去年の箕輪城址、倉賀野城址の武者行列に続いて今年初は
城下町・小幡の武者行列見物。戦国時代のこの地は国峰城に
拠った小幡氏の支配地、大阪夏の陣の後1615年7月に織田信雄が
ここに2万石を拝領し、1617年に四男信良に譲り信良が小幡藩を
創設して七代・信邦が明和事件に連座して1767年に出羽に転封され
るまで織田支配の城下町。但し、当初の陣屋は「福島」で
三代・信昌の1642年に小幡に陣屋が移されている。
従って「歴代小幡藩主」という場合は信雄四男・信良を初代として
転封された七代の信邦までの7人。
一方で「織田家七代の墓」と言う場合は信雄を初代として
六代藩主信富までの7人である。
信邦は移封先で亡くなっているから崇福寺には墓は無いのだ。
小雨の降り出しを気にしながらR-18、R-10を乗り継いで富岡経由
で甘楽町へ。随所に作られた無料駐車場を選びながら早くも
渋滞の道を進んで行列行進ルートの中間位置の小幡小校庭に駐車。
人の列に揉まれながらスタート地点は「楽山園」。信長次男の信雄が
7年の歳月を掛けた名園という触れ込みだが、爺イの記憶では
信雄は其の期間にこの地に居住はしていなく大和の所領に居た。
早くも参加者の皆さんはやる気満々。
オヤッ 外人さんの参加者も。
家老役のこのお方、雰囲気満点でさぞや当時のご家老様は
こんな貫禄だったろう。
どんなご縁なのかな? 黄門様のご一行が印籠チラチラさせて
愛想を振りまき大人気。
定刻の十時に法螺貝を合図に行列は出発。
少年鉄砲隊は模擬銃が重いのか? 最初からややお疲れの模様。
娘子軍も後に続くが緊張で固い表情。
広場に出たところで数人が騎馬に乗り換える。鐙が嵌らなくて
暫し苦戦の武将さん。
女武者が堂々の姿、相当な乗馬経験がなければ衆人環視の中では
乗れないだろう。
あれれ! 秘密発見、女武者の馬は手綱ではなく、鞍に木馬の
様な取っ手が付いているぞ。
行列は大混雑の桜並木を進む。
時には抜刀してエイエイオー。
やはり、この支度は特段に目立つ。
鉄砲隊は構え! 放て!の号令で癇癪玉の音で観衆を驚かす。
爺イも真正面から狙われた。
行く手は桜が満開、天候も快晴に。
折り返しの小幡八幡に到着。代表10士が石段上の拝殿へ。
祈願式のため神妙に神主のお払いを受ける。
織田軍総大将役の祈願文奏上。
姫役の玉串奉奠。
合間を縫って文化財指定の天井画をパチリ。
再び出発点に向かう行列に付いて人ごみに揉まれる。
午後のアトラクションはパスして枝垂れ桜の宝積寺へ。
この寺は小幡氏の菩提寺でもあるし、お菊伝説のある所。
勿論、織田家も小幡藩創始者の信良がここを菩提寺にしたが、
小幡四代藩主・信久の時代に寺の普山式の時、小幡氏・小柏氏に連なる
第三席だったのに怒って崇福寺に墓を移したという因縁もある。
ここの駐車場も満杯、しかも何時もと違って200円也の拝観料を取られる。
元々は13世紀頃からの寺らしいが1450年頃、小幡実高が
中興開基となって再興し歴代小幡氏の菩提寺になったとか。
桜を背景にお菊観音。
小幡氏歴代の墓。
お菊母娘の墓。
天狗の腹切岩。1563年の小幡氏内紛の宝積寺合戦のとき
この寺の僧・最空が奮戦の後、自決したと伝わる。
そして見事な枝垂れさくらの巨木。
売店で「すいとん」をゴチになってから長巌寺に向かう。
何とか隙間に駐車してこの木魚を叩いて山門を潜り山手に上る。
最初に小幡七福神の一つ毘沙門天。
因みに弁財天(天徳寺)、布袋尊(宝積寺)、寿老人(竜門寺)、
恵比寿(宝泉寺),福禄寿(福厳寺)、大黒天(興厳寺)です。
中はこんな感じ。写っているのが本体か?は定かではない。
竹薮の中の崩れかけた石段を登ると広場に10MX8Mの巨大な
摩崖仏。故吉田文作氏の執念の作。
手前のこれは亀。
こっちは正面から見るとガマ蛙に見えるが横から見ると馬か
ラクダの首にも見える。
本日終了。
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ミクシイは此方から
城下町・小幡の武者行列見物。戦国時代のこの地は国峰城に
拠った小幡氏の支配地、大阪夏の陣の後1615年7月に織田信雄が
ここに2万石を拝領し、1617年に四男信良に譲り信良が小幡藩を
創設して七代・信邦が明和事件に連座して1767年に出羽に転封され
るまで織田支配の城下町。但し、当初の陣屋は「福島」で
三代・信昌の1642年に小幡に陣屋が移されている。
従って「歴代小幡藩主」という場合は信雄四男・信良を初代として
転封された七代の信邦までの7人。
一方で「織田家七代の墓」と言う場合は信雄を初代として
六代藩主信富までの7人である。
信邦は移封先で亡くなっているから崇福寺には墓は無いのだ。
小雨の降り出しを気にしながらR-18、R-10を乗り継いで富岡経由
で甘楽町へ。随所に作られた無料駐車場を選びながら早くも
渋滞の道を進んで行列行進ルートの中間位置の小幡小校庭に駐車。
人の列に揉まれながらスタート地点は「楽山園」。信長次男の信雄が
7年の歳月を掛けた名園という触れ込みだが、爺イの記憶では
信雄は其の期間にこの地に居住はしていなく大和の所領に居た。
早くも参加者の皆さんはやる気満々。
オヤッ 外人さんの参加者も。
家老役のこのお方、雰囲気満点でさぞや当時のご家老様は
こんな貫禄だったろう。
どんなご縁なのかな? 黄門様のご一行が印籠チラチラさせて
愛想を振りまき大人気。
定刻の十時に法螺貝を合図に行列は出発。
少年鉄砲隊は模擬銃が重いのか? 最初からややお疲れの模様。
娘子軍も後に続くが緊張で固い表情。
広場に出たところで数人が騎馬に乗り換える。鐙が嵌らなくて
暫し苦戦の武将さん。
女武者が堂々の姿、相当な乗馬経験がなければ衆人環視の中では
乗れないだろう。
あれれ! 秘密発見、女武者の馬は手綱ではなく、鞍に木馬の
様な取っ手が付いているぞ。
行列は大混雑の桜並木を進む。
時には抜刀してエイエイオー。
やはり、この支度は特段に目立つ。
鉄砲隊は構え! 放て!の号令で癇癪玉の音で観衆を驚かす。
爺イも真正面から狙われた。
行く手は桜が満開、天候も快晴に。
折り返しの小幡八幡に到着。代表10士が石段上の拝殿へ。
祈願式のため神妙に神主のお払いを受ける。
織田軍総大将役の祈願文奏上。
姫役の玉串奉奠。
合間を縫って文化財指定の天井画をパチリ。
再び出発点に向かう行列に付いて人ごみに揉まれる。
午後のアトラクションはパスして枝垂れ桜の宝積寺へ。
この寺は小幡氏の菩提寺でもあるし、お菊伝説のある所。
勿論、織田家も小幡藩創始者の信良がここを菩提寺にしたが、
小幡四代藩主・信久の時代に寺の普山式の時、小幡氏・小柏氏に連なる
第三席だったのに怒って崇福寺に墓を移したという因縁もある。
ここの駐車場も満杯、しかも何時もと違って200円也の拝観料を取られる。
元々は13世紀頃からの寺らしいが1450年頃、小幡実高が
中興開基となって再興し歴代小幡氏の菩提寺になったとか。
桜を背景にお菊観音。
小幡氏歴代の墓。
お菊母娘の墓。
天狗の腹切岩。1563年の小幡氏内紛の宝積寺合戦のとき
この寺の僧・最空が奮戦の後、自決したと伝わる。
そして見事な枝垂れさくらの巨木。
売店で「すいとん」をゴチになってから長巌寺に向かう。
何とか隙間に駐車してこの木魚を叩いて山門を潜り山手に上る。
最初に小幡七福神の一つ毘沙門天。
因みに弁財天(天徳寺)、布袋尊(宝積寺)、寿老人(竜門寺)、
恵比寿(宝泉寺),福禄寿(福厳寺)、大黒天(興厳寺)です。
中はこんな感じ。写っているのが本体か?は定かではない。
竹薮の中の崩れかけた石段を登ると広場に10MX8Mの巨大な
摩崖仏。故吉田文作氏の執念の作。
手前のこれは亀。
こっちは正面から見るとガマ蛙に見えるが横から見ると馬か
ラクダの首にも見える。
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