禅的哲学

禅的哲学は哲学であって禅ではない。禅的視座から哲学をしてみようという試みである。禅を真剣に極めんとする人には無用である。

本当の出口はまだまだ先である

2020-05-13 08:46:16 | 政治・社会
   新型コロナも高温多湿の環境では活性度がかなり失われるらしいということで、日本の梅雨と夏にかなり希望を託しているのだが、安心するのはまだ早すぎる。 新型コロナは全く新しいウィルスなので、ワクチンを接種しない限り、いずれみんな感染するのである。時間の問題で、私もあなたもワクチンを接種するか感染するかのどちらかなのである。今やっている緊急事態における自粛はコロナを終息させるためのものではなく、ひとえに医療崩壊を防ぐためであるという認識が必要である。逆に言えば、医療崩壊を招かない自信があれば休校や企業の営業自粛はやるべきではない、という考えも成り立つ。実際にスウェーデンがそれをやった、あえて集団免疫を獲得するという方針を立てたのである。5月7日時点で3000人(スウェーデンの人口は約1000万人)を超す死者が出て、さすがに批判が出始めたが都市のロックダウンも企業への休業指示も未だ出ていない。高校と大学はオンライン授業になったが、小中学校はいまだに通常授業を行っている。現在、スウェーデン政府は国内外からの批判にさらされているが、このような考え方もあり得るということである。

 言いたいことは、自粛活動はウィルスに対する根本的な対策ではないということである。当初、政治家たちが「今が瀬戸際です」という言葉を連発していたが、全くこのことを理解していなかった。ワクチンを接種するか国民の大半が感染して抗体を獲得するかしない限り、瀬戸際の後も瀬戸際が続く。早ければ年内にもワクチンが完成するという話も出てきているが、国民全体が接種を受けるにはまだまだ時間がかかると見なければならないだろう。一年間もの間、学校や企業の活動を停止させておくわけにもいかない。このひずみはいずれ何らかの形になって表れる。コロナ肺炎で死ぬ人が多いかそれとも自殺者の数が多いか、それらを両てんびんにかけるという視点も必要である。われわれはできる限り早く日常を取り戻さなくてはならない。そのためにはできる限りたくさんのPCR検査して感染爆発を抑えながら、学校は分散登校をする、野球や相撲は観客にマスク着用させた上で観客数の制限もする、飲食業は消毒の徹底と席と席の間隔をあけて営業する、などの試みをしていかなくてはならない。

 個人的には市立図書館を早く開館して欲しい。
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