まなびの途中

色々な仕事をしてまいりました。
色々な出会いがありました。
勘違いもありますが、
学んだことを書いてまいります。

いや、めちゃくちゃな内容になってしまった。

2007年06月23日 | 雑感(日記)
朝の番組で、例の読売新聞かな、記事にした「学校への親のクレーム」。
もちろん、クレーム自体、へんてこなものが多いし、
各方面で、結構な話題にもなった。
前から、散発的にではあろうが、この手の「親側の理不尽」な要求は、
いくつか記事になっていて、
常識的に考えて、普通、ありえないだろう、
のオンパレード。

ともかくも、識者が、大人を含め「消費者」として、
金を払ってんだから何でも文句を付けられる、そういう意識が顕著だと、
そういう話をするのだが、
これを「権利意識」の拡大化、なんて言葉で語られると、
ちょっと寒気がする。
ただの「馬鹿なわがまま」と、なんで言えないのかなぁ。

例えば、最近目にするのが、飛行機でのトラブル。
離陸時、なかなか携帯電話を切らずに「揉めたり」、
中には、隣の席に客が「いる」ことに納得がいかず暴れたり、
(ずーーと、乗るときには、横が空席を確認して乗っていたそうだ)
あはははは、2枚買えよ、横を空けたいんだったら。
なんて、航空会社が「強硬手段」をとれるようになったため、
問題客がクローズアップされたんだそうだが、

テレビでは、「大人の再教育」をどうしたらいいのか、
そういう意見に集約されていった。
初めてだなぁ、こういう意見をテレビで聞くのは。
学校問題は、所詮、大人側の問題だと、強く認識していたので、
どんどん、建設的な意見をしていってほしいものだ。

考えてみると、先に起こったこんにゃくゼリーの問題も、
「もち」という食品が、年末年始だけで、約200人もの人間を
死に追いやっている事実はなかなか問題にされない。
多分、このトピックスは、後世、もち時代とこんにゃく時代といった、
歴史的な「区分」によって、特記されることになるのであろう。

いずれも、「損害賠償」がセットで語られ、
さらに、道路に穴が開いていたから怪我をした、という
アメリカでおこった「古典的」な損害賠償が蔓延し、
当たり屋とか言われる、慰謝料搾取などが、おかげで駆逐され、
公共施設、自治体、国という、もっとも無防備な「団体」が
おそらくターゲットになり、

「権利意識」の拡大という大儀名分とともに、「あり」とされ、
後に、外資の損害保険屋が、この「ブーム」を裏で操作しているという事実
が明らかにされるも、
すでに時遅しで、

導入されてしまった、国民背番号制によって、携帯を余儀なくされた
ナンバープレートという身分証明書には、
義務付けられている保険の種類が記載されていて、
その種類によって、出来ること、出入りができること、
そのランクが決められ、ICタグによって管理される。

そうなってくると、いっそのこと、人物も、企業も、
保険屋が、リスクを管理し、損害を仲裁するという事実から、
全ての公共事業から、商品管理まで、あらゆる分野の「査定」を任され、
思いがけず、「小さな政府」が、ここに誕生する。

当たり前だが、各個人個人も、その管理からは逃れられず、
長者番付という、その昔、意味を喪失したランキングから、
国に対して、どのような「生産的な」貢献をして、
生涯払い込み保険料という、新たな、支払い長者番付なるものが、
結果的に、以降の「年金」に反映されることになり、

まさに、誰も、何も、文句がつけられないような、社会が誕生する。
それは世界の潮流となり、
どの保険会社が管理する「国」に、「国籍」を所有するか、
任意に決定できる時代となり、
応じて、紛争も、混乱も、
全てが、国際的に、コントロールされる時代となり、

この日本では、もちろん、国をあらわすマークは、
こんにゃく、という笑えない歴史が記されているのであろう。

ああ、ごめんなさい、こんなことばかり書いてしまって。
ああ、違うことを書こうとしていたんだけど、
色々作業しながらやっていたら、こんなん書いてしまいました。