※今から2年ほど前の記事になります。
2010年3月20日 早川町・赤沢宿を見に行きました。
赤沢宿地図
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早川町赤沢地区は、江戸期から昭和初期にかけて、身延山から七面山へ向かう参拝客の宿場町「赤沢宿」として栄えた。
ほぼ当時のままの姿を今に残す町並みを守ろうと、町が「町並み保存条例」を制定してから今年で丸20年。
住民と行政が一体となり、保存活動が進められている。
同地区は周囲を山に囲まれ東に身延山、春木川を挟んで西に七面山を望む山の中腹に位置。
建物が傾斜地に軒を並べているため、独特な風情が漂う。
全国の講中が宿泊した「講中宿」の軒下には、講が定宿の印として名前などを記した「講中札」が今も掲げられ、往時の面影を伝えている。
※山梨日日新聞より
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今は閉まっている宿がほとんどでした。
今はひっそりしていますが、昔はにぎやかだったんでしょうね。
お寺のしだれ桜です。
桜が咲けば、きれいだと思います。
↑クリックで拡大します。
集落案内図がありました。
赤沢地区は「重要伝統的建造物群保存地区」になっているようです。
昔、日蓮宗の信者の方たちは、身延山奥の院から西ルートを下り、追分を越えて、拾萬部寺からこの赤沢宿に来て泊まったのだと思います。
2009年10月23日に
身延山西ルートを登った時に、追分から赤沢宿への道がありました。
もう10年以上前になると思いますが、夫と七面山に登った事がありました。
その時に86才だというおばあさんが白装束で一人で登っているのに行きあいました。
熱心な日蓮宗の信者さんだと思います。
やっと歩くような感じで、ゆっくりゆっくりと登っていました。
確か八王子の方だとお聞きしました。
身延山奥の院から追分を越えて、赤沢宿で泊まって、七面山に登っているのだと言われました。
あの時のおばあさんの笑顔が今でも忘れられません。
赤沢宿もそれで来てみたかったのです。
あの年で、身延山奥の院から、、、とても私には信じられませんでした。
車では通れないので、歩いて来たのだと思います。
あの時のおばあさんは、本当に現実の人だったのかと疑いたくなります。
私は幻でも見ていたのかと思うようです。
この後、赤沢宿からおばあさんも必ず通ったと思われる十萬部寺まで、私は夫と車で登ってみたいと思います。
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早川町・赤沢宿②に続きます。