禅的哲学

禅的哲学は哲学であって禅ではない。禅的視座から哲学をしてみようという試みである。禅を真剣に極めんとする人には無用である。

こんなことでええのか?

2022-12-15 11:38:11 | 政治・社会
 NHKの調査によれば防衛費増額に対する賛成は55%、それに対し反対は29%だという。その他の調査でも国民の大半は増額に賛成であるとの結果がでている。しかし、ちょっと理解しがたいのが、その財源としての増税には90%以上の国民が反対だという。(参照~>「夕刊フジ」)  外国の脅威を現実的なものと受け止めているのなら、増税反対どころではないのではなかろうかと思う。防衛力は必要であるが、それに必要な経費の負担を自分はしたくない。まるで他人事である。

 おそらく人々は「自分は外国の脅威を感じている」と言葉の上だけで思っているだけで、そこにはリアリティなどないのだと私は考える。もし、他国のミサイル攻撃にリアリティを感じているなら、それが原子力発電所に命中したらどうなるかを想像しなければならない。そういうことを抜きにして防衛力増強などといくら主張してもその真剣さは疑わしいと私は考える。Jアラートなどとまるで戦時中の空襲警報のような大仰な警報鳴らしても、それはおそらく「日本はいまただならぬ状況下にある」という雰囲気づくりでしかない。要するに戦争ごっこをしているだけで、そこに本当の真剣さを感じられない。
 
 そもそも「なぜ防衛費がGDPの2%なのか」という根本的な議論が欠けている。現状でも日本の軍備は英仏並みなのである。これで何が足りないのか、それより根本的にはGDPの2%の防衛費で日本は本当に安全と言えるのかということがある。2%を達成したら次は「3%ならより安全になる」と言い出しかねないような気がする。1960年代の終わり頃だと思うが、防衛庁は「日本ハリネズミ論」という防衛理論を標榜していたと記憶している。ハリネズミは小さくて弱い動物だが、それを攻撃しようとすれば攻撃する側も多少痛い思いをする。だから強い動物もあえて針ねずみを襲おうとはしない。日本もハリネズミにならって必要最小限の小さな針としての防衛力を備えようという理論である。防衛費がGNPの1%に到達していない時代の話だ。
 
 それがいつの間にか、「敵に攻撃される前に敵基地をミサイルで攻撃する」というような話になっている。正気か!と言いたい。こちらが先に敵基地を攻撃しても「専守防衛」だなどと無茶苦茶言っている。まじめな議論をしているようにはどうしても見えないのだ。いつの間にか日本ハリネズミ論どころかすでに専守防衛論からもはるかに逸脱してしまっている。この安倍政権が登場してからというもの、今までの自民党政権が積み重ねてきた政府見解さえ一切無視しているように見受けられる。もはや日本政府には原則とかプリンシプルとかいうものは一切ない、ご都合主義もいいところである。

 なぜGNPの2%なのか、その理由は実ははっきりしている。アメリカの兵器を爆買いしているからである。それも近年は、F35戦闘機、オスプレイ、水陸両用車「AAV7」など衛費増額に対する賛成は55%、それに対し反対は29%だという。その他の調査でも国民の大半は増額に賛成であるとの結果がでている。しかし、ちょっと理解しがたいのが、その財源としての増税には90%以上の国民が反対だという。(参照~>「夕刊フジ」) 外国の脅威を現実的なものと受け止めているのなら、増税反対どころではないのではなかろうかと思う。防衛力は必要であるが、それに必要な経費の負担を自分はしたくない。まるで他人事である。

 防衛費は増額するが増税しないとなると結局国債頼みとなるのは間違いない。国債を打ち出の小づちだと考えているようだが、その咎が問われる日はそう遠くないだろう。防衛力を増強しながら凋落していく日本を眺めなくてはならないのが辛い。

 
大量に発行された「大東亜戦争割引国債」は文字通りの紙切れとなってしまった。
コメント
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