またかという感じである。いいかげんうんざりしてくる。一体どう意図で発言しているのだろうか。確かに、みんながみんなLGBTになると子供は生まれなくなる。しかし、そんな心配はちっとも現実的ではない。平沢さんは東大出の秀才なのにそんなことも分からないのか。政治家はもっと現実的な問題に向き合うべきである。ろくな仕事をしていないから、こんな失言をしてしまうのだ。
これはそもそも平沢さんが心配するべき問題でもない。その人がヘテロ・セクシャルであるかどうかは自然が決めることで、誰の責任でもない。政治家がなんとかせねばと力んだとしてもどうなる問題でもないのだ。どうしてこんな単純な道理が分からないだろう。先般の杉田水脈議員の生産性云々発言もそうだが、彼らの言葉の裏には「LGBTも自己責任」的なニュアンスが感じられて気持ちが悪い。
大事なのは日本の人口を増やすことではなく、生まれてきた一人々々が幸せに生きられるということである。人間は工場のラインで生産されるわけではない、自然の中で進化し生まれてきたのである。当然いろんなバリエーションがあり得る。必ず一定の比率でLGBTの人も生まれるわけである。政治家はいろんな事情を抱えた人が世の中にはいることを知らねばならない。そして、それぞれの人がより生きやすいように制度を整える、政治家の仕事というのはそれしかないのである。
こういう発言が繰り返される裏には、異質なものに対する恐怖感や嫌悪感というものがあるのだろう。そういう人たちを自分の視界の中に入れたくない、できれば切り捨ててしまいたいという意識が働いているのだろうと考えられる。
しかし、そんなことでは政治家は務まらない。われわれの目指す市民社会が民主主義を標榜している以上、誰も見捨てられるべきではない。われわれは暗黙のうちにそういう協定を結んでいたはずなのだ。でなければ、民主主義というものはすでに論理破綻している。
(神奈川県二宮町・吾妻山公園) 写真と本文は関係ありません。