まなびの途中

色々な仕事をしてまいりました。
色々な出会いがありました。
勘違いもありますが、
学んだことを書いてまいります。

あーあ、また長々と書いちゃった、でも「自由」だし?

2007年06月01日 | 社会的全般
たまたま読んだ本で、「日本とフランス 二つの民主主義」。
この本を読んで、実は、自分は、まだまだ何にも知らない奴だったんだと
気づかされた。

もう日本は「お手本」にする社会も何も、あまり無い、成熟した社会だ、
そういう意識があった。
日本のオリジナルを、それこそ世界に発信する、
そうい使命こそが、今の我々のモチベーションになるのではないか、
難しいことだが、そうに違いない。
なんて、能天気に考えていた。

が、どうやら、世界には、今の日本と同じように、様々な問題点を抱えつつ、
それでも、何を目指して、何をしていこうか、
しかも、日本とは、全くアプローチの違う方法で、
社会を「組織」している国がある。

確かに、フランスのことは、全然知らなかった。
「平等を保障」する国だと言うことも、それが何か?
という程度のもので、実際に、何をどのようにしているのかすら、
知ろうともしなかった。

そしてその平等という「意味」ですら、
今の日本の「福祉」的なイメージをしてしまい、
またも、それが何か?という体たらくだ。

いやいや、凄い「徹底」ぶりだ。
とにかく、平等な社会を実現するためには、こんなにも「自由」を制限される。
商店を「守る」ということか、意味合いは違うんだろうけど、
日曜日は、完全に「休業」させる。
バーゲンですら、アウトレットモールみたいなものも「禁止」。
やるのであれば、「決められた日数と日にち」を遵守する。

雇用にしても、正規社員の率が高いが、
いやいや、パートタイムを採用する場合、完全に「期間の契約」をし、
給与も正規社員と全く変わらない。
あげく、「退職金」まで、完全に支給される。
よって、どの企業も、パートタイマーを雇用する場合、
正社員より「コスト」がアップすることを覚悟しなければならない。

思った。
これは、今の日本から移り住んだら、大変なことになる。
適応できないかもしれない。
がんじがらめだ。
面白くもなんとも無い。

だって、自由がないじゃないか、と。
もちろん、そのやり方が、上手くいっているか、どうなんだ、ということは
当たり前だが、どの国でも一緒で、
フランスも、大きな問題をいくつも抱えている。

自分も、フランスのあり方が、本当にいいのかどうか、
実は、今でも、よくわからない。
ただ、日本の「迷走ぶり」が際立つ今日、
社会福祉を受けるものが、
「弱者」「障害者」というくくりで、平気に考えられているこの国で、

どの人間も、富裕者であれ、貧困者であれ、
誰もが当たり前のように社会福祉を「受けられる」ことで、
日本のように、受けることで「卑屈になったり」「差しさわりの無いように」
「触れないようにしよう」なんて、考えもしない国があるなんて、
想像すらしたことがありませんでした。

自由、という考え方も、言葉も、いつのまにか当たり前のように
それを前提に考えている自分に、初めて気づきました。

【溶けゆく日本人】乱れる性行動

 「えっ、間が持たない?」
  エイズ(後天性免疫不全症候群)予防研究のため、中学・高校生らの性行動に
  ついて全国でインタビュー調査を重ねている木原雅子・京都大学大学院医学研
  究科准教授(社会疫学)は、西日本に住む高校2年の女子生徒が発した言葉に
  耳を疑い、思わず聞き返してしまった。

  生徒はトップクラスの成績で、国立大学を受験する予定だという。彼女がこれ
  までに性関係を持った男性の数は6人。なぜ相手が次々と変わるのか理由を尋
  ねたところ、「間が持たないから」と答えたからだ。

これに長々と言及するには、例によって、悪い癖で、
今日の文章も「長すぎます」。ですから一言。
本当は、この記事をメインに書く予定でしたのに.....。

ええ、「何でだめなの?」「だめなものはだめだ」
ということが、実は、個人レベルでも、社会レベルでも、
通用しなくなってしまったのが、今の日本、だということです。

なんでだめなのかを、いちいち、物凄いエネルギーを使って説明する、
そして納得させることが出来なければ、
それは、個人の自由を阻害してしまうのではなかろうか、
という漠然とした「空気」が、
この日本の戦後、主流になっていた。

押さえつける、抑止する、躾けるもそう、
全てが、あの戦争以降、「悪の権化」としてしまったことが、
なにやら、自由こそが、それに代わる「価値観」として、
全体的に、承認されてしまった、この国。

そして、国に参加するのも「自由」だし、
「いい思いを一人だけすることも」自由だし、
見つからなければ、誰かに言われなければやっても、
それも自由だし。

他人なんて、考えもしない、その先のことさえも、考えも及ばない。
どう、自分が生かされて、どう社会的に存在しているかなんて、
そもそも、そういうことを考えないことも、自由だし。

なんだか、どんどん、そうやって、一人一人が、支えも無く、
自由に浮かんでいるかのように、
つながりもなく、それが、多分、行き着くであろう、
自由な社会。

多分、間がもたねぇな、こんな社会も。
嫌だな。