お盆ですが、皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
さて、お盆は日本各地でいろんな風習がありますが、ここいら辺では夕方玄関先で松の木を燃やし、高いところに灯篭をかかげます。
小生、子供の頃、なんでこんなことをするのか祖母に尋ねたことがあります。
祖母は「亡くなったご先祖様がお盆時期だけには家に帰ってくるので、夜道で迷わないよう灯りを灯すのだ」と教わりました。
そこで「ご先祖様が家に帰って来ているのに、何でお墓にお参りに行くのよ?(墓には)誰もいねぇべナ」
というと
「屁理屈いうな!!」と叱られたものです。
ともかく、キリスト教世界では、死んだ人間は天国か地獄に行って二度と戻ってはきませんが、我が祖国日本では、死んだご先祖様はあの世で暮らしていて、たまに帰ってくるんですね。
このことを喝破した西洋人が小泉八雲ことラフカディオ・ハーン(1850~1904)です。
ハーンはギリシャ生まれのイギリス人で、日本人と結婚し後に帰化し、自らの「日本研究」を海外に紹介しました。
小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)
以下はハーンの著書「心」。 「われわれ」というのがキリスト教社会の西洋人だということに留意して読んでください。
日本人の死者に対する愛情は、どこまでも感謝と尊敬の愛情である。おそらくそれは日本人の感情の中でも深く、強いものであるらしく、国民性を形成しているのも、、この感情であるらしい。 (略)
日本人は、けっして「ただの記憶になった祖先」などというものを、考えてはいない。彼らの死者は現に生きている。(略)
かりに、 われわれの死者がわれわれの身辺におり、われわれのすることをなんでも見ており、われわれの考えていることをなんでも知っており、われわれの口に言うことばをなんでも聞いており、われわれに同情を寄せてくれ、あるいはわれわれを怒ったり、助けてくれたり、われわれから助けを受けるのを喜んだり、われわれを愛してくれたり、われわれに愛を求めたりするという絶対の確信が、われわれの心に突然起こるようなことがあったとしたら、おそらく、われわれの人生観や義務の観念は、きっと大きな変化を生ずるにちがいない。そうなった暁には、われわれは、過去に対する責任というものを、非常に厳粛に認識しなければならないだろう。(平井呈一訳、岩波文庫)
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そうなんですね。都会ではどうか知りませんが、日本各地の田舎ではいまだに、ご先祖様から見守られていると感じて暮らし、そして、ご先祖様に恥ずかしくないように生きようとする感覚が残っているように思います。
ところが先の大戦で日本は敗れ、戦後あらゆる面でアメリカナイズされた価値観が導入されました。
「個人主義」などはその最たるものです。
悲しいかな米国GHQから押し付けられた「憲法」にもそのことがはっきり明記しているではありませんか。
「すべての国民は個人として尊重される」(第13条)
戦後この「個人主義」という名の「利己主義」は日本人のモラルを低下させ、日本社会が腐敗寸前に陥っているように感じます。
「生活保護の不正受給」、「イジメ問題」、はたまた「自分の生活が第一」などとふざけた政党まで出る始末・・・・・
んでも、「護憲派」などと称するプロ市民の連中が、この「日本国憲法」という名の「メイド・イン・アメリカ憲法」を宗教のようにありがたがって護ろうとするんだから困ったものです。
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ともかく、前にもちょっと書きましたが、もう一度以下の言葉をかみしめたいものです。
上杉鷹山(米沢藩第九代藩主 1751~1822)
国家は先祖より子孫へ伝え候国家にして我私すべき物にはこれなく候
(国家は先祖から今生きている我々が引き継ぎ、子孫へ伝えなければならない。従って、今生きている我々が国家を私欲で私物化してはならない)
エドマンド・バーグ(英政治家、哲学者 1729~1797)
「国家は今現存する国民のものにあらず。現存する者、死せる者(先祖)、はたまた将来生を享くべき者(子孫)の三世代の共同作業である」
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今、たまたまこの国で生きている我々が、ご先祖様のことを忘れ、「自分たちの生活が第一」なんて考えるのは傲慢以外のなにものでもないでしょう。
ん? しかし良く良く考えてみれば昨日の成人式講演でも、このことしゃべれば良かったかな・・・・・・・
さて、お盆は日本各地でいろんな風習がありますが、ここいら辺では夕方玄関先で松の木を燃やし、高いところに灯篭をかかげます。
小生、子供の頃、なんでこんなことをするのか祖母に尋ねたことがあります。
祖母は「亡くなったご先祖様がお盆時期だけには家に帰ってくるので、夜道で迷わないよう灯りを灯すのだ」と教わりました。
そこで「ご先祖様が家に帰って来ているのに、何でお墓にお参りに行くのよ?(墓には)誰もいねぇべナ」
というと
「屁理屈いうな!!」と叱られたものです。
ともかく、キリスト教世界では、死んだ人間は天国か地獄に行って二度と戻ってはきませんが、我が祖国日本では、死んだご先祖様はあの世で暮らしていて、たまに帰ってくるんですね。
このことを喝破した西洋人が小泉八雲ことラフカディオ・ハーン(1850~1904)です。
ハーンはギリシャ生まれのイギリス人で、日本人と結婚し後に帰化し、自らの「日本研究」を海外に紹介しました。

以下はハーンの著書「心」。 「われわれ」というのがキリスト教社会の西洋人だということに留意して読んでください。
日本人の死者に対する愛情は、どこまでも感謝と尊敬の愛情である。おそらくそれは日本人の感情の中でも深く、強いものであるらしく、国民性を形成しているのも、、この感情であるらしい。 (略)
日本人は、けっして「ただの記憶になった祖先」などというものを、考えてはいない。彼らの死者は現に生きている。(略)
かりに、 われわれの死者がわれわれの身辺におり、われわれのすることをなんでも見ており、われわれの考えていることをなんでも知っており、われわれの口に言うことばをなんでも聞いており、われわれに同情を寄せてくれ、あるいはわれわれを怒ったり、助けてくれたり、われわれから助けを受けるのを喜んだり、われわれを愛してくれたり、われわれに愛を求めたりするという絶対の確信が、われわれの心に突然起こるようなことがあったとしたら、おそらく、われわれの人生観や義務の観念は、きっと大きな変化を生ずるにちがいない。そうなった暁には、われわれは、過去に対する責任というものを、非常に厳粛に認識しなければならないだろう。(平井呈一訳、岩波文庫)
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そうなんですね。都会ではどうか知りませんが、日本各地の田舎ではいまだに、ご先祖様から見守られていると感じて暮らし、そして、ご先祖様に恥ずかしくないように生きようとする感覚が残っているように思います。
ところが先の大戦で日本は敗れ、戦後あらゆる面でアメリカナイズされた価値観が導入されました。
「個人主義」などはその最たるものです。
悲しいかな米国GHQから押し付けられた「憲法」にもそのことがはっきり明記しているではありませんか。
「すべての国民は個人として尊重される」(第13条)
戦後この「個人主義」という名の「利己主義」は日本人のモラルを低下させ、日本社会が腐敗寸前に陥っているように感じます。
「生活保護の不正受給」、「イジメ問題」、はたまた「自分の生活が第一」などとふざけた政党まで出る始末・・・・・
んでも、「護憲派」などと称するプロ市民の連中が、この「日本国憲法」という名の「メイド・イン・アメリカ憲法」を宗教のようにありがたがって護ろうとするんだから困ったものです。
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ともかく、前にもちょっと書きましたが、もう一度以下の言葉をかみしめたいものです。
上杉鷹山(米沢藩第九代藩主 1751~1822)
国家は先祖より子孫へ伝え候国家にして我私すべき物にはこれなく候
(国家は先祖から今生きている我々が引き継ぎ、子孫へ伝えなければならない。従って、今生きている我々が国家を私欲で私物化してはならない)
エドマンド・バーグ(英政治家、哲学者 1729~1797)
「国家は今現存する国民のものにあらず。現存する者、死せる者(先祖)、はたまた将来生を享くべき者(子孫)の三世代の共同作業である」
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今、たまたまこの国で生きている我々が、ご先祖様のことを忘れ、「自分たちの生活が第一」なんて考えるのは傲慢以外のなにものでもないでしょう。
ん? しかし良く良く考えてみれば昨日の成人式講演でも、このことしゃべれば良かったかな・・・・・・・