午前7時の気温は、なんとプラス10度しかありません。
外は涼しいを通りこして、少しひんやり。天気は晴れでござる。
きょうは67回目の終戦記念日。「終戦記念日」という言い方、おぢは、ずーっと変だと思っております。
どっからどうみても、「敗戦の日」または「敗戦記念の日」でござる。
終戦というと、勝手に戦争が終わったような印象ですけれど、実態はボロ負け。
国民は食べるものもなく、武器も弾薬もほとんどなく、どうにもこうにもならなくて「負けました」と降伏した戦争でござった。
極めつけは、ヒロシマ、ナガサキへの原爆投下でござった。
おバカな軍の官僚さまが扇動したこの戦争、とんでもない数のニッポン人が亡くなっておりまする。
亡くなった兵士の死因の一番は、餓死でござる。こんなみじめな軍隊、世界広しと言えど、ニッポン国だけ。
南方の島々の山中で、食料がなく、時には仲間の人肉まで食べたとされる悲惨な死でござった。
なにせ当時の軍隊は、「兵站(へいたん)」という考え方をないがしろにしたのでござる。
兵站とは、戦争において作戦を行う部隊の移動と支援を計画するそうな。
つまりは兵隊さんの食事や衛生管理など、戦闘中の衣食住にかかわることを実施する活動が兵站でござる。
ダイエットして、戦争なんかできません。
いまはロジスティックスとか、略してロジとか申します。
アメリカでは、今も昔も最前線に温かい食べ物を届けるのが、当たり前田のクラッカー。
ところが日本軍の幹部、軍官僚は「兵站なんてなんぼのもんじゃい」、と見下しておったそうな。
そんなことなもんだから、有名なドアホウ作戦として知られるインパール作戦で、司令官だった牟田口蓮也はこう述べておる。
「兵器がない、やれ弾丸がない、食う物がないなどは戦いを放棄する理由にならぬ。弾丸がなかったら銃剣があるじゃないか。銃剣がなくなれば、腕でいくんじゃ。腕もなくなったら足で蹴れ。足もやられたら口で噛みついて行け。日本男子には大和魂があるということを忘れちゃいかん。日本は神州である。神々が守って下さる…」とのたまったそうな。
おかげさんで、戦死者3万人(ほとんど餓死)、病死4万人とされる。
7万人ものニッポン兵を殺しておいて、この無能な軍官僚・牟田口は、戦後も昭和40年代まで生き残っておった。
このほか、餓島と呼ばれたガダルカナル島など南方の島々で、末端の兵隊は餓死し続けておる。
その一方、死刑になったA級戦犯はともかく、誤った指導をした軍の官僚は、ほぼ生き残った。
死んだのは、末端の兵隊と一般庶民だけ。計300万人を超えるとんでもない死者を出しておる。
かつての日本軍の中枢は、今の官庁とよく似ておるとの指摘があるけど、まさにその通り。
戦後、ノンフィクション作家の保坂正康さんの取材を受けたある旧日本軍の将校は「陸軍士官学校の同期は、戦争でほとんど死んでいません。息子を入れるなら防衛大ですよ」と軍の幹部になれば、戦争で息子は死なずにすむとのたまったそうな。
自分たちのことしか考えてないあたり、よく似ていますなぁ、今の官僚さまと…
そんな大戦争でしたが、若い人の中には、アメリカと戦争をしたことすら、知らない方が居るそうで、あ然といたします。
おぢたちも「戦争を知らない世代」と言われましたけど、戦争経験者からあれこれ話は聞いていたわけで、相手がアメリカだってことは、知らない人はいなかった。
そんなこんなで、ニッポンには「戦争を遂行する能力」というもんがない、とおぢは思います。
昨年の福島第一原発事故の対応を見ても明らかだけど、そもそも危機管理というもんができませぬ。
失敗に失敗を重ね、それを隠蔽する東電の体質も、先の戦争で軍官僚がやってきたことと、まるきり同じでござる。
政治家も官僚も、今も昔もあまりに無残。
結果、最後に負けて死ぬのも、泣きをみるのも庶民だけ。
あえていうなら、「明治のニッポン人」が、もしいま居たなら、「勝てる戦争」ができるかもしれませんけどね。
そんなことで、きょう8月15日は、とことんニッポン人が戦争には向いてない民族だと認識する日だと思います。
それが、戦争で亡くなった人へのせめてもの慰めと思いますけど、どうよ?
そんなこんなの中、韓国大統領がトンデモ発言じゃ。
天皇陛下の訪韓条件として「心からの謝罪」を求めるなどとしておるそうな。
これについて、元外務官僚の佐藤優さんは、以下のように述べておる。
「嫌な大統領に指導されていても韓国は隣国だ。お互いに引っ越すことはできない。外務官僚は、日韓首脳会談を延期し、逃げるという姿勢を改め、李明博大統領の暴言を封じ込める現実的方策を考えるべきだ。」
まことにごもっとも!!
とにもかくにも、竹島問題は早急に国際司法裁判所に提訴すべきじゃ。
きのうに引き続き「なにしてんだ、外務省!!」プンプン!!