角岸's blog (Kadogishi s' blog)

酒、酒&映画・・時事問題?

「死に山」 20世紀最後の謎「ディアトロフ峠事件」の真相を解く圧巻のドキュメント!!

2019-02-04 16:37:25 | 自分的名著

「ディアトロフ峠事件」・・・これを小生が初めて知ったのは、夕飯時に子供がなにげにつけていたテレビで紹介されていのを見たから。今から数年前。

 ちょっと自分でも調べてみたのですが、冬山での遭難事故は多々あれど、これほど奇怪で残酷な事件はまずないでしょう。ちなみにそのテレビでは犯人は“雪男”と結論付けられていた(笑)のでした。

------------------------------------------------------------------------

「死に山」世界一不気味な遭難事故《ディアトロフ峠事件》の真相

 ドニー・アイカー著 安原和見訳 

川出書房新社ホームページ↓↓↓
http://www.kawade.co.jp/np/isbn/9784309207445/

世界一不気味な遭難事故《ディアトロフ峠事件》──

その全貌と真相を描く衝撃のノンフィクション!

 

1959年、冷戦下のソ連・ウラル山脈で起きた遭難事故。

登山チーム九名はテントから一キロ半ほども離れた場所で、

この世のものとは思えない凄惨な死に様で発見された。

 

氷点下の中で衣服をろくに着けておらず、全員が靴を履いていない。

三人は頭蓋骨折などの重傷、女性メンバーの一人は舌を喪失。

遺体の着衣からは異常な濃度の放射線が検出された。

 

最終報告書は「未知の不可抗力によって死亡」と語るのみ――。

地元住民に「死に山」と名づけられ、事件から50年を経てもなお

インターネットを席巻、われわれを翻弄しつづけるこの事件に、

アメリカ人ドキュメンタリー映画作家が挑む。

彼が到達した驚くべき結末とは…!

(ホームページより)

----------------------------------------------------------------------------

 


 さて、本書は事件の科学的合理的な真相解明に、著者のドニー・アイカーが挑むのですが、謎解きもさることながら、作者自身も「何故、自分自身、この異国の事件にこれほどとりつかれているのだろう?」と自問自答します。
 
 貯金を崩し、クレジットカード限度額まで使い切り、ロシアへ渡り関係者たちへのインタビューだけでなく、危険極まりない冬のシベリアの遭難事件現場へまで赴くのです。ただ資料を集めて謎を解き明かすのではなく、それこそ昔の刑事のように足で情報を取るその鬼気迫る情熱が紙媒体を通してひしひしと感じられるドキュメントの傑作と言っても過言ではないでしょう。


(奇怪な遭難死を遂げたディアトロフ・トレッカーチーム)

 ともすれば退屈になりがちなドキュメントを次の三つに分けて再構成していることも大きな成功につながっていると思います。

 ①遭難する登山チームの目線を通して、出発から遭難に至るまでの詳細なリポート(遭難直前)。

②遭難後の捜索・事件捜査関係者の視点でその苦闘と打ち切りになるまでのリポート(遭難直後)。

③著者の2度にわたるロシアでの取材及び総括(現代)。

  この三部構成が年代順に並べられているのではなく、交互に時代を行ったり来たりとすることで、徐々に緊張感が高まり、悲劇へと突き進む息苦しさと同時に、まさに“閉ざされた冬山で起きた密室大量殺人”の謎を解き明かす知的な興奮をも同時に盛り上げる仕掛けとなっています。

  ただし、小生の読後の率直な感想を言わせてもらえれば、何だかまだ「モヤモヤ感」が残ることは否めません。何というか、これで「完全解決」と言いきってしまうには、まだ何か決定的な確証が弱いと思うのです。ネタバレになるので詳しくは書けませんが、著者と学者がたどり着いた結論は論理的には辻妻は合うのでしょうが、事件現場での科学的な実験を経ておらず、やっぱそこが弱いと思うのです。

 UFO、雪男、ソ連軍の陰謀等多々ある説は論外だとしても、やはりキャリアのある9名のトレッカーが、靴も履かず、着のみ着のまま、―30℃の夜の冬山へとテントから逃げ出したのです素人でも数分で死に至ることが解るのに、ましてその道の専門家集団です。「何が彼らにそうさせたのか?」という部分の章はもう少し情報量があっても良かったかなと・・・ない物ねだりでしょうか?後に現地での科学的データと共に再販されれば、それこそ決定版になるのではないでしょうか。


ディアトロフ峠遭難者慰霊碑 ロシア、エカティリンブルグ市

 

 最後に、本書を読む前にちょっとアドバイス。

 ・ミステリー好きな方なら、複雑な登場人物の説明と、事件現場の地図を巻頭に戻って何回も見直すはず。まして本書は読みづらいロシア名のオンパレード。なんと巻末に全登場人物名と解説載ってます。小生は読後気が付きました。失敗した・・これで数時間ロスしました。

 ・最後の事件の謎解き編の章に入ると、あの「シャーロック・ホームズ」の有名な推理理論に則って事件解決を試みることが高らかに宣言されます!! 曰く・・・

When you have eliminated the impossible, whatever remains, however improbable, must be the truth.(「白面の騎士」1926年より)

 シャーロキアンは歓喜することでしょう!!

 ・そして、新郷村民注目!! 現在、教育委員会前の「新刊書」コーナーに本所貸出中!!

 飲み過ぎて、おこずかいの少なくなった諸氏は急いでgetするべし。ちなみに本書価格は2538円なり!!

・夜に読み始めるなかれ!! 徹夜必死!!


またまた一気読み! 清水潔著「桶川ストーカー殺人事件 - 遺言」

2018-08-11 11:14:24 | 自分的名著

 この間、某会議前、うちの教育委員会前を通ったら、その廊下向かいにある本棚に並んであった本が何気に目に入ったのがコレ。

 清水潔 著「桶川ストーカー殺人事件 - 遺言」

 

 そういえば5月にに紹介した清水先生の「殺人犯はそこにいる」にも、本書のことがチラッと触れられていました。気になる。

https://blog.goo.ne.jp/gwnhy613/d/20180510

 委員会のtoshiki君に「これ借りていい?」と聞いたら「いいよ」ってな具合で、カバンに収めてみたものの、家に帰ったら、あれもやらねばないし、これもやらねばないし読む時間あるべか?ま、そのうちに。読書カードにも10日間って書いたし。

で、帰宅して、夕飯前にハイボールを一口すすり、1ページ目を開くと・・・

 

もう止まりません。飯も食うことも忘れ(酒を飲むのは忘れませんが・・)深夜遅くまで一気読み。

 -------------------------------------------------------------------

新潮社公式ホームページ

http://www.shinchosha.co.jp/book/149221/

ひとりの週刊誌記者が、殺人犯を捜し当て、警察の腐敗を暴いた……。埼玉県の桶川駅前で白昼起こった女子大生猪野詩織さん殺害事件。彼女の悲痛な「遺言」は、迷宮入りが囁かれる中、警察とマスコミにより歪められるかに見えた。だがその遺言を信じ、執念の取材を続けた記者が辿り着いた意外な事件の深層、警察の闇とは。「記者の教科書」と絶賛された、事件ノンフィクションの金字塔!

 --------------------------------------------------------------------

・・・というわけで、一度読み始めると、止めるのはほぼ不可能です。

 ちなみに、事件が起きたのが1999年で、犯人逮捕、裁判が2000年。実行犯は懲役18年。ってことは・・、もうこの犯人シャバに出てくるんですよね・・怖っ!!

 お盆休み取れる方は、是非この2冊併せて読まれることをお勧めします。どちらも、教育委員会前で貸してます。


ただただ圧巻のドキュメント!! 清水潔著「殺人犯はそこにいる-隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件-」

2018-05-10 11:41:06 | 自分的名著

 

少女5人が姿を消した。“真犯人”は野放しだ。日本中に衝撃を与えた怒りの調査報道!



新潮社公式ホームページ
http://www.shinchosha.co.jp/book/149222/

 5人の少女が姿を消した。群馬と栃木の県境、半径10キロという狭いエリアで。同一犯による連続事件ではないのか? なぜ「足利事件」だけが“解決済み”なのか? 執念の取材は前代未聞の「冤罪事件」と野放しの「真犯人」、そして司法の闇を炙り出す――。新潮ドキュメント賞、日本推理作家協会賞受賞。日本中に衝撃を与え、「調査報道のバイブル」と絶賛された事件ノンフィクション。

-----------------------------------------------------------------------


前から読もう読もうと思っていた、同書をついに読みました。

570ページ、徹夜でほぼ一気に。

SONYのReader Storeで、ゴールデンウィーク中2,000円以上書籍購入したら500ポイントバックという仕掛けにまんまと乗せられて、以前から目をつけていた同書を購入(896円)。ちなみに「ZガンダムDfine」のコミック数冊買って2,000円以上に(セコイっ!!)。

で、肝心の本書ですが、もう読みだしたら途中で絶対止まらない、ノンストップ状態になること請け合いです。

「事実は小説より奇なり」とよく言いますが、まさに驚愕のドキュメントであるとともに、真のジャーナリズムとは何かを問うています。

あえて詳しい内容は書きませんが、まだ未読の方がいたら絶対お勧めです。

この間、伊吉書店にいったら、文庫本コーナーに平積みになってたのですが、下記のとおり包装紙ついていたので、書店でお買い求めの人はお気を付けください。


※寝不足の方、疲れている方は十分鋭気を養ってから、読み始めてください。
 繰り返しますが、読み始めたら最後、途中でやめることは困難です!!


先週デーリーさんの記事、村田先生の「私見創見」の英語学習意見に大共感!!

2015-02-05 09:14:12 | 自分的名著

 もう一週間前になるのですが、デーリーさんに大変共感した記事がでてたので、ご紹介します。

 書いたのは村田奈々子先生。野辺地生まれの八戸育ちで東大の先生ってんですから大変な才女っす。

「私見創見 よそ者として」12月29日付



 小生ごときが、やんごとなき方の文をレビューするのもおこがましいのですが、小生にも思い当たることがあり一筆お許しください。

 で、肝心の内容なんですが、序盤は海外での自分の経験を紹介し、中盤(訪れた土地で)自分自身を尺度・基準として、相手に迎合すること無く、もちろん相手の文化は尊重して接することの肝要さに触れてます。

 で、〝肝〟と思える終盤の文章がこれ。↓↓↓

-------------------------------------------------------------------------------------------------------

 (本文より)

 英語が使えなければ、世界では使いものにならないのだという。
 私はこの風潮に大いに疑問を抱いている。世界共通語としての英語の役割を否定するつもりはない。ある程度の英語力は必要である。しかし、英語はあくまで自分の意見を伝える道具でしかない。重要なのは自分自身の意見を持つこと。自分自身の知識や価値観を豊かな揺るぎないものにすることではないか。
 流暢な、だが内容空疎な英語では、誰からも相手にされない。それこそが政界標準であることを、日本の社会はもっと深く認識すべきではないのか。
 (略)

--------------------------------------------------------------------------------------------------------

まさに、我が意を得たり! とはこのこと。

 実は小生の息子が昨年受験校を公立高校から私立の英語課に進学し、英語を専門に勉強したいと言ってきた時、小生も上記とほぼ同じことを息子に言ったのを覚えています。

「英語は意思を伝えるツールにすぎない。従って英語で“何を”伝えたいか、“何を”という中身そのものをもっと勉強しなさい。」 と。

まぁ、とはいうものの本人は現在アメリカ人の担任のもと、日夜英語学習してるんですがね。

実は、この村田先生とほぼ同じことを、数学者・藤原正彦先生も、あのベストセラー「国家の品格」の中で述べています。



----------------------------------------------------------------------------------------------------------
 (本文より)

私に言わせれば、小学校から英語を教えることは、日本を滅ぼす最も確実な方法です。
 公立小学校で英語など教え始めたら、日本から国際人がいなくなります。英語というのは話すために手段に過ぎません。国際的に通用する人間になるためには、まずは国語を徹底的に固めなければダメです。表現する手段よりも表現する内容を整える方がずっと重要なのです。英語はたどたどしくても、なまっていてもよい。内容がすべてなのです。

 (略)

 内容がないのに英語だけ上手いという人間(日本人)は、日本のイメージを傷つけ、深い内容を持ちながら英語は話せないという大勢の日本人を、無邪気ながら冒とくしているのです。「内容ナシ英語ペラペラ」は海外では黙っていてほしいくらいです。

---------------------------------------------------------------------------------------------------------

 あの、「サイナラ、サイナラ、サイナラ」で有名な映画批評家の故淀川長治先生も、かつて米国で英語だけ流暢に話しながら「ニホンノコトハワカリマセーン」と自慢げに話す、日本の若者たちに会い、それがどんなに恥ずかしいことで米国人からも相手にされない行為だと嘆いておられたエピソードを何かに書いています。

 実際、小生自身恥ずかしながらいい年して英語の勉強してると、英語学習の本に「ネイティヴならこう表現する」とか言う項目が滅茶苦茶多いような気がします。
 そもそも、ネイティヴじゃないのは本人だって、話す相手だって良く解りきったことなのに、ネイティヴのフリしなくちゃいけないのは、なんで?

 やっぱ、どーせ話すんなら米国人や英国人のようなネイティヴっぽいほうがかっこいいってのがあるんでしょうね。

  んでも、オラの経験からいうと、会話だけならほとんど片言で通じるんすよね。

 例えばクリスだって、蒸した夏の日に良く「今日はムシムシ」とか言ってましたが、日本語の文法的には間違ってますがまず、ほとんど人に通じるでしょう。

 で、自分が「How can I say ムシムシ in English ?」って聞くと、

 クリスは「fumid(フューミッド)」と教えてくれました。
  で、その上で「トーキョーはもっとムシムシ・・」と続けてましたが、これまた文法的には間違ってますが、意味わかるでしょう。

 これをですよ、日本語的に完璧に言おうとか日本人ネイティヴみたいに表現しようと、クリスが考えたら一言も出てこないはずなんです。

 我々日本人の英語コンプレックスのほとんどがコレと同じ現象です。

 ちゃんと、言おうと思って「え~、あ~」ってるうちに会話が終わっちゃうんですよね。

 完璧に言う必要なんか全く無いんですがね。

で、

 作家の故開口健先生のエッセイに、先生がベトナム戦争時の従軍記者時代のエピソードを紹介してるんですが、これがケッサクです。

 ベトナムの従軍売春婦たちが、米兵を誘う時、「ユーミー、トゥミー、ゴーミー、ゼア」と売春小屋を指さして、このデタラメ英語で完璧に意思を疎通させている彼女たちに感嘆しています。

ようは、デタラメでもなんでも、意思を疎通させることが目的であれば、どうかこうかなるんすよね。

会話は文法より、度胸と開き直りってことでしょうが、これが難しい。

なんだか、またとりとめのない話になっちゃいましたが、まぁ英語はほどほど、もっと日本力を磨こうってお話し(?)でした。


池波正太郎先生が語る男の生き方の美学、「男の作法」

2013-02-21 14:54:17 | 自分的名著
2日くらい前でしょうか、東京の有名蕎麦屋の火事のニュースがあったでしょう。

明治からの老舗「かんだやぶそば」さん。その後のニュースで、再建するってことですので、御常連さんは一安心でしょう。


 で、報道各社のニュースでは今日ふれる、池波正太郎先生(1923~1990)のエッセー「男の作法」で取り上げられた名店として紹介されていました。
 池波先生といえば「鬼平犯科帳」「剣客商売」などの有名時代小説群ありますが、小生は先生の代表作は「真田太平記」にとどめをさすと思ってます。
 映画などの優れたエッセーもいっぱいあるんですが、特に自身の小説でもそうなんですがに関して深い造詣があることで有名です。

「男の作法」新編作品対照版

 この本は昭和55年(1980年)に由布院温泉において、池波先生と編者との一問一答を本に書き下ろしたものです。小生がもってるやつはその時湯布院に同行していた柳下編集者が15年後に先生の作品等を収録した再編集版です。
 
 これがね、30年以上たった今読んでも実に面白い。男の「粋」というものを5章に分けて、語りつくしているんだけどホント勉強になります。

1・食べる  店構えの見方から鮨・そばの食べ方まで

2.住む   家の建て方から男をみがく暮らし方まで

3.装う   靴・ネクタイの選び方から男の顔のつくり方まで

4.つき合う 約束の仕方から男を上げる女とのつき合い方まで

5.生きる  仕事の仕方から理想の死に方まで

というわけで、肝心の「やぶそば」ですが、「食べる」の章を開いてみると、ありますあります。
赤線の所。


 例えば、その蕎麦ネタなんですが、岩波先生曰く、

(本文より) 「盛りそばで酒を飲むのはいい・・・・・」
 というようなことを通ぶった人がよく言うでしょう。だけど実際に、通じゃなくてもいいものなんだよ。だから、そばで酒を飲んでもちっともキザじゃないんだよ。僕も好きですよ。

(中略)  何がいいと決めないで、その土地土地によってみんなそれぞれ特徴があるんだから、それを素直に味わえばいいんですよ。どこそこの何というそばでなければ、そばじゃないなんて決めつけるのが一番つまらないことだと思う。
 ただ、そばを口に入れてクチャクチャかんでるのはよくねぇな、東京のそばでね。かむのはいいけど、クチャクチャかまないでさ、二口三口でかんで、それでのどへいれちゃわなきゃ。事実うまくねえんだよ。


酒を飲む池波先生
---------------------------------------------------------------------------------------------

それとね、この下記の部分読んで、ピーンっときた人いないでしょうか?

 (本文より)たとえば、「吉兆」へ行ったとする。そうすると椀盛りというものがでるだろう。煮たものというよりも、蓋のついた塗りもののお椀で一見吸い物のようなんだけどね。吸い物にしろ椀盛りにしろ、お椀のものが来たらすぐそいつは食べちまうことだね。いい料理屋の場合はもう料理人が泣いちゃうわけですよ。熱いものはすぐ食べなきゃ。
 よく宴会なんかで椀盛りがでても、蓋をしたままペチャペチャしゃべっているのがいるだろう。あるいは半分食べて、食べかけでね。それは一気に食べちゃわなきゃいけない。

   

 (中略) どうしても腹がすかせないで、お付き合いで行って食べられそうにもないという場合は、むしろ手をつけないほうがいいんだよ。
 女中に、
 「あと、何がでるの?」
 と、聞いてもいいんだな。で、女中が何と何ですと教えてくれるから、
 「それならぼくは、あとのそれを食べるから、いまちょっとおなかがいっぱいだから、これは結構です」
 と言って、手をつけずに最後きれいなまま下げてもらう。そうしたら、せっかくのものが無駄にならないでしょう。だれが食べたっていいわけだから。


----------------------------------------------------------------------------------------------

 ピーンときましたか?最後の下線引いた二行。料理がもったいないので、手をつけていない料理の使い回しを明らかに肯定しているでしょ。

 老舗割烹料理屋「吉兆」についてここで先生が述べたことが、後に大問題になります。いわゆる平成20年(2008年)の「船場吉兆の使い回し事件」です。


 この事件が発覚した当時、小生まっさきにこの「男の作法」の上記の一文を思い出したのを覚えています。

 まぁ、その前に「船場吉兆」では「産地偽装」とかも発覚した直後だったのでしょうがないんですが、しかし地球上に飢餓人口が9億6千万人もいる時にですよ、また食べられる食料がわが日本ではバンバン捨てられていくんです。

 高額な料金に対しての美食の観点からは確かにいかがかと思いますが、戦前生まれの「もったいない精神」をもつ池波先生の意見は正論だと思うんですよね。
 
どー思いますか、みなさん?

さて、最後にオマケを一つ。

エッセー「日曜日の万年筆・鮨」より

 (本文より) 春もたけなわの夕暮れの銀座を歩いていて、急に鯛の刺身が食べたくなった。
 そのとき、私の財布は、まことに軽かったが、有名な料理屋へ入り、土間のテーブルに座って、先ず鯛の刺身と蛤の吸い物を注文し、酒を二本のんだ。料理の注文はそれだけだ。
 そのとき、タイの刺身を半分残しておき、それで飯を一ぜん食べ、


「ああ、うまかった」

 おもわずいったら、板前が、さもうれしげに、にっこりうなずいてくれたものである。
 以前は鮨屋にかぎらず、こうした店がいくらもあった。
 なればこそ私なども、ふところがさびしいときも物怖じせず、どんな店へも入って行けた。

 

----------------------------------------------------------------------------------------------

なんかね、やってることは実にさりげないんですが、昭和の男のダンディズムと申しましょうか、きまってますよね、池波先生。
小生みたいに、未練がましくダラダラとみっともなく飲んでる輩にとって、無性にかっこよくみえるんです。

こんなこと、一度はやってみたいなぁ。