クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

終盤の榛名湖畔ツツジ R- 4- 5--30

2022-05-31 13:47:30 | 榛名湖周辺
前回訪問より五日が経過したので頃合い良しと
思って榛名湖畔に行ったが予想は全く外れて
ツツジの大半はオレンジ色に変色していた。

最初は黒髪神社鳥居前に駐車して眺めると
元々つつじの薄い場所なので見栄えはしない。



湖畔方面を見ても前回と同じように盛り上がりに
かける。これだけ見て駄目と悟ったが引き上げも
面倒だからそのまま予定の行動。



ゆうすげへの道は後回しにして坂下の沼の原北口
の近くにある幅広スペースに車を入れて相馬方面を
観察。沼の原は未だ枯草に覆われて新緑の
気配はなく、相馬山の裾に僅かにつつじの気配のみ。



枯れ野の遊歩道をスルス峠に向かうと漸くツツジの
群落が現れる。



やがて二本の周回路とスルス方面の分岐点。
榛名富士がどっしりと。



その僅か手前からスルス峠東屋に達する細道が
笹原の中に見える。今日はこの獣道風の道を
辿って峠までショートカット。但し踏み跡は
峠前で消滅するので残り50mほどは深藪を
掻い潜る。



藪に入る前に振り返って榛名富士・蛇ヶ岳
烏帽子が岳をバックにやや元気の残るつつじ。



藪から突然現れた爺イに不審顔の東屋で歓談中の
皆さんに一寸挨拶して関東ふれあいの道にでて
好きなアングルの構図を写そうとしたら全く
期待外れで折角のスルス岩も冴えなくて残念。



さっさと諦めてふれあいの道を西進して分起点の
道標前。右京の無駄掘りの文字が消えかかっている。



「行人洞」への道に進んで先ずは小野関三太夫氏の
「円頭光」を頂く磨崖仏線彫。これに初めて出会ったのは
2005年の事で黒岩下からスルス峠に向かって
「右京の無駄掘りを発見した時。
当時の画像と比べると損傷が激しく痛々しい程。



この時に「小野関三太夫」署名を見てその事蹟の
追いかけを永年心がけ最終の記事を書くまでになった。
お暇の時にここをクリックしてください。


洞窟の中の中心に「役小角三尊」、洞窟外の左に不動明王、そして
同じく洞窟外の右に
役小角とは直接の関係はないと思われる
「相馬山百回登山 普光院豊山行者之霊」の1937年建立の石碑。
普光院は浄土宗だし真言宗には豊山派があるので
良く分からないが相馬山百回登山の行者の方の石碑と
単純に解釈。



途中で蛇足的に資料からの抜粋で一寸脱線するが
役小角三尊とは
「中央に神変大菩薩と云われる役小角が鎮座し
左に前鬼、右に後鬼という眷属を従えている。
この前鬼、後鬼は夫婦で鉄斧を手にした前鬼が
夫で霊力のある水(理水)が入った水瓶を
手にしているのが妻。この夫婦の5人子供たちは
五鬼童と言われその内の二系統のご子孫が現存
している。彼らは役小角が不動明王の
秘法で捕縛し従えていたというから洞窟左に
不動明王像が置かれているのはそれ故なのかな。

洞窟前面には役小角三尊を守るかのように
大形のマムシ草が二本。



行人洞を出て昔ならスルス岩に寄って行くのだが
この歳では梯子から上に出る時に目が回りそうなので
パス。笹原を戻りながら振り返って相馬山。



余り期待もしないでヤセオネ峠方面に戻ってゆうすげ
看板前。果たしてつつじは満開を過ぎていて
萎れ気味多数。搔き集めで前回と変わり映えの無い
youtube。

榛名ツツジの道


丁度昼時になったので何時もの通りロマンス亭。
季節も暑い時期なので名物のワカサギ丼は止めて
もう一つの名物「舞茸天ザル」。
後は恒例の湖畔の山々の動画と湖畔からヤセオネ峠までの
流し撮りで帰宅。

榛名山周遊


蛇足
役小角(えんのおづぬ)は7世紀後半の山岳修行者で
公式には生没年不詳だが「伝」としては634年-701年。
日本の山岳宗教である修験道の開祖として崇拝され、
江戸末期には神変大菩薩(じんぺんだいぼさつ)の諡号を
勅賜されたし『続日本紀』の699年に伊豆島に流罪された
記事がある実在理人物。但し多くの奇跡が伝えられるが
その事蹟の数々は伝承の域を出ないものが多い。
大和の国、葛上郡茅原郷に生まれ、葛城山に入り、山岳修行
しながら葛城鴨神社に奉仕。やがて陰陽道神仙術と密教を
日本固有の山岳宗教に取り入れて、独自の修験道を確立
した。そして吉野金峰山や大峰山、その他多くの山を開い
たが、保守的な神道側から誣告されて、伊豆大島に流された。
密告したのは弟子の韓国連広足で師の能力をねたみ,小角が
妖術を使って世人を惑わしていると朝廷に讒訴。
別名に役優婆塞(えんのうばそく)がある。


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3 コメント

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Unknown (山はこれから)
2022-06-04 10:16:57
爺様、お元気そうで何よりです。
「行者堂」は最近知りました。
Googleマップでこのあたりをみると、表口標の辺りに「黒髪山神社」とあることを、奇異に思っていました。
当初は、Mapの誤りであろうと思い、その「不存在(Mapの誤記)」を確認するつもりで現地へ行き、Mapが示す場所に立ってみたら、人造で整地されたらしい平地と、山側三方の小石垣(堂の入沢遺跡みたいな石垣)がありました。その後、gooblogの「榛名古道」さんから、進駐軍接収の補償が、S36年に「三十六童子行者堂復帰補償」として「黒髪神社」に対して行われたこと(榛東村誌1691㌻表)を知り、諸情報を総合すると此所に堂宇があり、行者堂であった!と推察しました。ただ、古老や神社の関係者に確認してはいません。
雨乞い碑前を右岸へ渡るとスルス峠へ繋がる古道があります。その道の右、山側の少し高い場所で、過去に工事のために重機で平らにしたかと思ってしまうような地形になっています。
よい時季を見て訪れてみて下さい。
返信する
行者堂 (クタビレ爺イ)
2022-06-03 13:05:42
garamekion1000さん
コメント有難うございます。今年の榛名のツツジは消化不良のまま終焉となったので今度は赤城に
転向予定。
お話の行者堂の事は初耳です。
あの地域は2009年頃、36童子や雨乞い石碑などの
探索で何度も行っておりますが
右岸には行っていません。今は既に雑草繁茂の
時期ですので見通しの利く秋口に尋ねます。
何時も新情報をお知らせ頂き感謝申し上げます。
小生既に89歳の老骨ですが幸運にも脚力は未だ
少し残って居るので頑張ってみます。
返信する
Unknown (garamekion1000)
2022-06-01 23:58:22
旧名「山はこれから」です。
今年のツツジは、もうひとつでしたね。
今年の5月には、何回もスルス峠へ行っていたので、見頃(であろう)の日を予想していたのですが、雹の後、早く開いた花弁は傷んでしまいました。
修験道について、貴兄の博学には本当に感動を覚えます。「修験」といえば、ご存じかも知れませんが、過日小野関三太夫清繁氏の事績巡りの最後に行かれた「大福院」(三太夫氏墓所)の現住職は、女性の山伏です。小野関隆香さんという名前で、三太夫氏の一族です。まだ20歳代だったと思います。
同じ広馬場地区の黒髪山神社も修験の流れを組む神社です。三十六人童子の石碑のある黒髪山表口の対岸には、戦前まで「行者堂」があったことはご存知でしょうか?
進駐軍に接収されたときに取り壊したらしく、今は、篠が繁ってしまっていますが、平らに整地され山側三方に積まれた石垣が残っています。正面から見上げると、背景に相馬山の山頂部を戴き、修験行者の堂宇として、然もありなん!という立地です。右岸のスルス峠道に入った山側です。
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