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禅的哲学

禅的哲学は哲学であって禅ではない。禅的視座から哲学をしてみようという試みである。禅を真剣に極めんとする人には無用である。

「大谷翔平と力道山」考

2024-10-20 19:08:43 | 政治・社会
 最近のテレビのニュースもバラエティも大谷だらけである。NHKのBSではドジャーズのシーズン中の試合はほぼ全試合放映したし、ポストシーズンの試合は地上波で放送している。おそらくドジャーズの試合の視聴者はアメリカにおいてより日本の方が多いのではないかという気がする。 実を言うと私自身も人後に落ちない大谷ファンであるが、このところの報道ぶりを見ていると些か行き過ぎではないかとも思う。



 なぜ人々はこれほど大谷選手の活躍に熱狂するのだろうか? どうもそれには日本人の田舎者意識が大きく寄与しているのではないかと私は思っている。日本は極東と言われる辺境の島国である。歴史的に見ても、中華や欧米の文明にあこがれ続けてきた経緯がある。そういうコンプレックスがあるために、外国からどう見られているかということがすごく気になるのだろう。だからスポーツ選手の評価にしても、外国においてどのように評価されているかということがとても重要なのである。


 そういう意味で私の知っている日本の最初のスポーツヒーローは力道山である。昭和三十年代の日本は敗戦のどん底からやっと立ち上がって復興の兆しが見え始めた頃であった。極悪な外人レスラーの反則技に苦しめられながら最後は伝家の宝刀空手チョップで叩きのめす、今から思えば実に安直な筋書きだが私たちはそれに熱狂した。戦争に負けてボロボロになった自負心がそれによって癒されたのである。力道山はNWA世界チャンピオンのルー・テーズなどとも互角以上の戦いをして、その実力が世界のトップレベルであることを示した。と多くの日本人は信じていた。当時の人々はプロレスが真剣勝負のスポーツでありショーだとは思っていなかったのである。だから、ほとんどの日本人は、力道山は格闘家として世界のトップクラスの強さを誇っていると本当に信じていた。当時の私たちはそれをとても誇りに思いプロレス中継に熱狂したのである。その熱狂ぶりは現在の大谷選手に対するものよりも大きかったと記憶している。 ただ残念なのは、力道山の存在は日本以外ではそれほど知られていなかったということが事実だということだ。それに彼の出自は現在の北朝鮮であり、その事実が当時知られていればあれほどの熱狂があったかどうかは疑わしい。当時の日本では韓国・朝鮮への蔑視が厳然として有ったからである。力道山人気はあくまで私たちのナショナリズムと強く結びついていたからである。

 日本人は外国人にどのように評価されているかを非常に気にする。そういう意味で大谷選手は掛け値なしのメガ・スターと言ってもよい。今やほとんどの野球好きのアメリカ人が大谷選手のことを超一流選手だと見做しているのは間違いない。インターネットでYahoo USAのホームページを検索すれば、ニュースのヘッドラインにShohei Otani の名が頻繁に出てくる。今までこれほどアメリカ人の注目を浴びた日本人はおそらくいない。大谷こそ日本人が待ち焦がれた本物のヒーローである。MLBの発表によればドジャース対パドレスのナ・リーグ地区シリーズ第5戦の日本における視聴者数は約1300万人だったらしい。その日はダルビッシュと山本の投げ合いということもあって特別日本での視聴率が高かったという事情はあるが、日本においてMLBの試合にこれほどの関心が高いのは大谷あってのことだろう。アメリカの人口は日本の約3倍あるが、おそらくその視聴者数は日本より少なかっただろう。おそらく日本では野球にそれほど関心のない人もトジャースの試合を見ているのである。そこにはやはり、ある程度日本人のナショナリズムがMLBの試合に関心を向かわせているのだろう。

 私はナショナリズムを頭から否定するつもりは毛頭ない。自分の属するコミュニティへの忠誠心はある程度あって当然だと思うし、私自身がそれほど野球に関心があるわけでもないのに、大谷のホームランを期待しながらドジャースの試合を人一倍熱心に見ているのである。しかし忘れてはならないのは、スポーツマンの栄誉はあくまでその人個人に帰するべきものであるということである。大谷がいくらホームランを打とうと、別に日本そのものや私が偉い訳でも何でもない、偉いのは大谷個人である。私はついでに喜ばせてもらっているに過ぎないことを肝に銘じておくべきだと思う。

 最近の大谷選手に対する報道のされ方にもちょっと気になる。大谷の実力は既にゆるぎないものとみんなが認めるところであるからには、もう少し冷静な態度が望ましいと思う。とにかくいろんなデータを引っ張り出してきては、いろんな角度からこれでもかというようなしつこくデータを引っ張り出してきて「これは新記録である」というような報道の仕方は如何なものかと思う。特に「50-50」の記録についてもそれは確かに偉業には違いないが、昨年度から投手に対する厳しいルール改正があったという条件付きで見れば、盗塁数について過去のデータと同じ土俵で比較するのは著しく公平性に欠けることを銘記しておくべきだと思う。あまりに行き過ぎた応援は、力道山の空手チョップに「ヤッタレーッ!」と絶叫したかつての私達のコンプレックスに満ちた顔が重なって見えてくるからである。スポーツに贔屓の引き倒しがあってはその価値が損なわれてしまうだろう。

 もう少し言わせてもらえれば、私はMLBのビジネスライクな考え方が大いに気にくわない。ドジャースのワールドシリーズのチケット料金は一番安い席で15万円、最上の席は300万円以上もすると言われている。はっきり言って馬鹿げている。すでに野球観戦は一般人が家族でこぞって楽しもうというようなものではなくなっている。子ども達を連れてボールパークに遊びに行くという牧歌的な様相はそこにない。これではアメリカの野球そのものの凋落は見えている。MLBは現在はビジネス的に成功しているように見えても、10年先はどうなっているかは分からないだろう。
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一人の人の人生を根こそぎ奪い取るということの重大さを畏れよ

2024-10-09 13:28:50 | 政治・社会
 袴田事件にやっと決着がもたらされそうだ。検察が控訴を断念して約半世紀にわたる裁判が終了する。膨大な人員とコストが間違った方向に注がれ、その結果一人の人の人生を丸ごと奪ってしまった。

 あらためて事件を見直すと、なぜ袴田さんが犯人と目星をつけられたのか? その理由が全く分からないのである。たった一つ理由として考えられるのが彼がボクサーだったということだろう。「ボクサーは腕っぷしが強い」=>「粗野な荒くれ者」=>「犯罪を犯してもおかしくない」という単純な思い込みによって、捜査の全精力を彼に集中させてしまい、他の可能性への捜査をすべて放棄してしまったのだろう。

 それが単なる思い込みでしかなかったことの反映が、45本という膨大な供述調書の件数に表れている。45件のうち証拠採用されたのは1件のみでしかない。要するに袴田さんは捜査側の誘導によって供述したのであろうが、その供述に反する証拠が見つかるたびに犯罪シナリオが書き換えられ、そのたびにそれに沿って供述させられたと考えるのが自然である。要するに犯人でない人を犯人に仕立て上げたから、無理筋のシナリオをでっちあげ続けたのだろう。

 唯一証拠採用されたいわば決定稿とも言うべき犯罪シナリオについても、それを支える決定的な証拠がないので、切羽詰まって味噌樽の中に血染めの衣類を仕込んだのだろう。その唯一の物証が裁判所に「ねつ造」と判断された。もはや袴田さんを事件の犯人と疑わせる材料は何もないのである。

 検察側はもはや勝ち目はないと控訴を断念したが、「物証のねつ造は空想的」と述べ強い不満も漏らしている。彼らは本当に捜査側による「ねつ造は空想的」と信じているのだろうか? 一年以上もたった現場から新証拠が発見され、しかもサイズが小さすぎるというような不自然さだけから見ても、捜査側による証拠のねつ造の蓋然性は極めて高いと言わざるを得ない。その上、科学的見地からもそれらの衣類は発見直前に味噌樽に入れられたものと断定されたからには、ねつ造を空想的であるとする考えの方が空想的と言われても仕方ないだろう。
 
 検察側の無罪判決に対する「強い不満」は単なるポーズに過ぎないとみる。公に判決を認めてしまえば、無辜の人を犯罪人に仕立て上げるために膨大な労力と費用をつぎ込んできたことを認めざるを得ないからである。証拠をでっちあげて人を犯罪人に仕立て上げること、それ自体は単なる窃盗などとは比べものにならないくらい重大な犯罪である。その重大な犯罪に加担するために、彼らの先輩方も彼らも膨大なエネルギーをつぎ込んできたことになる。言うまでもなく、彼らは税金で養われている人々である。袴田さんを有罪に追い込んで手柄を立てた捜査員は出世して、少なからぬ退職金をもらって退職しているだろう。すでに悠々自適の人生を全うした人も少なくないだろう。それに引き換え、袴田さんはやっと無罪を勝ち得たが、本人は長い拘禁生活のおかげで自分の身の上に起きている事態を認識できないような状態であるらしい。

 検察はもっと早く控訴断念すべきだったと思う。 2014年の静岡地裁による再審決定の際には次のような意見が付け加えられていた。
《5点の衣類という最も重要な証拠が捜査機関によって捏造(ねつぞう)された疑いが相当程度ある。国家機関が無実の個人を陥れ、身体を拘束し続けたことになる‥‥拘置をこれ以上継続することは、耐えがたいほど正義に反する。一刻も早く身柄を解放すべきである》
2011年9月に最高検察庁が策定し公表した『検察の理念』なる文書がある。その中の下記の一文を肝に銘じてもらいたい。
≪あたかも常に有罪そのものを目的とし、より重い処罰の実現を成果と見なすかのごとき姿勢となってはならない。≫

 裁判所側にも問題はある。もっと早く再審を開始すべきだったし、44本もの調書を不採用にしておきながらどうしてこの事件の不自然さに注目しなかったのか、現に袴田さんが無罪であるという心証を早くから持っていた判事も現にいたのである。
 
 警察、検察、裁判所はともに現実を直視しないで、惰性で仕事をしていたような感がある。一人の人の人生を丸ごと奪うという罪に加担している現実を直視するのはしんどいが、一人の人間を見殺しにしても大勢に逆らわず淡々と仕事しておれば優雅な老後が待っている。考えてみれば公務員というのは怖ろしい仕事である。
 
 袴田さんへの賠償金は2億円だのどうだのと話題になっているが、いまさら金であがなわれるような性質のものではない。彼への仕打ちが公の場で決定されていたからには、直接的ではないにせよ我々にもなんらかの責任はあるように思う。身の回りの不条理にはできる限り目をふさがないよう努める必要があると思う。
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学歴詐称をするような人が日本の首都の顔で良いのか?

2024-06-21 19:16:03 | 政治・社会
 東京都知事選を迎えて、小池百合子さんの学歴詐称ということが大きな話題となっている。実際に彼女が学歴詐称したのかどうかを私は知らない。が、実質的にそれに近いことをしたのだと私は思っている。形式的な意味においては、カイロ大学自身が正式に彼女の卒業を認める声明を出しているのだからそれを覆すことはたぶんできないだろう。しかし、彼女の学歴詐称の疑いの発端となった、かつての同居人である北川百代さんの述懐がとても具体的で説得力のある話であるのに対して、小池さんはそれに対して全然反論していないのだ。具体的な事には一切言及しないで、「卒業証書がある。カイロ大学が声明を出して証明してくれた。それ以上のなにが必要か?」の一点張りである。私から見れば、ぼろを出さないために具体的な言及を避けているように見える。」以上のことから、外形的にはともかく、実質的に彼女は学歴詐称しているに違いないと私は確信している。
 カイロ大学というのは軍情報部に支配されており、それで軍の有力者に近い外国人子弟は優先的に入学できるそういう特別枠があるらしい。小池さんのお父さんはナセル時代からの政府要人のコネを通じて彼女をこの優先枠に送り込んだようである。 ここで注目したいのは、あのサダム・フセインもその外国人優先枠によってカイロ大学に入学しているという事実である。しかも、フセインがイラクの要人となったときにエジプト側から「カイロ大学の偉大な卒業生」という声明が出されたという。しかし、フセイン自身は「カイロ大学法学部を2年で中退」したことを自ら明かしているのである。こう言った事情を鑑みれば小池さんのカイロ大学卒業は限りなくあやしいと言わざるを得ない。この辺の事情は浅川芳裕氏の記事「エジプト軍閥の“子飼い”小池百合子の運命」を参照されたい。
 実際に東京都からエジプトへの援助金が支出されてもいるわけだから、もし浅川芳裕氏の記事が事実に基づかないものであったとしたら、これは小池さんに対する重大な名誉棄損である。都の予算を采配する立場として外国に弱みを握られているというような指摘を受けている以上、訴訟を起こすのが当然と言うより公人としての立場からはむしろそれは義務である。なのに一言の言及もないのはどういうわけだろう、不可解である?
  
 小池さんはテレビ局出身だけあって物言いがはっきりしていて大衆にアピールするもの言いは非常にうまい。しかし、自分の都合の悪いことについては素知らぬ顔をして徹底的に黙殺する。坂本龍一さんが、明治神宮外苑地区の再開発の見直しを求める手紙を東京都の小池百合子知事にしたためた。すると彼女は「事業者の明治神宮にも手紙を送られた方がいいんじゃないでしょうか」と木で鼻を括ったような答が返ってきた。明治神宮に文句を言ったところで、経済的理由により外苑を再開発したいのに決まっている、それを許可したのが東京都である。まるで自分は当事者ではないような態度は如何なものか。 9月1日の関東大震災の朝鮮人犠牲者追悼式典に小池さんは追悼文を送らなかった。小池さん以前の知事はその政治的立場に関わらず毎年送っていたのに、小池都知事に代わってからはそれを取りやめてしまった。そのことについて聞かれても直接的な理由は述べず、「犠牲となったすべての方々に哀悼の意を表しており、個々の行事への送付は控える」 とだけ繰り返す。言うまでもないが朝鮮人犠牲者追悼の意義は単なる震災による死者への追悼ではなく、民族的なヘイトクライムに対して「我々は二度とそれを繰り返さないという意志表明である。そういった事情には一切触れないよう黙殺する。ここに彼女の冷淡な性格が如実に表れている。

 私が小池さんを初めて知ったのはもう40年以上も前になるだろうか、彼女はフジテレビ「竹村健一の世相講談」という番組に竹村健一のアシスタントとして出演していた。番組中では竹村健一によくいじられていたなかなか愛嬌のある可愛らしい女性を演じていた。その頃は現在の貫禄ある東京都知事の雰囲気はみじんもなかった。そういう軽い感じのキャラクターで通すのなら、学歴詐称も大目に見ることもできる。『カイロ大学文学部首席卒業』という大ぼらもご愛嬌というものかもしれない。しかし、彼女はそのGDPがエジプト一国をはるかに上回るという大東京の首長である。この問題を若気の至りとしてすますわけにはいかないと思う。

 彼女への投票を一票でも減らしたいと思ってこの記事を書いたのだが、なんだかだ言っても結局都知事選は小池さんの圧勝で終わるような気がする。残念である。

※イスラム思想研究家の飯山陽さんの面白い動画がyoutubeにあるので興味ある人はご覧されたい。
ここまで馬鹿にされて黙っているのは都知事として如何なものか。まあ、本当のことを言われているのなら黙っているしかないだろうが‥‥。
 

東京都庁
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日本はUNRWA(国連パレスチナ難民救済事業機関)を支援し続けるべし

2024-02-10 18:38:06 | 政治・社会
≪ UNRWAは第一次中東戦争後、1949年12月8日に採択された国連総会決議302(IV)により、パレスチナ難民のための救済と事業実施を目的として設置され、1950年5月1日に活動を始めました。それから73年、UNRWAはパレスチナ難民の支援と保護を行っています。 ≫ (以上、UNRWAのホームページからの抜粋。)

 現在ガザのパレスチナ人が悲惨な状態にあることは全世界が周知している。しかし、この事態に重大かつ全面的に責任があるイスラエルとハマスは人々の生存と安全のためにほとんど何の努力もしていないのが実情である。医薬品や食料品のガザ外部からの搬入は全面的にUNRWAなしでは途絶えてしまう。そんな事情を知らない筈はないのに現時点で15か国がUNRWAへの拠出金停止を表明したのだ。しかもその中に日本も含まれているのである。アメリカはイスラエルべったり、そして日本はアメリカべったりである。そこにはヒューマニズムとか正義のかけらも感じられない。

 ガザのイスラム組織ハマスが昨年10月にイスラエルを奇襲攻撃した際、「UNRWAの職員が攻撃に関わっていた」という情報をイスラエルが提示したのだという。しかし、それがどうしてUNRWAへの資金援助停止の理由になるのかが理解できない。UNRWAの職員数は約3万人だという。しかもそのほとんどが現地雇いのパレスチナ人である。当然その中にはハマスにシンパシーをもつ人々がいたとしてもそれは当たり前のことである。ハマスへの協力者は当然罰せられるべきだと思うが、それはガザという狭隘な地域に悲惨な状況に追い込まれている何百万もの人々の命を脅かす理由になってはならない。

 そんなことも分からないほど日本の政治家は頭が悪いのか? たぶん、切実な局面に立たされている他人の難儀にそれほど関心がないのだろう。唯一の関心事はご自分の権力基盤の維持ただそれだけである。そのように考えるとパーティ券の裏金問題や統一教会との関係のごたごたした歯切れの悪い釈明もすべて腑に落ちる。ならば、その最終的な責任はそのような政治家を選んだ国民にあることになる。次の選挙の機会には心して投票すべきだろう。

 重ねて言うが、UNRWAへの拠出金停止は恥ずべき行為だと思う。むしろ、南アフリカの外相パンドール氏の言うように「全ての国はイスラエルの軍事行動への資金提供を停止する義務を負っている」というような見識を持つべきだと思う。


丹沢山系塔ノ岳の樹氷と富士山
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この著しい不正義を黙って見過ごしてよいのだろうか?

2023-12-26 16:25:23 | 政治・社会
 最近、2歳の女の子が米国における心臓移植に成功したというニュースが流れた。いたいけな少女がやっと人工心臓から解き放たれたと知って、何となく心が軽くなったような気がする。しかし、米国での心臓手術はとてつもなく費用が掛かる。この手術のために、なんと5億3千万円の寄付金が寄せられたという。小さな命の苦しみをわがことのように受け止めた多くの人々の善意である。人ひとりの命がそれほど重いものと、人々が受け止めているからこそだと思う。

 一つの命がそれほどいつくしまれている一方で、ガザではいかにも無造作に人々の命が奪われ続けている。イスラエルの自衛戦争の名のもとに、なんら抵抗手段をもたない多くの人々が一方的に殺戮されている。すでに2万人以上の人々の命が失われたという。イスラエル側はテロ組織ハマスの排除の為と言うが、被害者のほとんどはただの一般市民だ。おそらくイスラエル側には「一人のハマスを排除するためには、千人のパレスチナ人を巻き添えにすることも躊躇しない。」というような了解事項があるような気がする。イスラエルにとってパレスチナ人の人口が減ることは望ましいことでもあるからだ。だからイスラエル軍はそこにはマスの気配があるというだけで、病院だろうが学校だろうがミサイルを撃ち込むことをためらわない。すでにそのハマスがほとんど反撃能力をなくしているにもかかわらずである。

 これは既に自衛戦争などではなく、行われていることはただの一方的な殺人、ただの犯罪である。

 このことについてアメリカ合衆国は重大な責任を負っている。イスラエル建国以来アメリカはイスラエルに対し累計1,580億ドルもの援助を行ってきたし、近年も中東におけるイスラエルの突出した軍事力を維持するために年間38億ドルもの軍事援助を与え続けている。だから本来ならばアメリカの支持なしにイスラエルはいかなる軍事行動も起こせないはずで、アメリカはイスラエルの行き過ぎた作戦行動を制止する義務があるはずなのだ。しかし、アメリカはイスラエルに対して決して強い態度で臨むことはない。常にイスラエルの「自衛戦争」を支持する立場は崩さない。常にアメリカに属国扱いされている日本から見ると信じられないことだが、小国イスラエルに超大国家アメリカが鼻面を引き回されているように見える。
 
 アメリカで反イスラエルの立場を表明しながら政治家を続けることはなかなか困難なことであると言われている。潤沢なユダヤマネーが対立候補の選挙資金につぎ込まれるからである。アメリカの三大ネットワークをはじめとする有力なマスコミは大抵ユダヤの影響下にあると言われている。中東における紛争についての報道はイスラエル=アメリカは正義でアラブ諸国は悪という図式にで報道されやすいが、決してそれほど単純なものではない。映画産業もほとんどがユダヤ資本なので、シオニズム運動も「パレスチナはユダヤ人にとって約束の地」というようなでたらめが肯定的に取り上げらるし、ユダヤ人が味わってきた受難の歴史は映画化されても、パレスチナ難民がイスラエルから受けてきた理不尽な悲哀の歴史はそのまま黙殺である。いつの間にか、「イスラム教徒=凶悪なテロリスト集団もしくはその支持母体」というような粗雑な図式がアメリカ人の頭に叩き込まれてしまった感がある。大体、「民なき土地に土地なき民を」というようなシオニズム運動のスローガンからしてふざけたものとしか思えない。「民なき土地」って一体どこのことか? シオニストからすればパレスチナ人は民でも人でもないらしい。その命も軽いはずだ。
 
 日本では、一人の少女を救うために大勢の人々が5億3千万もの浄財を寄付してくれた。一つの命の尊さ重さを感じていればこそである。命の尊さを知る日本人の政府ならば、イスラエルに即刻停戦を強く呼びかけると同時にアメリカにも強く働きかけるべきではないのだろうか。何でもアメリカの施策に唯々諾々と追随しておればよいというものではない。正義人道に悖る行為を我々の国が公然と見逃すようなことをしてはならないと思うのである。日本の政治家はこういう時に国際舞台で堂々と正論を吐ける人であってほしい。パーティ券問題で汲々としているような御仁には退場していただきたいのである。

腎臓病だがどうしてもカレーが食べたくなった。野菜を思い切り増量して、一個のルーで二皿分の減塩カレーを作った。まあ、それなりに美味かった。満足。
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