フリースクールに関わるアシスタントたち①
▼「悩み」を抱える教員たち
読売新聞の「教育ルネッサンス」で「親と向き合う」シリーズが始まり、2010年4月17日(土)はその2回目。見出しに〈「復数担任」で負担軽減〉とある。
1回目の前日は「モンスター・ペアレンツ」の親の悩みに向き合いながら対処する教員の姿が描かれていたが、今回は「中1ギャップ」にどう対処するか、である。だが、問題は中1ギャップのその当事者や親が訴えてくる問題への対処の仕方ではなく、それをうまく受け止められない教員の姿である。そこで「何か教員が支え合う仕組みはないか」と考え、始めたのが復数担任制だという。
東京都新宿区には、「授業改善推進員の制度」があり、退職校長が若手教員の相談に乗るらしい(退職校長たちで大丈夫か?それも心配だ)。
▼生徒の問題は学校でつくられる
何のことはない、そこから見えるのは、大学は出たとしてもそのまま教壇に立つ(この言葉はもう死語か?)にはとても不安である教員の姿である。若さに溢れ、問題がなければそれでいいのかも知れない。しかし、いわゆる「中1トラブル」(これも教師サイドの見方だ)を起こした生徒に向き合い親の要望を受け止めるには、あまりにも人生経験に乏しく頼りない。とても教科学習の指導以外は任せておけない。それが現状である(でも、教科学習だけなら学習塾の先生の方が上か?)。そういう教員のキャパの狭さから何割かの不登校生も生まれているとも言える。
▼薫陶を受けることもなく指導を任される新米教師
一般の民間会社のような組織であれば、まずは新人教育があり社員教育がある。が、学校というところは、世間のルールも社会人としての感覚も十分に身につかないうちに、ベテランの教員(こういう人たちも井の中の蛙の場合が多い)と同様に教科の指導やクラスの運営を任される。自分の経験に照らして言うのも何だが、大学卒業の頃はおろか、大学院時代を含めた20代だけでなく30代になっても生徒の思いに向き合いその子に合った進路に導くということには未熟なことが山ほどあったように思う。一時、教員の社会での実習経験の必要性が叫ばれたのもそういう背景があったからである。
▼生徒の個性を受け止められない教師
今になってようやく感じることだが、これから大人の世界に飛び立つ準備をしている子どもたちに向きあうには、豊富な人生経験の裏打ちがどうしても必要だと言うことである。学校の教科学習の下請け機関である学習塾や進学塾であれば、少なくともイキのいい教科指導があれば事足りる。が、成長の途上で様々な悩みや疑問を抱えたり、学校では十分に生かし切れない自分を感じたりする子どもに真正に向き合うには、それだけではとても足りない。しかし、現実にはそれを受け止められる先生が学校にどれだけいるだろうか。そういう個性的な生徒ではない大部分の生徒に重きを置かなければならない事情もあって、結局はそういう生徒は学校から離れてしまうことになる。
(②に続く)
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▼「悩み」を抱える教員たち
読売新聞の「教育ルネッサンス」で「親と向き合う」シリーズが始まり、2010年4月17日(土)はその2回目。見出しに〈「復数担任」で負担軽減〉とある。
1回目の前日は「モンスター・ペアレンツ」の親の悩みに向き合いながら対処する教員の姿が描かれていたが、今回は「中1ギャップ」にどう対処するか、である。だが、問題は中1ギャップのその当事者や親が訴えてくる問題への対処の仕方ではなく、それをうまく受け止められない教員の姿である。そこで「何か教員が支え合う仕組みはないか」と考え、始めたのが復数担任制だという。
東京都新宿区には、「授業改善推進員の制度」があり、退職校長が若手教員の相談に乗るらしい(退職校長たちで大丈夫か?それも心配だ)。
▼生徒の問題は学校でつくられる
何のことはない、そこから見えるのは、大学は出たとしてもそのまま教壇に立つ(この言葉はもう死語か?)にはとても不安である教員の姿である。若さに溢れ、問題がなければそれでいいのかも知れない。しかし、いわゆる「中1トラブル」(これも教師サイドの見方だ)を起こした生徒に向き合い親の要望を受け止めるには、あまりにも人生経験に乏しく頼りない。とても教科学習の指導以外は任せておけない。それが現状である(でも、教科学習だけなら学習塾の先生の方が上か?)。そういう教員のキャパの狭さから何割かの不登校生も生まれているとも言える。
▼薫陶を受けることもなく指導を任される新米教師
一般の民間会社のような組織であれば、まずは新人教育があり社員教育がある。が、学校というところは、世間のルールも社会人としての感覚も十分に身につかないうちに、ベテランの教員(こういう人たちも井の中の蛙の場合が多い)と同様に教科の指導やクラスの運営を任される。自分の経験に照らして言うのも何だが、大学卒業の頃はおろか、大学院時代を含めた20代だけでなく30代になっても生徒の思いに向き合いその子に合った進路に導くということには未熟なことが山ほどあったように思う。一時、教員の社会での実習経験の必要性が叫ばれたのもそういう背景があったからである。
▼生徒の個性を受け止められない教師
今になってようやく感じることだが、これから大人の世界に飛び立つ準備をしている子どもたちに向きあうには、豊富な人生経験の裏打ちがどうしても必要だと言うことである。学校の教科学習の下請け機関である学習塾や進学塾であれば、少なくともイキのいい教科指導があれば事足りる。が、成長の途上で様々な悩みや疑問を抱えたり、学校では十分に生かし切れない自分を感じたりする子どもに真正に向き合うには、それだけではとても足りない。しかし、現実にはそれを受け止められる先生が学校にどれだけいるだろうか。そういう個性的な生徒ではない大部分の生徒に重きを置かなければならない事情もあって、結局はそういう生徒は学校から離れてしまうことになる。
(②に続く)
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