まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

菊活けて 遠来の友 靴を脱ぐ

2009年11月01日 | 歴史
 この島の石碑・・・いわゆる墓石にはいろんな形がある・・。どこの文化なのだろうかと思うような石碑がある・・。

 いわゆる「年寄りの逆修墓」・・。

 

 これは・・年寄り宮本家のお墓・・。三メートルもあるような大きなお墓だが、生きている間に息子が建てたものらしい・・。この「年寄り」というのは「高齢者」という意味ではなく・・「大庄屋」みたいな役職で・・塩飽七島にわずか四人しか認められていなかった「役職」だったらしい・・。この四人が世襲制で島を統治していたようだ・・。

 

 じゃぁ、このお墓はなんじゃろ・・みたいな疑問が・・。

 南方民族のなかには、こうした石碑を建てる民族がいたのだろうか・・。少なくとも・・このあたりには見かけない形のお墓ではある・・。

 

 11時前になったので・・おうどんを食べた・・。これで・・250円だ。シイタケが甘辛く煮てあってお出汁もおいしかった・・。バザー会場の缶ビールは350mlが300円だったもので、少し歩いて、朝の自販機で250円で買った。同じものだった・・・。

 で・・11時を過ぎたので、港までお出迎えに行った・・。しかしのかかし、島の人は誰もお出迎えに来ない・・・。ま、みんな、持ち場・持ち場というものがあるのかも知れないけれど・・・。

 

 白いジャンパーの方が咸臨丸子孫の会の小杉さん。牛島の郡家滝蔵さんの子孫の方、広島の山下伊三郎さんの子孫の方、勝海舟の子孫の高山さんとか研究者の河本さんとか・・総勢八人の方がおいでになった・・・。

 

 思い出したように咲いた桜の花を楽しみながら・・お客さんを案内して、文化祭の会場へ。そこには・・受け入れ側の塩飽史談会の幹部の方がおいでになるもので。

 

 で、左端の入江先生をお呼びしてご挨拶。バッグを肩からかけてる方が勝海舟の子孫の高山(こうやま)さん・・・。ピンクのセーターの方が塩飽水夫の研究をされている河本先生・・。

 一行は・・木烏神社で昼食を食べてから塩飽勤番所に向かうとか・・。私は天候が怪しくなってきたので、12時35分のフェリーで島を後にするので、みなさんにご挨拶をして・・お別れ・・。一足先に・・勤番所に寄って、管理人の「たまちゃん」にお客さんが到着した旨を伝達して・・・フェリーに乗船・・。

 

 フェリーが13時15分に丸亀港に着いたころには・・雨がぽつりぽつりと・・。

 今度はさぬき広島行きの13時30分発のフェリーに乗り込むと・・雨が激しくなってきた・・・。広島に着いた時には土砂降り状態に・・。

 文化祭の演芸場は神社の境内だから・・雨になれば大変やろうね。テントはあるものの・・みんながみんな、テントの中には入れないし、もちつきんぞは外でやるんだろうにね・・。バザーもなにもかもが困ったやろうにね・・。

 おりしも・・さぬき広島ではいろは石ウォークというイベントで、13キロを歩く催しがあったけれど、みんなはあの雨の中を歩いたんやろうかね・・・。

 ともかく・・私は・・かろうじてセーフで我が家に飛び込んで、あったかい・・カリン温泉につかって・・・早めの夕食・・・。

 夜はまたも・・自治会長さんと・・広島の文化祭の打ち合わせ・・。飲んだり食べたりしながら・・・秋の夜長を楽しんだものでありました・・。

じゃぁ、また。

秋晴れて 太鼓の音や 無住庵

2009年11月01日 | 歴史
 で・・いよいよ・・11月になった・・。秋晴れのいい朝だった・・。でも、天気予報では・・午後からは雨になるらしい・・・。

 だから・・ということもあったし、単独での船に乗ってはいけないということも言われてるもので、マイボートが便利なんだけれど、あえて・・フェリーに乗ることにした・・・。

 だから・・朝の7時15分発の高速艇で丸亀港に・・。七時半に着く。そこから歩いて乗り換えて・・本島(ほんじま)行きのフェリーは七時四十分。切符を買って乗り込むと同時に船が出た・・・・。

 

 丸亀港から塩飽本島までは海上約40分。八時半前には本島泊(とまり)港に入港した・・・。マイボートだと一直線に10分ほどで到着するのにね・・。

 ここの秋の文化祭は・・午前九時半から始まると聞いていたもので、一時間余りを近くの散歩で過ごすことにした・・・。朝食を食べてすぐに出たものだから・・・おなかをすかせておかないとおいしいお昼にならない・・。

 港から西に海岸沿いに歩くと・・・泊という集落に出る。そこに木烏(こがらす)神社がある・・。ここが「演芸場」となるし、おうどんや焼き鳥・ビールなどのバザーの会場ともなっている。でも・・まだまだ・・準備中。バザーは10時開店とのこと・・。まだまだ・・間がありすぎる・・。

 

 で・・島の酒屋さんに立ち寄って・・・缶ビールを・・。ここは運転免許証を差し込むとお酒が買える仕組みになっている・・。そこで・・・のどをうるおしてから・・散策開始・・。

 この酒屋さんの裏手に浄土宗のお寺がある・・。あの法然上人が讃岐に流される前、一時、この島に滞在されて・・・笠島の専称寺におられたが、そのついでにここにもおいでになったということから・・浄土宗のお寺になっているが、無住(住職さんがいない)になっているみたい・・。

 

 そこから・・再び路地を抜けて木烏神社に戻り、町並みに沿って歩くと・・市役所の本島支所があり、そこが文化祭の展示場になっている・・。玄関脇ではお抹茶のお接待があり、建物内には婦人会の手芸作品、活花、日本画、手編みものなどが展示されていたりする。

 

 こども書道作品とか絵画展示とかがあったりして家族連れでにぎわっている。

 ここに毎年、特別展示があって、今年は大坂城ほかの残石について特別展示。この島からの石が、江戸城や大坂城、丸亀城の石垣に使われた・・・という研究の発表みたいなもの。まさか・・実物は展示できないので写真とかでの展示。

 

 山中に残る石に、こうした記号が刻まれていて、どこの藩の誰に頼まれたものかの刻印らしい・・。これと同じ刻印が・・江戸城や大坂城の石垣にも残っているのだという・・。

 この島は・・その後・・採石が行われなかったので、こうした遺跡が残されているが、隣の広島は、はるかに多くの石材を大坂城や江戸城などに運び出されたが、明治・大正・昭和・・と石材の切り出しや採掘が継続してきたために、古い遺跡が残ることなく続いたために・・古いものがなくなったものらしい・・。

 展示作品をみた後は・・木烏神社での演芸会を見ることにした・・。

 

 これは・・この島の和太鼓グループ「太鼓道・荊(イバラ)」の演奏・・。その後は・・小中学生による・・鳴子おどりなども披露された・・。

 

 あとは・・お年寄りたちのカラオケなども披露された・・。

で、ちょいと・・休憩。また・・お散歩に出た・・。

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