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クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

伝説の八束山(1)(改) H-22- 1- 8

2010-01-09 08:14:08 | 高崎・甘楽・藤岡方面
北風が止んだらしい。そうなると爺イはゴソゴソと支度して
里山ハイキング。今日は「多胡八束城址」とか「多胡上城址」
とも通称される吉井町の「八束山」。ここは戦国の城郭であることは
その遺構から確認されているのに、築城時期・城主がハッキリしない
不思議な城址。それほど、重要ではなかったからとは思われるが
その事が、羊大夫と結びついて「羊大夫の居城」という伝説を
生んで地元では暖かくそれを受け入れている。だが、山崎一氏の
著書などには明確に「伝説には全く関係なし」と決め付けている。

先日と同じに吉井市街地からR-71を南下してこの看板で左折。



僅かの距離で八束山の道標があるので右折して南へ。



「まちすい」の設置した登山者用駐車場や「北登山口」を通過して
林道風に細くなる道を緩く登る。やがて「八束浄水場」、



所が大変! 路肩崩落により全面通行止めだ。未だ予定している
駐車場所まで1K以上もの登りが残って居るのに。已む無く
浄水場空き地に駐車。最初からついてない(10.54)。



送水ポンプ場を通過



やがて崩落現場、確かにガードレール脇が崩落しているが
片側の通行には全く支障は無い。地元らしい軽トラが通行止めの
看板など関係ないようにスイスイと通過して行つた。



何とか丁字路。左に行けば牛伏山降り専用車線に繋がる。
ここは小梨峠4.4Kの道標に従ってやや登りのキツイ峠道に
入る。この峠は約1.2Kで頂点、降り1.7Kで東谷に出るが
帰途はこの峠を使って帰ってくる予定。



数少ない民家の脇には立ち入り禁止とか私有地の看板多数。
この地域では猟犬連れの狩猟者の私有地への侵入を嫌って
いるので、登山路設定の折衝でも了承が得られず、今日の
コースは全く手付かずで殆ど使う人は居ないらしい。



丁字路から1K弱で叢の道が分岐、



直ぐに右への作業道が
あるが、ここは途中の裸尾根が危険なので最近は使わない。



直ぐ先にこのマーク、ここから切り返しのように山手に入る(11.15)。





落ち葉の堆積したこの道は、反時計回りで斜面を北上して尾根跨ぎ
山の北面に回り込む為のもの。直ぐに北の開けが見えてくる。



北側に回りこむと展望が開けて榛名山。



直ぐに左手に垂れている尾根にポンと飛び乗る。直進する道形に
釣られると酷い目に会う。急登だがコンナ目印もある落ち葉の
尾根道。滑るので爺イのように踏みしめ力の弱い者は軽アイゼンが必要。



尾根に乗ってから10分ほどで正面に大岩。右から登って
直ぐにトリッキーに反転して岩頭に這い登ってしまうのが
要領。



岩頭から下界を見ると、登山口近くの民家の屋根が微かに見える。
某サイトでこのコースを下ると大岩の断崖で進行不能と書いて
あつたが、確かにこの上に立つと下りは無理と思うのも頷ける。
それを避けるために岩頭からやや左目(北)に通過するルートの
目印テープを付けて置いたのだが樹葉が濃ければ見つから
ないかも。



ここからは踏み跡もない斜面と化した荒れた急登を
がむしゃらに登るしかない。倒木を避けたり跨いだりに
殆どの労力を使うことになる。前方に稜線、これはさっきの
浄水場裏から発する尾根で爺イは第二北コースと名付けている。
第一北コースは勿論、「まちすい」「吉井山の会」の皆さんが
数年かけて整備した標準登山路。




何とか踏ん張ってこの爺イマークで稜線着。東の肩まで
歩行距離はあと100m。



ここからは樹間に浅間山が見える。



下に見えるこの山もその名は浅間山、標高は278m。



大きな谷を挟んだ西側のこの稜線が標準第一北コース。



途中には伝説を絡めたこんな物も。
羊大夫に関しては此方がベスト



それに北口登山道から入って300mの所に虚空蔵様もある。
毎年四月九日に祭礼もあり地元・塩集落の人々に親しまれて
いるとか。
この虚空蔵菩薩は「まちすい」の作った登山道案内によると
「知恵を無尽蔵に持つ菩薩で右手に焔光を発する宝剣を
左手に理知悲を現す三弁宝珠を持ち頭には五智宝冠」とある。
そのお姿は下の写真。



同じ虚空蔵でも36童子の一人の虚空像童子は下のお姿。



亀のようにノロノロと登って東の肩に到着(12.03)。
今日はこの東肩を起点として山崎一氏の縄張り図で城址が
東西300mと言うのを実感する目的もある。



一休みするが、この位置は「見晴台」として整備されている。
赤城山



榛名山



子持山と武尊方面



西へ向って116mで「大堀切」、ここが東の小郭と本丸の境。
本丸側5m、小郭側1.5m。



この看板は未だ東側が未整備のときに付けられた物。



僅かの距離で腰曲輪を回り込んで本丸の頂上、標識3枚。







真中に石宮、その周辺に2m径の凹みがあるが、これが
城址の「井戸跡」ではないか?と言われている。



付近の大木の幹にかっての吉井三山縦走記念のリボンが
辛うじて残っている。今はとてもそんな体力は無い。



本日の爺イ。



日溜りで軽食、正面(北北東)に再び赤城山、県庁がはっきり。



次ページに続く
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