まほろば自然博物館

つれづれに、瀬戸のまほろばから自然の様子や民俗・歴史や見聞きしたおはなしをしたいと思います。

来週月曜日の朝礼のことばです。

2005年12月02日 | 自然
 道に迷っている旅人がありました。旅人は通りががりの老人に、こう尋ねます。
 「この道はどこへ行くのですか・・・?」

 老人は、「どこへ行くかだって?? どこにも行きはしないさ。ずっと、ここにあったし、これから先もここにあるさ・・・。ところで、あんたはどこに行くんだね・・??」

 お話はここまでです。しかし、ここで考えてください。私たちは道があるから歩いてゆくんでしょうか・・・。路地があるから歩き、街があるから歩いていたならば、間違いなく、旅人は道を失うでありましょう・・・。

 しかし、私たちは、高松に行くには・・・。松山に行くには・・・と、道を選んで車を走らせているのです。つまり、自主的に、能動的に道を選んで生きているわけです。道があるから走っているという受動的な生き方ではないはずです。

 今日は月曜日の朝です。一日の始まりです。このときに、「私は今日は、こんな仕事をしよう。これをここまでやりとげて、晩御飯には何を食べよう・・」と思う人が何人、いるでしょうか・・・。

 今日は一週間の最初の朝です。このときにに、「私は今週は、こんな仕事をしよう。これをここまでやりとげて、週末には、どこで、どんなことをしよう・・・」と、考えた人が何人、いるでしょうか・・・。

 自主的に生きる・・・。能動的に生きる・・・。この一週間を真剣に考えてみたいものであります。       ・・・・終わります。

 うーん、いまいちかなぁ・・・。

 

緊急ニュースを受電しました。

2005年12月02日 | 自然
 朝夕は寒くなりました。で、今日は雨が激しく降ったですし、風も意外と強かったです。私の車は軽のバンタイプですから、右に左に揺れる揺れる・・・。少し、怖かったです・・・。

 この時期・・・、喪中ハガキというのが届きます。正しくは「喪中欠礼ハガキ」とでもいうのでしょうか・・・。親族の誰だかが亡くなったから・・・新年のご挨拶は失礼します・・・。みたいなハガキであります。

 で、これを見てて思うことに、

 「某だれそれ 何月何日に 何歳にて永眠いたしました」

 という、一文であります。いただく喪中ハガキのほとんどがこういう形式です。印刷屋さんのワンパターンでありましょうが、これは坊さんとしてはいかがなものかと・・・。

 「永眠」というのは、クリスチャンの言葉であります。仏教徒は永眠なんぞしないのです。仏教徒はお浄土にお還りになるのです。そして佛になるのです。仏になって、私たちを救う働きをするのです。眠っていては人を救えないじゃないですか。私たちは「還浄:げんじょう」というのですが、一般の方は「逝去」とか「お浄土に帰られました」とかというほうがいいかなぁ・・と。

 ま、目くじらをたてるほどのことでもないのですが、なんか、最近の風潮として、いかがなものかなぁと・・・思うしだいです。

 それはさておき、緊急ニュース!!

 兼近さん一家(娘家族ら)が、高松に突然に転勤・・・だそうです。今頃・・・なんで・・??この慌ただしい時期に・・・・。

 ま、うれしいやら・・・戸惑うやら・・・。あらら・・・。


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