クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

世にも不思議な物語 H-19-4-3

2007-04-03 16:53:22 | 榛名山麓
何が不思議かって?とっくに滅失した筈の古い頂上標識が亡霊の
様に復活しているんだ。その舞台は榛東村の吾妻山と言う低山。
まあ、話しを聞いて下さい。
4/2、関東勢最後の砦の帝京がよもやの敗戦、気分転換に四月
五月の山行き候補をインターネットで漁っていたら、某著名サイトに
ある写真を発見して思わずウッと呻き声。爺イの記憶ではこんな
風景は有り得なかったからだ。日付はH-19-3-3の吾妻頂上の
写真。
この写真に写る軽金属角柱にはかって爺イがつけた標識の針金が
付いているが今は何も無い筈。H-18-11-7に確認したばかり。

しかし、写真では今は確かに付いている。最初はMHCさんのものかと
思ったが拡大してみると相当傷んでいるし字も不鮮明。MHCさんの
ものは防水ラッカーでも塗ったようにピカピカだし行書風の達筆墨書の
高級品なので明かに異なる。
若しかすると、と云う微かな期待を持って雨模様にもめげずに、カメラだけ
の軽装で吾妻山に急いだ。この山の標識にはいきさつがある。
現在、頂上のの樹幹に掲げられているのは桐生の「楚巒山楽会」さんの
標識である。が、実はこれは三代目でH-18-10からのもの。

初代は爺イの手作り物、これが多分強風の為に飛ばされて無くなったのに
気付いたのが楚巒山楽会さん、二代目を設置したが雨水で破損したので
三代目を設置してくれている。
初代の滅失の時、山楽会さんのHPに載った爺イの標識。何回か捜索したが
見つけられなく、多分谷底へでも落ちたと諦めていたもの。(写真拝借で失礼)

駐車場所から鳥居を潜り石宮に頭を下げて幸運を祈る。実はこの地域は
榛東村村有林で吾妻山は通称「六日山」、地域民の無災害を願って毎年
一月六日に地域民が揃ってこの鳥居下で安全祈願するところだとか
(榛東村役場談)。


整備完璧の遊歩道を短足飛ばして頂上へ。あった !アッタ!ありました。
物凄く傷んでいるが、正に幻かと目を疑うばかりの爺イの標識。

字は擦れているが、書体も確認できるし、材質も何時ものもの、紐通し穴
の大きさも爺イの常備工具とぴたりと思われる。誰かが発見して元の
場所に括りつけてくれたのだ。
どちらの方かは存じませんが有難う御座います。出きればブログに
コメント戴ければ有り難いのですが。この三角点が全て知ってはいるが。

奇蹟の帰還を祝ってボロボロの板面に出きるだけのお化粧。

但し、傷み方からして
長持ちの保証は無い。かってのKUMO標識の様に朽ち果てて土に帰る
だろう。だが、ここには風雪に堪えられる楚巒山楽会のものがあるので安心。
全く夢を見ているような体験。
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2 コメント

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驚きました。 (楚巒山楽会代表幹事)
2007-04-03 21:54:29
当時は、結構さがしてみたのですが。何処にあったのでしょうね。もとに戻ってよろしゅうございました。私もそのうちご対面に行こうと思います。
にしても、爺イさんの日ごろのご活躍あやかりたいものです。
返信する
多分南東の尾根 (爺イ)
2007-04-04 05:03:29
昨日、山頂で色々考えました。あの場所は西方向や
西北からの強風の通り道と思われます。
多分、飛ばされたのは南東かと思います。確かに北面と西面は丹念に探しましたが南面は崖を覗くだけでした。但し南東の崖下に尾根があり作業用のリボンが見えたので、其方から
登ってきた方が発見したのかも分かりませんが、元の
場所に最初と同じように帰ってきたのですから
ホントに夢でも見てるか、ボケの錯覚と疑いたくなる事件?
でした。
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