「美しい国」づくりを掲げ、「小沢をとるか私をとるか」と言って選挙に挑んだ安部内閣は国民の冷静な審判によって、見事に惨敗しましたね。国会が正常に機能しない形での問答無用の強行採決の連発も気になっていましたが、「じっちゃんの名において」と彼の掲げる「美しい国」の観念が戦前への回帰を超えてどこかカルト的な匂いがしたのもとても気になっていた。
「美しい国」とは何か……残念ながら、私は彼の本を買って読んでいない。他人の書評を覗いただけである。だから、余計そのカルト的な様相が気になっていた。
一昨日、NHK総合テレビで「東京裁判」をめぐる判事達の知られざる攻防を観た。欧米の論理で日本の戦争行為を断罪しようとしたイギリスのパトリック判事に対して、インドのパール判事は毅然と異議申し立てをした。この戦争を勝者の西欧の論理で裁くことは出来ない、「全員無罪」である、と。悲惨なアジアの現実を生きた判事は曇りない眼で戦争の実態を捉えたていた。もちろん、それで日本が行った数々の残虐行為が何ら免罪される訳もない。戦争指導者達は国民によってこそ裁かれるべきだ。A級戦犯は国民を誤った無謀な戦争へ引きずり込んだ首謀者としてやはりA級戦犯として裁かれねばならない。
しかし、勝者の欧米の論理で断罪しようとする判事達に純粋に国際法的な立場から敢然と立ち向かったパール判事のその心意気の爪の垢でも飲みたい気がする。広島・長崎と数十万人が被爆されながら、すっかり洗脳されてしまって、「はい、身から出た錆でございますから」なんて言っている年老いた黄色い猿の日本人さえいるのだから。
このパール判事が「東京裁判」のあと日本の各地を見て回り、次のような言葉を残している。「この美しい国をより美しくするために、宗教によってその魂を磨きあげていただきたい。広大なる慈悲の精神、妥協なき正義の精神、何ものをも恐れざる無畏の精神、この高められた精神によって、この美しい国を守っていただきたい。どうかこの美しい国土を、二度とふたたび破壊と殺戮の悪魔の手にゆだねないでいただきたい。"戦争によって、または武装することによって平和を守る"という虚言に決して迷つてはならない。私が日本を去るに際してみなさんに熱願するのは、ただこの一事である。」(「パール判事・中島岳志著・白水社」)
おそらく安部晋三氏の掲げる「美しい国」のイメージには東京裁判でのこのパール判事の言動が何らかの影響を与えていたのではないかと思われる。(用語の「偶然の一致」ということも考えられるが…)しかし、憲法9条のように絶対的な平和主義を唱えたパール博士と戦前の全体主義への回帰を意図しているのではないか思われる安部晋三氏とでは、国や生き方のベクトルについて雲泥の差がある。
ところがである。NHKの番組に触発されたのか、その安部氏が21日からのインド訪問中に極東国際軍事裁判で判事を務めた故パール氏の長男と会談することになったという。「パール判事は日本とゆかりのある方だ。お父さまの話をうかがえることを楽しみにしている」と述べたのだとか。
ちなみに、パールの息子であるブロサント・パール氏は、東条英機をはじめとする日本の戦争指導者を美化した映画『プライド』を観て、彼の「心を傷つけ、憤らせている」と言ったとインドの新聞「インディアン・エクスプレス」は報じているという。「父が渾身の力を振りしぼってまとめ上げた判決書を、自分の政治的立場を補完する材料として利用しようとする者への怒りは、きわめて厳しかった」という。
うーん。さて、どんなことになるか。安部氏に少しでもパール博士の切なる思いを学ぼうという姿勢があればまだ救われるのだが…。望む方が無理というものだろうか。