
黄砂のニュースが出ていたが今日も好天なので一寸榛名へハイキング。
狙いは幡矢ヶ岳との名前が定着の気配を見せている1271m峰の周回で
例の「覗岩」をもっと良いアングルで観察しようとするもの。
「覗岩」への関心は十年ほど前から。それ以前はr-126から地蔵峠への道では
樹間からちらちら見えるし大鐘原ヶ岳途中からその奇岩の様子は何回も見ていたが
ただ眺めて遠景の写真を撮るだけだった。
H-19-3月頃、1271峰へ北の天目山との鞍部から登ったとき、少し下って初めて
「覗岩」を見たが簡単な見物程度で近寄れなかった。
H-25年頃、ネット情報で1271峰南端の覗き岩から更に下って地蔵峠への峠道や
「みどり世紀の森」の遊歩道に降り立つ試みは「とらZ」さん、「趣味の山歩き」さん、
「群馬の山歩人」さん などがいとも軽々とこなしているのを知った。
達人たちの「軽々」は爺イにとってどの位かは分からないが兎に角やってみようと
いう気になってH-25-5頃に下調べで地蔵峠への道から「覗岩」の基部に
接近してタッチした。
但し、その時の写真が下のものだが下に立つと余りの巨体で上部は見えず、これが
確かに覗岩であると証明は出来ない代物ではある。
(サムネイル写真は左クリックで拡大、左上の左向き矢印で元に戻る。)

その後、H-26年になってから時計回り、反時計回りでと写真撮りを試みやや満足の
景観を記録できたが「とらZ」さんからもっと良いアングルがあるとの示唆を
貰っていたので再び挑戦するのが今日のハイク。
先日に引き続いてr-126で榛名に向かい、前ノ沢林道・地蔵峠道入り口・みどりの
世紀の森入り口を経てチェーン封鎖がしてある宮沢線始点で路傍駐車。

僅かの距離のY字分岐は右選択して、車川支流沿いに進む。小さな堰堤を過ぎると
土橋を渡って左岸に移る。

道は林道建設の削り残しのような土手の右下を進む。

やがてこの赤杭の所で小尾根の垂れにぶつかり右折して尾根登り。

尾根は直線的に延びるがそのまま直進すると峠北上の天目山に掛かってしまうので
左の脇道を使う。

間も無く前方に峠が見えてくる。ここを只の「尾根のくぼんだ所」の定義から
鞍部と言う人もいるが明瞭な乗り越し道がクロスしているからこんな里山では
「峠」「乗り越し」で良いんでは?

山と彫られたコンクリート柱他は何の表示も無い峠に到着。かってここには下の写真の
ような道標が存在した。


北を見れば巨大な天目山が迫って見える。此処からの登路は無く笹原を
直線水平距離で400mほど適当に登る事になるがここの標高は凡そ1100mだから
比高は200m。

南をみるとこれから辿る1271峰への尾根が続く。山頂までの歩行距離は約700m、
比高は170m。

出だしはこんな程度、この山頂までのルートは平均的な一本登りで山頂から
南の険しい様相は全く無い。

途中で振り返ると遠方に氷室山らしき山が見えた。その右は天目山の西麓、
左は榛名神社北側の山塊かも。

登路には何処にでもあるコブがあってやや煩わしいがその様子。
(サムネイル写真は左クリックで拡大、左上の左向き矢印で元に戻る。)
途中では初めて見る比較的新しいブルーのリボンが間断なく付いている。

漸く南北に長い頂上台地の北端に到着。国土院の地形図ではこの北端の所に
1271mのP点が書かれているがそれを示す石柱の類は無い。
尤もこの「黒ポッチで小数点なし」は「写真測量による標高点」だから当然か?

台地上は文字通りの真っ平。お楽しみの頂上標識を探しながら進む。

ところが南端まで行ったがこの文字消えの一枚を除いては複数枚ある筈のものが
見つからない。

かってここに存在し楽しませてもらった標識の数々
(サムネイル写真は左クリックで拡大、左上の左向き矢印で元に戻る。)

南端の陽だまりでやや強い西風を避けて軽食、休憩の後にカメラだけ持って
再探索したが矢張り収穫はゼロ。で、さっきの文字消えの標識のサインでも
見ようとして裏返したら何と裏返っていた表が現れた。たった一枚の生き残りだ。

気を取り直して南進開始。こちらはいきなりの笹原だが、笹の背は低く
上から見ると踏み跡も良く判るので不安は無い。

段差も多くて北尾根とは大違い。

右前方に見えるのは大鐘原ヶ岳の西端らしい。

このルートはやたらと突起や突き出しの岩頭が多く如何にも覗岩の前哨戦。
(サムネイル写真は左クリックで拡大、左上の左向き矢印で元に戻る。)
一番の困惑はこの回り道なしの段差。取り付く前にじっくりと足がかり
掴まる小潅木を目視で追って確認してから何とかクリヤ。

この赤テープでやや左に進む。

この突起を過ぎると

右下の樹間に岩塊が見えたがこれは本命ではない。

この突き出し岩の手前のテープで又左小路へ。

ソロソロ見える頃と注意すると漸く覗岩が見えた。
(サムネイル写真は左クリックで拡大、左上の左向き矢印で元に戻る。)

この程度では前回と同じ。もっと良いアングルをと思って岩場を這いずり回る。
どう見ても出来るだけ上から見ないと駄目なのは判っているがただ稜線を
上に行っても障害物も同じく上がってくるから駄目。
どうしても岩頭に立って目線を上げるしかないが、直ぐにふら付く爺イでは
そんなことは出来ない。仕方なく突き出し岩頭に腹ばいになってにじり寄って
撮影したのがこれ。前回と大差は無いがこれが限度一杯。
(サムネイル写真は左クリックで拡大、左上の左向き矢印で元に戻る。)
最後の望みはこの岩頭、此処に立てればーーいや立てなくてもトップまで
登れればと思ったがどうしても足が出なくて断念。

大分、時間も費やしたがこれ以上は無理と感じて東向きの尾根を使って下山にかかる。
ブルー目印はなくなっているがこんな二種類を追う。
(サムネイル写真は左クリックで拡大、左上の左向き矢印で元に戻る。)
兎に角この尾根は酷い。尾根道などは無く露岩ゴロゴロの急降、登りは岩角などが
丁度良い足がかりになったが下りは細心の注意を払わないと転倒する。
(サムネイル写真は左クリックで拡大、左上の左向き矢印で元に戻る。)

長時間かけた下りも終わって「みどり世紀の森」のメイン遊歩道を捉えて一休み。

この看板でr-126に出て約100mの県道歩きだけで無事に帰着。

ご来訪の序に下のバナーをポチッと。

蛇足・1271m無名峰について(2007-3-16の記事より再録)
天狗山と北方の天目山の間には地形図上、山名の付いている嶺は存在して
いない。
「小」にしろ「大」にしろ、「鐘原ヶ岳」と通称しているのは簡単な話、
その様な頂上標識があり大抵の人がそう呼ぶからだ。
榛名町地名辞典には地蔵峠の北を「大鐘原ヶ岳」、南を「小鐘原ヶ岳」と
されているが、そうすると「大鐘原ヶ岳」とは天目南コースの起点の峠に
立つと南に見える巨大な山1271m無名峰になり、「小鐘原ヶ岳」とは
現在「大鐘原ヶ岳」と言われる地蔵峠に近い1256m峰や無名の
1234m峰、それに「小鐘原ヶ岳」と言われる1225m峰の総称
となってしまう。
鐘原ヶ岳の「古名」は「旗輻(ハタヤ)岳」で武田が箕輪攻めの時、山に旗を
立てたことから山名が起こったと伝えられている。以来、1271m
無名峰を「旗矢岳」、1256m峰を「地蔵岳」又は「大鐘原ヶ岳」と
通称するようになったらしい。
但し、三角点のある1225m峰を何故「小鐘原ヶ岳」と言うのかは不明。
一つの山塊を無理やり二つに分けて、「大」に比べて少し低い山だからか?
少し低いと言う事なら間に1234m峰もあるので、三角点が置かれたから
独立峰の名前をつけたかな?
「群馬郡誌・鐘原ヶ岳」の項より。
「氷室嶽ニ連ナリテ大小ニ峰ヲナス。ソノ峰間ハ即チ地蔵峠ナリ。
伝エ言フ、武田信玄箕輪城攻メノトキ、山中ニ陣営ヲ構エ地蔵峠ノ
間道ニ備エタリト。」
恒例の本日の爺イの画像は忘れたわけではないが確認を忘れて頭切れだったので
最後に遠慮。

狙いは幡矢ヶ岳との名前が定着の気配を見せている1271m峰の周回で
例の「覗岩」をもっと良いアングルで観察しようとするもの。
「覗岩」への関心は十年ほど前から。それ以前はr-126から地蔵峠への道では
樹間からちらちら見えるし大鐘原ヶ岳途中からその奇岩の様子は何回も見ていたが
ただ眺めて遠景の写真を撮るだけだった。
H-19-3月頃、1271峰へ北の天目山との鞍部から登ったとき、少し下って初めて
「覗岩」を見たが簡単な見物程度で近寄れなかった。
H-25年頃、ネット情報で1271峰南端の覗き岩から更に下って地蔵峠への峠道や
「みどり世紀の森」の遊歩道に降り立つ試みは「とらZ」さん、「趣味の山歩き」さん、
「群馬の山歩人」さん などがいとも軽々とこなしているのを知った。
達人たちの「軽々」は爺イにとってどの位かは分からないが兎に角やってみようと
いう気になってH-25-5頃に下調べで地蔵峠への道から「覗岩」の基部に
接近してタッチした。
但し、その時の写真が下のものだが下に立つと余りの巨体で上部は見えず、これが
確かに覗岩であると証明は出来ない代物ではある。
(サムネイル写真は左クリックで拡大、左上の左向き矢印で元に戻る。)


その後、H-26年になってから時計回り、反時計回りでと写真撮りを試みやや満足の
景観を記録できたが「とらZ」さんからもっと良いアングルがあるとの示唆を
貰っていたので再び挑戦するのが今日のハイク。
先日に引き続いてr-126で榛名に向かい、前ノ沢林道・地蔵峠道入り口・みどりの
世紀の森入り口を経てチェーン封鎖がしてある宮沢線始点で路傍駐車。

僅かの距離のY字分岐は右選択して、車川支流沿いに進む。小さな堰堤を過ぎると
土橋を渡って左岸に移る。

道は林道建設の削り残しのような土手の右下を進む。

やがてこの赤杭の所で小尾根の垂れにぶつかり右折して尾根登り。

尾根は直線的に延びるがそのまま直進すると峠北上の天目山に掛かってしまうので
左の脇道を使う。

間も無く前方に峠が見えてくる。ここを只の「尾根のくぼんだ所」の定義から
鞍部と言う人もいるが明瞭な乗り越し道がクロスしているからこんな里山では
「峠」「乗り越し」で良いんでは?

山と彫られたコンクリート柱他は何の表示も無い峠に到着。かってここには下の写真の
ような道標が存在した。


北を見れば巨大な天目山が迫って見える。此処からの登路は無く笹原を
直線水平距離で400mほど適当に登る事になるがここの標高は凡そ1100mだから
比高は200m。

南をみるとこれから辿る1271峰への尾根が続く。山頂までの歩行距離は約700m、
比高は170m。

出だしはこんな程度、この山頂までのルートは平均的な一本登りで山頂から
南の険しい様相は全く無い。

途中で振り返ると遠方に氷室山らしき山が見えた。その右は天目山の西麓、
左は榛名神社北側の山塊かも。

登路には何処にでもあるコブがあってやや煩わしいがその様子。
(サムネイル写真は左クリックで拡大、左上の左向き矢印で元に戻る。)







途中では初めて見る比較的新しいブルーのリボンが間断なく付いている。

漸く南北に長い頂上台地の北端に到着。国土院の地形図ではこの北端の所に
1271mのP点が書かれているがそれを示す石柱の類は無い。
尤もこの「黒ポッチで小数点なし」は「写真測量による標高点」だから当然か?

台地上は文字通りの真っ平。お楽しみの頂上標識を探しながら進む。

ところが南端まで行ったがこの文字消えの一枚を除いては複数枚ある筈のものが
見つからない。

かってここに存在し楽しませてもらった標識の数々
(サムネイル写真は左クリックで拡大、左上の左向き矢印で元に戻る。)




南端の陽だまりでやや強い西風を避けて軽食、休憩の後にカメラだけ持って
再探索したが矢張り収穫はゼロ。で、さっきの文字消えの標識のサインでも
見ようとして裏返したら何と裏返っていた表が現れた。たった一枚の生き残りだ。

気を取り直して南進開始。こちらはいきなりの笹原だが、笹の背は低く
上から見ると踏み跡も良く判るので不安は無い。

段差も多くて北尾根とは大違い。

右前方に見えるのは大鐘原ヶ岳の西端らしい。

このルートはやたらと突起や突き出しの岩頭が多く如何にも覗岩の前哨戦。
(サムネイル写真は左クリックで拡大、左上の左向き矢印で元に戻る。)



一番の困惑はこの回り道なしの段差。取り付く前にじっくりと足がかり
掴まる小潅木を目視で追って確認してから何とかクリヤ。

この赤テープでやや左に進む。

この突起を過ぎると

右下の樹間に岩塊が見えたがこれは本命ではない。

この突き出し岩の手前のテープで又左小路へ。

ソロソロ見える頃と注意すると漸く覗岩が見えた。
(サムネイル写真は左クリックで拡大、左上の左向き矢印で元に戻る。)


この程度では前回と同じ。もっと良いアングルをと思って岩場を這いずり回る。
どう見ても出来るだけ上から見ないと駄目なのは判っているがただ稜線を
上に行っても障害物も同じく上がってくるから駄目。
どうしても岩頭に立って目線を上げるしかないが、直ぐにふら付く爺イでは
そんなことは出来ない。仕方なく突き出し岩頭に腹ばいになってにじり寄って
撮影したのがこれ。前回と大差は無いがこれが限度一杯。
(サムネイル写真は左クリックで拡大、左上の左向き矢印で元に戻る。)




最後の望みはこの岩頭、此処に立てればーーいや立てなくてもトップまで
登れればと思ったがどうしても足が出なくて断念。

大分、時間も費やしたがこれ以上は無理と感じて東向きの尾根を使って下山にかかる。
ブルー目印はなくなっているがこんな二種類を追う。
(サムネイル写真は左クリックで拡大、左上の左向き矢印で元に戻る。)


兎に角この尾根は酷い。尾根道などは無く露岩ゴロゴロの急降、登りは岩角などが
丁度良い足がかりになったが下りは細心の注意を払わないと転倒する。
(サムネイル写真は左クリックで拡大、左上の左向き矢印で元に戻る。)



長時間かけた下りも終わって「みどり世紀の森」のメイン遊歩道を捉えて一休み。

この看板でr-126に出て約100mの県道歩きだけで無事に帰着。

ご来訪の序に下のバナーをポチッと。
蛇足・1271m無名峰について(2007-3-16の記事より再録)
天狗山と北方の天目山の間には地形図上、山名の付いている嶺は存在して
いない。
「小」にしろ「大」にしろ、「鐘原ヶ岳」と通称しているのは簡単な話、
その様な頂上標識があり大抵の人がそう呼ぶからだ。
榛名町地名辞典には地蔵峠の北を「大鐘原ヶ岳」、南を「小鐘原ヶ岳」と
されているが、そうすると「大鐘原ヶ岳」とは天目南コースの起点の峠に
立つと南に見える巨大な山1271m無名峰になり、「小鐘原ヶ岳」とは
現在「大鐘原ヶ岳」と言われる地蔵峠に近い1256m峰や無名の
1234m峰、それに「小鐘原ヶ岳」と言われる1225m峰の総称
となってしまう。
鐘原ヶ岳の「古名」は「旗輻(ハタヤ)岳」で武田が箕輪攻めの時、山に旗を
立てたことから山名が起こったと伝えられている。以来、1271m
無名峰を「旗矢岳」、1256m峰を「地蔵岳」又は「大鐘原ヶ岳」と
通称するようになったらしい。
但し、三角点のある1225m峰を何故「小鐘原ヶ岳」と言うのかは不明。
一つの山塊を無理やり二つに分けて、「大」に比べて少し低い山だからか?
少し低いと言う事なら間に1234m峰もあるので、三角点が置かれたから
独立峰の名前をつけたかな?
「群馬郡誌・鐘原ヶ岳」の項より。
「氷室嶽ニ連ナリテ大小ニ峰ヲナス。ソノ峰間ハ即チ地蔵峠ナリ。
伝エ言フ、武田信玄箕輪城攻メノトキ、山中ニ陣営ヲ構エ地蔵峠ノ
間道ニ備エタリト。」
恒例の本日の爺イの画像は忘れたわけではないが確認を忘れて頭切れだったので
最後に遠慮。

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