クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

新標識 三ッ峰と1271m峰(2) H-21-11-7

2009-11-08 06:29:05 | 榛名山麓
三ッ峰で初物二つをゲットしたので入り口に戻り、さっさと下山して
R-126を下る。



2K下のこの林道入り口に駐車。通称・湯ノ沢峠に向かう(11.56)。



直ぐ右下に堰堤、この林道は堰堤工事用だつたらしい。



道の具合はこんな物で傾斜も緩くて至極歩きやすい。間もなく
檜尾根に突き当たって林道は終わり、きつめの峠道。



左手にこれから登る1271m峰、予想以上に遠くてしかも大きい。この山の名に
関しては昔から諸説あり旧榛名町町史編纂室でも決め兼ねていた経過が
続いているので地元では山頂標識の設置を遠慮していたから1271m峰。



峠着(12.20)、かつては何種類かの道標が転がっていたが、今は
コンクリート柱の脇に「九十九岩」と微かに読める一枚が方向違いを
指して転がっているだけ。直進榛名神社行き沢くだり、右は天目山
左(南)が本日のコース。



一呼吸置いて登山開始、踏み後は落ち葉の堆積でハッキリしないが
目印多数。峠の標高は1098m、従って頂上まで標高差173m。






最初は右手の小ピークに見えるコブの攻略。コブの先からやや急登で
新しい尾根、前回は途中で脇道に惑わされ大回りしたが今度は直登。



ここからはアップダウンを重ねながら左へ左へと湾曲しながら
鞍部に近づく。尾根自体が曲がっていて分岐は無いので気楽。

鞍部からは爺イにとっては物凄い急登、十歩進んで一呼吸の体たらく。
漸く黄色杭の所で南北に長い頂上台地に到着、南端近くで目標発見。



何とも「珍」プレートだ。三つの山名を記した物など見た事は無い。
「旗矢岳」「幡矢岳」は未だ良いが「幡谷山」は戴けない。ここの
通称に使われる「矢」は戦国の故事に因んだ物で音が同じでも
「谷」は酷い。
それに別称を羅列しても悪くは無いが同じ山に「岳」と「山」は
如何なものか? 山と岳が競合しているのは関係団体が頑として
妥協しない「利尻」の「岳」と「山」ぐらいだろう。
(国土地理院・利尻町は利尻山、深田百名山は利尻岳)

まあ、珍品としてコレクションに加えておこう。但し、現在は
落下している。よく見ると厚板を螺子止めのため先端が10ミリ位しか
無く、それを樹皮の厚い大木に止めたから螺子は樹皮に刺さっていた
だけらしので此れでは強風で剥がれるのは当たり前。同じ螺子止めの
G氏のものが落下しないのは薄手の小型プレートを薄皮の樹木につけて
いるからだ。まあ、螺子止め・釘打ちはあまりしない方が良いが。

因みに横田氏の「300山」や「逍遥の山」「山の彼方に」などは
「旗矢岳」、「上州山花」では「幡矢岳」。

この台地の南端には「覗岩」があり前回はこの岩の見物だった。




地蔵峠への峠道から見た覗岩。よく此れを「硯岩」と書く人がいる。
硯岩は榛名湖畔。



全ての予定を終了して軽食・休憩。正面に榛名富士のケーブル駅。



これは相馬と雄岳。送受信アンテナがキラキラと光つている。



これは音羽や鐘撞だろうか? 



下山は踏み跡を辿って楽々、途中で天目に陽が当って見事な姿。



峠でもう一度標識の残骸を探したが見つかったのは此れだけ。



ブラブラ歩きで駐車場所、今夜はいよいよ日ハムに引導を渡すぞ。

蛇足・1271m無名峰について(2007-3-16の記事より再録)

天狗山と北方の天目山の間には地形図上、山名の付いている嶺は存在して
いない。
「小」にしろ「大」にしろ、「鐘原ヶ岳」と通称しているのは簡単な話、
その様な頂上標識があり大抵の人がそう呼ぶからだ。
榛名町地名辞典には地蔵峠の北を「大鐘原ヶ岳」、南を「小鐘原ヶ岳」と
されているが、そうすると「大鐘原ヶ岳」とは天目南コースの起点の峠に
立つと南に見える巨大な山1271m無名峰になり、「小鐘原ヶ岳」とは
現在「大鐘原ヶ岳」と言われる地蔵峠に近い1256m峰や無名の
1234m峰、それに「小鐘原ヶ岳」と言われる1225m峰の総称
となってしまう。
鐘原ヶ岳の「古名」は「旗輻(ヤ)岳」で武田が箕輪攻めの時、山に旗を
立てたことから山名が起こったと伝えられている。以来、1271m
無名峰を「旗矢岳」、1256m峰を「地蔵岳」又は「大鐘原ヶ岳」と
通称するようになったらしい。
但し、三角点のある1225m峰を何故「小鐘原ヶ岳」と言うのかは不明。
一つの山塊を無理やり二つに分けて、「大」に比べて少し低い山だからか?
少し低いと言う事なら間に1234m峰もあるので、三角点が置かれたから
独立峰の名前をつけたかな?

「群馬郡誌・鐘原ヶ岳」の項より。
「氷室嶽ニ連ナリテ大小ニ峰ヲナス。ソノ峰間ハ即チ地蔵峠ナリ。
伝エ言フ、武田信玄箕輪城攻メノトキ、山中ニ陣営ヲ構エ地蔵峠ノ
間道ニ備エタリト。」
これだけはっきりと「ソノ峰間ハ即チ地蔵峠ナリ」と書いてあるので
本来の大鐘原ヶ岳はやはり地蔵峠北の1271m峰で小鐘原ヶ嶽と
書かれているのが現在の大・小鐘原ヶ岳の一群なのか?



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