走ったあげくがここになったのである。

 

 で、今日も「しっぽくうどん小」になって400円。でも、舌が熱をもっているのか、体調が良くないのか、味がいまいちわからない・・・。眼からはおいしそうに見えるのだけれど。

 

 午後からは風も冷たくなってきて、今夜から明日にかけては寒くなるらしい。山沿いでは雪になるという予想が出ている。

 

 今日の掲示板はこれ。「感動させる人も確かに偉いけれども 感動する心を持った人の方がもっとすばらしい!」というもの。ひろはまかずとし(葉墨彩画家)さんの言葉らしい。世間慣れというか世間ずれというか、永く生きていると、だんだんと感動をするこころが薄れてくる。味を感じる舌にも、きれいな音楽を聴く耳にも、良きものを見る眼にも、だんだんとほこりが積み上がり、垢が盛り上がってくるのかも知れないなぁと感じたことだった。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


霜の朝 立木は凛と 立ち尽くす

2014年12月15日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は気圧の谷や寒気の影響で、瀬戸内側を中心に雲が広がっていた。気温は3度から8度、湿度は66%から58%、風は2mから4mの西北西の風が少し。明日の16日は、南海上を通過する低気圧の影響で雲が広がり、朝から昼過ぎにかけては雨が降る見込みらしい。夜には寒気の影響で雪の降る所があるらしい。

 

 今日は元日から数えて350日目で、年末まであと、16日しかないという。ま、今の私にすれば10日でも7日でもかまわない。

 

 今朝、ケージを覗いてみれば、そのままサルはネットの中で観念したように座っていたが、夕方にはサルの姿はなくて、壊された箇所を補修しているところだった。サルは逃げたのだか、放したものかはわからない。このあたりではサルを食べる習慣は聞いたことがない。でも、こんな細いアルミ材では壊れてしまう。

 

 あたりには仲間を気遣ってか、あちらこちらでサルの声がする。だから、わが家の迷犬ごんは金縛りにあったように動かない。サルの気配だけでもこわくて震えるのだからあきれてしまう。まったく、情けない犬であることよ。

 

 わが家に戻ってきても、ベランダの床下に潜り込んで隠れてしまう。番犬にならない犬はわが家にはいらないのだけれど。そのクセ、「エサだけはちょうだい、ちょうだい」と言うのだから・・・。

 

 おかげさまで、左目はよく見えるようにはなったのだけれど、右目がついていけなくなったのか、妙に肩こりがする。「テレビは見てはいけない」、「本を読んでもいけない」とか言われたのだけれど、これまた一週間くらいは我慢しないといけないのだろうか。

 

 どうしても、ブログの更新やらホームページの更新などでディスプレーをながめてしまう。眼が見えるようになったからと、レポートや法話原稿をのぞいてしまう。昨夜も両肩一面に湿布薬を貼ってもらったのだけれど、夕方になると痛みが増して来る。

 

 それでは気分転換でもと、隣町の電気屋さんに行って来た。しばらく見ないうちに、テレビは大型になって「4K」とかというすごく画素が細かなものになっている。そこまで見えなくてもいいのになぁとかと思った。

 

 で、相変わらずのプリンター用のトナーとインクを買った。本屋さんにも入ってみたが、活字はまだまだ読みたいとは思わない。

 

 今日のお昼は久々にここになった。木田郡三木町にある「讃岐手打ちうどん寒川」というセルフのお店である。

 

 で、冬のおうどんと言えばこれで、「しっぽくうどん」。一玉の「小」で350円。野菜がどっさりと入って居てからだが温まる。だが、こういう車の運転も眼を使うから控えたほうがいいのかも知れないが、いつまでも甘えてばかりもいられない。少しずつでも慣れていかなければ・・・。

 

 ま、1日、1日、我慢我慢の毎日だなぁと思う今日このごろではある。

 

 今日の掲示板はこれ。「この不思議ないのち それを今 生きさしてもらっている」という、東井義雄先生の言葉から。まったく、最近は「いのちの不思議さ」というものを噛みしめている。どこが不自由でも生きるのが辛くなる。辛くなっても生きねばならぬ。正座ができないということだけでも痛くて辛くて涙が出た。足を引きずりながら歩く辛さも噛みしめた。片眼で歩く不便さや呼吸困難にも陥った。それでも「生きねばならぬ」といういのちの強靱さ。まったく、そんないのちを、今、生かせてもらっている有り難さを噛みしめている。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


霜の朝 寝過ぎた夢は 速すぎる

2014年12月14日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は冬型の気圧配置となっているため瀬戸内側を中心に雲が広がり、雪や雨の降っている所があったという。気温は2度から6度、湿度は61%から55%、風は3mから6mの西の風が強かった。明日の15日は、気圧の谷や湿った空気の影響で、雲が広がりやすい見込みらしい。

  

 朝方は青空が見えてさわやかな朝になったし、水桶では1Cmほどの氷が張っていた。初氷・・・なのかも知れなかった。

 

 昨夜は三男のたっくんがお見舞いに来てくれて、「退院祝賀会」になった。本当は「アルコールは控えてください」とされているのだが、「少々はいいだろう・・」ということで大宴会になった。おかげで、今朝は全員が起きたのは8時過ぎだった。寒さよけのために雨戸を閉めていたせいでもあった

 

 迷犬ごんの散歩の時、先日から設置されているケージの中に何か入っているなぁと覗いてみると、一匹のサルが入って騒いでいた。ケージの一部が壊されている・・・。サルも必死で逃げ場を探した様子。網に噛みついたり、地面を掘ってケージの下から脱走しようとしてみたり・・・。

 

 近寄ってみると、さかんに口を開けて威嚇してくる。散歩をしていた夫婦に聞いて見れば、サルを捕獲して、標識を付けるためなんだそうだが、早く処理しないと網なんぞ破って逃げてしまいそうな元気さである。でも、せっかく捕まえたのに、放すのんか・・・。

 

 朝食が終わると、三男のたっくんは「投票に行って来る・・・」と帰っていった。奥方は「次男」ちの畑にたまねぎを植えてくる・・・と出かけて行った。私は「静養中」ということで、引きこもりをすることにした。空気が冷たいのと、西風が出てきたので、「肺炎になってもいけない」という理由をつけて・・・。

 

 で、昨日の続きの、年賀状の「ひとことメッセージ」書き。それも休み休みしながらの作業。お昼前には120枚を書き上げて終わった。

 

 年賀状の引き受け開始は12月15日。つまり、明日の月曜日ではないか。そして、待ちわびた年金支給日。永かったこの二ヶ月間だった。バス研修もあったし、京都の本山での報恩講もあったし・・・。眼の手術もあって、お財布も銀行口座もすっかりと寂しくなった。

 

 おこた用端末に、ホームページ作成ソフトのバージョンアップをしておく。私のホームページをOCNというプロバイダーからピカラというプロバイダーに引っ越しをするためである。もちろん、デスク上にはデスクトップPCには、HP更新用のソフトがあって、常時、更新可能になっている。ま、冬用・・・というわがまま端末である。

 

 明日からの一週間は「安静」の一週間。18日の木曜の朝、眼科外来での診察日。ここでOKが出れば洗面も洗髪もできることになるらしい。お風呂もゆったりと入れるらしい。それまでは窮屈な4日間・・・。

 

 今年の残る予定は、21日の「木食(もくじき)研究会」と、24日の内科の予約診察日だけ。そして、30日の餅つきほかの迎春準備。淡々とこなすほかない。今年は忘年会も家族旅行もない。今年は静かな年末になりそうだ。

 

 眼のほうは、多少充血したままだが、痛みもないしかゆみもない。ま、両目で見えるということで、階段を手すりなしで昇降できるようになったのがうれしい程度。今日は日曜日ということで車にも乗らなかった。ただ、肩こりがひどいのは眼のせいなのか、手術時の緊張からなのかはわからない。

 

 「冬来たりなば、春遠からじ・・」とは言うものの、これからが冬本番。来年三月のお彼岸明けまではまだまだ遠い・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「辛いことも乗り越えれば 生きる力になります」というもの。これまた、誰の言葉かはわからない。辛いことも、悲しいことも、苦しいことも、それを乗り越えたとき、生きる力にもなるし、生きる励ましにもなる。人生に無駄な事なんてすこしもない。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


駆け抜ける 木の葉落ち葉の 速いこと

2014年12月13日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は冬型の気圧配置となっているために雲が広がり、雪や雨の降っている所があったという。気温は初の氷点下0度一分から6度どまり。湿度は80%から54%、風は4mから5mの西の風がやや強かった。全くの冬になった。明日の14日は、冬型の気圧配置が続くため、雲が広がりやすく、朝まで雪や雨の降る所がある見込みらしい。

  

 一週間は顔も洗えず、ひげも剃れず、風呂に入っても顔にお湯がかからぬようにすることなど、制約は多い。酒もビールも控えてくださいというので、少しだけ飲んだらおいしかった。おいしくて涙があふれたかと思ったら、それは出血だった。思わずに食事もせずに寝てしまった。夕方の6時半からのお休みになった。でも、朝の7時半までぐっすりと寝た。気疲れだったのか、ストレスだったのか、それらからの解放だったのか・・・。

 

 朝ご飯代わりにこれ。奥方はお仕事に出かけて行った。毎週土曜日はケアマネ業務。昨日の治療費が気になっている様子。

 

 一度の点眼はこれだけ。左からの緑・赤の点眼薬は、起床時・朝・昼・夕・就寝時の1日5回。黄色いものは朝・昼・夕の3回。炎症を抑えたり細菌感染を防ぐためのもの。他に飲み薬でカプセルが二個、細菌感染を防ぐものと胃の粘膜を守るもの。朝はそのほかに心臓の薬があるので、こんな量になる。

 

 カプセル以外が心臓の薬や利尿剤など・・・。

 

 今朝になって気づいたのだが、パソコン操作やデスクワークは裸眼でできるようになった。これまでは老眼鏡が必要だったのに。さすがに遠くを見るにはメガネが必要。

 

 で、10時過ぎになって車に乗ってみた。山道だから人も車もいない田舎道。快適に運転できるじゃないか。讃岐弁では、これを「うれしげに車に乗っとるが・・」と言う。「自慢そうに」とか「生意気に・・・」というような意味合いである。

 

 で、山を一つ越えた隣町にあるスーパーに行ってみた。ウエットティッシュや消毒剤、来年のカレンダーの予定表の書き込めるものなんぞを、「うれしげに」買ってみた。来年の予定表が見えてきたような気がするからである。

 

 電気屋さんで、大きなパソコン用のディスプレーを買おうと思ったけれど、裸眼でパソコン操作できるなら、それは不要かも・・・と思い直して戻って来た。

 

 これだけ見えるようになったら、10万円の治療費は安いモンだなぁと思った。ただ、左目が見えなくなったのは今年の10月上旬だったから、「手術をして世の中が変わって見える」とか「他人さんのシミやシワがよく見える・・」というような画期的な感動はない。少し前、二ヶ月ほど前に戻ったというだけのことだから。

 

 だから、こういう赤色を見ても、なんら感動はない。何年もかけて白内障が進んだ人ならば、そういう感動があるのだろうけれど、私の場合は右目がしっかりと見えているし、左目は二ヶ月ほど前に戻った・・・ということだから。

 

 それでは・・・ということで、年賀状の下の段に、一言メッセージを書いていたら・・・、さすがにこれはまだ無理・・・。すぐに肩こりがして頭痛がしてきてやめてしまった。人工レンズはピントを合わすことができない。固定レンズだから、右目や頭の中で画像を調整するのかも知れない。

 

 ブログを書くのも休み休みしながら・・・。ま、一週間は無理はできそうにない。

 

 ということで、まずは良かった、良かった・・・ということで。

 

 今日の掲示板はこれ。「年は唯 黙々として行くのみぞ」という高浜虚子の俳句から。擬人化表現を用いて、去る年を表現しているのが特色といえるだろう。似たような句に、「去年今年貫く棒の如きもの」というものがある。この句は、時の流れを暗い混沌としたものとしてとらえ、それを貫くようにして太々とした棒のごとき存在を意識しているのである。きわめて抽象的な認識であるにもかかわらず、説得力があるのは、虚子の自信に裏うちされた一句であることによるものだろう。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


枯れ葉という 些細なことに おどろいて

2014年12月12日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 東かがわ市地方は冬型の気圧配置となっているため瀬戸内側を中心に雲が広がっていた。気温は4度から10度、湿度は74%から66%、風は2mから4mの西の風が少しばかり。眼の手術をした私にすれば曇った天気は眼に優しい。

 

 とにかくすることがないので、朝食が来るまでベッドに横になっていた。顔も洗えず、テレビもないし、タブレットにも触ってはならないと言われたし・・・。朝食がやってくると、ようやくに手を洗って口をすすいで・・・。

 

 朝食は心臓食の普通食。ご飯も硬いし、野菜も硬い。しかし、おなかが空いているものであっという間に完食した。歯磨きは普通にしてもいいそうだ。朝食後は普通に心臓用の薬を飲んだ。

 こちらがわが第三病棟の一般病室。この扉の奥が「差額病室」。つまりは「個室」で、四室ある。その最高の部屋が320号室。一日が6000円ほど。驚くほどではないが、私の場合は1泊2日だから12,000円弱。奥方は「想定外だわ・・」とぶつぶつ言っている。

 

 個人情報保護のため「在室」の表示しかされていない。

 

 9時前に眼科外来に呼ばれて病室を出てナースステーションを経て、エレベーターホールに向かう。まだ、左目にはガーゼが当てられたまんま。

 

 眼科では担当ドクターからの眼の検査があって、「OK」が出て、「手術は成功」。5人ともみな、無事に手術は終わった様子。全員が「やれやれ・・。良かったね」と喜び合う。

 

 人工レンズを保護するために、こういうシールドを当分は当てる必要があるという。特に夜間に寝るときには・・・。この小さな穴のおかげでわずかに両目で見られるのだが、まったく、ピントが合わないし、左目はぼやけていて、「世の中が変わったように見える」とか、「床のほこりがよく見える」という感覚ではない。「こんな焦点の合わない眼でこれからを過ごすのか・・・」という不安の方が強かった。;

 

 病院にもクリスマスツリーが飾られている。昼食前にも眼科外来に呼ばれて視力検査などが行われた。左目は裸眼で「1.2」。正常だと言われた。あとはメガネで強制できるが、裸眼でも近くは見えるはずだとも言われた。

 

 昼食後にも呼ばれて、眼底検査などを受けて「退院許可」が出た。そうこうしているあいだに、人間の身体は不思議なもので、しだいに両目のピントが合ってくる。そして・・・久しぶりに「立体感」が見えてくる。「あ・・・・見える・・・・」

 

 まだ、完全にものごとが見える訳ではないが、両目で違和感なくものが見える。まだ、完全にピントが合っているわけではないが、今までのような不自由さはなくなった。

 

 このID認識ベルトを切ってもらって退院することになった。二日間の治療費は約10万円。もちろん、普通の病室で過ごしたら、もっとお安くなった筈。

 

 わが家に戻るのも、今回は奥方にお願いした。迷犬ごんが「散歩に行こうよ」とダンスをしてくる。昨日の朝にも行ったばかりなのに・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「些細な事に驚く力を取り戻せば 一見退屈な日常が輝いてくる」というもの。清水眞砂子(翻訳家・児童文学者 ゲド戦記訳者)の言葉らしい。さも、悟りきったように、「そうじゃ、そうじゃ」とか「ありのままじゃ」「そのまんまじゃ」と、ものごとの本質も中身も見ないままに年月を過ごしているが、些細な霜の朝や、雨に濡れたサンシュウの赤い実や・・に驚く力を見いだしたとき、確かに確かに、退屈な毎日が恥ずかしくなり、退屈な日常が輝いて見えてくる・・・・。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


霜の朝 寝過ぎた夢は 遠すぎる

2014年12月11日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は冬型の気圧配置となるため、雲が広がっていて、小雨の降っている所もあった。気温は4度から10度、湿度は7%から%、風は2mから3mの風が少しばかり。明日の12日は、冬型の気圧配置が強まるため雲が広がり、夕方にかけて雨や雪の降る所がある見込みとか。

 

 で、予定通りに8時半に県立病院に着いて入院の手続きをする。この病院の場合、白内障手術の場合は一泊二日の入院になるらしい。手続きが終われば眼科の外来に案内される。

 

 眼科外来では、簡単な眼の検査と、まつげを切る処置が行われ、手術する眼にガーゼを当てて絆創膏で止める。見れば、そういう人が四人・・・。私を入れて五人ということになる。女性のおばさんが三人と男性が二人。この五人が今日の手術ということになっているらしい。

 

 処置が終われば、手術室担当の看護師が手術室に案内してくれて、どういう手術を行うのかを説明してくれる。私の場合は、奥のベッド状の手術室。他の方々は手前の簡易手術室。私の場合は、「局所麻酔」+「睡眠導入剤」で行うが、呼吸困難になると「静脈麻酔」、っさらに異常事態には「全身麻酔」を行うという重大な手術を予定しているという。

 

 そういう重大手術のため、特別な個室で点滴の嵐になる。一時には5袋の点滴が吊された。入院後はテレビもタブレット端末も禁止。このテレビ台は撤去されて大型の点滴ポンプや酸素マスク、タンの吸引器などものものしい設備が運び込まれた。

 

 入院後の注意事項や禁止事項が説明され、15分ごとに点眼が行われる・・・。足下には紙おしめや紙パンツまで用意されている。いったい、私はどんな手術を受けるのだろうか。

 

 全身麻酔をかけることがあるので昼食は抜きだし、水分の補給も禁止になった。おなかをからっぽにして手術室に入ることになる。前の四人は30分間隔で手術が行われて、私は15時からの手術になった。

 

 ところが、睡眠導入剤も、尿管挿入もなく、淡々とオペが始まった。だから、いつなっても眠たくならない・・・。

 

 オペは、こういう顕微鏡を使っての手術になる。画像はあくまで参考画面。こういうシートの下で、自動血圧計や酸素マスクなどを装着させられて寝かされているわけだ。で、血圧や心臓音、呼吸数などをモニターしながら手術が始まるのだが、「局所麻酔」だけで、粛々と手術は進む。

 

 手術が終わったのは16時前。結局の薬局、ものすごい準備をしたのに、単なる普通の「局所麻酔」でのオペで終わってしまった・・・という、「泰山鳴動鼠一匹」。看護師さんたちのあきれ顔・・・。「あれだけ準備したのに・・・・」。ただ、私の病院着は汗でべとべとになっていたし、手術台上に敷かれたシーツも大量の汗で濡れていたという。

 

 ま、特別室に入っているので、トイレは部屋の中にあるので、数歩あるけばいいだけのこと。洗面台も部屋にあるし。

 

 18時からの夕食はおかゆさんとやわらかい野菜。お昼抜きだったからあっという間に食べて終わった。奥方もあきれて、早々に帰ってしまった。

 

 それからの夜の長かったこと。緊張感からか、神経が敏感になったものか、エアコンの音、廊下を通る人の足音など、普段には気にもならない音が耳について寝られない。22時過ぎからはおなかすいてきてグルグル・・という音でまた寝られない・・・。でも、朝方にはぐうぐうと寝てしまっていた。

 

 今日の掲示板はこれ。「できるかできないではなく やるかやらないか」という言葉。正式には、問題なのは 『できるかできないか』、ではなく、『やるかやらないか』 である。この言葉を聞いたことが無い人はほとんどいないだろう。それほどまでに大衆にも知れ渡っている有名な名言である。あまりにも有名でいろんな人がいろんなところで使っているために、最初にこの名言を残した人はわかっていない。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。

 


舞う木の葉 知り得たことは 小声にて

2014年12月10日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れているが、気圧の谷や湿った空気の影響で夜は雲が広がる見込みらしい。気温は2度から11度、湿度は80%から66%、風は3mから1mの北北東の風が少しばかり。比較的温かい一日になった。明日の11日は、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、昼前にかけて雨が降るらしい。

 

 いいお天気になったものだから、お布団を干して、二階部分の掃除をしなさいと奥方に言われて、しぶしぶ、掃除にとりかかった。奥方は一階部分だから、相当に広い面積。私は十畳間の和室と洋間の二間とわずかばかりの廊下とトイレ。やる気になればあっという間なんだけれど。

 

 「お掃除は、掃除機よ、掃除機よ、掃除機よ・・・」と奥方の声。私は掃除機の音が嫌いなものだから、ほうきで掃除をしてしまう。だから、選挙カーの連呼みたいに「掃除機」を強調する。これが「証拠写真」だ。

 

 カーペットやおこた用の布団も軽く干してほこりを払っておく・・・。

 

 で、おこたも用意して、おこた用のデスクトップPCもセットした。今年はまだ、みかんが用意できなかった。

 

 さて、待ちわびた・・・というか、とうとう・・・と言うか、白内障の手術が明日に迫った。持って行く書類や印鑑や、薬やら目薬やらを用意する。大げさなことではないし、入院には慣れているので淡々と準備する。サングラスとか、ウエット・ティッシュとか、眼科ならではの品物も必要。

 

 あれこれと片付けをしていたら、8年前の12月10日に撮影したものらしい画像が見つかった。ふーん、こういう状況だったんだ。

 

 これは今日のわが家の様子。目隠し用の椎樫がもこもこ。こちら側は足場が悪いので手入れが全くされていないというか、全く、手入れをしていない。シンボルツリーのクスノキももこもこ状態。土手の草刈りはできているのが見てとれる。

 

 さて、元、NTTに勤めていた関係で、OCNというプロバイダーを利用してきたが、今年から、さぬき市がピカラという電力会社系のプロバイダーを使うことになった関係上、電話やインターネットのプロバイダーはピカラになった。その上、このホームページサービスのPage Onというサービスもやめるらしい。そこで、ピカラの方に移転をしなければならなくなった。

 

 期限は、2015年2月28日だというので、眼の手術が成功したら、設計に入り、来年1月からデーターの移転を始めねばならない。現在は40メガで運用しているが、今度は半分の容量から。大幅削減してのリニューアルの予定。

 

 ついでだから、メール・アドレスもピカラに切り替える。これで、永年お世話になったOCNにもおさらばとなる。なお、新メール・アドレスは、「*******@md.pikara.ne.jp」 になっている。**の部分は従来通り。@以下が変更になる。早めに変更を・・・。

 

 ということで、今回はモバイルを持ち込まない入院となる。通常だと一泊二日の予定だし、眼の手術だということで、呑気にブログを書ける状況にはない。退院できたら、その経緯や結果を報告することにするので、今回はご容赦を。

 

 ということで、今夜は頭をきれいに洗い、顔もすっきりと洗って、ひげも剃って、数日は風呂には入れないし、洗顔も歯磨きもできないと覚悟して寝ることになる。

 

 明日の朝から病院に出かけ、8時半には受付に着いて、注意だの検査だの入院手続きだのがあって、午後からが手術。ま、30分程度の手術らしいが、担当のドクターは、「心臓が悪いので、麻酔薬で心臓が止まることがあるので、そのときは手術を中止しますから・・・」なんぞと脅すので、それがこわい。ま、生きて帰れることを念じてはいるが、今夜は果たして安眠できるだろうか。

  

 今日の掲示板はこれ。「頭が下がる 頭を下げる 同じようで大違いである」というもの。一見すると、「頭をさげる」ことと「頭がさがる」ことは、全く同じように見える。けれども、その内実には大きな違いがある。今は衆議院議員選挙の真っ最中。議員さんになりたい人は頭を下げて回るけれど、いざ、当選すると頭を下げたりはしない。つまり、その相手に対して心の底から頭を下げているのではなく、その相手が自分に何らかの利得をもたらしてくれるという期待感が頭を下げさせているのだと言えよう。そのために、相手に利用価値がなくなると、その途端に下っていた頭は持ち上がってしまうようである。 一方、私たちは親切にしてもらったり、いわゆる「お陰さま」という思いを持ち得た時には、自然と頭が下がるもの。日頃の自分の生活を振り返ってみて…、いかがだろうか。本当に心から「頭がさがる」ような事実と出会っておられるだろうか。

 

 じゃぁ、また、この週末にでも、会えたらいいね。


木枯らしが 古屋の屋根に 突き刺さる

2014年12月09日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて晴れていた。気温は3度から10度、湿度は84%から53%、風は3mから5mの北北西の風が少しばかり。今日は穏やかな初冬という風景になった。明日の10日は、引き続き高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 今朝は、こういう霜の輝く朝になった。初霜ではない。先日にも薄く霜が降ったのだけれど、カメラに収めるような霜でもなかったので、霜の発画像にはなるかもしれない。さすがに「冷たい」と思った朝だった。

  

 朝の間、昨日の土石流の警戒区域などを見て回ったが、深い谷から土石流が押し寄せてきても、わが家までには及ばないなぁと思った。当然、道路は土砂でふさがれるだろうが、わが家から北に向かう市道には問題はないと思う。ここに見える三軒のおうちは土石流に巻き込まれるかも知れないけれど。

 

 お昼前にお仕事から戻って来た奥方の「けいこばぁ」が「おうどんに行くよ~」というので、車に乗せてもらってうどん屋さんに向かった。途中の田んぼには「落ち穂拾い」のサル軍団が・・・。とにかく、どうしようもないのが現実。追い払っても追い払っても、エサがあればやってくる。「餌付けをしないで」と、役所は言うけれど、きんかんや柚やスダチなどを切り倒す訳にもいかないではないか。

 

 とりあえず、ここで朝昼兼用のおうどん。おなじみ、町内にある「杉本うどん」というプチ・セルフのお店である。今日は12時前だというのにお客が少ない。

 

 先日は「しっぽくうどん」で10分ほど待たされたので、今日は「わかめうどん小」で280円。ま、それなりのおうどんだった。

 

 次に、近くのスーパーからお歳暮用のおうどんを2軒宛てに送った。讃岐からのお荷物はおうどんが好評のようで。

 

 で、ついでに、「期日前投票」をすることにした。少し前には「不在者投票」だけだったと思うが、近年は「期日前投票」という言葉の方が多い。それなりに意味があるのだろうけれど。事前に「アンケート」があって、「理由」を述べて署名する。これもまた、「鉛筆」だった。ということは、このアンケートは「公的文書」ではないのだろうか。

 

 選挙の期日(いわゆる「投票日」)に投票できない有権者が、公示日又は告示日の翌日から選挙期日の前日までの期間に、選挙人名簿に登録されている市区町村と同じ市区町村において投票することができる制度で、2003年の公職選挙法改正により、これまでの不在者投票制度のうち「選挙人名簿に登録されている市町村と同じ市町村において有権者が投票する」場合について要件を緩和する形で新しく設けられた。従来あった不在者投票制度は、その対象となる有権者の範囲を縮小して存続している。(Wikipediaより) つまり、病院や介護施設、船舶や南極基地に居る人たちは「不在者投票」になるらしい。

 

 今回の選挙では、選挙区選出議員選挙では個人名を、比例代表選出議員選挙では政党名を記載するが、やはり「鉛筆」で記載するようになっている。銀行や郵便局で、鉛筆書きの書類を出したら、直ちに「ボールペン」に書き換えさせられるのに・・・。この大事な一票を投票するのに「鉛筆書き」とは・・・。市の職員が、消しゴムで消したらどうなるんだろう・・・。

 

 最高裁判所裁判官国民審査は、会社勤めの頃は「労組」から「総てに×を」と指導されたが、いつも白票で投票した。よくわからないのに、記入もできない。「これって、誰やねん・・」感がしてならない。ただ、鬼丸某氏が少しばかり気になったけれど。

 

 その後、屋島の娘んちへ「誕生日おめでとう」グッズを届けて帰宅。途中で「餅米の精米」や、今夜の食材を買ったりと、奥方のお供はいつも時間が長い。けれど、しばらくは奥方の運転でないと動けないのだから仕方がない。奥方の荷物運びくらいにはおつきあいしなければ・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「いいこと悪いこと 一切をひっくるめておかげさま」というもの。雨が降るのも晴れるのも雪が降るのも風が吹くのも単なる自然現象。雨はイヤだ、風は寒いの・・というのは人間様の都合の話。いいことも悪いこともみんながあって私が作られる。いっさいがっさいをひとくくりにして「おかげさま」である。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


成道会 荷物下ろして 冬が来る

2014年12月08日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は、はじめ晴れていたが、気圧の谷や湿った空気の影響で昼過ぎから雲が広がり、夕方から夜のはじめ頃にかけて雨の降る所があるらしい。気温は3度から11度、湿度は80%から54%、風は2mから3mの北から西の風が少し。明日の9日は、高気圧に覆われて概ね晴れる見込みらしい。

 

 12月2日17時30分、大本営より機動部隊に対して「ニイタカヤマノボレ一二〇八(ひとふたまるはち)」の暗号電文が発信された。ニイタカヤマ(新高山)は当時日本領であった台湾の山の名(現・玉山)で当時の日本の最高峰、一二〇八とは12月8日のことで、「X(エックス)日を12月8日(日本時間)と定める」の意の符丁であった。ちなみに、戦争回避で攻撃中止の場合の電文は「ツクバヤマハレ」であった。重責を背負った南雲は航海中、えらいことを引き受けてしまった、断ればよかった、うまくいくかしら、と草鹿に語りかけたと言う。(Wikipediaより)

 

 それはそうだが、今日はそんなことを話題にはしたりしない。いよいよ、白内障手術の予定線表に乗っての作業が開始された。点眼は、クラビット点眼液1.5%。手術前の感染防止のためらしい。これを一日に4回、点眼する。ということで、このタイム・テーブルが、今日から動き出す。予定では12月の15日まで。

 

 永かったようなこの日。間もなく手術だが、一面では不安だし、恐ろしいことでもある。ま、そんなことはないと思うが、麻酔中に心臓が止まることがあるという。私の場合は「心房細動」を起こしている。まれに、心臓が止まることがあるらしいが、全身をシートで覆ってあるために、それに気づかないことがあるという・・・。眼が見えるようになっても、心臓が停止していたのでは意味がない・・・。

 

 ま、そういうことはプロのドクターにお任せするしかないし、私がどうこう言える立場にはない。私は、とにかく、左目を見えるようにして欲しいだけ。

 

 さて、珍しく回覧板が回ってきた。それによると、この集落周辺の土石流災害の警戒地区とかのマップ。黄色い破線の区域が「警戒区域」らしい。

 

 東の谷の池からの土石流災害の図。わが家までは届きそうにはない。川が低いので、川で収まりそう・・・。

 

 これは西奥の谷からの土石流だが、これも、一気に川に流れ込んで収まりそう・・・。そんなに北へまでは流れないと思うのだが・・・。「Kさん宅」は押しつぶされるかも。

 

 これも南西奥の谷からの土石流らしいが、谷が小さいので前のおうちの庭先で収まりそう・・・。プロではないけれど。そんなに北まで流れるとは思えない。ま、希望的観測なんだけれど。この基本的な地図には、わが家はまだ記載されていない。

 

 今日は「成道会(じょうどうえ)」。成道会とは、お釈迦さまの降魔成道(悟りを開くこと)を記念しておこなわれる法要のこと。我が国では、釈尊は朧月(旧暦12月)の8日に降魔成道したと伝えられており、『朧八会(ろうはちえ)』とも呼んで、この日に法要が行われると聞いた。特に禅宗では、釈迦の降魔成道を記念して旧暦12月1日から8日にかけ、昼夜を通して僧堂で接心を実施する寺院がある。この間は睡眠も結跏趺坐したまま執る。これを「朧八接心」(ろうはちせっしん/ろうはつせっしん)と呼んでいる。

 

 そんな大げさなことではなくて、今日は娘の誕生日。私の娘だから、もう、40才を過ぎている筈。このおじいさんは北海道からお祝いにかけつけてくれたもの。このおじいさんもとっくにお浄土にお帰りになった。

 

 私たちも若かったな。あれから40年・・・だな。(笑)

 

 部屋の掃除もほぼ片付いたし、年賀状も印刷を終えたし、ということで、12月11日のオペを待つばかり。なかなかにこころの底からのリラックスはできないのだけれど。

 

 今日の掲示板はこれ。「時の流れに心せよ 「まだ」は忽ち「もう」となる」というもの。誰の言葉かはわからない。だが、この時期になるとついつい思い出す言葉。今年のお正月を迎えたのがつい先日のような気がするが、気がついてみれば、早くも12月の上旬が終わる。あっという間の一年ではないか。先のことだ、先のことだと考えていたことが、もう、すぐそこにやってきたぞ・・・というのが、今日の私の正直な気持ち。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


あれやこれ みんな忘れて 散るもみじ

2014年12月07日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は高気圧に覆われて概ね晴れていたが、気圧の谷や寒気の影響で雲の広がっている時期があった。気温は2度から8度、湿度は44%から56%、風は4mから2mの西の風が吹いたりやんだり・・。明日の8日は、気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がりやすく、夕方からは雨が降る見込みらしい。

 

 目が見えないということで精神的にも憂鬱な毎日。出かけるにも不便、着替えるにも不便。不便だからと寝てばかりにもいられない。何かをしなければならないが、何ができるんだろうか・・・ということで、お内仏の前に。どこのお寺さんでもお磨きとかお内仏のお掃除をしているというので・・・。

 

 とりあえず、毎年のようにお仏壇を分解してしまう。わが家の仏具は真鍮を使っていないので「お磨き」というものは必要ない。単に分解してほこりを払う程度。

 

 お仏壇は濡れた雑巾を使ってはいけないとか、金箔部分に素手で触ってはいけないとかと言われているので、羽ほうきでほこりを払い出すくらいなもの。から拭きも強く吹いてはいけないのだとかで・・・。

 

 これがわが家のご本尊さま。これも、ほこりを落とすように羽ほうきでお払いするだけ。後光や光背を傷めぬように注意しながら「お身ぬぐい」。

 

 で、元のように組み立て直しておしまい。単に、ほこりをはらっただけ・・・という印象が強い。でも、ほかにすることがない。わが家の旧宅のお仏壇の一部を前卓(まえじょく)として切り出して使っているもので、お仏壇の中にお線香やお蝋燭はない。華瓶も前卓上に置く。だから、お仏壇は汚れないし、傷まない。

 

 お昼からは奥方の歯科衛生士時代のお友達がやってきて「女子会」。一年に一度は、きつかった歯医者さんのうらみつらみをこうして思い出しては慰め合っている。

 

 私は全く話が理解できないので参加しないし、参加できない。

 

 まもなく白内障の手術があるというので、身辺整理をやっているが、今日はこの端末機周辺。なんだかんだと品物や書類が盛り上がっている。おそらく二~三年は、このパソコン周辺を掃除したことがない筈。

 

 パソコンやキーボードなんぞを外して片付けて。筆記具の整理から・・・。

 

 ボールペン・万年筆・鉛筆・ホルダーなんぞに分類して、使えるもの使えないもの、不要品なんぞを整理して片付けて・・・。いらぬ書類や手紙なんぞもゴミ箱に投げ込んで・・・。

 

 とりあえずはすっきりとしたのだけれど、いつまで、これが続くものやら。こうして、四日がかりで、この八畳の部屋は片付いたのだけれど、全体的にみれば少しの変化もみられないのだから不思議なものだ。ちっとも代わり映えがしないのだ。

 

 ともかく、明日からは施術前の点眼が始まり、いよいよ手術に向けて心構え。なんてことのない手術なんだろうが、とにかく初めての手術。身体にメスが入るのは初めてだから気分的にはこわい・・・。それも眼だというのだからさらにさらにこわい・・・。

 

 今日の掲示板はこれ。「他人の不幸は小さく見えて 自分の不幸は大きく見える」というもの。他人さまの不幸は少しもこころに響かないが、自分の不幸はものすごく悲劇に見える。私の場合には、「他人の手術ははなはだ軽く見えて、自分の手術は大きく見える」。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


弥陀の手に 委ねられての 冬日和

2014年12月06日 | 時には日々是日

 さぬき市地方は冬型の気圧配置が続いているため、雲が広がり、雪や雨の降っている所があった。気温は3度から8度、湿度は64%から58%、風は4mから5mの西の風が強くて冷たかった。明日の7日は、寒気の影響で雲が広がりやすい見込みとか。

 

 今日はすっきりと晴れて気持ちの良い朝。きりりとしたすがすがしい空気が流れていた。

 

 朝方に降ったものだろうか、あられのようなものが一面に。まるで霜のような雪のような。

 

 とりたててするような仕事もないものだから、いよいよ、年賀状の印刷にかかった。宛名書きは昨日の段階で終わっている。今日は、それを親戚・友人・ネット友人・奥方用に分類して、その分類ごとにパターンを変えて印刷する。

 

 あとは、文末に一行コメントを書けばいいようになった。できることからこつこつと・・・。

 

 お昼からはここに行って来た。さぬき市長尾西にある、真宗興正派の「秀円寺」さん。先日のバス研修で一緒になった児玉さんというお姉さんから、「六日には来てね」と言われたものでやってきたのだが・・・。

 

 ご法話が、岡山県倉敷市の「三木秀海先生」だというので、それはお邪魔しなければ・・・ということになって。三木先生には「真宗学」などを教えていただいたし、歎異抄の講義も受けたし、「正信偈講義」も近年に受講したことがある。

 

 この頃・・・12時半くらいには強い西風が吹き荒れていた。ここは、同じ、「東讃一組(いっそ)」という同じ班なのだが、なかなかにお作法が違うので、少しばかり面食らってしまった。

 

 「ご法事が始まるのに、お扉が開いていないぞ・・」と思って居たら、ご婦人たちが白い手袋をつけてしずしずと入堂して、うやうやしく「開扉」する・・・。

 

 そして、行事鐘によって、「楽人」が入堂する。本格的な法要ではないか・・・。法要は、この「楽(がく)」によって進められる。

 

 ま、難しいことは抜きにしても、「お正信偈」のふしが違うのにも驚いた。あ、今どき、こういう節回しがあるんだ・・・。私らが、子供の頃に聞いたような節回し・・・。私はご本山のお正信偈を聞き慣れているので、ひどく、なつかしいお経を聞いているような気がした。お寺、お寺によっても節回しは違うんだろうか。

 

 ご法話は、先に紹介した「三木秀海」先生。優しい声でお話をされるお方。今日は「お正信偈」についてのおはなしで、真宗門信徒にとっては基本的なお経である。その正信偈をわかりやすくお話された。

 

 正信偈の「正信」の反対の言葉は・・・。迷信・邪信・狂信・傍信・軽信・・・。信じることの難しさみたいなお話だった。

 

 みなさん、熱心にお聴聞をされている。で、肝心の、誘って呉れた児玉のお姉さんの姿は見えない。お食事やお茶のサービスなんだろうか。出会えずじまいでお寺を後にした。

 

 今日の掲示板はこれ。「ぜんぶが簡単に思いどおりになったら こんなにも楽しくないし成長もないと思うで」というもの。簡単すぎるゲームはおもしろくないし楽しくもない。思い通りになるパズルなんてあっという間に完成してしまってちっとも楽しくない。いくらかは悩みもし、いくらかは苦労するから、達成感が生まれるし経験値も上がる。人生は、そう簡単に思い通りにならないから楽しくもあるし苦しくもある。そうして、その繰り返しがあって、私たちは成長して行くものなのである。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


たまねぎの 苗を揺らせて 街宣車

2014年12月05日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は冬型の気圧配置が強まっているため瀬戸内側を中心に雲が広がり、雪や雨の降っている所があった。気圧の谷や寒気の影響で4日の香川県内は冷え込み、讃岐山脈で初冠雪を観測した。高松地方気象台によると、初冠雪は平年より13日早く、昨年よりは15日遅かった。気温は今季初の2度から7度、湿度は84%から58%、風は2mから5mの西の風が一時強かった。明日の6日は、引き続き、冬型の気圧配置となるため雲が広がりやすい見込みらしい。

 

 いよいよというか、とうとうと言うか、ついに冬がやってきたという風景。南国四国だから、雪を見ると恐怖感を覚えてしまう。雪にいい思い出は一個もない。

 

 ああ、それなのにそれなのに、奥方は「タマネギを植えるので手伝って~」と、まるで遊園地に行くように誘って呉れるが、私には地獄行きのお誘いのように聞こえた。寒さは肺炎の元、今、ここで肺炎になれば、白内障の手術どころではなくなってしまう。

 

 「しようがないわねぇ~。日曜日に出直そうか・・・」ということで、早々に帰ってきた。西風がビュゥビュゥ・・と吹き付ける畑仕事はちょっと、無理。わが家の玄関脇だってこんなありさま。掃いても掃いても落ち葉が吹き込んでくる。

 

 わが家の戻って来たら、入れ違いにイノシシのこどもが畑から出ていった。どうやら、この近くに住み着いているらしい。なべかま持たずに生きているのだから、少しは大目に見てやればいいと思うが、せっかく育てた野菜類を食べ散らかされては怒り心頭に達するらしい。

 

 昨日の続きで、室内の片付けを少しずつ。ここには、最近の研究の原稿が山積みになっている。それを急ぐもの、急がないもの、不要なものに分けて整理したが・・・

 

 あまり、効果は上がらない。それでも幾分かはゴミ箱行きが出たし、物置に移ったものもあったし・・・。

 

 肝心の机の下側・・・。ここは、さしあたって必要なものばかり・・・。

 

 この、「英国士官レキ研究」の資料4冊が、となりの部屋の本棚に移転したくらいなもの。

 

 英国士官レキのお話も、歴史をくつがえす研究だったのに、何の話題にものぼらなかったし、反響も影響もなかった。泰山鳴動鼠一匹。大きい山が音を響かせて揺れ動くので、大噴火でも起こるのかと思っていると、小さな鼠が一匹出てきただけだったという意味。今回の場合には、鼠一匹も出て来なかった。

 

 で、今年の研究、「四国遍路の影と闇 ーなぜ、人々は四国を歩き続けたのかー」と、「さぬき市における山頭火句碑を探して」という二本の研究は、目が見えなくなったので、一時お休み。来年に入ってから研究再開・・・ということにした。

 

 興正学会用の論文も、布教使研修のレポートも、とにかく、全部、来年1月から再開。とにかく、目が見えるようにならねば、どうにもならなくなっている。

 

 今日の掲示板はこれ。「生きるうえで「悩み」はつきものです。まったく悩みのない人生などあり得ません。生きるということは、すなわち悩みと共に歩くことなのです。」という、枡野俊明さんのことばから。枡野俊明(ますの しゅんみょう/1953年2月28日-/男性)さんは、神奈川県横浜市出身の曹洞宗の僧侶で作庭家。神奈川県にある建功寺の住職を務める人物であり、禅の思想と日本の伝統文化に根ざした「禅の庭」の創作活動で国内外から高い評価を獲得。日本造園設計の代表を務めるほか、多摩美術大学環境デザイン学科教授やブリティッシュコロンビア大学特別教授も兼任している。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


冬しぐれ こころの準備を 急ぐとき

2014年12月04日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は気圧の谷や湿った空気の影響で雲が広がり、一日中、雨が降っていた。気温は7度から5度、湿度は86%から82%、降水量は1mmから2mm。風は1mから4mの西北西の風が少しばっかり。明日の5日は、冬型の気圧配置となるため、雲が広がりやすく、昼前にかけて雨や雪の降る所がある見込みらしい。

 

 昨夜は弟の「たっくん」と三人での宴会になって、寝たのは22時半過ぎ。「ご飯ですよ~」と起こされたのは7時過ぎ。雨戸を閉めてあったし、外は雨だったから、ついつい、寝過ごしてしまった。ま、寝過ごしてしまっても、なんら問題はない。

 

 朝からしっかりと雨は降り続いている。たっくんは、朝食が終わると、「草刈りができないから・・」と早々に帰って行った。雨の日では、どうしようもない。

 

 白内障の手術まで一週間となった。そこで、「手術同意書」やら「入院手続き」の書類に記入したり、書名をしたりと事務的なことをやっておく。入院は1泊の予定。なんだかんだと、入退院を繰り返してはいるが、「手術」というのは今回がはじめて。心臓のカテーテルでも、メスで切ったり縫合したりはしていない。なんだか、少しばかり、おっかなびっくり。

 

 来週の8日から消毒用の目薬の点眼を始めなくてはいけないそうだ。そういう事前準備も確認しておかねば。ついで、机周りの書類やフォルダー、ファイリングなどの整理をしておく。お正月が近いと言うこともあるし、年末だからということもあるし・・・。まさかとは思うが、麻酔薬で心臓が停止することもあるらしいし・・・。

 

 それにしても、いらぬ書類が多すぎる。なんでもかんでも、クリアーファイルに挟んでは投げ込むものだから似たような書類が幾つもあるし、重複した書類もあるし・・・。A型人間にしては整理は苦手なほう。母のさっちゃん似の「O型人間」かも知れない。

 

 とにかくジャンルが多いので、うまくまとめることができないでいる。塩飽関係・塩飽史談会関係・レキ墓関係・咸臨丸関係・二十四輩関係・法然上人関係・お遍路関係・山頭火句碑関係・隠れ念仏関係・おへんろつかさ関係・布教使関係から安居関係・・・・・なんだかんだと渾然一体。

 

 整理整頓というのは、「単なる物の移動」に過ぎない。そっちから、こっちに移しただけで、総量は変化しないもの。つまりは場所が変わっただけ・・・。ファイルAからファイルDに移しただけ・・・。

 

 で、早くも来年用の日記帳にスケジュールが書き込まれる。「心臓が止まる」ことを心配しながら、来年の十二月までの予定表が記入された。どういうことなん??。いつまで生きるつもりなん??

 

 ま、手近なところが片付いたら、その少し先が渾然一体となってくる。そこを片づけたら、その先が・・・ということで、全体的に物の移動ばかりを繰り返していって、最後は諦めておしまいになる。ゴミ箱が一杯になるってことはまずない・・・。

 

 ま、今日は雨だということで、お部屋の片づけに終始した。そして、こころでは「ニイタカヤマノボレ1208」。

 

 今日の掲示板はこれ。「背負わされたと思えば荷物は重くなる 背負わせていただいたと思えば感謝になる」という、久々の荒了寛さんの言葉から。仕事だと思うから、背負った荷物が重くなる。遊びの登山だったら、いくら背負っても重いとは感じない。他人さんの親を背負ったら実に重いと感じるが、自分の母親だと重いとは感じない。思い軽いも、この私の心が決めるのである。人間とは、そんな不思議な動物である。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


悔いなしと 落ち葉もみじの 日が暮れる

2014年12月03日 | 今日もまた、病院に行って・・・。

 さぬき市地方は気圧の谷や寒気の影響で瀬戸内側を中心に雲が広がり、雨や雪の降っている所があるらしい。気温は5度から12度、湿度は65%から56%、風は3mから4mの西の風が少しばかり。明日の4日は、気圧の谷の通過や寒気の影響で、昼過ぎにかけて雨が降る見込みらしい。

 

 いよいよと冬到来だなぁと思うような朝。迷犬ごんはご機嫌を取り戻したように朝の散歩を元気よく駆けだした。もう、おさるのことは忘れたみたい。

 

 さて、今日は県立病院での予約診察日。弟のたっくんに送って貰って病院に着いたのは9時30分ごろ。予定通りだった。

 

 いつも通り、レントゲン検査・心電図検査・検体(血液)検査の後、担当の「日浦ドクター」の内科検診があった。

 

 肝臓の数値が高い。肺に水が貯まっている。血圧が142と少しばかり高い等と指摘された。「お酒の量は?」というので、「缶ビール350mlを四本・・・」「えっ!それは飲み過ぎ!!」と言われて、「焼酎が二合に清酒が二合・・」と言う言葉が喉に詰まった。

 

 「そのままだと、今年のお正月はここのベッドの上ですよ」とも言われた。そんなに、心配するほどは飲んでいないのに・・・。

 

 そのあと、予定していなかった、外科の先生の診察やら眼科の診察が追加された。来週の白内障の手術前の確認やら麻酔の打ち合わせ。全身麻酔は心臓に負担が大きくてリスクがあること。すやすや睡眠でも心臓が停止する恐れがあること。心臓に異常があれば直ちに白内障の手術は停止することなどの確認が行われた。心拍停止したら、眼科の手術などなんの意味もない。とにかく、不整脈と眼科手術の危険性の周知と告知。

 

 明日は明日の風が吹く・・・。ということで、気分直しにここに来た。四国霊場88番札所前にある「八十八(やそば)庵」というお土産物屋さん兼一般店のおうどん屋さん。

 

 弟と二人で「打ち込みうどん」二人用をお願いした。@850円の合計1700円。寒いときにはこれがおいしい。ニンジンや大根、あげ、サトイモなどを煮込んだもの。

 

 これを、各自のおわんに移して食べる。これはここのお店の人気メニューである。最近は、「イノシシ肉入り」とか「オリーブ牛肉入り」のスペシャル版が出て居るらしい。ともに、1,250円らしい。私ら、年金生活者はオーソドックスなもので充分。

 

 午後からは、たっくんが、旧宅の草刈りをやってくれた。ここが気がかりだったのだが、お正月前にはきれいにしておきたいものである。

 

 我が家の周りにはこれ、この通り・・・。自然との共存とはいえ、この我が物顔はどうだ。まさに「猿の楽園」になりきってしまっている。

 

 それにこれ。「どんぐりブタ」正確にはイノシシというか「イノブタ」なんだが、「どんぐりを食べて育った豚」と同じようなもので、さかんにどんぐりを食べている。ドングリを食べて育った最高級のイベリコ豚(全体の10パーセントほど)は「ベジョータ(bellota=スペイン語で「どんぐり」)」と呼ばれ、どんぐり以外の普通の飼料を食べて育ったものは「セボ」と呼ばれるらしい。こういうものならば、みんな捕まえて商売になるのだけれど。

 

 今日もお薬がこんなにどっさり。診察料が5800円に、薬代が7250円。『俺たちに明日はない。キャッシュカードにも残はない・・・。』

 

 今日の掲示板はこれ。「どのような道を どのように歩くとも いのちいっぱいに生きればいいぞ」という相田みつをさんの言葉から。「いのち」の尊さを見つめ続け、その生き方を、自分の書、自分の言葉で、温かく、そして優しく語りかけた相田みつをさんの「子供へ一首」と題したことばである。私たちは、面子(めんつ)や体裁(ていさい)、カッコよさなど、みんなまわりを気にして、そんなことにとらわれて生きている。しかし、みつをさんは、そんなことにとらわれて生きる生き方よりも、体裁が悪くても、カッコよくなくても「充実感のある生き方」をしたらいいんだよと、語りかけているのである。それが「いのちいっぱい 生きる」ということだと・・・。「いのち」を受け継ぎ、その尊い「いのち」に生かされて生きる私たち、その「いのち」をいっぱい生きているだろうか?

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


弥陀の手に 委ねられての 冬日和

2014年12月02日 | 時にはぼぉっ~とする時

 さぬき市地方は寒気の影響で瀬戸内側を中心に雲が広がり、雪や雨の降っている所があったらしい。気温は今季初の3度から7度、湿度は64%から56%、風は5mから3mの西の風がやや強かった。明日の3日は、寒気や気圧の谷の影響で雲が広がりやすく、夜は雨が降る見込みらしい。

 

 さて、一昨日は愛媛方面へのバスツアーだったし、昨日はお寺の報恩講だったもので、我が家は完全に留守状態だった。だから、狼藉者が大挙してやってきたらしい・・・。

 

 大きくなり始めた大根を、このフアフアシートで隠してあったのに、それをめくって、大根を全て引き抜いて食べ散らかして白菜もかじって抜いてと乱暴し放題。我が家の番犬は「君子、危うきに近づかず」とベランダの下でふるえおののいていたに違いない。全くの「迷犬」である。

 

 怒り狂った奥方のけいこばぁが、「これを全世界に知らしめてやってくれ~」とわめきちらかしていたが、世界に拡散するほどの事態でもない。その話を利用者さんに話したら、「これで、すき焼きでも作って・・・」と、巨大な大根三本を寄進してくれたと持って帰ってきていた。それこそ、好意の証しだと賞賛すべきことではないか。

 

 さて、師走に入ったとたん、こうしたお歳暮が届くようになった。我が家はへそまがりなので「お歳暮」はしない方針。ま、いただいたものはありがたく頂戴するのが礼儀かなぁと感謝感激して合掌礼拝(らいはい)。

 

 今日は奥方の意見で、ここでのおうどんになった。町内にある「杉本うどん」というプチセルフのうどん屋さん。ここもずいぶんとご無沙汰状態。消費税が上がってからは来たことがない。

 

 これも、今季初の「しっぽくうどん」の小で400円。奥方は180円のかけうどん。今日のような風の冷たい寒い日には、温かいおうどんがおいしいと思う。

 

 今日は「うどん女子」が多かった。「おいしいうどんを男性だけに独占させてなるものか・・」と言うたかどうかは定かではない。この左手の三つのテーブルにも三組の「うどん女子」が8名ほど。男性は私一人だけであった。まさか、火曜日は「レディース・デー」という訳でもあるまいに。

 

 で、ものはついで・・ということで、木田郡三木町というところにある「ふじめん」というお店に寄ってきた。正式には「藤井製麺」という讃岐うどんの工場と直売店があるところ。

 

 で、お歳暮のお礼に・・ということで、おうどんを「お礼」ということで送ってもらうことにした。

 

 午後からは、年賀状のリストの確認作業、今年頂いた人、喪中ハガキのあった人などをチェックして、この人はいらない、この人は追加・・・などという作業。母宛のものがあったが、そういう人は失礼ながら除外したり・・・。こういう作業でも、この拡大鏡が必要・・・。右目は正常だというても、なんだか、細かな字になると理解できない。

 

 今日、初めて「世論調査です」という電話があった。「この電話は非公開なのに、なんで、電話番号を知ったのですか?」と質問をすると、「コンピューターによるRDD方式で無作為に抽出された電話番号におかけをいたしております」ということだった。「共同通信社」と名乗っていた。今回の衆議院議員選挙に関するものだったので、ま、ありきたりのお答えをしておいた。

 

 ま、オレオレ詐欺や還付金詐欺ではなくて良かった。一昨日も、こうした桜の花のようなものをあちらこちらで見かけたが、桜のようでもありぃの、違うお花のようでもありぃので分からない。

 

 一昨日と昨日の猿の襲撃におびえきっているのか、迷犬ごんは散歩にも行かず、ベランダの下に逃げ込んでぶるぶると震えぱなし。エサをやると、おびえながら少しばかりを食べて、また、ベランダの奥深いところに隠れて震えている。全く、困った番犬であることよ。

 

 今日の掲示板はこれ。「過去や未来に生きることより 二度と帰らぬ今を生きたい」という松山千春の「今を生きたい」という歌の歌詞の中から。

 なみだがほおをひとつこぼれて
 どうしてこんなにかなしいんだろう
 つぶやくたびに心がすこし
 やさしくなれるとおもえるといい

   こんなじだいと そらをあおげば
   しろくうかんだ くもはながれる

 過去や未来に 生きることより
 二度と帰らぬ 今を生きたい

 というもの。(作詞作曲:松山千春) そうだね・・・というしかないか。

 

じゃぁ、また、明日、会えるといいね。


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