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2009年11月10日
いよいよ我が家の近くの山が紅葉して来ました。
まず岩殿山(634m)、正面から撮ってみました。
標高は山梨百名山の中では下から2番目だそうですが、すごい大岸壁を持っています。
さらに武田氏の滅亡に決定的な打撃を与えた小山田氏の居城があった山です。
鏡岩と呼ばれる大岸壁です。
さらに望遠で撮ってみました。
すごい岸壁です
岸壁群の標高差は約120mもあるそうです。
山頂の方角です。
鏡岩の横の岸壁です。
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今度は移動してゆりヶ丘から撮ってみました。
ゆりヶ丘地図
岸壁を望遠で撮ってみました。
さらに望遠で撮りました。
どこから見てもすごい岸壁です
山頂です。
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この山は「雁ヶ腹摺山」がんがはらすりやま(1874m)です。
家の近くで撮ると、電線ばかり入って苦労します。
この山は今はほとんど使われていないけれど「五百円札」の富士山を撮影した山だそうです。
名前の由来は「雁が腹をこするようにして越える」ことから来たそうです。
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この山を一躍有名にしたのが「五百円札の富士山」だった。
北は小金沢、南は奈良子川、真木川の源流。
大菩薩南嶺主脈の少し東にあり、メーンルートからは外れている。
しかも林道が出来る以前は、たっぷり一日行程。
どっしりとしたいい姿をしているが、訪れる人は少なく、高さの割には不遇をかこっていた。
一変したのは1951(昭和26)年の五百円札の発行だった。
原画となった写真は、当時の国鉄職員で埼玉に住んでいた名取久作が撮影したものだった。
シャッターを切ったのは42(昭和17)年11月3日午前7時。
雪をいただいた端正な富士山だった。
※山梨百名山より
林道のない時代11月3日の午前7時に撮影をしたということは、この山頂にテントで泊まったということでしょうか
「寒かっただろうな~」と、いろいろ想像をしてしまう私です・・・
今は林道が通っているけれど、すごく高い山ですよ
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この写真は、雨がやんで下からガスがわきだした時に撮ったものです。
草原の様に見える山が白谷丸で右に見える山が黒岳(1987.5m)です。
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※私が以前に載せた、雁の写真を撮った時のブログを見つけました。
山中湖にダイヤモンド富士を撮りに行った時のものです。
この鳥は、どうも雁らしい。
私の近くに「雁ヶ腹摺山(1874m)」がある。
この山は雁が腹を摺るほど高いと言うので、そういう名前が付いたと聞いている。
私も雁が群れをなして、空を飛んでいるのを見たことがある。
この鳥なのだと、感動した
空を飛んでいるのを見ると、とても小さく感じるが、こんなに大きな鳥だったのだと思った。
雁も見ることが出来てうれしかった!