連日報道されている川崎市の中学1年生殺人事件は、なんとも痛ましく、こんな腹立たしい事件もありません。
小生も同じ歳の子を持つ親として、かわいそうで仕方がありません。どんなに辛かったことでしょう。どんなに怖かったことでしょう。本当に無念と言うしかありません。
犯人たちが、未成年と言うことも、やるせなく、なんとも暗澹たる気持ちにさせられます。
それにしても、この被害者の子をいたぶり続け、死に至らしめた凄惨極まるこの残虐事件の未成年犯罪者達は通常の少年法に基づく司法手続きで良いのでしょうか?
ぶっちゃけ小生は、この鬼畜の如き、糞ガキどもに極刑を望む者です。
もし小生がこの被害者の子の親なら、間違いなく“仕事人”に依頼することでしょう。なんの仕事人かって?・・・・それは言えません。文脈から察してください。
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さて、本事件の概要が明るみになるにつけ、小生はある事件を思い出しました。
今から2年前、大津市で同様のイジメに耐えかねマンションから飛び降りて自殺した入学生2年の事件をご記憶でしょうか。
この事件も、殺人には至らなかったとはいえ、不良グループどもから、日常的な暴力と金銭の要求に耐えかねての自殺であり、まぁ間接的殺人といっても過言ではないでしょう。
当時、小生はある教育評論家のこの件に関する論評を読んで、強烈な印象を受けたことを覚えています。
教育評論家と言えば、オカマみたいに「犯罪者でも少年の人権がどーの」とか「子供には罪が無くて周りの大人がいけない」とか、妙にきれいごと言うひとが多いなぁという印象を持っていたので、その論評は強烈でした。
その人とは、野々村直通(元高校教師、開星高校野球部監督)さん、で氏著、「弱腰外交こそイジメの温床」より
(2年以上前と言えば民主党政権末期時代で、尖閣諸島に侵入を繰り返す中国や、竹島へ上陸し天皇陛下へ暴言はく韓国前大統領の頃ののことです。)
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(略)
大津市の中学生イジメ事件の被害者は自殺する三日前、祖父母あてに盗んだお金について反省文を書き綴っている。「おじいちゃん、おばぁちゃん、申し訳ありません。ぼくに悪い友達は一人もいません。一生懸命働いて返します」と。
死の直前になってもなお、鬼畜の如き残虐性でもって自分を死に追い込んだ加害者たちをかばって死んで行くのだ。毎日殴られ続け、金を脅し取られ、祖父母の金まで盗んで貢ぐしかなかった被害者は、今の日本の隣国対応と見事にシンクロしている。
(略)
この場合、「イジメが楽しくてしょうがない」ということを確信しなくてはならない。“強い力”でこの不義を懲らしめなければ、加害者は悪行に気付きはしない。自分たちだけが得をするイジメは永劫続けられるであろう。加害者には論理も道義もなく、そこには“愉快”があるだけの“ならす者”たちである。この認識なくして解決はないと肝に銘ずるべきである。
(略)
願わくは被害者の少年の中のたった一人でもよいから、「どうせ死を覚悟した」のなら、命果つるときの開き直りでもって、イジメの現場に呼ばれたとき、隠し持った凶器で加害者の心臓を一突きし、悲惨な毎日であった自らの恨みを果してもらいたいと強く思う。私ならそうする。恨むべき相手を許しながら死ぬのではなく、道連れにして死んでいってほしいのだ。一寸の虫にも五分の魂を見せつけてほしいのだ。この最後の命と引き換えの行為は、“絶対に不義は許さない”という怨念となり、人としての尊厳が表出されるはずである。
(略)
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どうでしょうか。
中には「教育関係者がなんてこと言うんだ」って眉をひそめる方もあるかもしれません。
けれど、小生は表向きは不謹慎を充分に承知しつつ、大いに共感するものです。
隠し持った凶器で加害者の心臓を一突きし、悲惨な毎日であった自らの恨みを果してもらいたい
恨むべき相手を許しながら死ぬのではなく、道連れにして死んでいってほしい
“絶対に不義は許さない”という怨念となり、人としての尊厳が表出される
こんなこと言いきるなんて、(不謹慎だけど)すごくねーすか!!
一方・・・、
「何故、周りの大人が・・・」 とか 「子供たちに罪がない」 とかいう理屈でこの種の犯罪は解決できるのでしょうか?
何れにせよ、本事件の被害者の無念と恐怖、そして遺族関係者の悲しみ、そしてイジメそのものが既に殺人行為であることを知らせるためにも、加害者らには くり返しますが極刑を望みます。