前回の「人には信念を持つ権利がある」という記事に対して、ある人から「信じる者は救われるということか」という感想を頂いた。これは私の表現力の問題かもしれない。ジェームスはおそらく彼の真理観について述べているのであって、もし一生涯変わらぬような信念を持つことができれば、もうそれを「真理」と表現してもよいのではないかというような積極的なニュアンスがあると私は思う。それを「信念の正当化」というのではないだろうかと私は考えたのである。
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