まなびの途中

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色々な出会いがありました。
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学んだことを書いてまいります。

国と住人との関係の変容について 長い、長すぎる文章が。

2007年06月25日 | 社会的全般
昨今、色々なケースで「公務員」が叩かれている。
今は下野したどこぞの元知事は、パブリックサーバントと名づけたものだが、
多分、本来の意味では、
我々が、不可能ではないが、出来かねることを「委託」している。
そのために存在していると考えているのだが。

もちろん、住民サービスであるとか、奉仕者という考えもあるだろうが、
例えば、警察に関しても、
当たり前だが、利害当事者がそのまま争えば、
多分、不毛な連鎖を生むであろうし、
周辺に存在する住人にとって、迷惑極まりない事態にもなる。

よって、そういう機関をつくって、業務を「委託」するのは
自然な成り行きではあるまいか。
人数が増え、さらに、外部からの人間の流入が増えてくれば、
当然、ルールを厳然と明確化しなければ、
最低限の公平感を維持できないわけだし、

商売一つをとっても、そこに住まう人間を対象にすることによってしか
成立できないわけだから、
その地域なり、エリアを相互に育てていくという「考え」は
普通、生じてくるものであろう。

本来であるなら、地域の自治。
こういうものが、昔、各地域において独自に存在していたが、
次第に、それが、「国」というものに置き換わると同時に、
自治、は、行政という公共の業務に置換されていく。

一方で、企業も、本来であるならば、地域と「共生」すべきなんだが、
もはや、ショッピングモールなど、
地域崩壊を招いている。
再生するんであれば、それなりに「意義」を感じるのだが、
そんな気を感じることは無い。

例えば、年金に関しても、本来、企業において取り入れられたシステム。
この国でいえば、戦争時に、ある意味、うまく利用したという事実があるが、
有能な労働者を、いかにつなぎ止めておくか、
多くの優秀な労働者を採用できるか、
そういう主旨から、忠誠心を最後まで、モチベーションが下がらないようにと
取り入れられたという経緯がある。

もちろん、今では、北欧でみられるように、福祉国家ということで、
世界的に有名な、国が主体になっておこなっている国もある。
ただ、ノルゥエーは、その総人口と、日本の国家公務員、地方公務員の
総数が同じというのも、なんだが規模が違いすぎて、
どう、参考にしたらいいのか判断がつかないが。

よって、本当であれば、企業年金。
そして、自営者は、その年金を、国に委託。
さらに公務員は、それが無いので、独自に共済年金に、
そんな経緯が多分、あった。

ところが、企業側は、年金業務が、破綻。
国に「返上」することになる。
それも続々と。

もちろん、この国では、当初より、国が年金を継続していた。
遺族年金やら恩給という形も含めて。
国を再興するために、この国を強くする必然もあって、
維持するために、必要なシステムとして、
戦後、大雑把ながら、また、なし崩し的に継続がされてきた。

もともと、公務員は、案外、民間に比べて「薄給」であったのも事実。
その「黒子」な業務においては、
確かに目立たず、最低限の「保証」の中で、
その「奉仕活動」を担保するために、老後の保障として、
年金が一つの「忠誠心」を維持する道具であったのも事実。
勲章の授与も、ある意味、同じような道具であった。

解雇もされない、その代わりにストライキがない。
年金を含めて、一生涯保証される、その代わりに思想信条の公平さを
求められ、集会やら政治活動が制限される。

そういう意味で、国民から、「委託」される業務を、
最低限とはいえ、給与を保証されながら、主張も無く誠実に業務を行う。
そういう全般の「理解」が、古くはあったように思う。
その為、公務員に対しての住民の理解も、尊重も、
今とは異なって、あった、ような気がする。

ところが、最近は、委託されるべき業務に、民間が名乗りをあげてきた。
さらに、国も、それを容認する発言、そして政策が立法化されてきた。

いわゆる、自治体とか政府という「仕事」の解体であり、見直し。
加速されてきた。

本来、住人は、当たり前だが、国という「枠組み」を通常意識しない。
実は、年金というものは、
国を成立させるために、国に忠誠をもたせるために、
言い方は変だが、必然の「道具」であった。

一方で、住人が国に委託している業務を、民間に任せることを「良し」
とする考え。
こうなってくると、次第に、国への「帰属意識」が薄れてくる。

本当は、国の為政者達は、年金というもの、いわゆる公務員にのみ、
考えていたのは事実。
さらに言うと、国に、帰属し、国に尽くし(とは言っても、戦前のそれではないよ)
正しく働き、納め、守る。
こういう国民を、国民と呼んで、大事にしてきたのも事実。

そういう受託と委託してきた、国と住人との関係が、
本来の年金にまつわる、ベーシックな考え方で、
もともとは、何かをしてくれるという、困った時の「保護者」では、
毛頭無かった。

ところが、変質した。
思いっきり変質した。
国と住民との関係が。

これが、現在、相互不信にまで上り詰めることになった、
ある意味、現在、我々がそして公務員までもが、
権利を大前提に主張する世の中なんである。

大丈夫かなぁ、こんなこと書いちゃって......。
上手くまとまってないよねぇ......。