クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

南蛇井の翁草と神成山九連峰(改) H-26- 3-28

2014-03-30 09:00:49 | 妙義・下仁田・富岡・南牧
81歳の誕生日を明日に控えて「翁」繋がりで何となく愛着のある南蛇井駅構内の
翁草の様子を見る序に近年恒例になりつつある神成山ハイキングをと思って出かけた。
3月中旬の情報で咲き始めたとあったのでもう10日も過ぎたから大丈夫と
予測したのが大間違い、あと一週間ぐらい経たないと満開にはならない状態で失敗。

去年と同じく上信電車を利用するために無人駅の「南高崎」に駐車。この路線は
全駅が20駅、その内、7駅が無人で車両の運転もバス並みのワンマンカー。



車内には両替機・料金投入箱・区間券発行機などが揃っており無人駅からの乗客は
降車時に運転手に現金を支払う仕組みで至極のどかな風情。



約45分の乗車で南蛇井駅に到着したが目指した翁草は目立たず、去年は何人もいた
カメラマンも降車しない。完全な空振り。それでも何とか探し出した株を写真に
とって寂しい限りのデジブックを作成したが最近OSを切り替えてXPに別れを告げて新規にしたが
どうもデジブックとブログの連携が上手くいかずに張り付かないので代表数枚を個別に載せる。(10.49)















3/31
デジブックのソースをブログパーツに変換したら投稿が出来た。だが、従来の簡便投稿は
未だ出来ない。せっかく出来たので遅まきながらのアップ。
こんな事を思いつくまで数日を要する様では爺イの脳ミソの軟化程度は相当進んでいるらしいが
自覚して受け入れなければいかんな。




気を取り直して「富岡アルプス」とも喧伝されている神成山九連峰のハイキングに向う為に
南蛇井駅からr-48(下仁田・安中・倉渕線)を北上。
やがて左手に大きな赤鳥居、表示は「鳥総(トリフサ)神社」。二本の本柱の前後に控え柱が
付けられているからこれは「両部鳥居」と云うんだろう。



元々この神社は旧中沢村の村社だったらしいが拝殿の手前には神楽殿もある本格派。
祭神は「市杵嶋姫命
(ヒメノイチキシマノミコト)」と云うからスサノウの剣から生まれた五男三女の一人と神話が伝える
「水の神」。
何となく雰囲気の合わない現代風なサッシのついた拝殿の掲額はこの神社の別名で「飛房大明神」。





神社の裏手に回ると文化財指定の「芭蕉句碑」が一基。1687年の作品で「花に遊ぶ 虻なくらひそ
友すずめ」の句が167x66x45の輝石安山岩に刻まれている筈だが読み取れるのは一部だけ。



神社を辞して尚も北上。この大桁山への道標のある信号を右折。西に見える山並みの左隅が
大桁山だろう。



信越高速の下を潜って東進。



九連峰の南面の岸壁がその全貌を現すところのこの道標で左折。



畑の中の細道の四つ角に道しるべ。昔はこんなところが往還だったらしい。でも漢字の使い方を
見るとさして古いものではなく、大正期に盛んになった青年団活動の一環だろう。
東面・一宮富岡道、南面・南蛇井下仁田道、西面・丹生妙義道。



路傍の梅が満開。



道なりに進むと目印の大サボテンの家。毎回同じ構図だなーと思いながら一枚。気のせいか上部の
方がかなり傷みが激しい。これも豪雪被害?




サボテンの家の東側の細道を山手に向かって急登すると登山口のある新堀神社。ご本尊の
妙見尊像は中扉の奥に鎮座している。



神社の右手からやや厳しいジグザグの山道を登ると吾妻山の一段目の標柱があり南に張り出た
テラス状の展望場所。



こんなザラ場の道を辿ると



吾妻山二段目の標柱がある鳥居跡。





さらに一登りすると328.1Mの吾妻山頂上に到着。ここが東から数える九連峰の第九峰、
記念に本日の爺イ。



山頂には石宮が三基。最大のものは1860年の奉納。丁度桜田門外の変で伊井大老が暗殺された年。



これは1850年の作で大河ドラマ・篤姫でも出てきた島津斉彬が精錬所を作った頃。



東南角にある小振りの物は1864年製。天狗党の乱・池田屋事件・蛤御門の変と動乱の年。



一休みしてから東に急降すると南斜面に極めて小規模の翁草の植栽場所。よく探さないと
気が付かないほどの花具合。









前方に第八峰が見える。



丘程度の傾斜を登ると赤杭一本のほかは何もなし。



右の南斜面に目立った花、葉か無くて咲いているのは早咲きの山つつじか?それとも場違いのヤシオ?



第七峰が迫る。回り道も付けられているが木枠段が付けられているので直登。



この頂にも赤杭一本のほか、何もなし。



続いて第六峰に向かう。今度は大型なので何かありそうな感じ。



頂上には「御嶽」の大きな石碑。かつては此処には木製の看板があったと思うが見当たらない。
ここは通称で「打越の御嶽さん」の筈。





こんな尾根道を進むと



前方に石造物のある第五峰が間近になる。



到着した山頂には常夜灯と北向きの石宮が一基づつ。ここは「打越の祠」に違いない。



このコースには随所にこの道標があるが全て同じの表示なのは芸が無さ過ぎの感じ。



再びこんな平坦尾根を歩いて。



第四峰を目指す



頂上には「竜王山へ20分」「吾妻山へ20分」「宇芸神社跡山頂」などの表示物と





地元獣医さんが設置したこの山域動植物のミニ標本箱。



第三峰らしきものが見えるがかなりの大型、若しかすると幾つかのピークが重なって見えるのかも。



途中の南側に緊急下山口の案内。確かにこの稜線は3Kを超えるから不測の事態に対応するのかな。



ヤセ尾根を通過。



一旦、台地状のところを通過したがそこが第三峰らしかった。



遠くに大きな第二峰が見える。前後に二つ並んだ山隗で間違いなくさっき表示のあった「竜王ピーク」。



ここも手前で分岐道、最初のピークには登らずに左脇の回り道で奥の山との鞍部。
更に奥の山の左山すそを時計回りで回って稜線にぶつかってから右に急旋回して頂上を目指す。
若しかすると迂回した最初のピークが第三峰かな?



頂上から二段下に石積み土台付きの大きな石碑。「大日大聖不動明王」とあるが大日如来の化身で
フツーで云うお不動さん。



更に一段上がると同様の設置で巨碑が二基、右は判読できないが左は多分「五大竜王」。



やや広い頂上台地の南が開けて展望がよい。



石宮と登山者ノートの箱。奥に長大な石造物。



白塗りの標柱には「神成城址 物見台」



三角点は三等で点名は「神事谷」。



かってはこんな手製の標識があったが今は見当たらない。



北向きの巨碑は「大嶽大神」。



下山路の途中の左側に「下丹生」への分岐細道。



暫くで南麓にある宇芸神社への下山口。



細道同士の四つ角風な所に降り立ってから再びの上り坂。



到着した台地には「神成城址 本丸跡」の標柱。かっては木板製の物があった筈。





最後の登りを経ると右側に「見晴台」の案内があったが霞で遠望が利かないのでパス。



この「火の用心」の幕を過ぎるあたりから稜線を離れて右に入ると第一峰らしいが
分岐箇所が分からずに通り越ししてしまったので九峰が一つ欠け。



もう終盤になつて左手の笹の中にお不動さん。





普賢さん。



「不動さんと地蔵さん」。確か去年までは首なしだった地蔵さんに首が付いたが彫りではなく
顔は手書きのご愛嬌。







最後は観音さん。



電車の時間との調整で宮崎公園に立ち寄り



草むらに咲く野の花を見たり道祖神を目にしながらブラブラ歩きで駅に下る。













到着した神農原駅も無人駅。12.200歩のハイクも無事終了(14.26)。



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