まなびの途中

色々な仕事をしてまいりました。
色々な出会いがありました。
勘違いもありますが、
学んだことを書いてまいります。

今度は弁護士に母体回帰した被告。

2007年06月29日 | ニュースに絡んで
山口県光市・母子殺害事件の差し戻し控訴審公判。
自分のリンクにございます、DREAM/ING111
に、続々と詳細かつ、丁寧な解説がなされているので、
この件については、多くを言うまでもないと、考えていたが、

この3日間の集中審理を連日聞くに及んで、どうしようもない感覚に襲われた。
例の安田弁護士は、母胎回帰のストーリーを前面に、
殺意の否定を押し出している。
さらに、我々のやっていることが「司法を救う」とまで言い放つ。

本村氏が被告に向かって、「調子の乗っている」との感じは、
どういう先入観を持つまでもなく、
一連の報道を知っているものであれば、誰もが、そう感じ取れる。
例えば、被告が過去、母の自殺を語る際に流した涙の事実。
謝罪を遺族に述べたこと。

つまりだ、
この被告は、その時の状況において、
何にでも、誰にでも、なれるということ。

犯罪のことは犯罪者に聞けなんて言葉が、確かあったように思うが、
所詮、事実は小説より奇なりであって、
普通の人間が、常識的に思考できにくい「闇」にこそ、
犯罪という現実が生成される。

もちろん、当然、家政婦は見た、が人気を呼ぶように、
犯罪に、ある種の社会に潜む、不条理、遺恨、様々な歴史をかたどった
ストーリーによって生成される、
「理解できる」犯罪があるのも事実。

だが、今回の事件は、どう考えても「異常な事件」。
百戦錬磨の弁護士が、犯罪者のとった「行動」を、
我々に理解できるように組み立てなおし、
さらに、犯罪者の「闇」に光をあてて、
なぜ、そうしてしまったかを理解させて、真の償いをさせるために、
いくつもの要因を紐解いていく。

それが、我々に出来る、人間的な弁護活動だ、と仰っていた安田弁護士。
さすが、人権派と呼ばれる方だ。
全ての犯罪が、そう「理解」が及ぶのであれば、
確かに、全てが、ドラマであろうよ。

だけどね、犯罪は、何かの原因があって、その過程の上に積みあがる、
そういう世界観。
犯罪には、各々、特殊な「理由」があって、
当たり前だが、突発的で、暴発的で、到底理解が及ばない犯罪は、
まるであってはならないような、そういう理解の仕方。
えっつ?そうなの?

今回でも、ドラエモンがあって、魔界転生があって、母の死があって、
常識的な「道具」を組み立てることで、
何を「道理的」に理解しようとしているのか?

やりたいから押し入って殺害して捕まって、
裁判では、母の死で泣くこともあって、
友人には「そそのかされて」反社会的な手紙を送り、遺族を否定し、
そして今回は、殺意の否定をして、遺族を睨みつける。

どう考えても、この被告の、状況に合わせた「演出」。
まるで自分の欠片も見出せない、その場その場の雰囲気に、
突発的に何かを「やってしまう」言動。

誰が見たって、誰もが、そう思うであろう。
なのに、今回の弁護側。
弁護士が、彼にとっての「母体回帰」だろう。
頼りがいのある弁護士に見守られ、まさに「甘えつくして」
すがっていく、「気に入られるよう組み立てていく」様こそが、
すでに「自家撞着」はなはなだしい、そういう結果に陥ってはいまいか?

だから、今回は、遺族を社会を「敵に」見立て、
弁護士と共に「戦っていく」ストーリーを、
被告が選択したとしても、まったく、おかしくない。
それを「人権」という大儀妙分と死刑廃止のイデオロギーの枠組みで、
今回の事件を握りながら、言った、司法を救うという言い方。

まるで、「死」を作り出しておきながら、
死を、滔々と、第3者のごとく語りつくす被告。
本村さんが「尊厳の欠片も無い」と言わしめた、現実離れした被告。
この3日間、結局、何にも、彼から「死」というものへの「自覚」を、
誰もが、見出せていなかった。

自分は、そういう被告人に「仕立て」てしまった、弁護団に、
思いっきりの虚脱感と、脱力感を感じざるを得ない。
安田さんが掲げる、自覚させ更正させ、真の反省をさせる、
そうまで言い切った、ご自分の哲学。
今回の集中審理の中で、欠片も見出せなかった。

悪いけど、そもそも、21人もの弁護団が組まれること自体、
絶対に、おかしい。
まるで、自分の気に入った「案件」しか、集まらないかのような、
そういう「団体」に名を連ねた方々。
そうとられても、しょうがないよね。